その日は朝からよく晴れて、からりと暑い一日だった。
将軍邸で、いつものように家令氏と打ち合わせを済ませると、支部へは帰らずにそのまま待機する。
程無くしてやって来た酒屋が、大量の樽を倉庫へ運び込むと、手伝いを頼んだ使用人には滋養薬だと伝えて、城門へ差し入れる分に白霞黒幻晶を溶かし入れる。
栓を開けて瓶の中身を数粒ずつ入れるとたちまち溶けて、あの登山道の霧が含んでいた、仄かな花の香りを立てた。再び封をすると炭で印を付け、邸で宴に使うものとは分けておく。
今宵の客は、例のヒューゴ、ルーデル両卿の率いる先遣隊の連中のみ。日が傾く頃に三々五々集まって来たが、どの面子も夫人と共に着飾って澄ました顔をしちゃいるものの、贅沢な仕立ての馬車には、甲冑や得物を隠し持ってるって寸法だ。
やがて日も落ちると、通用口は出勤して来た娼妓たちの、咽るような香りと艶っぽい声で溢れ返る。
季節柄、どいつもこいつも日を追う毎に薄着になって来るので、些か目のやり場に困ったりして。
すっかり顔見知りになった連中と軽口を叩き合う中、女中頭の呼ぶ声に皆が大広間へぞろぞろと向かうと、その後ろから、だらしなく緩み切った顔で彼女らを見送っていた、若造二人の姿が現れた。
「よ、お疲れ」と声を掛けてやると、目深に被った鳥打帽の、くたびれた鍔の下から、やんちゃそうなどんぐり眼が覗いてにやりと笑う。
「毎度。山猫酒店で御座い」
少しばかりおどけた口調でぺこりと会釈するマウロの隣で、エンツォは、
「何だって俺まで駆り出されなきゃならねぇんだよ」
と仏頂面で呟きながら突っ立っているが、
「まぁまぁ兄貴、ここは一つ、可愛い姐御の為と思って……」
とにやにや肩を叩かれると、心なしか頬を染めつつも、「しょうがねぇな」と口を尖らせた。
共に倉庫へ戻り、印を付けた樽を荷車へ載せるのを手伝っていると、ディエシーが様子を見に来た。
「ご苦労さん。いつも悪ィね」
片手を挙げながら気さくに声をかける奴の姿に、マウロが気付いて「金狼の旦那!」と嬉しそうに声を上げると、仏頂面で文句たらたら作業していたエンツォは、弾かれた様に顔を上げた。
「旦那、こっちがエンツォ兄貴っす。兄貴も喜んでお手伝いしますって」
調子のいい物言いで勝手に紹介されると、途端に顔を赤らめ、
「馬鹿、何言ってやがンだよ」
と声を潜めて窘めるが、つかつか歩み寄る奴に、
「おぉ、お前さんが兄貴分か」
と人懐こい笑顔で手を差し伸べられると、いつぞやのマウロよろしく、両手を服の腹に何度も擦り付け、
「エ、エンツォっす……」
と、緊張した面持ちで握手に応じる。
「話はいつも聞いてるよ。お前さんたちの働きにゃ感謝してる。今夜も頼むぜ」
奴が親指を立てながら片目を瞑って見せ、小姓に呼ばれて慌ただしく出て行くと、エンツォは暫くの間その背中を呆然と見送っていたが、マウロに「……兄貴?」と心配そうに覗き込まれると、「凄ぇ……」と一言呟いた。
「凄ぇ。本当に金髪だ。本当に青い目だ。本当に大男だ。本物の金狼王だ……!」
「な、な、本物だろ、凄ぇだろ兄貴!」
「感謝してるって、頼むぜって……」
「うんうん!」
「握手しちまった俺……!」
何がどう凄いのかよく判らないけど、エンツォはそうやって暫くの間感慨に耽っていたが、突然「うぉぉ! やるぞぉ!」なんぞと叫ぶなり、さっきまでのやる気のなさもどこへやら、俄然張り切って働き始め、瞬く間に全ての樽を積み終えると、マウロと共に意気揚々と城へ向かった。
日もとっぷりと暮れて、大広間では宴も酣となって来た頃、迎えに来てくれたダフネと共に一足先に邸を出た。
彼女には、夕方の分の精霊石を運び込む際に、照明用の種石もすり替えてもらってある。この時間なら、そろそろ城内の交換作業も終えている頃だろう。
通用門に到着すると、門扉の向こうに立っていた歩哨が、俺たちに気付いて早速駆け寄って来る。
掲げたランタンの灯に浮かび上がった顔は若造のものだ。彼もまた、エンツォたちが運び込んだ差し入れにありつけたようで、雀斑の浮いた頬は大分イイ色に染まっていた。
「どうしたの? ダフネちゃん」
彼は声を潜めて問うと、警戒するようにちらりと背後を振り返る。どうやら彼女言うところの「馴染みの番兵さん」らしい。相手もまた彼女の事を憎からず思っているようだ。
「夕方、石を届けた時に、忘れ物をしちゃったの。ちょっとだけでいいから、倉庫に入れてもらえないかな?」
彼女が言いながら可愛らしく肩を竦めて見せると、彼は傍に控えた俺に、幾分怪訝そうな眼差しを向ける。
「あぁ、彼は支部の石使いさん。暗くて怖いから、ついて来てもらったの」
彼女の説明に「毎度」と会釈してやると、「仕方ないなァ」なんぞと呟くが、「有難う」と輝くような笑顔で微笑まれると、だらしなく鼻の下を伸ばしながらいそいそと錠を外し、あっさり中へと招き入れた。
少々呆れつつ倉庫へ忍び込むと、彼女は彼を遠目に振り返り、俺と苦笑を見交わしてぺろっと舌を出して見せる。まったく、美少女恐るべしだな。
精霊石の木箱に隠してあった弓矢をクロークの中へ忍ばせると、樫の樹の真ん前に当たる部屋を目指す。
調査の為に度々忍び込んでいるだけあって、彼女は城内の様子には詳しい。行く先々で兵や使用人と出くわすこともあったが、身を隠す場所も全て心得ているようで、難無くやり過ごすことが出来た。
長い廊下の端から照明が消え始めると、城内は俄かに騒然となった。種石のパラメータは一時間後にオフを設定してあるから、使用人たちが石を交換し始めてちょうど一時間て事になる。
彼らの作業ペースがどんなものかは判らない為、大樹の爆破は手動でやるしかない。
照明は俺たちを追い掛ける様に、思ったより早いペースで消えて行く。「何だ」「どうした」と半ばパニック状態で、ばたばたと駆けずり回る使用人たちの目に、最早俺たちの姿は映っていないようだ。
彼女と顔を見合わせて頷き合うと、そのまま目的の部屋へ向かって駆け出した。
目当ての部屋は、三階の真ん中にあった。
彼女がノックで無人を確認し、周囲を警戒しながら扉を開けると、二人で素早く飛び込む。
中へ入って真っ先に目に付いたのは、月明かりが映す大樹の影に覆われた、バルコニーのカーテンだった。
あまり眺望の良くない場所な為か、他の贅沢な部屋と比べるとこじんまりと手狭で、調度も簡素なものだが、きちんと整理された日用品に女の気配を感じた。女中頭の部屋と言ったところか。
程なくしてここの照明も消えると、共にバルコニーへ出る。
「あれが王の間。恐らく、あそこが一番最後に消えます」
声を潜めながら手摺から身を乗り出し、最上階の端を示す彼女の指先を辿ると、カーテン越しに煌々と灯りを点した一際大きな部屋が見えた。
異変の報告に来た側近のものか、窓に映る慌ただしげな人影があるのに気付くと、思わずにやりと笑みが浮かぶ。周囲を見回せば、既に最上階を除く全ての部屋が暗闇に沈んでいた。
クロークから弓を取り出して矢を三本番えると、葉陰から零れる幽かな月明かりを頼りに、石の詰まった眼下の洞へ狙いを定め、頃合いを待つ。
「あと七つです」
最上階を見上げたまま、彼女が小声で告げる。大枝の間に黒々と口を開けている的は思ったより大きい。案の定、FCSはエラー表示のままだけど、これなら問題は無さそうだ。
「あと五つ。……三、二、一、消灯!」
声と共に斉射。触発モードで0秒レベル125を叩き込まれた洞は、耳を弄する大音響と共に強烈な閃光を吹き上げ、二つに裂けた大樹は瞬く間に猛火に覆われた。
爆風と飛び散る木っ端から、咄嗟にダフネをクロークの中へ庇う。「雷神の御子、見参!」てとこか。城のあちこちから響く悲鳴も相まって、宛ら阿鼻叫喚の様相だな。
「だ、誰?!」
唐突な中年女の声を振り返ると、カーテン越しに蝋燭の火が震えているのが見えた。まずい。部屋の主が戻って来ちまったようだ。
「誰か来て! 賊が、賊が……!」
と喚く女の声に、ダフネはクロークの中で俺にしがみついたまま、焦燥も露わな眼差しで見上げる。
警備兵でも呼ばれたら事だ。ここを切り抜けたとしても出口は遠い。一方で背後は三階の高さ。万が一、彼女を抱えて飛び降りたとしても大怪我は免れない。 畜生、どうする……?!
殺到する甲冑の音を聞いて、果敢にも剣把に手を遣る彼女を、思わず背に庇った時だ。手摺の端に、カンという軽いを立てて鉤縄が絡み付いた。
同時に聞こえた鋭い指笛に地上を覗き込むと、大きく手招きをするニーナの姿が見えた。
「あれは?」
「山猫団さ。掴まれ」
ダフネの問いに答えながら縄を手繰ると、彼女は大きく頷いて俺の首に抱き付く。
突然引き開けられたカーテンの向こうに、雁首並べた兵たちが現れると、片目を瞑って見せてから彼女を抱いて手摺を蹴った。
連中が下を覗き込んで賊の姿を探す頃には、俺たちはニーナと共にくすくす笑いながら、炎が照らす前庭を駆け抜けてるって寸法だ。
城壁に連なる塔の影に逃げ込むと、乱れた息を整える。ディエシーたち突入組は、大樹の爆破を合図に城内へ侵入する手筈になっていて、ここを合流地点と決めていた。
「助かったぜ。恩に着るよ」
「有難う、山猫さん」
「いいって事よ。エンツォたちから話は聞いてたからね。頼まれ仕事のついでに見物してやろうと思ってたら、たまたまあんたたちを見付けたってだけの話さ」
ニーナは生意気な口調で言いながら肩を竦めて見せると、やおら腕組みをするなり、俺とダフネの顔を交互にまじまじと眺めながら、にやりと意味深に笑った。
「これだから二枚目は油断がならないんだ」
「え?」
「まったく、ベル姐さんばかりか、こんな小娘にまでちょっかい出すなんて、あんたも大した女ッ誑しだねぇ」
「えぇ?! い、いや違うって、何を言い出すんだよ藪から棒に……」
「そ、そうです失礼です! 私にもランジャさんにも、ちゃんと許婚がいます! な、なにも疚しい事なんか……」
たちまち真っ赤になった彼女にムキになって言い返されると、ニーナは、
「おやまぁ、とんだウブ子ちゃんだこと」
なんぞと言いながら、いひひと意地悪そうに笑う。
からかわれたと知って癪に障ったか、ダフネが更なる抗議の声を上げようとした時、塔の扉が開け放たれて俺たちを呼ぶ声がした。
「ニコライ!」
途端に顔を輝かせて駆け出した彼女を見送ると、ニーナは俺と苦笑を見交わして肩を竦めるが、扉の前で固く抱き合う二人を目にすると、何やら切なそうな顔で「許婚か……」と呟いた。
「どうした?」と聞いてやると、少しばかり極まり悪そうに「ううん。何でもない」と首を振り、気を取り直すように大きな溜息をつく。
「さてと、あたいもこれからひと暴れだ」
「何をやるって?」
「エンツォたちの手伝いさ。じゃぁね」
彼女はそう言って軽く手を振ると、山猫のようにひらりと身を翻し、闇の向こうへと駆けて行った。