大扉が開け放たれた謁見の間には、重臣たちや騎士団ばかりでなく、「反乱軍」として王太子を囲んでいた一般兵や、城内で働く使用人までもが招き入れられた為、廊下の向こうに至るまで、人だかりで埋め尽くされていた。
日頃は縁遠い場所だけに、中には物珍しげに辺りを見回している者もあったが、しわぶき一つ無い静寂の中、勅書を読み上げる内務尚書の声に、誰もがじっと耳を傾けていた。
やがて譲位の宣言がなされ、礼部卿の手によって王冠が外されると、王は玉座を降りる。代わって殿下がその座に就くと、万雷の拍手と歓呼の中、奴はその足元に深く頭を垂れた。
先遣隊の騎士たちによると、后は自室のベッドの上で宝飾に埋もれ、美貌の男妾たちと共に毒を煽って事切れていたとの事。元は娼妓だったって噂だ。分不相応な贅沢のツケを払わされたってとこだろう。
王もまた然り、か。神章も持たず、為政者たるべき資質も無く、ただ横から掠め取っただけの玉座に、後継者として据えられた凡庸な男と見れば、あの野郎の運命も哀れに思えて来るってもんだよな。
戴冠の儀は公布されて二か月の後と決まったらしい。例によって、神都から呼び寄せた司祭によって執り行われるそうだ。「忙しくなりますぞ」なんぞと言いながらも、ナーダル卿の声は随分と弾んで聞こえた。
式を終えると、前庭に詰め掛けた連中と一般兵には帰宅を促し、王と側近が隊長たちによって地下牢へ連行されて行くと、先遣隊の面々も意気揚々と警備の任に戻って行った。
アステリオ城へは、神聖騎士団が護送することになってるとかで、彼らが来るまでの暫定措置だそうだ。
側近たちも処刑は免れないだろう。尤も、この期に及んでも尚、王への忠節は堅いようだし、連中にしてみれば、主君と運命を共にするも本望ってとこか。
閣僚の後任人事も、既に同志貴族を中心とした草案が出来てるとかで、新体制への移行もスムーズに行きそうだ。
「残る懸念は、御后様候補ですな」
思わせ振りな将軍の物言いに、殿下が「えっ」と声を上げて俄かに頬を赤らめると、がらんとして静かになった謁見の間に、俺たちの笑い声が響いた。
「はて、困りましたなぁ。殿下は、先王のお決めになった許婚は御一方も御承知なさらず、側室は皆、郷里へ帰してしまわれましたし……」
ナーダル卿もとぼけた口調で言葉を継ぐと、組んでいた腕を解いてつるりと禿頭を撫で上げ、将軍と顔を見合わせてにやりと笑いながら、白々しく「困った困った」と繰り返す。
「斯くなる上は元老院を招集し、同志貴族の令嬢の中から然るべき候補を……」
尚も続けようとする彼を、殿下は、
「いやナーダル卿、私は、その……」
と慌てて制すると、にこにこと微笑ましげに眺めているベルをちらりと振り返り、暫し逡巡する様子を見せたかと思うと、突然彼女の元へ歩み寄り、徐にその手を取った。
「ベルナデット殿、私の后になってはくれまいか」
その一言に、彼女の銀色の瞳がまん丸く見開かれ、面食らった顔で助けを求めるかのように俺たちを見回す。リノも驚いた様子で、ビヨンたちと顔を見合わせていた。
「国政の再建には、恐らく多くの困難が待ち受けていよう。若輩者の手には負えぬ事態もあるやもしれぬ。その時、私の隣には是非そなたの姿があって欲しいのだ。それは私にとって、神祖の加護にも等しい助力となるに違いない」
「御畏れながら殿下……」
熱く語る彼の眼差しを見上げていた彼女の顔に、ふと寂しげな影が差すと、彼は言葉を遮るように優しく首を振り、尚も続けた。
「身分や家柄など問わぬ。そなたはそなたであることに意味があるのだ。忘れ得ぬ者があるとも聞いている。ならば、その者もそなたと諸共に愛そう」
「殿下……」
これには正直、負けたと思った。彼女の過去ごと愛そうだなんて、さしものテオもお手上げだろう。思わず苦笑を浮かべちまった俺の顔を、ディエシーの奴がにやにやしながら覗き込む。
「嫖客の戯言と笑われるやもしれん。だが、そなたにだけは誠を捧げたいのだ。そなたの望みならば何事を措いてでも応えたい。ベルナデット殿、私に望むものがあるならば聴かせてくれ」
さぁ、応えるんだベル。あんたを見詰めている彼の瞳は琥珀色だ。もう赤い瞳の呪縛に悩まされる事も無い。手を伸ばせ。鳥籠の鍵はすぐ目の前だ。自由になれるんだ。なのに、何故そんな切なげな顔で俺を振り返る?
これでいいんだ。背中を押してやるような思いを込めて大きく頷いてやると、彼女はあの少し寂しげな、それでいて優しい微笑で小さく頷き返し、彼に向き直ると、美しい所作で拝礼しながら、柔らかくハスキーな声で言った。
「では、女神の裳裾なる黄金の沃野を……」
ゆっくりと顔を上げた彼女を、彼は「ベルナデット殿!」と叫ぶなり抱き締め、不意に抱き上げると舞う様にくるくると回る。
それを見てダフネは我が事のように顔を輝かせてニコライを見上げ、彼もまた笑顔で答えると、許婚の細い肩を愛おしげに抱き寄せる。
大親方や将軍たちから、「おめでとう御座います」「祝着に存じます」との言葉と共に拍手を受けると、殿下は「有難う、有難う」と照れ臭そうに頬を染めながら、彼女を大切そうに下ろし、今度は満面の笑顔でリノに駆け寄った。
「父上、父上! ベルナデット殿が私の后に……!」
些かはしゃぎ過ぎな息子に、彼はベルと苦笑を見交わすと、静かに歩み寄って拝礼する彼女の手を取り、殿下の手と重ねながら、
「末永くお幸せに。息子を、殿下をよろしく頼みます」
と穏やかに微笑んだ。
「そうだ、父上の名誉も回復せねば……」
「古式に倣うのでしたら、マグノリエ大公の爵位で御座いましょうな」
答えたのはナーダル卿だった。将軍もまた、
「左様、何しろ王太子殿下の父君にあらせられるのですから」
と言葉を継ぐ。
それを聞いて当の本人は幾分戸惑っている様子だったが、ビヨンとサデアスは晴れがましい笑顔を見交わすと、
「大公殿下、おめでとう御座います」
と揃って頭を下げた。
「有難う。貴卿らには長らく苦労を掛けたが、これからは新王の御為に働いてくれ」
「勿論!」
「是非も御座いません」
二人は主の言葉に力強く答え、差し出された手を嬉しそうに握り返していたが、ビヨンはふと俺を振り向くと、何やら含む顔でにやりと笑った。
「悪ィね。黒の勝ちだ」
その言葉に、サデアスもまたしたり顔で振り返ると、「黒?」と訝しむ俺に、「御主は白だ」と言いながら自分の栗色の巻き毛をつんつんと引っ張って見せ、「先手も打ってたしな」と言葉を継ぐビヨンに頷く。
どうやら彼らの賭けは、俺と殿下の髪の色をチェスの駒に見立てたものだったようだ。
「あぁ、負けも大負け、頼みのクイーンを取られちゃお手上げだ」
思わず殿下と苦笑を見交わし、大袈裟に肩を竦めながら嘆いて見せると、皆はどっと笑い声を上げ、ディエシーの野郎はデカい掌で俺の頭をくしゃくしゃ撫で回しやがる。
「あんたはどっちに賭けたんだよ」
「ツラ見りゃ判るだろ? 白だよ馬ッ鹿野郎が。ヤケ酒でも食らいてェ気分だ」
その泣き言を受けて、ナーダル卿が、「ならば我らは祝杯と行こうではないか」と笑うと、奴も負けじと「下戸はすっこんでやがれ」と混ぜっ返す。
その一方で、「如何で御座いましょう?」と伺う将軍に、殿下が「そうだな、早速用意させよう」と、苦笑気味ながら快諾すると、ビヨンたちの歓声を合図に、皆で謁見の間を後にした。
「ま、女なんざ星の数ほどいるんだ。獲られたからってめげるこたァねぇよ」
何を勘違いしてるんだか、ディエシーの野郎は廊下に出た途端、歩きながら俺の肩に手を回すと、耳元で妙に説教臭い物言いをする。
思わず憮然としながら、「誰がめげてるって?」と返すと、今度は「またまたァ」何ぞと言いながら拳で脇腹を小突いた。
「だから、俺の女じゃねぇって何度言ったら……」
「いいから意地張りなさんなって。何なら俺が新しい女見繕ってやろうか? フィノンなんかどうよ。お前さんにくれてやるにゃ、ちょいとばかし惜しい気もするけどよ」
その名を聞いた途端、一糸纏わぬ光の女神の、あのはにかんだ微笑を思い出し、不覚にも頬を緩めちまった自分に少しばかり呆れてみたりして。
「レディ・スランフールか……悪くないな。だけど、神族同士じゃ跡取りは望めないぜ?」
茶化す口調でにやりと笑う俺に、奴は「そうか、しまった」何ぞと言いながら、金髪頭をわしわし掻いて見せると、廊下を向こうからやって来た小姓の会釈に片手を挙げて応えた。
え? 小姓だって……? こんな時分に、誰もいない謁見の間なんぞに何の用だろう。
奇妙な違和感を抱きつつ、擦れ違う小柄な背中を何気なく目で追っていると、彼が懐に手を入れた瞬間、それは確信に変わった。
「止まれ! 動くな!!」
振り返り様に叫んだが遅かった。飛び掛かる小姓を抱き留めるように抱え込んだリノが、くずおれるように膝を突き、絨毯に倒れ込むと、腹のあたりから瞬く間に血溜りが広がる。
悲鳴と怒号が飛び交う中、賊は咄嗟に捕まえようとしたサデアスの手をかわし、立ち塞がる将軍にぶつかって血塗れのダガーを取り落すと、身を翻して俺たちの方へ飛び出して来る。
奴と共に抜剣して身構えると、偽小姓は、剣を手に追って来たビヨンとニコライの目の前で一瞬立ち止まり、不意に破った窓から身を躍らせた。
「何?!」
彼らと共に駆け寄って下を覗き込むと、鮮血と脳漿を撒き散らして事切れた小さな亡骸が、薄明の照らす青い土の上にもはっきりと見て取れた。
「畜生……」
剣把を固く握り締め、小さく呟くビヨンの目が据わっている。
「切り刻んでやる。寸々試しに切り刻んでやる! 畜生ぉぉ!!」
途端に暴れ出した彼を慌てて取り押さえると、呆然としていたニコライがはっと顔を上げ、「薬師を!」と叫んで駆け出した。
その後姿に「頼む!」と声を掛けるディエシーと共に振り向くと、リノは応急処置を施され、跪く同志たちに囲まれていた。
苦しそうではあるがまだ息はある。患部に変色は見られないところを見ると、毒は盛られていないようだ。これを不幸中の幸いと言うのは些か憚られる事態ではあるけれど。
「父上、父上……!」
殿下は震える両手で彼の手を胸に抱きながら、嗚咽で声にならない呼び掛けを続けている。
俺たちもまた歩み寄って跪くと、ベルは泣きじゃくるダフネを胸に抱いたまま、濡れた瞳で俺たちを見上げた。
「伯爵は……大公は殿下を庇って賊に……」
「何てこった。これからだってのに」
深く溜息をつき、苛々と頭を掻く俺に、大親方もまた悲痛な面持ちで大きく頷いて見せる。
「城内に残った蓮火幇の残党……と見るべきでしょうな。恐らくは殿下を害して起死回生を狙ったものかと」
「短剣使いの偽小姓……この手口はセブランでも見た。犯行後に自殺する手もそっくりだ。ここにも潜り込んでやがったか」
思わず吐き捨てた俺の言葉に、ディエシーは青褪めたリノの顔を見詰めたまま、ぽつりと言った。
「俺も見たことがあるぜ。十年前、宮廷で」
言葉にこそ出さなかったが、大親方の表情が、一瞬緊張を孕んだのを見てしまった。
嘗て彼は司祭として宮中に参内していたと聞いた。まさか、奴共々ファルエル陛下暗殺の現場に居合わせたってんじゃないだろうな。
「あれも蓮火幇だったか……」
燃え上がる怒りを抑え込む奴の凍て付いた呟きに、将軍は「何たる不覚!」と己の膝を殴ると悔しそうに歯噛みするが、やおら立ち上がったナーダル卿に、
「トラビス殿、ディエシー殿、城内を洗おう。残党狩りだ!」
と告げられると、二人は「おうよ!」「承知!」と力強く答え、それを受けて立ち上がり掛けた俺たちには「両殿下を頼む」の声を残し、共に剣を携えて飛び出して行った。
彼らが去った後、程なくして入れ替わりに駆けて来たのは、真っ赤な顔でフラム師を背負うニコライと、大きな鞄を抱えたタリス店長だった。
「遅ぇぞ!」と苛立たしげに叫ぶビヨンに、ニコライは乱れた息の下で「済まぬ」と短く答えると、リノの傍らにフラム師をそっと降ろした。
「どうか、どうか父上を……」
縋るような眼差しで見上げる殿下に、フラム師は「畏まりました」と深く頷くと、タリスと共に患部の診察を始めたが、どうやら治療は大掛かりなものになるようだ。
彼らの要請ですぐに部屋が用意され、傷に障らぬように皆でそっと運び込むと、臨時の助手として指名されたベルとダフネを残して、野郎連中は殿下共々外へ出された。
老師によると、女性の方が血に強いんだそうで。まぁ、肝の据わり具合で言っても、二人は適任てとこだろうな。