師匠の仕官は正式に決まったようだ。
叙任式は後ほど日を改めてという事だったが、煩雑な手続きをこなさなければならないため、彼だけ暫くの間親方の邸に留まる事になった。
今頃は門下のやんちゃ坊主どもに包囲されて、また増えてしまった武勇伝をせがまれているに違いない。
褒賞金は目録のまま、勲章と共に親方に預かって貰うことにした。寄付を申し出ると、最初のうちは固辞していたが、それならベニカの為に使ってくれと言うと、ではお預かりするだけですよと念を押してから渋々ながらも受け取ってくれた。
村へ戻ると、師匠に頼まれた小屋の管理のために森へ向かった。ベニカは親方に預けて来たし、暫くここで寝泊りするのも悪くないな。
鳥籠の山鳩に餌を与え、馬の水桶を入れ替えながら、のんびり今日の予定を考える。
とりあえず奥方から持たされた林檎酒の瓶を、釣具と共に小舟に積むと、沼の真ん中で釣り糸を垂らし、瓶の封を切った。
軽い酔いが回ると、引いている釣り糸も気に留めず舟底に寝転ぶ。いい天気だ。空の高さが判らなくなるほど深い青。
この世界に出て初めて聞いたものと同じ声で、遥か上空の鳶が鳴く。精気に満ちた森の薫。葦の葉をそよがせながら吹き渡る涼風に乗って、目の前を横切る夏茜の薄羽。魚が跳ねる水音。遠くで木霊する鹿の声。
夜ともなれば降る様な満天の星空の下、艶やかな漆黒の闇に包まれる木々の間を縫って、狼たちの遠吠えが静謐を裂く。
美しい森だ。アルコロジーに用意されていた作り物やシミュレーションの類とは全く別物の、本物の感触が生身の五感に伝わる世界……。
ディエシー王が言ったように、命を落とした連絡員も多かったかもしれないが、この世界に魅了されて、帰らないことを選択した連中も少なくは無いだろう。
あいつもその一人だったのだろうか。あの口振りでは帰るに帰れなかったといった状況だったようだけど。
俺はどうだ? やっぱり帰りたいんだろうか。サリス室長の「待ってるから」と言った笑顔は、頭の隅に残ったまま消えては居ないけど、ベニカの問いに答えられなかったのは何故だろう。
数日後、狩から戻ると師匠が帰っていて、軒先の鳥籠から鳩を取り出したところだった。そのまま放つと、鳩は小屋の周りや巨木の上空を旋回していたが、やがていずこかへ飛び去った。
「やぁ師匠、叙任おめでとう」
「ありがとう御座います。いきなり訓練教官にされちまいましたよ」
そう言いながら肩を竦めて見せたが、終始笑顔で喜びを隠せないようだ。
彼のあの剣技を見せ付けられちゃ、さしもの将軍閣下も今までの訓練内容を見直さざるを得ないだろう。賢明な人事だな。
「ミカは森へ返しました。ここへは休暇以外来れなくなりそうですからね。いずれランジャ様もここを御発ちになるでしょうし」
「そうだな。師匠には世話になったし、色々教えてもらった。いつか恩を返さなきゃな」
「いいえ恩だなんて……。あなたと狩をするのは楽しかったですから。それに、あなたのお蔭で諦めてた夢まで叶っちまった」
「そりゃあんたの実力だよ。あんたが自力で手に入れたんだ」
そう言ってやると、彼は自分の掌をじっと見詰め、静かに握り締める。
一度は剣を捨てた傷心の騎士。それが再び剣を手に陽の下に立つことになったんだ。その胸中は察して余りある。
「そうだ。親方がお呼びでしたよ。ランジャ様さえよろしければ、城下まで御供致しますが……」
彼はふと思い出したように顔を上げてそう言うと、小屋から降りて来て馬の手綱を解いた。
「親方が? 何だろ急に」
「さぁ。用件までは言ってませんでしたが……。でもベニカが喜びますよ。お会いしたがってましたから」
あぁそうか。そういえばもう何日も会ってないな。とりあえず獲物を捌くのを手伝ってもらい、手早く塩漬けにして氷室へ放り込むと、彼と共に城下へ向かった。
邸宅街に近付くと、親方の邸のポーチに座り込んでいたベニカが立ち上がり、背伸びをして手を振っているのが見えた。
その手前で、宿舎へ帰る師匠に礼を言って馬を下りると、待ち切れずに駆け寄って来た彼女が飛び付いて来る。
二人で彼を見送った後、彼女は自分の服に森で捌いた兎の毛がくっついていることに気が付くと、自分から飛びついて来たにも拘らず、相変わらず身なりに無頓着な俺を叱った。
邸に行っても親方は留守だった。奥方の話によると、最近は度々城からの呼び出しがあって忙しいとの事。
今日も朝から呼び出されていて、帰って来たのは門下生どもが寝付いた頃になってからだった。
「お呼び立てしましたにも拘らず、留守にしまして申し訳御座いません」
二階の客間にいると、親方は入って来るなり頭を下げた。
「いや、俺は別にいいんだけど、最近忙しいんだって?」
「えぇ。色々と立て込んでおりまして……。今日は例の、隠し鉱山の誘拐犯を、本部監査に引き渡す手続きがありましたので」
「本部って、ホルザレン会の?」
「はい。鉱山に関する事件は、全て彼らが処理することになっております」
「へぇ。王様が首を刎ねて一件落着って訳じゃないんだ」
「本部監査は、背後関係者まで徹底的に処理いたしますので」
親方はそう言うと、いつも通り穏やかに微笑んだが、その言葉の裏を思うと、なにやら底知れぬ冷徹さを感じずにいられなかった。
そんな俺をよそに、彼は手にしていた見覚えのある礼服をハンガーに掛けると、お召し替えをと言って出て行った。式典のときに借りた服だ。
またあいつかディエシー。今度は一体何をやらせようってんだ? 嫌な予感に苛まれながらも、とにかく着替えて階下へ降りると、夜着姿で寝惚け眼のベニカと出くわした。どうやら物音で目を覚ましちまった様だ。
「ランジャ様、お出掛けなの?」
「あぁ、すぐ戻るから。ほら、ベッドに入らないと風邪引くぞ」
とりあえずそれだけ言い聞かせると、彼女は寝惚けながらも頷いたが、玄関を出て外で待っていた親方の馬車に乗り込む時、扉の隙間からこちらを窺っていた、切なげな眼差しが少しばかり気になった。
邸宅街を出ると、向かったのは城ではなく、広場を挟んで反対側の道だった。
月と、四辻ごとに立つ精霊石の街灯が照らすばかりの、闇に沈む通りを抜け、やがて開けた一角に出ると、石造りの巨大な建造物が視界を覆った。
親方は建物の前で馬車を停めると、「こちらでお待ちをとの事です」と言って俺を降ろした。
少々戸惑いつつ馬車を見送ると、月明かりと静寂に包まれた建物を仰ぎ見る。数段の広い石段を登ると、広大な広間を支える列柱が、明り取りの窓から差し込む月の光を受けて、最奥部の闇へと続いているのが見えた。
この規模と造作には見覚えがある。あの、内殻エレベータの出口を取り囲んでいた遺跡によく似ているのだ。あの石の残骸も、かつてはこんな壮麗な建物だったんだろうか。
そのまま奥へ進むと、俺の靴音だけが響く中、ふと最奥部に小さな灯りが点る。歩を止め、目を凝らすと、灯に照らされた金色の髭がにやりと笑うのが見えた。
「よぉ。夜遅くに悪ィね」
歩み寄ると、奴は挨拶のつもりなのか、手にしたランタンを軽く掲げて見せる。
「まったくだ。逢引ならもっと色気のある美女とお願いしたいね」
「そりゃ悪うござんした」
呆れた口調で言ってやっても、奴は軽く往なして笑うばかりだ。
「で、今度は何だよ」
「あぁ、この前の小芝居の礼に、面白いもの見せてやろうと思って」
「面白いもの?」
奴は答えずに手招きすると内陣へ入った。広間よりも一段高くなった場所の中央に、一抱えほどの大きさの、石で出来たテーブル状のものが据え付けてあるのが見える。
「こいつが祭壇。お前らホルザレン会の商売道具だ」
「あぁ、これが……。でもどうやって石を……?」
と、触れた瞬間に答えは判った。一見、年代物の祭具のようだが、その実、内部は先史時代の遺物がぎっしり詰め込まれてる。
言ってみればセンサと入力素子の塊だ。どうやら声紋登録された者が音声入力すると、発動するようになっているようだ。
俺からしてみれば気の遠くなるような作業だが、ツールを持たない大多数の石使いにしてみれば、これが最適な方法なのだろう。それにしても動力はどこから得てるんだ?
「誰がどこから来て作ったんだか知らねぇが、つくづくホルザレン会ってのは掴み所の無ぇ連中だ」
「同感だな。鉱山の採掘権だけならまだしも、警察権まであると聞いて驚いたよ」
「鉱山だけじゃねぇぜ。この神殿の管理にも絡んでやがるのさ。建前上では精霊石ビジネスの上がりを、神殿に寄進してるって形を取ってるが、内実では神官なんざお飾りよ。
元々神官団てのは、辺境各国の監視のために神都から派遣されて来る連中で、本来ならここで王族よりもデカい面してる筈なんだが、随分前に聖旨が下されたとかで、近頃じゃ神都にすっこんだきり出て来やしねぇ。
で、実務はホルザレン会に任せきりってぇ有様だ。辺境でこれじゃ、神都はどこまで食い込んでるか判ったもんじゃねぇ」
奴は祭壇を拳の背でこんこん叩くと、言葉とは裏腹に、明らかに面白がってる口調で言う。
「影の権力者ってとこか?」
「そんなとこだろうな。だが俺はあいつら嫌いじゃねぇぜ。随分昔に、神都で何某かの功績を挙げたとかで、会長を辺境国の王に封ずるって話が持ち上がったことがあったらしいんだが、奴さん、なんて言って断ったと思う?」
「さぁ?」
「『一国如きの鉱脈が一体何になりましょうや』だとさ。爵位も王権もいらねぇ。だが欲しいのは世界だと言ったようなもんだ。大した野郎だぜ」
そう言うと、奴は心底楽しげにからからと笑った。なるほどね。スケールのデカい話だ。でも、だからこそ俺は、彼らに底知れない薄気味悪さを感じていた。
「ところで、あんたが見せたいものって、これなのか?」
「いや、こっちだ」
奴は祭壇を離れ、内陣の奥に掛かった巨大な王旗のタペストリーをたくし上げると、そこに現れた扉を開いた。
「こっから先は『神域』なんだそうだ。神に許されたもの以外は、例え祭司長猊下でも、おいそれと入れない禁断の地って奴だ」
内部は下りの短い階段に狭い通路が続いている。その先は場違いなほどのっぺりとした金属質の壁。そして、そこに取り付けられているのは、あろう事か管理局のアイコンだったのだ。
「え? 何だよこれ……!」
「まぁ見てなって」
奴がアイコンに触れると、音も無く壁が開く。促されて中へ入ると、ドアが閉じると同時に壁面照明が点灯した。乾燥した無機質な空気の匂いが懐かしい。
見れば、何も無いがらんとだだっ広い部屋の先に、同じようなドアがもう一つあった。
「開けてみろよ。管理局発行の鍵なら何でも使える筈だ」
言われるままアイコンに触れるとドアが開く。中にはさっきと同様の無機質な明るさの下、部屋の大半を占める程の巨大な装置が横たわっていた。どうやら稼動中らしい。微かな低周波を感じる。
「面白ぇだろ」
奴は言いながら装置に歩み寄ると、端にある操作パネルに触れた。密閉が解かれる音がして大きな蓋が開き、そこで初めてこれが年代物のクレイドルであることに気が付いた。
三十年、いや五十年くらい前のモデルだろうか。医療セクションのラボにあるようなコンパクトなものに比べると、遥かに非効率で大袈裟な代物に見えるけれど、中に満たされた溶液は、ラボに匹敵するほどの純度が保たれていた。浄化プラントも付随していて、そいつも正常に働いてるということか。
「使えるのか、これ?」
「おーよ。もっとも修復限定で、さすがにツールのアップデートまでは出来ないけどな」
「こんな骨董品がまともに動いてると、逆に薄気味悪いな」
「まぁ、使えるものは使っとけってなもんよ。一時間後に起こしてやるから。寝過ごすなよ」
上機嫌でそう言うと、奴は「爺がうるせぇから」と出て行ってしまった。どうやら仕事の合間に抜け出して来たらしい。
独り残された俺は、骨董品を目の前にして暫く考え込んでいたが、折角の好意だし、奴の考え方に賛同して使わせてもらうことにした。
とりあえずタイマーは一時間にして、服を脱ぐと装置の中に横たわり、蓋を閉める。
薄闇の中で感じる、皮膚を伝う細かい気泡の感触と、全身の体細胞に溶液が浸透して行く感覚。
まどろみを誘う温もりの中、旧式なプロトコルで補助脳とクレイドルが繋がると、朦朧とした意識の底で見知らぬ誰かの声を聞いた。
―― ソロ系だ……。
『誰だ? 確かに俺はソロ系だけど……』
―― ……高機能の……。
『誰だ……?』
―― ……このIDは……まさか……
『誰なんだ……?』
声との対話は成立しないまま、俺は深い眠りに引き摺り込まれ、意識を失った。