七日目の早朝の事だった。城からの使いによって召し出された俺たちが、リノの元を訪れると、病床の枕元には、先に到着していたディエシーたちが集まっていた。
王太子は、拝礼する俺たちの顔を見回して小さく頷いて見せると、横たわったまま静かに目を閉じている彼の耳元へ、「父上、皆が到着しました」と告げた。
殿下に促されて枕元へ歩み寄ると、彼は重そうに瞼を開き、ゆっくりと頭を巡らせて、俺たち一人一人の顔を見た。
「済まない……。どうしても、礼を言っておきたくて……」
「無理すんなよ、早く治せ」
天蓋の支柱に寄り掛かりながら、殊更明るい口調で言うディエシーの言葉に、彼は薄く笑って微かに首を振る。
「いや、もう、長くはないでしょう。息のある内に、言うべき事を、言っておきたい。ディエシー殿……山賊にまで堕ちたこの私が、名高い英雄王と共に、戦えたというだけでも、無上の喜びです。心残りは、その御恩に、報い得ない事のみ……」
「何を仰います! 閣下には、大公殿下にはまだまだ御覧頂きたいものが、沢山……」
ビヨンは枕元に縋り付き、涙声を詰まらせると、震えながら伸ばす主の手を、サデアスと共に固く握る。
「ビヨン、サデアス、お前たちの、長きに亘る忠義も、共に野山を、駆け巡った日々も……忘れない」
「閣下……。若輩者であった我らにとって、閣下は師であり、兄とも、父ともお慕いしておりました」
「有難う、サデアス……。お前たちの存在が、どれほどの、慰めになった事か……。ウィレムと、出会えたのも、お前たちの、御蔭だった……。それと、ランジャ……」
彼が視線を俺に移すと、二人は主の元をそっと離れ、進み出る俺に場所を開けてくれた。
「ランジャ殿、御主にも礼を……。ウィレムから聞いた。御主の一言が無かったら、決意に至らなかったやもしれぬと……」
「あんたには何度も命を救われた。礼を言わなきゃならんのは俺の方だよ」
「思えば奇縁であった。あの時、あの場所に、居合わせたのは……、まさに神祖の、お導きかと。……いや、『雷神の御子』そのものの、顕現だったか……」
「よせやィ。俺は只の石使いだ。そんな大それたもんじゃねぇよ」
そう言って笑ってやると、彼もまた小さく笑う。
「早く元気になってくれ。きっとニーナも心配してる」
「ニーナか……」
彼は呟くようにそう言うと、何かを遠く思い出す眼差しで長い溜息をついた。
「あいつに逢ったら、伝えてくれ。エンツォと、幸せに……と」
「あいつはあんた一途だよ。子供扱いが不満だそうだけど」
すると彼は、「俺は、妻子持ちだぞ」と自嘲気味に小さく笑う。
「神界で、妻が……待ってるんだ。もうすぐ、逢えるんだな……」
「御妃様に叱られましてよ、大公殿下。急なお越しでは、お化粧も儘ならぬと」
優しく窘めるようなベルの口調には、にやりと笑って息子と顔を見交わす。
「いいんだ……。俺は、素顔のエマが、好きだったから……」
言いながら王太子へ手を伸ばすと、俺と入れ替わりに枕元へ跪く息子の頬に触れ、その髪を愛おしげに撫でた。
「琥珀の瞳……エマと同じ色だ……。お前に逢えて、良かった。玉座にあるお前を、后と共にあるお前を、見ることが出来て……良かった」
「父上、まだまだこれからです。父上には、戴冠の儀も、婚礼の儀も、世継の誕生もご覧頂かねば……」
触れていた頬に伝う涙を指先でそっと拭うと、彼は震える手を息子の頭にぽんと置き、「我儘息子め」と苦笑する。
「ベル殿、こんな奴だが、どうか、支えてやってくれ……」
彼女が「畏まりました」と答えると、微かに微笑みながら深く頷き、今度は背後に控える大親方に目を向けた。
「カレル殿、ホルザレン会には……並々ならぬ、御尽力を頂いた。会長殿にも、是非、感謝をお伝え頂きたい」
「お請け致しかねますな」
茶目っ気たっぷりに断るその口調に、彼の眼差しが困惑を滲ませる。
「会長は何分にも多忙な身で御座います故、御畏れながら戴冠の儀の折にでも、直に御言葉を賜らねば、お伝えする機会は御座いません」
取り澄ました顔で首を振る大親方に、彼は「まったく、どいつもこいつも……」と、呆れ顔で溜息をつく。
「トラビス殿、ナーダル殿、よもや卿らまでも……否とは、申すまいな?」
その問い掛けに、ナーダル卿は、
「さぁ? 御下命如何によっては、否もありましょうな」
ととぼけた様子で答え、トラビス将軍もまた、
「何しろ、我らは逆臣に御座います故」
と言いながら苦笑を見交わすが、
「ならば……その逆臣に、命ずる」
と、静かな声で言い渡されると、一転して威儀を正した。
「共に新王陛下を輔弼申し上げ、国政の刷新を、果たして……貰いたい。そして、王后陛下が望まれる、黄金の沃野を……」
「畏まりました」
「遠からぬ麦秋には、必ずや国土を金色に染めましょうぞ」
力強い答えを得て、彼が満足げに「頼んだ」と返しても、ナーダル卿は巨体を屈めて拝礼したまま動かない。ふと見ると、固く瞑ったその目尻には、微かに光る物があった。
さすがに疲れた様子の見える彼を気遣い、ベルが毛布を直しながら優しい口調で休息を勧めると、俺たちもまた彼女と王太子を残して静かに部屋を辞した。
「畜生……あれじゃ丸で遺言じゃねぇか……」
扉に背を向けて吐き捨てるように呟き、肩を震わせながら声を殺して泣くビヨンを、サデアスは「何を言うか!」と叱咤するが、溢れて来る涙を抑え切れずに、拳でぐいと拭う。
兄と慕い、父と敬うと言っていた。彼らの父が命懸けで守った主君は、まだ幼かった当時の彼らにとっては、肉親と同様の存在だったに違いない。
あの山奥の隠れ家で、兄弟のようにじゃれあっていた彼らの姿を思う時、込み上げて来た熱いもので、不意に視界が滲んだ。
弔いの鐘が鳴り渡ったのは、城下が夕映えに赤く染まる頃だった。
重苦しく湿った夏の夕景の下、掃き溜めの街の隅々にまで響き渡る鐘の音は、丸で降り注ぐ清めの聖水のようにも聴こえる。
支部の俺の部屋から遠く真正面に望む城門の上で、掲げられた半旗が微かな風を受けて翻るのを、バルコニーの手摺に寄り掛かってぼんやり眺めていると、脇から不意に杯が差し出された。
受け取りつつ振り返ると、葡萄酒の瓶を掲げて見せるディエシーが居た。
奴は俺の杯を満たした後、手にした杯にもなみなみと注ぐと、半旗に捧げて一口あおる。俺もまた、奴に倣って弔意を示した。
「せっかちな野郎だぜ」
奴は旗に背を向けて手摺に寄り掛かると、杯の中に視線を置いたまま小さく苦笑する。
「賭けに勝ったってのに、祝杯も挙げねぇ内に逝っちまいやがった」
「今頃、奥方と挙げてるさ」
すると奴は「だな」と相槌を打ち、にやりと笑う。
「大層な美姫だったって噂だ。十八年振りの再会じゃ、さぞかし盛り上がってるだろうな」
そう言う奴もまた、今は亡き二人の奥方を偲んでいるのだろう。だが、その言い知れぬ寂寥を帯びた横顔は、俺に問うことを躊躇わせるものがあった。
遠く余韻を残して鐘の音が止んだ。奴はそれに合わせるように杯の中身を飲み干すと、いつの間にか紫紺に暮れていた空を見上げながら、少しばかり呆れたような口調で呟くように言った。
「ビヨンの野郎に仇討ちを頼まれちまった」
俺が振り向くと、肩を竦めて見せる。彼とサデアスには男爵位の綬爵と、それに伴う騎士団編入の内示があったと聞いた。
リノの遺言を果たす為には相応しい処遇だとは思うが、思慮深いサデアスは兎も角として、血の気の多いビヨンにとっては、領地と栄誉に縛られては仇討ちも出来ぬと、歯痒い思いを抱いているに違いない。
「もっとも、俺たちにとっても共通の敵だ。野郎に頼まれるまでもねェがな」
「そう言えばあんた、十年前の宮廷でも同じ手口を見たって言ってたよな。それって、まさか……」
「あぁ、ファルエル陛下の暗殺だ。あの時も下手人は餓鬼だった。小姓だか見習い神官だか知らねぇが、年端もいかねぇ餓鬼に背後から刺されて亡くなった。
奴は犯行直後に、陛下を刺した短剣で喉を掻ッ切って死にやがったよ。血の穢れを嫌う宮中では、帯剣なんぞ御法度中の御法度だってのに、だ。
御蔭で背後関係は判らず仕舞い。神官の中にゃ、『犯人はまだ子供だ』だの『心を病んでいた』だの何のと、善人面で寝言ほざいてやがった奴がいて、ぶん殴ってやったら不敬罪とやらで砦の牢にブチ込まれてよ。
七日目に出て来たら今度は神都の乱だ。譲位の勅書はそのどさくさに出されてやがってな。それから十年籠の鳥さ」
奴はフンと鼻で嗤うと、手にした瓶をラッパ飲みで煽り、手の甲で口を拭いながら大きな溜息をついた。
「その犯行現場に、ウチの大親方は居合わせたのかな……」
俺が呟くと、奴は「あ?」と訝しげに振り向く。どうやら、あの時の彼の表情には気付かなかったようだ。
「あぁ、いや、当時は司祭として参内してたって聞いてたから」
「そうだな。居たかも知れねぇし、居なかったかも知れねぇ。今となっちゃ判んねぇな。司祭だの神官だのなんてのは、どいつもこいつも同じ法衣を着て同じような面してたから」
「キャッシュは?」
「五年前に消えた。忘却処理で」
「そうか……」
補助脳の奥底へ押し遣ったキャッシュは、一定期間触れずにいれば自動的に消去される。だけど、当然ながら生身の脳にはそんな機能は無い。
奴にとっては触れたくもない辛い記憶であっても、事ある毎に甦っては古傷を抉っていたに違いない。
「俺も陛下も、あの戦の真実が知りたかっただけだ。あの餓鬼に面識なんぞ無かったし、宮中のいざこざなんぞも知りもしねぇし興味もなかった。
だが、あの糞餓鬼が毒蛇どもの手先だったとすりゃ、奴らは当時から暗躍してたって事になる。一体何の為だ? そいつらは誰の思惑で、一体何を隠してやがる?」
苛立たしげに言いながら瓶をあおる奴の言葉に、俺はロネルセン子爵の邸で聞いた、大親方の謎めいた呟きを思い出した。
「『贖罪は全ての神官に科せられた』……?」
彼の言葉をなぞる俺の顔を、奴は「贖罪?」と聞き返しながら覗き込む。
「大親方が言ってたんだ。『機を逸してしまった以上、現体制を維持して行く以外に道は無い』、と。女皇の受けたってェ呪いについて訊ねたら、これが返って来た」
「機? 機ってのは何の時機だ?」
「判らない。判らない事だらけだけど、宮廷が何か重要な事を隠してることに変わりは無さそうだ」
「まったく、どいつもこいつも勿体付けやがって……」
言いながら肩を竦める奴と、思わず苦笑を見交わす。
「まぁ、それが何であるにせよ、陛下の仇を討つ為には、たとえ糞壺でも手を突っ込まにゃならんだろうな。
お前さんとこの御大は、恐らく俺の目的には薄々気付いてる。で、敵と判明した蓮火幇を潰す為に、俺たちを利用する腹積もりなんだろう。
ならば、こっちも利用してやるまでョ。奴さん、宮中にはわんさとコネをお持ちのようだし」
「そう言えば、本部の書庫には、エスネの森の連続放火事件に関する報告書があるとも言ってた」
すると奴は、俄然興味が湧いた様子で「ほぉ」と身を乗り出す。
「実行犯と見られる男が処刑された後も、ホルザレン会は独自に調査を続けていたらしい。もっとも、途中で横槍が入って打ち切られたようだけど」
「ユグレー祭司長暗殺に端を発する事件だ。こいつは掘り出し物かも知れんぞ。その報告書とやらは、お前さん……」
「あぁ、幸か不幸か監査に組み込まれちまったんでね。閲覧の権限は持ってる。神都へ戻ったら早速行ってみるよ。あんたのポート、プロトコルの年式は?」
「転送は勘弁してくれよ。言ったろ? 俺の持ってる十五年落ちじゃ、たった200ぽっちでも一日仕事だって」
慌てて手を振る奴の苦笑に、俺も思わずにやりと笑った。
「確かに。どれ位の容量かも判らないのに、あんたと日がな一日くっついたままだなんてゾッとするな」
「まったくだ。お前さんが野郎だってのがつくづく残念でならねぇ」
言いながら俺の顔を覗き込むにやけ顔に、思わず「野郎で悪かったな」と突っかかると、互いに苦笑を見交わして吹き出し、一頻り笑った。