出発は三日後。神聖騎士団の連中が発ったら、そのあとを追いつつマルデリを目指すことになった。
大親方から、でっち上げの本部宛文書を受け取ると、山積したままの雑務をやっつけつつ旅支度を整える。まったく、気忙しい事この上ない。
支部の連中は俺たちの急な出立を聞き付けて、酒の肴が出来たとばかりに、やれ送別会だの何だのと騒ぎ立てているけれど、こちとらそれどころじゃない。
今日も朝から、道具屋だの武器屋だのを梯子して帰って来ると、鍛冶屋に頼んでおいた新しい蹄鉄が届いてたので、今度はそれを片手に厩へ向かう。
支部お抱えの馬丁は気のいいおっさんで、蹄鉄の交換もお手の物なんだけど、師匠に教えてもらった技を維持したいってェ気持ちもあって、この手の馬の世話は全て自分でやることに決めていた。
道具を一揃え借りると、磨り減った古い蹄鉄を外し、荒れた蹄を削ぎ、新しい蹄鉄を打ち付ける。
俺の馬は大人しくて従順なので、作業は難無く終わるのだが、木箱に腰掛けて腕組みしながら、お手並み拝見とばかりに一部始終を眺めていたおっさんは、「ほーぉ」と感心したような声を上げて、馬が摺り寄せて来る鼻面を軽く叩く俺を見上げた。
「ほんとに何でも出来るんだなぁ、旦那は。門下生の話じゃ、剣の腕も達者だし、狩もやれば料理まで作るってェじゃねぇですか」
「いやいや、何でも出来るのは俺の師匠さ。俺は師匠みたいになりたくて、狩も料理も馬の世話も、こっちからせっついて教えてもらっただけなんだ」
「いや、だって、旦那は御偉い司祭様の御落胤だって話だ。神使様の石使いだって珍しいのに、その御落胤様が剣を振るって馬ン乗って狩をして、果ては厩で藁塗れになりながら蹄鉄の交換だなんて、この目で見なきゃ誰も信じねぇっすよ」
「俺は親父の顔もお袋の顔も知らないんでね。石屋に拾われなきゃ、神都も司祭も何も知らないまま、森の奥で狩人として一生を終える筈だったんだ」
「神使様が、でやすかい?」
「神都には平民の神官様もおいでだそうだ。だったら神族の狩人がいたっていいだろ?」
そう言って片目を瞑って見せると、彼は、
「そらまぁ、理屈はそうでやすがねぇ」
ともごもご呟きながら、まだ何か言いたげな顔で、腕組みしたままゆさゆさ体を揺らす。
大親方の受け売りとは言え、俺も随分と嘘に慣れたもんだな。馬鹿正直なところが俺の魅力だと、ベルは苦笑交じりに言ってくれたけど、これを聞いたら何て言うかな。
ふと、城内で見掛けた彼女の姿を思い出す。そこにあったのは、清楚ながら贅沢な仕立てのドレスを纏い、重臣たちは言うに及ばす、小姓や使用人に至るまで優しく声を掛ける、威厳と慈愛に満ちた王后陛下そのもので、俺の知っている、凛々しくも可愛らしい男装の麗人の面影は、既に無かった。
今となっては、幾度となく交わした睦事すら、幻だったんじゃないかとさえ思えて来る。
あの笑顔も、涙も、怒った顔も、茶目っ気たっぷりな皮肉も、流麗な剣技も、確かにいつも俺の隣にあった筈なのに、もう二度と彼女と旅をする事は無いんだと気付かされると、言い知れぬ喪失感に、胸がぎゅっと締め付けられるように痛んだ。
「旦那……?」
不意に黙り込んだ俺を不審に思ったか、彼は心配そうな顔で覗き込むが、
「あぁ、ちょっと考え事」
と取り繕うと、にやっと笑いながら意味深に小指を立てて見せ、「これでやしょ?」と問う。
こちらもまたにやりとしながら、
「まぁ、当たらずともまた遠からじ、って奴かな」
ととぼけると、「これだから二枚目は……」なんぞと呆れた口調で嘆き、いひひと下卑た声で笑った。
ダフネの声が俺を呼んでる。彼に礼を言って道具を返し、服に着いた藁屑を払いながら裏口を開けて答えると、彼女はすぐに気付いて小走りに駆け寄って来た。
「ランジャさん、お客さんです」
「客? 俺に?」
訝しみつつ聞き返すと、彼女は息を弾ませながら、青い大きな瞳に僅かな困惑を滲ませながら頷く。
「何だか、ちょっと柄の悪い男の人です。お心当たりはありますか?」
「柄の悪い野郎ねぇ……」
はて、俺にわざわざ会いに来るとは一体誰だろう。この城下での知り合いなら、どっちかってぇと柄の悪い奴の方が多いくらいなんだが……。
「応対に出た私の顔を見るなり、『名前何てェの? 今夜空いてる?』ですって。失礼しちゃう」
玄関へと向かいながら、憤然として頬を膨らませる彼女の言葉に、思わず声を上げて笑うと、
「そんなに笑わなくたって……」
と拗ねながら、愛らしい桃色の唇を尖らせた。
ホールの真ん中に人待ち顔で突っ立っていたのはエンツォだった。
奴は、笑いさざめきながら家路につく女子門下生の一団を、にやにやしながら見送っていたが、俺の姿に気付くと、「よう」と声を掛けながら片手を挙げて見せた。
「ホルザレン会ってのは、結構上玉揃えてンだなぁ。俺も入門しようかな」
「上玉……って、娼館じゃねぇぞコラ」
辺りをキョロキョロ見回しながら叩く軽口に苦笑で返すと、奴は目が合ったダフネにぷいっとそっぽを向かれ、極まり悪そうに鼻を頭をかりかり掻きながらえへへと笑う。
「で、俺に用ってのは?」
と水を向けると、ふと真顔になってそそくさと上衣の胸元を開け、首から下げた革紐を手繰って大きな鍵を取り出すと、俺の目の前で軽く振って見せた。
こいつには見覚えがある。確か、あの山中の洞窟に穿たれた隠れ家の鍵だ。
「返しに来たんだ。ここンちの大将から、キールの旦那に渡して貰おうかと思ってさ」
「え? いいのか? お前らの塒だろ?」
聞き返してやると、奴は妙に達観した顔で大きく頷く。
「隠し鉱山もここンちのものになったって聞いたし、城下にも『神祖の御世』が来た様だしさ。俺っちも御役御免かな、と。で、あんたが近々ここを出るって聞いたんで、ついでに挨拶でもしとこうかと思ってさ」
「そうか」
俺の客と渋々ながらも認めたダフネに促されて、一先ず応接間へ通される。
奴は勧められたソファに腰掛けても、豪華な内装に落ち着かない様子だったが、彼女が淹れてくれた茶を物珍しげに覗き込み、派手に音を立てて飲み干すと、手の甲で口を拭いながらぷはーと大きく息をつく。
その余りの行儀の悪さに唖然としている彼女に、
「姐ちゃん、もう一杯貰える?」
とカップを掲げて見せると、どうやら更なる不興を買っちまったようで、
「ごゆっくりどうぞッ」
と突ッ慳貪に言い放って部屋を出て行っちまった。その後ろ姿を見送ると、俺と苦笑を見交わしながら肩を竦めた。
「そう言えば、ニーナはどうしてる? 毎日泣き暮らしてるんじゃないか?」
「泣かねぇよ。あいつは意地でも泣きゃしねぇ。蔭でこっそり泣き腫らす位なら、俺の胸で思いッ切り泣きゃいいものをさ」
奴は情けない顔でそう言うと、腹の底から吐き出すような長い溜息をつく。
「こないだの国葬の時も、三人で神殿に向かう葬列を見に行ったんだけど、あいつ、あれはリノじゃないって譲らねぇんだ。
あれはマグノリエ大公ってぇ御偉い大貴族様で、あんな立派な棺に入って、あんな風に大勢の騎士に護られながら、大行列で送られるなんて、あたいらのリノである訳ゃない。あいつはどこかで必ず生きててくれるって約束したじゃないかって。
それ聞いてマウロの馬鹿は貰い泣きしやがるし、俺もちょっとグッと来ちまったりで散々だった」
思い出しちまったのか、奴は洟を啜ると滲んだ涙を袖口で拭う。
「慰めてやれよ。そいつがお前さんの役目だろ?」
と言ってやると、たちまち耳まで赤くなり、今度は何やら照れ臭そうな顔でにやりと笑った。
「勿論、慰めてやったさ。んでさ、その……何だ、ほれ、あれだ、所帯を持つことになったんだ」
「ほぉ。そいつは目出度ぇ限りだな。祝言はいつだ?」
「いや、実は二人で店を持とうって話になってさ、祝言どころじゃねぇのさ。リノが残してくれたお宝も、全部売ッ払ったら纏まった金にはなったけど、まだまだ足りねぇんだ」
「店? 何の? 盗品でも売ろうってか?」
少しばかり茶化し気味な俺の口調に、奴は「だから足は洗ったって」と苦笑する。
「停車場をやるんだ。隠れ家の近くの峠道に廃駅があったろ? あれを建て直して使おうって決めたんだ。
最初は二人で切り盛りするけど、いずれはセブランからあいつの母ちゃんを呼び寄せて、三人でやるんだ」
「マウロは?」
「あぁ、あいつは何だか、馴染みの飯屋の看板娘に気に入られたとかで、そこンちへ婿入りするんだそうだ。料理人になるんだとさ。だから、早く一本立ちして手伝いに来いって言ってある。ニーナの作るメシじゃ、客が寄り付かねぇかもしれねぇだろ?」
「酷ェなおい。そりゃあいつのメシは喰えたもんじゃなかったけど、最後はちゃんと旨くなったぜ? 素質はあるさ」
そう言ってやると、奴は暫く思案顔で眉根を寄せていたが、「特訓だな」と呟いて一人大きく頷いた。
「まぁ、そんな訳でさ、城外の停車場に、どうやったら店が持てるか訊きに行ったんだ。親切な親父でさ、それならホルザレン会に相談しなって教えてくれたんだ。
だから、ここンちの親方に取り次いで貰おうと思ってさ。何でも、本部に停車場の金主やってるお偉いさんがいるんだって?」
「あぁ、エイメル大親方だ。あの御大は世界中に店を持ってるらしいぜ」
「へぇ、そいつは凄ぇ! 金ってのは持ってる奴ンとこへ集まるってェけど、ホルザレン会の大親方ともなると別格だな。なんか俺、緊張して来た」
奴がおどけた口調で言いながら肩や首をぐりぐり回していると、ノックの音が響いた。
答えると、返って来たのは少しばかり不機嫌そうなダフネの声だ。どうやら長ッ尻だった大親方の訪問客が漸く帰ったらしい。
共に部屋を出ながら、「じゃ、また後で」と挨拶を交わすと、案内されながら性懲りもなく口説き落とそうと懸命な奴と、素気無く撥ね付ける彼女の遣り取りを微笑ましく見送った。
小一時間ほどで鼻歌交じりに出て来た奴を、玄関ホールで捕まえて、祝儀代わりに金貨を詰めた革袋を差し出すと、奴は何を遠慮してるのか、
「あんたにゃ十分世話になったから」
なんぞと頑なに固辞しやがる。それでも、
「カミさんに晴れ着の一枚でも買ってやれ」
と無理やり手の中へ捻じ込むと、懐へ押し込みながらも何やら渋い顔をしていたが、
「店が出来たら報せろよ」
と言ってやると、
「勿論! 上得意様ご案内だ」
と片目を瞑りながら親指を立てて見せ、足取りも軽く夕暮れの街へと帰って行った。
街が変わり、季節が変わり、人もまた変わって行く。立ち止まる奴は誰もいない。