俄かに騒がしくなった表に、他の天幕からも何事かと部下たちが顔を出すが、側近や小姓らから事情を知らされると、これは退屈凌ぎに良い見モノだと、期待に満ちた様子で囁き合っていた。
「それにしても、あの御仁は本物の金狼王なのであろうか」
奴さんの天幕を出たところで、側近の一人が呟くように言うと、他の連中も思案顔で主を見遣る。
「殿下は『間違いない。きっと暴いて見せる』と仰せだったが……」
「まさか。玉座を退いたとは言え、ロアルデ騎士団の将軍ともあろう方が、石使い如きの用心棒などである筈はなかろう」
「だが、元は杣人であったとの噂もあるぞ。さすれば賤民に身を窶すなど造作も無かろう」
「いやいや、金狼王は美髯の壮年と聞いている。あの剣士では年齢が合わぬ」
「殿下は、それを剣技で見極めようと思し召しなのでは?」
「なるほど、そう言う事であったか」
雁首並べてひそひそやってる面々は、いずれも奴さんと幾つも変わらない若造ばかり。十年前に引退したきり辺境に缶詰めだったディエシーの素顔なんざ、碌に知っちゃいないんだろう。
古参の一人でもいりゃ即決だろうに、ご苦労なこった。大方、目付け役の苦言を嫌って、腰巾着ばかりを侍らせていたのが仇になったってとこだろうな。
さて、試合開始だ。鞘鳴りの音と共に抜剣し対峙する二人を、一同は水を打ったように静まり返ると、固唾を飲んで見守る。
そんな中、先程の連中の間では、こっそり賭けの相談が始まったようだ。
俺にも「如何でしょう」と持ち掛けて来たが、利き手と逆に構えた奴の手元を見て、思わず苦笑が浮かんじまった。
「いや、賭けるまでも無く、殿下の勝ちで御座いましょう」
と答えてやると、当然だと言わんばかりの顔で頷きながらも、「それは残念」なんぞと引き下がった。
「いざ、参る!」
気合と共に斬り掛かる野郎の初手を、奴は硬質な音を響かせながら、ド真ん中で受け止める。
さすがにザーリャ殿下と互角とあって、その剣技は亡きリノを髣髴とさせる王道の美しさでありながら、氷のような鋭さと速度を持って挑んで来る。
奴はそれを逆手ながら的確に受けつつも、時として誘い込むように危うい隙も作って見せるが、野郎が思惑に乗ったと見るや、反撃に出ると見せ掛けてさらりと受け流す始末。やれやれ、遊んでやがる。
どちらに幾ら賭けたのかは知らないが、側近どもは面子と飲み代が掛かってるだけに、一進一退の手合わせをはらはらしながら観戦してるけど、当の主殿は、付きそうで付かない勝負に苛立ちを隠せない様子だ。
あれだけの剣技の持ち主とあらば、ひょっとすると、からかわれている事くらい気付いているのかもしれない。
奴もそろそろ潮時と思ったか、攻め手に粗さが目立つようになって来た頃、作った隙に突き込まれた切っ先を、あっさり喉元まで受け入れて降参を示した。
途端に周囲からはやんやの喝采が沸き起こるけど、奴さんは散々玩ばれた末に勝たせて貰った事に屈辱を感じた様子。
足元へ跪いて「恐れ入りました」なんぞと白々しく頭を下げる奴を、肩で息を付きながら射殺さんばかりの眼差しで睨み付けると、小姓が恭しく差し出す勝利の杯を苦そうに煽った。
「さすがはエデュアール殿下。大国セブランの嗣王に相応しい、実に堂々たる御技に御座いました。ジョセル陛下におかせられましては、さぞやお喜びの事と存じ上げます」
その皮肉たっぷりな台詞に思わず吹き出し、慌てて咳払いで取り繕う俺を、感じ入った様子で満足そうに頷きながら聞いていた側近どもは、訝しげに振り向く。
あれを皮肉だと理解出来たのは、どうやら言われた本人だけのようだ。それでも乗っておかないと面子が立たないとでも思ったか、主の心中をよそに勝利を喜ぶ部下の様子に、鼻白んだ溜息をつきながらも、
「御主の剣技も中々のものであった。杯を取らす」
なんぞと硬い口調で返す。
奴は「有難き幸せ」と答えて立ち上がると、小姓の捧げ持つ杯を会釈と共に取り、殊更慇懃な仕草で野郎とその部下どもに掲げて見せてから、賞賛の拍手を聞きつつ一息に飲み干した。
「美酒を賜るのみならず、剣の御指南も頂けるとはこの上なき名誉。御許し頂けるのであれば、剣を肴に酌み交わす栄に浴したいところでは御座いますが、殿下は大切な御役目を担っておられる。我らはこれにてお暇を頂戴したく存じます」
奴は言いたい事だけ言って俺に目配せすると、奴さんの返答すら聞かずに踵を返し、部下どもの、主の仏頂面を窺いながら唖然としつつ見送る視線もお構いなしに、共に幕営を出た。
「確かに腕は立つ。一ッ端の口も利きやがる。だが、あれも一種の盆暗だな」
控えていた馬丁から手綱を受け取り、闇の待つ森へと踏み出しながら呟いた奴の一言に、思わず苦笑を見交わした時だ。
唐突に突き飛ばされ、咄嗟に受け身を取ったその瞬間、バキーン!という凄まじい金属音と、同時に沸き起こったかしましい鳥たちの羽音を振り返ると、程近い樹の幹に突き立った刃が光り、目の前には、手にした大剣を静かに納める広い背中があった。
一瞬、何が起きたのか理解出来なかったが、奴の向こうに、切っ先を失った剣を構えたまま、呆然としている野郎の姿を見付けると、腹立たしいやら呆れるやらで、特大の溜息をつきながらのろのろと起き上った。
「背後から不意打ちとは、さすがセブランの嗣王と期待される御仁。叔父御であらせられる陛下に良く似ておいでだ。これならば、遠からぬ明日に立太子の御沙汰も御座いましょう」
冷笑を含んだ奴の言葉に、音に驚いて詰め掛けた部下どもからも動揺の声が湧く。
「私は違う!陛下とは違う!」
折られた剣を忌々しげに打ち捨て、声を張り上げて叫んで見たところで、仕出かした事が帳消しになるでなし。
奴は馬鹿丁寧な拝礼をしてこちらを振り返ると、野郎の遠吠えを背中で聞きながら、呆れ顔で肩を竦めて見せた。
国境の丘を越えると、眼下に遠くマルデリの街並みが見えて来た。アステリオ城は街の果てに連なる丘陵地の、更に向こうにあるのだそうだ。
ここへ辿り着くまでの間、護送部隊とは付かず離れずの状態を維持して来たが、意外にも囚人は無事な様子だった。
宿場や停車場で見掛けた姿は、一時のあの傲岸不遜な暗君とは思えぬ程、しょぼくれた只の初老の男にしか見えなくて、何やら哀れを誘うものではあったけど。
もしかしたらエデュアール卿は、実際にジョセル王の密命を帯びてはいたのかもしれないけど、ディエシーの野郎に叔父貴似の卑怯者だと揶揄されちゃ、あの矜持の高さが邪魔をして、意地でも手出しは出来まい。
それとも、連隊長閣下としては、囚人とは言え、護衛を命ぜられた貴人に万が一があっては、四緒双鍵章を戴く誉れ高き神聖騎士団の名折れだとも思ったか。
街を横断し、丘陵地を越えると、その先は断崖絶壁が連なる海岸線になっていた。潮風に棚引く草地の中を、街道は崖下を洗う潮騒を左手に聞きながら、大きく弓なりに張り出す岬へと続いている。
目指す古城はその先で、昼なお暗い幽翠を纏ってひっそりと佇んでいた。
先を行く護送部隊が、城へ向かうのを見届けると、俺たちも遠く城門を望む場所に停車場を見付け、早速部屋を取る。
辺鄙な場所であるにも拘らず、城に出入りしている御用商人たちで、思いのほか賑わっているようだ。
彼らは、騎士団に物々しく警護された馬車が、城門をくぐって行ったのを目聡く見付けると、窓に群がったり、通りに出て透かし見たりしながら、互いに声を潜めて何やらひそひそと噂し合っていた。
「あれは、もしや噂の……」
「あぁ、きっとフィンデールの先王だ。あの暗君に違いない」
「でも、新王陛下は何だって打ち首になさらなかったんだ?」
「そこはほら、育てて貰った恩てのがあるじゃないか。陛下は情け深い御方なんだよ」
「情を掛けるのは美女ばかりと思ってたけど、中々どうして、御神祖様の御血筋だけはあるね」
「暗君への御仕置は重かろうな。何せ、畏れ多くも聖下を謀ったんだから」
旅装を解くのもそこそこに、カウンターの止まり木で早速一杯やり始めた俺たちは、噂話を背中で聞きながら苦笑を見交わす。
暗君の罪は経歴詐称に止まらず、殿上人の買収から暗殺までより取り見取りだ。神都の御偉方にしてみりゃ、古城での終身刑ですら生温いと言いたいところだろう。
護送部隊は囚人の引き渡しを終えたのか、程なくして出て来ると、物見高い野次馬どもに見送られながら帰って行った。
あとは、神都から護送されてくる毒蛇が、絢爛豪華な豚箱にぶち込まれるのを見届けりゃ、仕事は完了だ。
確かに、蓮火幇の下種野郎どもが、証拠隠滅の為に囚人を始末する恐れもあったとは思うけど、どうやらカレル大親方の取り越し苦労だったようだ。
まぁ、これで休暇と特別手当が手に入るのなら、満更悪い仕事でもないけどね。
暫くこの停車場で張っていると、蛇は二日目の朝に護送されて来た。
騎士団の取り囲む簡素な馬車の車窓に、しかつめらしい顔で納まってる野郎の姿を確認し、歩哨が恭しく開け放つ城門に入って行くのを見届けると、長居は無用とばかりに宿を引き払い、帰途に就いた。
神都へ向かう道中、マルデリで一泊。気の早い打ち上げと称して、旨い酒でも酌み交わそうと、二人で一階のテーブルに着いた時だ。
俄かに湧いた甲冑の音に、何事かと入口を見遣ると、四緒双鍵章を着けた騎士が三人、ずかずかと入って来たところだった。物音に驚いて顔を出した店長が、慌ててすっ飛んで来る。
「一体何事に御座いましょうか?」
うろたえながら問う彼に、隊長と思しき一人が兜を取るなり、「脱獄だ」と短く告げると、食堂に居合わせた客たちはたちまち騒然となった。
「彼奴め、獄を破るに門衛を殺しおった」
「何と! 恐ろしい事を……」
「老人の足ではそう遠くへは逃げられまい。まだこの辺りに潜んでいるやも知れぬ。探らせてもらうぞ」
何だって?! まさか、その脱獄囚ってのは……! 思わず腰を浮かせようとした俺を、奴は軽く手を挙げて制する。
捜索隊は隊長の合図を受けて共に兜を取り、竦み上がる店長の返事も待たぬまま、食堂の中まで入って来ると、客の顔を一人ずつ検め出したが、相手が甲冑姿も厳めしい騎士とあっては、さすがに誰もが酔いも醒めた様子で、大人しくされるがままになっていた。
「逃げたのは爺ィだって?」
彼らが俺たちのテーブルまで辿り着くと、奴は軽い調子で声を掛けた。隊長はふと足を止めると、部下たちに目顔で捜索の続行を示してからこちらに向き直る。
「如何にも。身なりの良い、痩身の老紳士だ」
彼は俺の目の色に一瞬たじろぐ様子も見せたが、胸元の翼刃章に視線を移すと、あからさまに胡散臭そうな顔になった。
「するってぇと、脱獄囚はヴィスロ枢機卿。罪状はフィンデール先王イルシュに纏わるあれやこれや……だな?」
そう言ってにやりと笑う奴に、彼は、
「貴様、何故それを……!」
と、俄かに気色ばんで剣把に手を遣るが、
「あぁ、ウチの大親方から、御二方の御入城を見届けて来いとの言い付けを受けたもんでね」
と、俺が少しばかり茶化した口調で肩を竦めて見せると、
「何だ、また石使いどもの知りたがりか」
と、呆れ顔で溜息をつき、疑念が晴れた様子で剣把から手を放した。
「野郎は毒使いだ。入獄前の身体検査に抜かりはなかったのか?」
奴の非難がましい口調に、彼は憮然として「当然だ」と語気強く答える。
「門衛はストールで絞殺されたのだ。いかな囚人と言えど、貴人を裸にする訳には参らん」
それを聞いて思わず口笛を吹いた俺たちに、彼は苛立たしげな舌打ちをして職務に戻ろうとしたが、部下がもう一人、甲冑の音も慌ただしく駆け込んで来ると、店の客共々一斉に振り返った。
「隊長、いました! ですが、人質が……!」
「何?!」
鋭く叫んで飛び出した騎士たちに続いて、客たちもたちまち野次馬と化し、ぞろぞろと通りへ出て行くと、何だかんだとわいわい言い合いながら、彼らの行方を物見高く透かし見る。そんな中、俺たちも顔を見合わせて頷き合うと、剣を手に飛び出して騎士団を追った。
監獄警備隊からの援軍か、蹄の音と共に騎士の駆る馬が数頭、背後から俺たちを追い越して行く。
程なくして辿り着いたのは、賑わう宿場を遠く離れた森の中の、寂れた小屋の前だった。
松明を明々と掲げる遠巻きな包囲網の片隅に、部下からの報告を受ける隊長の姿を見付けると、上がった息を整えつつ歩み寄った。
振り向いた隊長の顔が、またこいつらかと言わんばかりの、面倒臭そうな表情に変わる。すんませんね。また俺たちです。
「人質取ってるって?」
ディエシーが遠目に小屋を透かし見ながら、馴れ馴れしい口調で訊くと、彼は「そうだ」と短く答える。小屋の窓からはランタンと思しき灯が漏れてはいたが、中に蠢く人影は見えなかった。
「だが訳が判らん。人質は彼奴自身で、イルシュ陛下の解放を求めている男は、彼奴の同志と名乗っている。一体どうなってるんだ」
苛立たしげに誰に言うともなく吐き捨てた彼の言葉を聞いて、俺たちもまた呆れ顔を見交わす。一体どうなってるって、そりゃこっちが聞きたいくらいだ。
宮廷に巣食う有象無象どもは、横槍を入れてまで豚の護送部隊にエデュアール卿を捻じ込んで来やがった。それを見る限り、奴らに取っちゃ、てっきり蛇の方が大事なんだと思い込んでたけど、どうやら事態はそうすんなりと、こっちの思惑通りに進んじゃくれないようだ。
小屋を遠目に見ながら溜息をついた時だ。小さな灯の漏れる丸太組みの窓に、小柄な影がひょっこりと顔を出し、何やらこちらに向けて大きく手を振るのが見えた。何事かと隊長たちも振り返る。
「ランジャ様ぁ! そこにいらっしゃるのはランジャ様じゃありませんか!」
誰かと思えば、ロネルセンの森で取り逃がした、毒煙草事件の実行犯、ルジェだ。
野郎は呆気に取られてる俺などお構いなしに、丸で親しい旧友にでも出逢ったかのように、素ッ頓狂に能天気な声を明るく張り上げる。
御蔭で一味と思われたか、ディエシー諸共たちまち騎士団の剣に囲まれる始末だ。
「あなたがそこに御出でなら、僕、イルシュ陛下よりもあなたの方がいいな。強いし綺麗だし面白そうだし。どうです隊長さん? ヴィスロ殿と交換しては頂けませんか?」
それを聞いた隊長は「何だと?!」と叫ぶと、部下たちと共に剣を突き付けたまま、狼狽も露わな表情で俺と小屋を交互に見る。
「一体どう言う事だ? 貴様らはあの者らの一味ではないのか?」
「俺があの糞餓鬼の一味なら、今頃石屋を首ンなってますって」
半ば呆れながら苦笑交じりに答えてやっても、彼は面食らった表情のままだ。
「おい、ありゃ何だ?」
ディエシーもまた、己を取り囲む剣をものともせずに俺に歩み寄ると、腕組みをしながら隣に立ち、無邪気に手を振る窓の影に顎をしゃくる。
「あぁ、ロネルセンの森で斬り合った蓮火幇の餓鬼だ。あの野郎、まだチョロチョロしてやがったか」
「ほぉ、あれがお前さんの言ってた腕の立つ若造か。で、どうするよ?」
「仕方ないだろ? 癪だけど、ヴィスロはイルシュ王共々貴重な証言者だ。一旦は奴の思惑に乗っておいて、毒蛇が解放されたら隙を見て逃げ出すさ。巧くすれば、奴らの塒へのご招待に与れるかも知れんしな」
すると奴はにやりと笑いながら、
「事務屋のモヤシが、こうも逞しくなるとはね」
なんぞと言いやがる。
「うるせぇよ。お前さんの悪い病気は伝染性が強いんだよ」
と、苦笑気味に混ぜっ返してやると、「尾行は任せろ」と拳を突き出して来た。そいつに拳で応えつつ隊長に向き直る。
「行って来ます。人質が解放されたら、あとはよろしく」
「し、しかし……」
うろたえながら彼が納剣すると、部下たちもそれに倣って一斉に剣を納める。
「何やら先方さんの御指名らしいんで」
と肩を竦めて見せると、彼は引き留めようとする素振りを見せるが、ディエシーはお構い無しに、
「ちょっといいかね隊長さん」
と歩み寄ると、半ば強引に彼の肩に腕を回し、どうやら作戦らしい何事かを、身振りを交えつつ耳打ちし始めた。
やがて短い会議を終え、未だ半信半疑と言った渋面の隊長と共に奴が振り向き、目顔で促すと、大きく頷いて見せてから小屋へ向けて声を張り上げた。
「おい、ルジェ! 俺が行けばヴィスロは解放するんだな?!」
「勿論です」
必要以上に弾んだ声での即答に、思わずディエシーと苦笑を見交わす。
「但し、剣は置いて来て下さいね。あなたには油断がならないですから。それと、ヴィスロ殿の引き取りには、二人までなら騎士の同伴を許して上げましょう」
調子づいてあれこれ指示する野郎の言い草には、だんだんムカついては来るけれど、取り敢えずは大人しく従ってやる。
剣はディエシーに預け、隊長から二人借りると、後を任せて小屋へ向かった。