お目当ての茶房は、看板の洪水が溢れる裏通りの中に、埋もれる様にして建つ小さな店だった。
何でも、門下の姉様たちが贔屓にしている店だそうで、年少の彼女に取っては、ここで茶を飲むのが少しばかり憧れであったらしい。
彼女の後について中へ入ると、なるほど、狭い店内のところどころに、クローク姿の少女が談笑しているのが見える。
応対した給仕は、俺とドミニクの容姿に一瞬戸惑う様子も見せたが、すぐに御忍びと察したようで、人目に付きにくい奥の席へと案内してくれた。
尤も、その気遣いも目聡い少女たちには無効だったようで、野郎の存在に気付くなりたちまち頬を染め、チラチラ盗み見ながらの内緒話が始まったようだ。
そんな店内の様子などお構いなしに、二人は瞳を輝かせながら、物珍しげに周囲を見回している。庶民と上流階級といった正反対の立場ながら、裏町の茶房は初体験同士と言う事のようだ。
俺は俺で、可愛らしく飾り立てられた内装とも相俟って、矢鱈滅多ら女臭い店内の空気に、些か尻のあたりがむずむずするような居心地の悪さを感じていた。
ふと窓際の隅の席を見遣れば、恋人同士と思われる若い男女が、人目も憚らずいちゃいちゃと、互いの口にフォークを運びあってなんぞいる。
何だこの店は。まったく以て怪しからん。ベニカの教育上まことに宜しく無いぞ。
注文を取りに来た給仕に、気を取り直してお勧めを訊ねると、
「当店の自慢はサヴァランに御座います」
と、得意げな笑顔が返って来た。見れば、どこのテーブルにも、見ただけで腹一杯ってな感じの、クリームと果物を満載した、甘そうな焼き菓子が鎮座している。
少しばかりげんなりしながらも、三人分の期待の眼差しには勝てず、菓子を三皿と茶を四人前注文した。
程なくして運ばれて来た皿に、みんなそれぞれ顔を輝かせたり、小さく拍手したりと大はしゃぎだ。
ベニカにはデカ過ぎるんじゃないかと思いはしたが、満面の笑みで早速フォークを手に取ると、天辺に乗った大きな木苺を、たっぷりのクリームと共にごぼっと掘り起こすなり、俺の口元へと突き付けて来た。
「はい、ランジャ様」
「え?」
「あーん、して下さい」
「い、いや、それはちょっと……。ってか、木苺だぞ? いいのか? お前の大好物だろう?」
「御裾分けです」
さては窓際でいちゃつく恋人たちに感化されやがったか。
しかし、フォークを突き出したまま、にこにこ待っている無垢な笑顔を前にしては、無碍に断るのも何やら大人げないような気がして来ないでもない。
仕方無いので溜息は心の中でつくことにして、大人しく御相伴に与る事にしたのだが、これがまた脳天突き抜ける程の殺人的な甘さ。
この手の物は食べ付けないだけで、別段好きでも嫌いでもないのだけれど、こいつばかりは木苺の酸味に助けられなきゃ、飲み下すのも困難な代物だった。
それでも何とか引き攣った笑顔を浮かべつつ、
「う、旨いな」
と柄にもない世辞を言ってやると、彼女は、
「それはよう御座いました」
と満足そうに微笑み、濃いめに淹れた熱い薄荷茶で人心地付ける俺をよそに、まだまだクリームの中にたっぷり埋もれてる、桃だの梨だの林檎の甘煮だのを突つき始めた。
「こんな豪華なお菓子を頂けるのも、若様の御蔭に御座います」
アリサは幸せそうな顔で呟くように言うと、上品な所作でフォークを口に運ぶ。ドミニクはそんな彼女の様子に、優しい笑顔を浮かべて、「気に入ったかい?」と尋ねる。
大きく頷きながらの「はい、とても」との答えに、奴が、
「では、後ほど邸へ届けさせよう」
と提案すると、今度は軽く首を振り、
「次に城下へ御忍びになる折に、ご一緒させて頂ければ」
と遠慮がちに答えた。
「それは良い考えだ。城下を訪れる楽しみが、また一つ増えると言うものだな」
無邪気に声を弾ませる奴に、彼女は「左様に御座います」と頬を染めて嬉しそうに頷く。
「城下のものは、人も文物も皆素朴で良い。このサヴァランもキルシュの香りが豊かで、実に素朴な味わいだ」
何?! キルシュだと?! 何気ない奴の言葉を聞いて咄嗟に隣を見遣れば、ベニカは既にフォーク片手に朦朧とした様子。
慌てて首根ッこを掴みつつ皿を取り上げると、すんでのところでクリームの海へのダイビングは阻止出来たものの、当の本人は、俺の手にぶら下がったまま敢え無く撃沈だった。
やれやれ。ちびすけにゃ、まだまだ背伸びは御法度なようで……。
休暇中だと知るや、ドミニクは三日にあげず押し掛けて来ては、やれ剣を触らせてくれだの、馬に乗ってみたいだのと、行く先行く先について回っては、俺のやる事を真似したがった。
尤も奴の細腕じゃ、剣を持たせたところで切っ先も上がらない始末だし、乗馬も、落馬なんぞされちゃ後々面倒なので、俺が手綱を引いてやって、庭園内を一周させる程度で我慢させたけど。
正直、いちいち相手するのは面倒だとは思ったが、無邪気にはしゃぐ奴の笑顔を見ていると、ふと、弟がいたとしたら、こんな感じなんだろうかとも思えて来た。
俺が学生の頃に死んだ養父は管理局の研究員で、ソロ系の子供への英才教育とやらを要請されていた筈なんだけど、俺は最後の養子だって事で、局指定のカリキュラムは適用せず、割と自由奔放に育てたらしい。
御蔭で出来のいい兄貴姉貴をよそに、この通りの暢気で鈍感な凡人に育った訳だけど、子供心に弟が欲しいと思った事もあったっけな……。
茶の支度が出来たと呼ぶ、アリサとベニカの明るい声に、貸してやった弓矢を手に奮闘中だった奴が、顔を輝かせて駆けて来る。
「一本だけ当たりました」
との興奮気味な報告に、どれどれと用意してやった的を見遣れば、右上に辛うじて引っ掛かってる矢が見えた。
苦笑しながら「御見事」と褒めてやると、照れながらも何やら得意そうな笑顔。けれども、それ以外は全て広い庭園中に散らばってやがる。仕方無い。拾いに行くのは茶会が終わってからにするか。
薔薇園から戻った夫人も交えて、テラスの陽だまりに用意されたテーブルを皆で囲む。
ベニカも気立てのいいアリサにすっかり懐いていて、毎回こんな風に一緒に菓子を焼いたり、裁縫を教えて貰ったりと仲良くして貰ってるようだ。
夫人もまた、そんな二人の様子を見て、「丸で姉妹のよう」と微笑ましげに目を細めている。
奴は奴で、中々当たらない矢について、ああでもないこうでもないと夢中で考察していたが、ふと言葉が途切れた時、庭園の向こうに広がるエスネの森を遠く見遣って、一つ小さな溜息をついた。
「どうしたよ」と訊いてやると、笑顔を作って「いえ……」と小さく首を振るが、暫しの沈黙の後、ぽつりと、
「宮中とは、何とも居心地の良くない所です」
と零した。
「何かあったか? ん?」
顔を覗き込んで尚も訊ねるが、奴はカップの中へ視線を置いたまま、軽く首を振るばかりだ。
「神官になったばかりの頃は、素晴らしい所だと褒めてたじゃねぇか」
「えぇ、確かに。けれど、あの時はまだ、人の心の中まで知ることは出来ませんでしたから」
「何だ。誰かとモメたか?」
「いえ、それ程の大事では……ただ、師兄が私の噂話をしていたのを、たまたま聞いてしまっただけの事です」
「噂?」
「えぇ。何人かの師兄は、私が城下へ忍んで行くのを、快く思っていらっしゃらないようで、曰く、『司祭の養子でありながら、宮中に下界の穢れを持ち込むとは迷惑千万』、と……」
「なるほどね。だけど、そいつは只の噂話で、あんたやあんたの親父っさんに、直接どうこう言って来た訳じゃねぇんだろ?」
「えぇ」
「じゃぁ、放っておけ」
軽い調子で笑いながら言ってやると、奴はきょとんとした顔で俺を見るが、
「遠吠えってのは大概一匹だけで、取り巻きは事情も知らずにお追従で反応してるだけさ。そんな不満の直談判も出来ねぇような、ツルんで陰口叩くだけの、女々しいヘタレ野郎どもなんぞ放っておけばいい」
と追加してやると、何やら吹っ切れたような笑顔を浮かべて大きく頷いた。
「豪華な法衣を着て歩いて、女神様の御遣いで御座いなんぞと一丁前な事を宣ったところで、人間なんざ所詮は猿さ。
古今東西、猿山の大将の座を巡って、大小様々下らない闘争を延々と続けてるってのがその証左だ。
毛色の違う奴を疎んじるのもまた、群れを作る動物の本能なんだろうよ。
群れを構成する個体が均質であればある程、その傾向は強くなる。んで、そう言った本能に振り回されてんのは、きっとヒトよりサルに近い連中なんだろ。
猿の闘争に倦んで、人間として在りたいと思うなら、時として群れを離れた場所に身を置くってのも手だと思うがね」
「しかし、私は新任神官の身で、まだまだ師兄に教えを請わねばならない立場ですし……」
「仕事の時だけ、群れの面子の振りをしておけばいいのさ。こんちこれまた良い御日和でってな。
尤も、俺がその場に居たら、間違いなく後先考えずに掴み掛ってるだろうから、あんまり偉そうな事も言えんがね」
幾分おどけた調子で言いながら肩を竦めて見せると、奴は、
「あぁ、それは間違いないでしょうね」
なんぞと言いながら、軽やかな声を上げて笑った。
「兎角、異論ほど耳に付くもんだ。敢えてモメてやる事も無ぇ。群れ何ぞ知った事かと、独り飄々としてりゃいいさ。面白くない事があったら、またここへ来い。話ぐらいは聞いてやるよ」
「はい。その時はまた弓を教えて下さい。的に当たるととても気分が晴れるので」
「あぁ、だったら腕を上げなきゃな。全部当たるようになりゃ、もっとスカッとするぜ」
話をして気が済んだのか、奴は「はい」と明るく返事をすると、一つ大きく伸びをしてから席を立ち、再び庭へ出て行くと、俺の後につい来て、一緒に散らばった矢を拾って歩いた。