目を覚ましたのは、翌日の昼近くなってからだった。
アラームがけたたましく鳴り響く中、何時間も平気で眠り続けてた俺も俺だが、この時間になるまで忘れてたディエシーにも呆れた。
もっとも、久し振りにクレイドルに浸かれて気分が良かったせいか、奴が遅れたことも大して気にはならなかったけど。
「なぁランジャ、腹減ってねぇか?」
「減った。これ以上何も食わなかったら、三時間後に死ねる自信あるくらい減った」
「よっしゃ。じゃメシ食わしてやる。来いよ。てか、白状すると俺も腹が減ってお前を思い出したんだ。勘弁な」
奴は笑いながらそう言って部屋を出ると、タペストリー裏の通路から、神殿へ出るのとは別方向の扉を開けた。
ランタンの光の中に、石造りの狭い通路が浮かび上がる。何でもここは城へ出る隠し通路だそうで、促されて中へ入ると、奴は扉を閉め、厳重に鍵を掛けた。
「ここを知ってるのは先王と俺だけだ。もっとも、奴さんは死んじまったがな」
「あぁ、先の戦で敵にやられたとか」
「表向きには、な」
「え?」
「謀殺されたのさ。死んだのは前線でなく宮廷だ」
「謀殺……」
「騎士団の将軍に過ぎなかった俺には、宮中のごたごたなんざ知ったこっちゃなかったがな。陛下は……ファルエル王は俺の目の前で殺された。
宮廷に巣食う妖怪どもは、この事実を隠す為に勅書で先手を打った上で、俺を後継者に祭り上げたんだ。
口封じで殺すには影響がデカすぎると踏んだか、玉座と王冠で俺の手足を縛ることにしたらしい」
先を行く奴の表情は見えないが、いつに無く淡々と語るその言葉には、静かな怒気が篭っていた。
「彼は恩人だったんだ。死に掛けてた俺を拾って、剣と、生きる術を与えてくれた。お前の師匠と同じさ」
奴はそう言って歩きながら軽く振り向くと、澱んだ怒りを吹っ切るように、ランタンの薄明かりの中でにやりと笑って見せる。
「あいつは拾い物だったなぁ。フリスト……あぁ、クリセル子爵な、奴が剣を落とした一瞬、懐に入ろうとして思い留まったのを見たろ? 殺る気ってのが染み付いてる。体が動いちまうんだろうな。
あんなのは競技だの騎士道だのとは無縁の、徹底的に殺しだけに特化した実戦型だ。奴さん相当場数踏んでるぜ」
「まさか。前線で負傷して騎士を辞めたって……」
「お前も人がいいねぇ」
俺の言葉を遮って、奴は心底呆れたように溜息混じりで言う。
「ま、仕方ねぇか。人間てのは自分の信じたいものを信じるもんさ。入って来る情報が少なきゃ尚更だ」
通路はいつの間にか延々と続く螺旋階段に代わっていた。どうやら塔のような建物の中に出たらしい。
やがて小さな扉から外へ出ると、奴は入った時と同様に施錠した。
神殿同様、扉を隠すように掛けられたタペストリーをたくし上げると、広い部屋に大きなベッドだけが置いてある部屋に出た。
豪華な内装と調度品から、王の寝室であることが窺える。部屋を横切って続き部屋へ向かう奴を追いながら、ベッドの上の女物のガウンが目に留まった。
妙に女臭いのはあれのせいかなんぞと思いきや、中身が入ってることに気付くと、どきっとして慌てて目を逸らした。
続き部屋に入ると、奴は控えていた小姓に食事の用意を命じ、俺には着席して待つように言った。やがて給仕が恭しく料理を運んで来たが、どうやら俺と奴の二人分だけのようだ。
家族はどうしたんだ? さっきのはカミさんじゃないのか? そういえば式典でも御前試合でも、奴の隣に后の姿は無かった。
「なぁ、あんた息子がいるって言ってたけど、奥方……ってか、后は?」
気持ちのいい喰いっぷりで平らげてるところへ遠慮がちに訊くと、奴は林檎酒で流し込んでから一言、「死んだ」と言った。
真っ昼間からこんなに飲んで平気なのかとも思ったが、考えてみれば、こいつも管理局謹製のリカバリセル付きなんだよな。
「先王の后だったんだが、夫婦仲が良かったからな。心労が祟って後を追う様に亡くなった」
「じゃぁ王子ってのはその后との……?」
「いいや、彼女にゃ指一本触れなかったさ。凄ぇイイ女だったけどな。それが『騎士道』ってもんだろ」
奴は言いながら給仕にもう一杯注がせると、片目を瞑って見せてから豪快に飲み干した。
「その分、側室から女中まで全部俺の好みで揃えたけど」
なるほどね。手にしたフォークで寝室のほうを指差しながら目顔で訊ねてやると、当然といった顔で頷きやがる。
さすがバイタリティが売りのデュオ系と言うか……。まぁ、英雄王と仇名される男だし。側室の一人や二人いたところで不思議は無いか。
「倅は神都で神聖騎士団の連隊長やってる。建前上は神都防衛の義務って奴だが、要は辺境各国の王侯貴族から取ってる人質だな」
矢鱈とアルコール含有量の多い食事が終わり、給仕が空の食器を片付けて下がると、奴は開け放った窓に歩み寄り、大きく伸びをしながら城門を見下ろした。歩哨の交代を告げるラッパの音が反響して聞こえて来る。
「そう言えばお前、貴族どもの間で噂になってるぜ」
奴はそう言って俺を振り返ると、面白そうににやりと笑う。
「噂? 何の」
「『ロアルデに「雷神の御子」現る』だとよ。この前の式典でブチカマしたのが余程効いたと見える」
「やれって言ったのはあんたじゃないか。第一、俺には国土を焼き払う程の力なんて無い」
「ほぉ、よく知ってるな」
「いや、聞き齧っただけだから詳しくは知らない。そもそも何なんだよ『雷神の御子』って」
「実は俺も知らねぇ。だがソーセンはそいつを奪ってバルナタートへ亡命した。何でも『魔法で少年の姿に変えた雷神の御子を、棺に隠して連れ去った』そうだ。
あれから十年、その年格好と御面相で、あんな技を持ってる者が現れたとなりゃ、勘違いする奴が現れても不思議じゃない。面白いことになりそうだぜ」
「それを言うなら『困ったことになりそうだ』だろ。あんたがそんな物騒な奴を手に入れたとなれば、黙ってない連中だっている筈だ」
「上等だ。引っ掻き回してやるさ」
「冗談じゃない。俺はベニカを連れて神都に行くことになってるってのに」
「そん時ゃ腕利きの騎士を護衛に付けてやるよ」
げんなりしてる俺をよそに、奴は事も無く言ってのけると豪快に笑い飛ばす。
扉がノックされ、奴が答えると「失礼します」の声と共に小姓が入って来た。
「王太子殿下のご到着です」
「おぅ来たか。書斎に通せ。お前も来いよランジャ。俺の自慢の倅を紹介してやるから」
奴はそう言うと、俺の返事など聞かずにつかつかと部屋を出て行ってしまった。
残された俺が唖然としていると、さっきの小姓が案内を買って出てくれたが、「あんたらも大変だな」と肩を竦めて見せると、「陛下は行動的なお方ですから」と満面の笑顔が返って来た。
書斎に入ると、奴は爺……もとい、ジューソン軍務尚書閣下に説教を喰らってる最中だった。
なるほど、大きな執務机の上は、未決済の書類が山になったままだ。まぁ、こいつはどう見ても事務仕事に向いてるタイプには見えないよな。
彼は入って来た俺に気付くと一瞬身構えたが、にやっと笑って慇懃に頭を下げてやると、相変わらずの渋面ながらも答礼してくれた。
机の背後には、先王とその家族の大きな肖像画が掲げられていた。高潔な品性を湛えた面差しに奴と同じ王冠を戴く王と、その大きな手に細い肩を抱かれた后。
柔らかに波打つブルネットに縁取られたたおやかな美貌と、凛とした緑色の瞳は、胸に抱かれた幼い王子に優しい眼差しを注いでいる。
丸で宗教画のように神々しい。彼らを慈しむような筆致と穏やかな色彩から、画匠が抱いていた王家への思慕と崇敬の念が窺えるようだ。その全てを奪った宮廷の謀略とは、一体何だったのだろう。
ノックの音で我に返り、扉を振り向くと、颯爽とした長身の貴公子が入って来たところだった。
「父上、ご無沙汰しております」
「元気そうだな。神都はどうだ?」
奴は腕を広げて歩み寄る彼を抱き締めると、愛おしげに背中を叩いた。
筋肉質でしなやかな体躯は精悍な騎士そのものだが、柔らかな褐色の巻き毛や、緑色の瞳の涼しげな目元などは王妃の美貌を受け継いでいるようだ。
その彼にとっても、どうやら奴は憧れの英雄らしい。優しい眼差しの父を眩しそうに見上げる彼の顔は、年齢よりも少し幼く見えた。
「相変わらずです。こちらでは腕の立つ剣士が加わったそうですね。ダラハン卿が手紙をくれました」
「あぁ、奴はいずれ神聖騎士団に抜擢されるだろうな。神都は使える兵隊を片っ端から取り上げて行きやがる」
「あ、失礼。お客人でしたか」
王子は俺に気付くと、慌てて会釈する。それに拝礼で答えると、奴は思い付いたように歩み寄り、馴れ馴れしくも軽い調子で肩にぽんと手を置いた。
「紹介しよう。石読みのランジャ殿だ。ランジャ、こいつが倅のトーラン。俺の養子でファルエル陛下の忘れ形見だ」
「よろしく、石読み殿」
彼はそう言うと、輝くような笑顔で手を差し出してくれた。気さくな人だ。俺も思わず両手で握手に応じる。
「お目に掛かれて光栄です殿下」
「なぁトーラン、実はこいつが噂の『雷神の御子』だ」
「え、ちょっと待……」
藪から棒に何を言い出すんだ! 見ろよ、王子の顔が一瞬凍り付いたじゃないか。
「こいつを餌に釣りをしたら、何が釣れると思う?」
そう言ってにやりと笑う奴に、彼は怪訝そうな顔で「釣り……ですか?」と聞き返す。
「そう、釣りだ。掛かる獲物は宮廷の妖怪か、はたまた、隙あらば神都の喉元に喰らい付こうと狙ってる辺境の狼どもか……。
『雷神の御子』は宮廷の権威であり、辺境国を捻じ伏せる力の象徴だ。こいつを餌にしたら、どんな奴が釣れるか見モノだと思わねぇか?
最後に喰い付くのが大物か外道かは、その時までのお楽しみってとこだ。
そんな訳で俺は暫く留守にするが、後は頼んだぜ、トーラン」
否定するタイミングを逃してしまった。一体何をする気なのか判らないのに、気が付けばすっかり奴のペースだ。
ジューソン卿も王子も奴の真意を測りかねているのか、面食らった顔を見合わせると、答えを求めるように揃ってこっちを振り向くけど、いやいや、訳が判らないのは俺だって一緒っすよ、と慌てて首を振って見せた。
「もう二十歳か。まったく月日の経つのは早ぇな。稽古を付けるたびにぴーぴー泣いてたヒヨっ子が、今や神聖騎士団の連隊長とはね……」
奴はそんな俺たちをよそに、肖像画を振り返りながらしみじみ言うと、大きな溜息を一つつき、王子に向き直るといたずらっぽい笑顔を浮かべた。
「ところで殿下、私はそろそろ王杖よりも剣把が恋しゅう御座います」
そう言うなり唐突に跪いた奴を、二人は「陛下、一体何を……!」と慌てて抱き起こそうとするが、奴は手を挙げて制すると言葉を続けた。
「殿下は嗣王に相応しく御成長召された。これで私の、亡き陛下への報恩も果たせました。となれば私に残された宿願は、陛下の仇を誅する事のみに御座います。どうか私に再び剣を、殿下に御仕えする騎士としての栄誉をお授け下さい」
彼は奴の言葉を戸惑いながら聴いていたが、言葉が終わると静かに目を閉じ、暫し沈思黙考する。ジューソン卿などは微かに涙ぐんでいるようだ。
志半ばで斃れた先王に代わって混乱する国政を担い、幼かった王子を嗣王とすべく鍛え上げるまで、王冠を枷として玉座に繋がれていた雌伏の十年。陽気に振舞うこの自由で飾り気のない男にとって、それはどれほどの重圧だったのだろう。
彼の胸中に去来するものもまた、奴が背負ったものと同じ重みを持つものだったに違いない。軋む様な静寂の後、再び開いた眼差しには、一転して決意の色があった。
「判った」
短く言うと居住まいを正し、改めて奴の前に立つ。
「スランフール侯ディエシー、卿にロアルデ騎士団将軍への復帰を命ずる」
「有難き幸せに存じます」
「ディエシー将軍に密命である。神都へ赴き、父王を陥れた謀略を暴き、その首魁を討て」
「御意に沿うべく、身命を賭する覚悟に御座います」
深く頭を垂れて足元に跪く養父に、王子は手を差し伸べて立ち上がらせると、しっかりと抱き締める。
「父上、どうかご無事で」
彼はそれだけを言うと静かに離れ、決然として奴の最敬礼を受けた。既にそこには強い父を慕う少年の面影は無く、肖像画によく似た、気高い嗣王の顔があった。