大親方からの返事は二週間後に来た。
フィンデール先王イルシュと、ヴィスロ枢機卿の二人が獄中で謀殺されたことに関しては、想定外の不覚だったと、俺たち同様に切歯扼腕と言った様子だったが、逆を言えば、枢機卿自ら罪を認めたも同然、死人に口無しとなれば如何様にも料理出来るなんぞと、何やらまたしても良からぬ事を企んでいる模様。
その時には君らにも片棒担いで貰うので、しっかり英気を養っておくように、との事だ。心遣いは有難いの一言だけど、そうそう遊び惚けてばかりもいられない。
今日も今日とて、性懲りも無く遊びに来ているドミニクの子守は、アリサとベニカと夫人に任せて、ほったらかしだった報告書をやっつけると、本部へ提出すべく城下へ向かった。
前回同様、地下の書庫へ赴いて司書嬢に書類を手渡すと、本部を出て今度は歓楽街へ向かう。
ディエシーの野郎が「たまには付き合え」と、態々ロアルデ王家の別邸から遣いを寄越して来やがったのだ。尤も、奴の事だ。大親方の手紙について何やら話があるのかも知れん。
途中、大通りに出たところで、商店の窓越しにこちらを見詰めている、大きな兎の縫い包みと目が合った。
そう言えばいつだったか散歩の途中で、ベニカがこの前に立ち止ったまま動かない事があったっけ。
あいつめ、欲しいなら欲しいと言えばいいものを。玩具の一つもねだって貰わなきゃ、親父としての甲斐が無いじゃないか。
ふと、こいつを手にした時の、彼女の輝く笑顔を思い浮かべて独りにやけると、早速扉を開けて中へ入った。
店内には、豪華な衣装を纏ったビスクドールやら、凝った仕掛けの絡繰り人形やら、立派な鞍を置いた木馬やらが整然と並んでいて、宛ら御伽の国といった雰囲気だ。
どれも手の込んだ贅沢な品ばかりであることから、貴族や富豪の子女向けの店である事が窺えた。
どうやら閉店作業中だったようで、物音を聞き付けて奥から覗いた店主の顔は、如何にも面倒臭そうだったが、俺の顔を見た途端、一転して揉み手せんばかりの態度でいそいそと出て来た。
「これはこれは神使様、御忍びでご来店とは恐縮に御座います」
「いや、こっちこそ閉店間際に悪ィね。こいつを頼むよ」
彼は俺の口調に一瞬面食らったようだったが、「はい只今」と満面の笑顔で答えながら、俺の指差す先へ足取り軽く歩み寄ると、窓辺に飾られた縫い包みを抱え出した。
近くで見ると結構な大きさだ。立たせればベニカと変わらない背丈だろう。
カウンターの上にちょこんと座らされた姿を見て、思わず苦笑が浮かぶ。白い毛に赤い目の兎ちゃん、か。
支払いを済ませ、このまま店を出ようと思ったが、思い直して邸への配達を依頼する。酒場にこんなのを抱えて行ったんじゃ、ディエシーの野郎に何て茶化されるか判ったもんじゃないしな。
「お嬢様への贈り物でいらっしゃいますか?」
と上機嫌で問う店主の言葉に、少しばかりの照れ臭さを感じつつ「まぁね」と答えると、
「それではカードを添えられては如何でしょう?」
と、背後の小箱から洒落た意匠の物を数枚取り出して差し出す。
それは名案。早速、小花の印刷された一枚を受け取ると、暫しの思案の後、「寂しき折の添い寝、承り申し候」と記して託した。
礼を言って店を後にすると、奴の指定した行き付けの飲み屋に向かう。
煌々と照らす街灯を頼りに、娼館脇の黒猫屋とやらをを探して歓楽街へ足を踏み入れると、表通りの華やぐ喧騒から一転して淀んだ猥雑な空気の中、如何わしい店がけばけばしく軒を連ねる街路の片隅に、見逃してしまいそうな小さな赤い看板を見付けた。
すぐ裏に聳える、圧し掛かるように巨大な影は、どうやら国立劇場らしい。随分と皮肉な立地だ。先日の歌姫の切ない眼差しを思い出し、何やら遣る瀬無い思いが胸をよぎる。
赤い猫の描かれた黒塗りの扉を押し開けると、唐突な歓声に出迎えられた。不意を突かれて思わず身構える俺を、一杯機嫌のクレイグがやって来て中へと促す。
笑顔で杯を掲げてる面々を見渡せば、彼のほかに中堅どころの石使いから馴染みの鉱夫、果ては本部お抱えの馬丁のおっさんまで揃っていて、宛ら石屋の溜り場と言った風情だ。
ディエシーはその真ん中に、すっかり馴染んだ顔で納まってやがった。
「おう、本日の主役の御来訪だ。女将、杯を頼む。ついでに俺にももう一杯ね」
奴は俺をカウンターの止まり木に座らせると、上機嫌で注文する。
「何だよ、その主役ってのは」
差し出された杯を受け取りながら訊ねる俺に、奴は答える代わりににやりと笑うと、やにわに椅子を立ち、新しい杯を掲げて声を張り上げた。
「それじゃお前ら、女にフラれた二枚目の為に乾杯だ」
「乾杯!」
「え、ぇぇぇええ?!」
歓声と共に掲げられ打ち鳴らされる杯の音の中、奴は面食らってる俺の杯に勝手に自分の杯を当てると、喉を鳴らして旨そうに干す。
「まったくあんたらときたら……。他人の不幸で勝手に盛り上がるんじゃねぇよ」
苦笑交じりで抗議する俺に、奴らはいいからいいからと取り合わない。
「だってよ、俺たちみたいな一山幾らがフラれたところで、何の面白味もねぇだろ? そこへ持ってきて、旦那みたいな二枚目がフラれたとあっちゃ、酒の肴にしない手は無ぇって」
大袈裟な身振りを交えて言ってのける鉱夫のとっつァんに、
「酷ぇなァ。飲めりゃ何でもいいってか?」
と肩を竦めて見せると、連中から爆笑が沸く。
「旦那は暢気なところがあるからねぇ。そこがいいと言えばいいんだけどさ」
「イイ女はちゃーんと捕まえておかなきゃあ」
「そうそう、あっという間に逃げてっちまうよ。丸で石の精霊だ」
どいつもこいつも既に出来上がった赤い顔で、好き勝手なことを言ってやがる。尤も、下手に湿っぽく慰められるよりは、いっそ笑って貰った方が気は晴れるよな。
きっと奴らもそう言うつもりなんだろう。ならばその温情に感謝しつつ、精々古傷に擦り込まれた塩を肴に酔うとしますか。
「だけど、こんなお綺麗な神使様を袖にするなんてさ、そのお相手ってのは、一体どれ程の美女なんだい?」
カウンターから物見高く身を乗り出しながら、少しばかりの憤慨も交えて女将が問うと、
「恋敵は王子様だとよ」
と、面白そうな口調で誰かが答える。
「あらまぁ、それじゃぁ幾ら神使様でも勝ち目は無いねぇ」
と首を振ると、彼女はあははと声を上げて屈託なく笑った。
四十絡みと言ったところだろうけど、こんな商売をしている割には、しっとり白い綺麗な肌をしてる。少し垂れた目尻と、ぽってりとした口元の、小さな黒子が何とは無しに色っぽい。美女と言える程の容貌ではないが、所謂男好きのする顔ってやつだ。
狭い店内は、常連客だけで既に満席の状態だ。が、扉を開いて中を伺う新たな客は、女将に小さく目配せをすると、お構い無しと言った様子で、そそくさと店の隅の階段を上がって行く。
連れてる女はどこぞの酌婦か、はたまた拾った街娼か。どうやら二階はそういった部屋として賃貸ししているようだ。
大いに飲んで騒いでる奴らも慣れたもので、まるで風でも通ったかのように気にも留めない。飲み屋と言うよりは、むしろ隠れ家と言った方がいい雰囲気だ。
「御大から手紙は来たか?」
店内の喧騒に紛れる様に、不意に声を潜めて切り出した奴に頷くと、女将は封を切った新しい瓶を俺たちの間に置き、「ごゆっくり」と片目を瞑って見せてからカウンターを出ると、いつの間にやらクラップスに興じていた連中のテーブルに、「あたしも混ぜておくれよ」と入って行った。気の利く女だ。
「奴さん、また何か企んでやがるな」
言いながら苦笑する俺に、奴もまた「頼もしい限りだ」とにやりと返す。
「で、俺も大いに見習うべきと思ってな、ザーリャにちょいと調べ物を頼んだんだ」
「調べ物?」
「あぁ、大枚と引き換えに、毒蛇を宮中に放った『止ん事無き御仁』て奴だ」
「ほぉ」
ザーリャ殿下は今、ロアルデ王家からの出仕として、神聖騎士団の連隊長職にある。文武に秀でた彼なら、奴の手駒として宮中を探るに打って付けの人材かもしれんな。
「あの野郎が監獄城に収監された事で、あれを引き入れた飼い主の責任を追及する声が、ちらほら上がってるらしい。尤も、枢機卿評議会ともなりゃ、いずれ劣らぬ大貴族ばかりだから、大声で糾弾しようなんて度胸の有る奴なんぞいやしねぇんだけどな。
で、ザーリャには思い当たる限りの人脈をあちこち辿って貰って、何とかそれらしい人物にブチ当たったんだが、こいつが案の定の大物でね。ノランサリエ候ブルーノってんだが……」
その名を聞いて俺の脳裏に浮かんだのは、あの茶会から金糸雀を攫って行った、尊大な紳士の姿だ。
「ブルーノ卿? ひょっとして、顎髭を生やした黒髪の偉丈夫?」
「ほぉ、知ってるのか。さすがはエスネの森の住人ってだけあるな」
幾分茶化したような奴の言葉に、軽く首を振って見せる。
「いや、付き合いで行った劇場でね。夫人からも紹介は受けただろうけど、あんまり大勢いたんで、キャッシュを整理しないと他は誰が誰やら……。で、件の侯爵様は人気の歌姫のパトロンらしくてさ、随分と羽振りがよさそうだった」
「あぁ、神都生え抜きの貴族ってのは、辺境のそれとは別格だからな。
畏れ多くも聖下の御膝元に領地があるってだけで、辺境とは天地の差。同じ侯爵でも、俺なんざ田舎貴族の扱いがいいとこだろうさ。
で、枢機卿評議会ってのは、そういった御家柄の大貴族様が代々独占してるって寸法らしい。
尤も、汚れ仕事だけに、御本人様が直接職務にある訳じゃ無くて、子飼いの者を置いてその後ろ盾に納まってるって形だろうけどな」
「なるほど。さしもの大親方ですら、不可触域と忌避する場所だけはあるな。で、そいつらの覚え目出度ければ、御取立ての栄にも浴せるってか」
「そう言う事だ。だが、相手が相手だけに、余程有力なコネか弱みでも握らない限り、接触は難しいだろうな」
「凡そそういう連中に限って、叩けば山と埃も出て来るんだろうけど……」
「まぁな。あれ程の大貴族が端た金で動くとは思えんから、蛇を手駒として捻じ込んだのは、恐らくは別の思惑があっての事なんだろうけど、探ろうにも下手に動きゃこっちが叩き潰されて終わり、だな」
奴はそう言って鼻で嗤うと、苦そうに杯を干す。
「如何せん、相手がデカ過ぎるんでね。そこで、御大に動いちゃ貰えねぇかと思って手紙を出したとこ。今はその返事待ちだ。
お前さんとこの女伯閣下も、元職とは言え宮廷の古株だろ? 何とかご協力を願えねぇかと思ってさ」
俺の杯になみなみと注ぎながら、「どうよ」とこっちの顔を覗き込む。
確かに夫人は、未だ殿上人に多くの人脈を保持している様だし、巫女職も長きに亘っていただけに、宮中の奥深くまで知り尽くしているだろう事は想像に難くは無いけど、いつも世俗とは無縁といった風情で、優しい微笑みを浮かべながら見守ってくれている彼女を思うと、穢れに満ちた下界のごたごたに巻き込むのは、些か気が引ける。
だが、思い返せば、連絡員としての職務を全うする為に奴の協力を得るには、復讐に手を貸すことが条件だった。
答えは考えるまでも無いんだけれど、俺は暫し逡巡してから、「判った」と乾いた声で呟き、杯を干した。