28-1
マルセルの報告書は、「セブランの詮議」が開催された翌日に始まり、事件終結の約一年後で途切れていた。
内容は、連続放火事件の詳細な現場検証に終始していて、私情を交えず淡々と記された几帳面な字面に、彼の実直な性格が窺えるようだった。
被害者は司祭二名、司教一名、神官三名の計六名。何れも手口は毒殺の後に放火といった、ユグレー祭司長夫妻暗殺と同じ。それが五年の長きに亘って断続的に行われている。
殊、神官様と言えば、下々に取っちゃ神にも等しい殿上人だ。一人暗殺されただけでも事件だろうに、これ程の大量殺人を、何故碌な捜査もせずに五年もほったらかしにしていたのか、この手の汚れ仕事は枢機卿の管轄じゃないのかと、事細かに並べられた時系列を読んでるだけで苛々して来るが、この疑問は、区切り毎に記された考察で触れられていた。
それに曰く、捜査は行われていたようだが、枢機卿評議会に内紛があったとかで、度々横槍が入ったらしい。
で、埒が開かないと見た彼は、神聖騎士団の有志に協力を仰いで独自の捜査を始める。恐らくこいつは、ディエシーが手駒としていた、騎士団でも目端の利く連中とやらに違いない。
再三の現場検証で挙げられた、
「物取りとされていたにも拘らず、荒らされた部屋からは金品の紛失が一切無かった事」、
「被害者の中に身元不明の子供の遺体があった事」、
この二点を不可解として評議会に諮るが、ファルエル陛下暗殺によって有耶無耶にされる。
王は、有志騎士団の協力を後押ししていたものと見られていたらしい。時系列と照らせば、多分これが、奴が不敬罪で砦の牢にぶち込まれていた最中に判明した事実に違いない。
身元不明の子供の遺体ってのは臭いな。蓮火幇が放った刺客である可能性が濃厚だろう。
部屋が荒らされていたってのは、フィノンが持つ枢機卿の指輪を捜す為なんだろうか? だが、幾ら何でも、個人的な失せ物捜しにしちゃ、規模が大き過ぎるだろう。こいつはどうにも妙だ。
程なくして「神都の乱」勃発。それに伴って捜査打ち切りを促す、有形無形の圧力も高まって来るが、彼の不屈の精神は、これを事件の核心に近付いたものと見たようだ。実際、戦が終結しても犠牲者は続発している。
それでも言を左右にして動かない評議会に業を煮やした彼は、今度は被害者と師弟関係にあった、若い神官たちに協力を求めるが、捜査再開から間も無く、中心的存在にあったテオドール神官が暗殺されると、敵対勢力からの圧力と受け取ったか、皆一斉に手を引いてしまったらしい。何だよ、ヘタレ野郎どもめ。
そして、最終頁。ここだけは走り書きの状態で、報告書の体を成してはいなかったが、それだけに事態が切迫していたことを物語っていた。
彼は、砦の独房に収監されていた、下手人と目されるならず者の元へ、危険も顧みず忍び込んで聞き取りを行っている。
箇条書きのメモによれば、容疑者は確かに盗賊ではあったが、前年にフィンデールから流れて来たばかりの者で、エスネの森はおろか、ウルガン城下の地理にすら暗かったらしい。
そんな輩が、平民たちが聖域と畏れるエスネの森へ入り、剰え、どこに誰が住むかも知らない神官邸に押し込むなどあり得ない。こいつは完全にでっち上げの冤罪だったって事だ。
件の容疑者は、誰かが事件の幕引きを図って用意した生贄だったに違いない。この時点で、既に消すべき人物はすべて消した、と言う事なんだろう。
確証を得た彼は、更なる疑問にぶち当たる。そもそも何故神官たちは殺されねばなかったか、賊が探し求めていた物は何だったのか、評議会の内紛は何を巡ってのものだったのか、捜査の妨害をしていたのはどんな勢力で、何が目的だったのか、以上の点を引き続き捜査する。と、そこで報告書は終わりだった。
が、次の頁にもう一枚、紙質の違う一回り小さな紙が綴じられている事に気付く。最終頁に張り付いていたそれを用心深く捲ってみると、便箋だった。
この報告書を本部に届けて欲しいとの短い文面の一番下に、「ビアンカ、君に永久の愛を誓う」とある。それを目にした瞬間、こいつは遺書だ、と直感した。
生真面目で実直な男が、女に愛を語るなんざ、死に瀕した時以外にあるまい。彼は間違いなく殺された。恐らくは横槍を入れていた敵対勢力とやらの仕業だろう。
ダフネの兄貴の例もあるし、遺体を確認するまでは失踪の扱いって事なんだろうけど。
いくつかの新事実は掴めはしたものの、未だ核心には触れられない。身命を賭しての調査にも拘らず、彼はヴィスロ枢機卿にまでは辿り着けなかったようだ。
尤も、奴の関与を知る者は、今や指輪を持つフィノンただ一人……。
彼女が無事でいられたのも、吹き溜まりの街の娼館にまで調査が及ばなかった御蔭だし、結果的には正解だったのかもしれないけど、正直言って期待外れだったかな。
まぁ、カレル大親方も、これを読んだところで、事件の真相までは判らないだろうとは言ってたし、たった一冊の報告書だけで、全てが把握出来るなんて思っちゃいないけどさ。
何やら五年分の暗黒の地上史を、一気に詰め込まれたような気がして些か疲れた。マチルダ司書に礼を言って本部を出ると、既に真っ暗だった。
カリナには遅くなるようなら晩飯は要らないと言ってあるので、銀鱗亭で済ませてから帰途に就く。
テオドール神官の件は、ベルに知らせてやった方がいいんだろうか。……いや、やめておこう。
大親方の手紙によれば、ウィレム新王の戴冠の儀も、先月末に華々しくも恙なく執り行われたそうだし、今は来年に控えた婚礼の儀に向けて、慌ただしくも幸せな日々を過ごしているに違いない。
そんな時に昔の男から、そのまた昔の男に関する手紙なんぞ寄越すのは、無粋の極みって奴だよな。
邸に帰り着くと、ベニカは既に夢の中だった。
疲れてる時には、彼女の笑顔が一番の滋養薬なんだけど、仕方無い。寝顔で我慢しておくか。
自室で着替えを済ませてから、彼女の寝室にそっと忍び込むと、仄かに点した精霊石ランプの灯を頼りに、ベッドの縁へ腰掛ける。
先日買った縫い包みが届いていたようで、早速抱き締めて眠ってる。
ふさふさの長い毛足に埋めた頬に、微かな笑みが浮かんでいるのを見ると、ほっと安堵の溜息が零れた。
あの隠し鉱山での誘拐がトラウマになってるのか、彼女は時々悪夢に魘される事がある。
少しずつ癒えてはいるんだろうけれど、そんな姿が不憫で、添い寝をせがまれても無碍には断れない。
俺が留守の間はどうしているのかと心配だったけど、この様子なら大丈夫かな。代理は頼んだぞ、ウサ公。
小さな手でぎゅっと抱かれてる姿を見ると、縫い包み相手ながら少しばかり妬ける気もするけど。
翌朝、何だか顔がむずむずして目を覚ますと、視界が一面の白い毛で塞がれていた。
思わず「ぉわっ!」と声を上げて飛び起きると、ベッド脇で縫い包みを抱えたベニカがびっくり顔で固まっていた。どうやらあれを抱えたまま、俺の寝顔を覗き込んでいたらしい。
「あぁ、びっくりした。雪男の巣穴にでも落ちたのかと思った」
「あ、ご、御免なさい。ランジャ様に御礼を申し上げようと思って……」
申し訳なさそうに見上げる頭をわしわし撫でながら、
「気に入ったか?」
と訊いてやると、たちまち満面の笑顔になり、
「はい、とっても。大切にします」
と答えながら、ぎゅっと抱き締めて頬擦りする。何やらその役まで横取りされたような気がして複雑な気分。
「俺には?」
と拗ねた振りをしてやると、はっと顔を上げるなりあたふた周囲を見回し、ウサ公を俺の隣に大切そうに座らせると、背伸びをして例の、頬に鼻から下を全部押し付ける、彼女式の口付けをしてくれた。よしよし、イイコだ。
平日は、朝食が済んだら本部まで送って行く約束だ。
彼女が支度を終えて出て来るのを、玄関ポーチの前で馬丁と世間話をしながら待っていると、前庭を囲む森の木立から、突然けたたましい鳴き声が聞こえた。
振り返ると、鴉が鳩を襲っている。咄嗟に駆け寄って小石を投げ付けると、鴉は一声鳴いてよろよろと飛び去って行ったが、鳩は深手を負っているようで、蹲ったまま動かない。
そっと抱き上げると指先に何かが触れたので、持ち上げて腹側を覗き込んで見ると、金の脚環が嵌っていた。こいつは師匠の伝書鳩、ミカだ。
「ランジャ様?」
「如何なさいました?」
馬丁と共に駆け寄って来たベニカを振り返ると、彼女は俺の手元を見て「あぁっ!」と悲鳴にも似た声を上げた。
「血が出てる! ミカ、ミカ、どうしちゃったの? 何があったの?」
「鴉に襲われてたんだ。こいつは丸々として毛艶もいいから、旨そうに見えたんだろうな」
俺の言葉に、馬丁も大きく頷きながら、ぐったりしている鳩の喉を、指の横腹で優しく撫でる。
「確かに、立派な鳩で御座いますな。伝書鳩なら、さぞかし遠くまで飛ぶことでしょう。お知り合いの飼い鳥で御座いますか?」
「はい。ロアルデの友達が飼っていた鳩なんです。神聖騎士団へ御召しの時に、ついて来たんだと思うの。どうしよう、ミルジオさん、きっと心配するわ……」
「それでしたら、治療は私にお任せ頂けますでしょうか? 不肖ながら私、若い時分に、神聖騎士団で伝令使を仰せ付かっていた事がありました。故に、伝書鳩の扱いには多少心得が御座います」
「本当?」
縋る様な眼差しで急き込むように問う彼女に、彼は自信に満ちた笑顔で深く頷いて見せる。それを見て安堵を得たか、彼女もまた俺と笑顔を見交わした。
「そいつは頼もしい。じゃぁ、よろしく頼むよ」
彼は「畏まりました」と答えながら、鳩を大切そうに受け取ると、馬に乗る俺たちに「行ってらっしゃいまし」と丁寧な拝礼をして、いつものように門を出るまで見送ってくれた。
本部へ到着すると、彼女は早速見付けた友達へ駆け寄り、俺を振り返って、「行って来ます」と手を振りながら二階へと上がって行く。
それに応えつつ見送り、さて帰ったら二度寝でもするかと算段していると、監査付きの書生氏に呼び止められた。
何でも、マチルダ司書から書類を預かっているらしい。恐らく、昨日依頼した偽報告書だろう。美人な上に仕事も早いとは、何とも将来有望。これでもっと愛想が良ければ文句無しだな。
一階奥の事務所で、革封筒に入ったそれを受け取り、中を検める。注文通り、古びた黒表紙で装丁されていて、如何にもな造りだが、中を開いてみて思わず苦笑が漏れた。
どうやら使い古した料理本をバラした物のようだ。あちこちに調味料や油の染みが着いているあたり、雰囲気満点と言ったところだ。
「マチルダから事情は伺いました。クレイグさんの件については、人事の親方にも話を通しましたので、あちらでも処分の動きがあると思います」
穏やかならぬ単語に、思わず眉を顰めて「処分?」と問うと、彼は「はい」と軽く頷く。
「石使いの借金て、何か罰則があったっけ?」
「いいえ。会の金に手を付けたとなれば、厳罰に処されはしますけど、個人的なものに関しては特にありません。まぁ、あまり歓迎すべき事態ではありませんが、時折こういった事も無くは無いので。
ギルドに名を連ねる豪商とは言え、所属する全ての石使いが、金遣いに長けているとは限りませんからね。彼に逢ったら伝えて下さい。困ったことがあったら、先ずは人事に御相談下さい、と」
「なるほど。温情に感謝だな」
「ただ、今回の様に、地回りの者が書庫の資料に目を付けるなどと言う事は前代未聞です。いずれどなたか大親方からもお達しがあると思いますが、事前に調査して頂けるなら願っても無い事です。協力は惜しみませんので、何なりと申し付けて下さい」
言いながらにっこりと微笑む彼に、
「了解。頼りにしてるよ」
と答えつつ軽く手を挙げて部屋を出ると、石使いの事務所に立ち寄り、クレイグへの伝言を頼んでから本部を出た。