「おぉ、ロナじゃねぇか! こいつは久し振りだ。逢いたかったぜ」
思わぬ美女の登場に、常連たちがどよめく中、止まり木で一際大きな歓声を上げるのはディエシーだ。
彼女が「はァい」と軽く手を挙げながらその隣へ腰掛けると、連中からは、何だ旦那のイイコかよ。それじゃ俺らに勝ち目は無しと、たちまち落胆の声が上がるけど、調子に乗って細い肩に回したデカい手は、すかさず叩き落されてやがる。
極まり悪そうに女将と苦笑を見交わしつつ、降りて来た俺に気付いて振り向くと、今度は呆気に取られた顔で、俺とロナを交互に見た。
「おいおいおい、お安く無ェなぁ」
思わず「何だよ」と言い返しつつ、反対側の隣に納まると、訳知り顔でにやにやしてる女将に片眉を上げて見せながら、奴と同じ葡萄酒を注文する。
その一方でロナの奴は、上機嫌で上物の梨酒なんぞ注文しやがって、出された杯をこれ見よがしに掲げながら、片目を瞑って見せる。奢りだからと調子付きやがって。少しは遠慮しやがれってんだ。
「まさか、お前さんに抜け駆けされるとは思わなんだよ。で、どんな具合だった訳? えぇ? 白状しやがれってんだ畜生め」
こっちへにじり寄りつつ覗き込む酒臭いにやけ顔に、半ば苛つきながら「違うって」と返すと、奴は「またまたァ」と言いながら肘で脇腹を突付きやがる。が、彼女にいきなり耳を引っ張られると、「痛ででで」と悲鳴を上げた。
まったく、聖山の姫様ともあろう者が、ベタ惚れのくせして叩くわ抓るわ……こいつもアレか? 毒蛇爺ィ宜しく加虐性癖のタチなのか?
「変な誤解しないで頂戴。私はランジャのお連れの診察を頼まれただけなんだから」
「ほぉ。拾った女とシケ込む事があるとはね。名うての堅物も、随分と軟らかくなったもんだ」
「だから違うって。こっちの話も聞けっての」
指の跡が付いた耳朶を擦りながら、再びにやにや覗き込む奴に突っ掛かると、ロナも澄まし顔のまま、面白そうな口調で追い打ちを掛けて来やがる。
「とーっても綺麗な女性よ。どんな手管で落としたのか、是非ともお伺いしたいところだわ。ね?」
「ね? じゃねぇよ。仕事だって」
「酒場の二階で? 美女をベッドに寝かせて? 一体どんな仕事なのやら」
「石屋の内情に係わるんでね。おいそれと吐く訳にゃいかねぇよ」
皮肉めいた問いに憮然としながら答えると、彼女はきょとんとした顔で覗き込んで来た。
「どうして? 石屋が歌姫に何の係わりがあるの?」
すると奴も「歌姫だと?」と身を乗り出してくる。顔を近づけて声を潜め、「金糸雀だ」と答えてやると、それだけで何かを察したようで、女将に目配せをする。
彼女も心得たもので、いつものように封を切った瓶をカウンターへ置くと、常連たちへ向けて、
「さぁさ、今日は早仕舞いだよ。飲み足りなきゃ明晩おいで」
と、手を叩きながら追い出しに掛かる。
連中が文句たらたら名残惜しげに店を出ると、
「奥にいるから、帰る時に呼んどくれ」
と言い残し、あくびをしながら扉の向こうへと立ち去った。
奴は、彼女の気配が扉の閉じる音と共に消えるのを待つと、俺に向き直ってから徐に切り出した。
「そんじゃ早速、可愛い小鳥ちゃんが、お前さんの手の内にある理由を伺おうかね」
それを聞いてロナもまた、興味津々といった顔で身を乗り出す。
「いや、実は俺も訳が判らないんだ」
手にした杯を一口あおってから肩を竦めて見せると、「何だそりゃ」との苦笑が返って来る。
「ちょいとややこしい話なんだが、ウチの機密書類を欲しがってる連中がいるって聞いてさ。尻尾を掴んでやろうと餌を用意したら、食い付いて来たのが彼女だったんだ。こっちとしちゃ、ヤクザ者が釣れると踏んで、手薬煉引いて待ってたんだがね」
「ヤクザ者が? 石屋の機密書類をか?」
「何でも、話を持ってきたのが地回りの連中なんだそうだ。止ん事無き御仁が御所望なんだそうで」
「で、出て来たのが金糸雀って事は、つまり、そう言う事か……」
奴はそう呟くと、顎の無精髭をちりちり掻きながら、得心顔でにやりと笑うが、ロナは訳が判らないのか、
「そう言う事って、どういう事よ」
と、不満そうに唇を尖らせる。
「彼女を囲ってるノランサリエ侯爵が、その止ん事無き御仁なんじゃないかって事さ。彼は枢機卿評議会に名を連ねている大物で、ヴィスロの後見人だったって噂のある人物だ」
「なるほどね。侯爵があいつと懇意だったのなら、彼女が例の偽薬を飲まされていたとしても不思議じゃないわ。でも何の為に? 彼女は巫女じゃなくて歌姫なんでしょう?」
「ここの女将が聞いた噂話によると、彼女には持病があって、薬が手放せないんだそうだ」
「持病って?」
病と聞いて薬師の血が騒ぐのか、一転、神妙な眼差しで俺の顔を覗き込む。
「心を病んでるらしい。それが時折、発作になって出るんだとさ。さっきの若造薬師から症状は聞いたろ?」
「えぇ。紫花天蠍晶に似てるけど、毒煙草の中毒ほど酷くは無いと聞いて、もしかしたらと思ったんだけど……。その話じゃ、どうやら殿上人の件とも違うようね」
「或いは、あの毒蛇が侯爵お抱えだったって可能性は無いか?」
腕組みをしたまま黙って聞いている奴を挟んで向き直ると、彼女は両手で杯を弄りながら、柳眉を顰めて「うーん」と唸る。
「宮中では宮廷薬師の目が光ってるから、偽物が堂々と正法薬師を名乗るとは思えないわ。実際、あいつのやってた薬の密売は、恋文に偽装した封書で遣り取りするなんて言う、実にこそこそとした手口だったようだし。
殿上人の御歴々も、今頃になって右往左往ですって。表向きには有能な枢機卿で通ってたらしいから。何でも、五年前の連続放火事件を解決した手腕を買われていたそうよ」
「有能ねぇ……」
思わず鼻白んだ苦笑が浮かぶ。自作自演の茶番劇で有能と持ち上げて貰えるなんて、世間知らずの神官どもなんざチョロいもんだな。
そして、宮中の恋文と聞いて思い出されるのは、未だ解明されないイスカの人脈だ。こいつはきっと、連中の常套手段に違いない。
「でも、貴族個々人のお抱えとなると、宮廷薬師と言えども、さすがに口出しは出来ないわ。調べれば判らない事も無いでしょうけれど」
「薬師長の御威光が及ぶのも、宮中までって事か」
俺の呟きに、彼女もまた、
「そうね。残念だけど」
と、悔しげな溜息をつく。が、
「だったら炙り出しゃいい」
と、ディエシーが事も無げに言ってのけると、俺たちは両側から奴の顔を覗き込んだ。
「炙り出す?」
「どうやって?」
すると奴は、立てた親指で天井を示しながらにやりと笑った。
「絶好の釣り餌があるじゃねぇか」
未だ朝靄の残る小径を、あくびをしながら辿って行くと、秋咲の薔薇が香る緑廊をくぐった先から、夫人の柔らかな笑い声が聞こえて来た。
歩を止め、所々に花の灯る広大な薔薇園を見渡すと、程近い場所でゆったりと動く鍔広の帽子を見付けた。
「あらまぁ、珍しい事」
歩み寄る俺の靴音に気付いたか、彼女はふと顔を上げると、驚きも露わに無邪気な声を上げる。
「どうも。いつも早いっすね」
休暇となると、いつもならば昼過ぎまで寝ている身だけに、少しばかり極まり悪い。
苦笑交じりに挨拶を返すと、彼女は手にした花鋏を庭師に預けながらそっと歩み寄り、いたずらっぽい笑みを浮かべながら俺を見上げた。
「リカルドから聞きました。昨夜は遅くに辻馬車でお帰りだったそうね。私にお話になりたいのは、お連れのお客人の事でしょう?」
「えぇ、お察しの通りで……」
リカルドとは家令氏の名だ。彼には、眠ったまま連れ帰ったユージェニーの為に、客間の用意から看護要員の女中の選定まで、深夜にも拘らず色々と骨を折って貰っていた。どうやら事の次第は、彼から既に齎されているようだ。
「ならば、書斎で伺いましょう。丁度お茶が入る頃だわ」
些か気の重い俺の心中を慮ってか、彼女はそう言って優しく微笑むと、摘んだばかりの花束を侍女に手渡し、優雅な足取りで邸へと向かった。
共に書斎へ入ると、既に暖炉には赤々と火が燃えていて、ティーテーブルの向こうには、女主人の入室に合わせた絶妙のタイミングで茶を淹れる、家令氏の穏やかな笑顔があった。
勧められて腰掛けた目の前にも、湯気を立てたカップが饗される。この時間に俺がここに来ることを見越して用意してたのか。万事がこの通りのソツの無さとあっては、さすがに感服せざるを得ない。
ふと見上げると、俺の表情から何を読み取ったか、彼はこっそり片目を瞑って見せてから、夫人に一礼して部屋を辞した。
「あなたがこの邸に女性を連れて帰るなんて、意外、と言ったら失礼かしら?」
どう切り出そうか言いあぐねている俺をよそに、彼女は一口啜ったカップの湯気の向こうから、そこはかとなくからかうような口調で言う。
「あぁ、いや、その、彼女は……」
さて何と説明するべきか。出来る事なら生臭い監査の仕事の話なんぞ、彼女の耳には入れたくないんだけど。
そんな事を思いつつ、渋い顔でくしゃくしゃ頭を掻いていると、彼女はにこにこと満面の笑みで俺の顔を覗き込むなり、優しく首を振って見せた。
「いいのよ。何も仰らないで。ノランサリエ侯爵閣下には、私の方からお伺いを立てておきましょう」
「え? い、いいんすか?」
さすがは年の功! こっちが何も言わずとも全てを察してくれるとは……こいつは有り難い。
思わず勢い込んで訊き返すと、そんな俺の様子が可笑しかったのか、クスと微かに笑って大きく頷いてくれた。
「彼女は美しいばかりでなく、とても優しく清らかな女性ですもの。あなたが惹かれたとしても何の不思議も無いわ」
「え?」
「実は私も、劇場で初めてお会いした時、こんな女性ならあなたに相応しいのでは、と思っていたの」
「えぇ?!」
「ベニカさんは寂しがるかもしれないけれど、他でもない、父親代わりのあなたの幸せですもの。大丈夫。いつかきっと判ってくれる時が来るわ」
「い、いや、ちょっと待って下さい。一体何の話なんすか」
何やら勝手に明後日の方向へ進んで行く話を慌てて遮ると、丸で少女のような純真そのものの赤い瞳が、きょとんと真ん丸く見開かれる。
「え? 婚儀の相談ではないの? 」
「誰のですか」
「あなたと、ユージェニーさんの」
「違いますって」
思わず苦笑交じりに否定すると、彼女は口元をはっと両手で覆い、白い頬をみるみる朱く染める。つくづくも可愛らしい御仁だ。
「あら嫌だ。私ったら、何と言う早合点を……」
「もっとも、あれほどの美女を娶れると言うのなら、満更悪い気はしませんがね。残念ながら、彼女は俺の同僚の石使い、アイヴァン卿の想い人だ。あなたも劇場の茶話会でご覧になったでしょう?」
「そうでしたわね。あなたの様な神族であればいざ知らず、男爵家の三男とあっては、逢瀬も儘ならぬ仲でしょう。
だけど、侯爵閣下も彼女を大層お気に入りと伺っているわ。御令室が金鵠宮付きの女官でいらして、御邸には殆どお帰りになれないお立場だから、きっとお寂しくていらっしゃるのでしょうね」
彼女は両手をそっと下ろしながら、如何にも残念そうな口振りで言うと、切なげな表情で大きな溜息をついた。なるほど。亭主が大物なら、その奥方もそれなりって奴だな。
「彼女とは昨夜、同僚と飲みに行った時に劇場の近くで出会いましてね。体調を崩している様子だったんで連れ帰ったまでです」
「あらまぁ、そうでしたの」
「知り合いの薬師の見立てでは、暫く静養が必要らしいんですが、それを聞いて一計を案じましてね。このまま侯爵邸に送っちまったんじゃぁ面白く無ェ。いっそこちらに静養目的って事で置いて頂ければ……」
思わせ振りに言葉を切って片目を瞑って見せると、彼女はたちまち顔を輝かせ、
「まぁ、何てお優しいのランジャ殿は!」
と声を上げた。
「そうと決まれば善は急げだわ。侯爵閣下には、早速使いを出しましょう」
彼女はそう言うや否や、扉の向こうを透かし見るように伸び上がり、弾んだ声で家令氏を呼ばわる。が、こっちとしちゃ、行き掛り上とは言え、彼女を騙す事になっちまって気の重さも倍増だ。
まぁ、ユージェニーの滞在許可と侯爵への繋ぎは付いたし、結果オーライって事にしておくか。
あとは、奴さんが俺ごと釣り上げてくれりゃ、仕込みは完了なんだが、果たしてディエシーの野郎が書いた筋書き通りに行きますかどうか……。