石使いランジャ   作:桜城静夜

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その29.聖櫃の行方について
29-1


 常日頃から終始上品で穏やか、博学にして軽妙洒脱。相手が誰であろうとも、長幼を問わず礼節を重んじる貴公子――。アイヴァンの人物評は、誰に聞いても概ねこんな感じだろう。

 更には名家出身の趣味人となれば、背伸び盛りのおマセな女子門下生の間にあっては、憧れのお兄様的存在だと言うのも頷ける話だ。

 その彼が、声を荒げて取っ組み合いの喧嘩とくれば、俺は余程の悪者って事になるだろうな。

 思わず腹の底から溜息が出る。今後の仕事の遣り辛さも思いやられて頭が痛い。

 ベニカもショックを受けたのか、本部を出てからこっち、鞍の前で馬に揺られながら、気まずい空気を纏って押し黙っている。

 どうしよう。嫌われちまったかな? 毎度短気を起こしては、彼女を泣かせてばかりだなんて、親父失格だよななどと、今更ながら反省する。

 だけど、今回ばかりはアイヴァンが先手だぞ。思い込みでの勘違いとは言え、いきなり殴り掛かる事は無いじゃないか。

 ついに一言も交わさないまま、邸に帰り着いてしまった。下馬する時も、両手を伸ばして抱き下ろす俺の首に、ぎゅっとしがみ付きながらも沈んだ顔のままだ。

 小さな背中を宥めるように軽く叩きつつ、耳元で「ごめんな」と小声で詫びると、力無く首を振り、逆に俺を宥めるように頬擦りしてくれた。

 その仕草に幾許かの安堵を得ると、そのまま下へは下ろさずに抱いたまま玄関に入った。

 出迎えてくれた女中は、彼女の姿に微笑ましげな笑顔を浮かべながらも、呆れたような口調で、

「あらまぁ、どうなさったんですか?」

 と問うけれど、「いいんだ」と微笑んで答えながら荷物を預け、そのまま二階へ上がる。

 彼女の部屋へ辿り着いて漸く下ろしてやると、今度は俺の顔をじーっと見上げて来た。短気を諌めるつもりか? それとも、乱闘の理由を問い質すのかな?

 息苦しい沈黙に耐え兼ねて、「どうした?」と問うと、彼女は暫しの逡巡の後におずおずと切り出した。

「ランジャ様、ランジャ様はお寂しくていらっしゃるの?」

「……へ?」

 予想外の質問に面食らいつつ訊き返すと、彼女は何やら泣きそうな顔になる。

「寂しい? 俺が? 何で?」

「姉様たちが仰ってたの。『ランジャ様、ベル姉様を失ってしまわれて、きっとお寂しいに違いない。だから歌姫をお召しになったのよ』って。『ベニカが慰めて差し上げないのなら、代わりに私が慰めて差し上げるのに』とも仰ってたの。

 でも、子供の私が、大人のランジャ様をお慰めするには、どうしたらいいのか判らなくて……。私が寂しい時は、いつもランジャ様が慰めて下さるのに」

 語尾が潤むと、俺を見上げる大きな瞳から、大粒の涙がぽろぽろ零れて行く。

 やれやれ。門下のマセ餓鬼どもにも困ったもんだと呆れつつ、目の高さへ跪き、濡れた頬を掌で包むと、苦笑交じりの溜息をつきながら拭ってやった。

 話によれば、本部での組分けは習熟度別なんだそうで、飛び級扱いの彼女は、年長の連中と同室で修行する事になる。となりゃ、口さがない輩の噂話を聞かされて、要らん知識を仕入れて来るのも致し方の無い事か。

「そんな心配しなくたって、俺は大丈夫だよ。お前の幸せそうな笑顔を見てるだけで、十分慰められてる」

「本当?」

 手の甲でそそくさと目元を拭い、覗き込んで来る半泣きの顔に、大きく頷いて見せる。

「ユージェニーさんをお召しになったのは、お寂しいからじゃないの?」

「召し抱えた訳じゃない。預かってるだけだよ。言ったろ? 彼女は病気で、ここにいるのはその療養の為だって。みんな誤解してるのさ。誤解して面白おかしく噂してるだけだ」

「アイヴァン様も?」

「そうだ。あいつは彼女が心配なんだろう。察してやろうぜ」

「アイヴァン様は、ユージェニーさんをアイシテるから?」

「何だおい、随分難しい言葉知ってるんだな。意味判ンのか?」

 たどたどしくも生意気な物言いに、幾分茶化すような口調で言ってやると、やけに神妙な面持ちで首肯する。

「『とっても大好き』っていう意味です。姉様たちが教えて下さいました」

「なるほどね」

 毎度ながら可愛らしい解釈だ事。これなら年長門下生から何を聞こうと、耳年増になっちまう心配は無さそうだな。

「ランジャ様は、ベル姉様をアイシテいらしたの?」

 いきなり水を向けられて思わずどきっとすると、うろたえる俺の内心を見透かすように、純真極まる緑色の瞳でじーっと見詰めて来る。

 ベニカよ、お前まで古傷に塩を擦り込むか。ってか、俺って傍から見るとそんなに落ち込んで見えるのかな? 本人としちゃ、彼女との事は切なくも甘い想い出として、既に遠い記憶の範疇になりつつあるんだけど。

「そうだな。愛してたよ」

 苦笑しながらの言葉に、彼女ははっとして何事かを言い掛けるが、少しばかりおどけた風に片眉を上げて見せると、きょとんとした怪訝顔になる。

「お前の言う通り、大好きだった。今でも大好きだよ。美人だし、頭もいいし、腕も立つ。しかも巫女さんで貴族の姫様で、今度は辺境国の御后様だ。お前だって大好きだろう?」

「はい。大好きです」

「それと同じくらいお前も大好きだよ、俺は」

「アイシテル?」

「あぁ、愛してるともさ」

 大袈裟に頷いて見せながら答えると、彼女は「ランジャ様!」と叫ぶなり、跪いたままの俺に抱き付いて来た。

「私もアイシテます。とってもとってもアイシテます。だけど、時々心配になるの。本当はランジャ様、私みたいな子供じゃなくて、ベル姉様や、ユージェニーさんみたいな、大人の美人の方がお好きなんじゃないかって」

「何言ってんだか。そりゃ俺だって男だもんよ、美人は大好きだ。だけど、あの真珠の指輪に誓ったろ? 大人になったらお前をカミさんにするって。俺が信じられないか? 泰然自若はどうした? ん?」

 笑いながら抱き締めた耳元に訊いてやると、「そうだ、タイゼンジジャク!」と、頬を摺り寄せたままのくぐもった声が慌てて呟く。

「御納得頂けましたかな? 許嫁殿」

 茶化し気味の口調で言いながらそっと腕を解き、小さな肩にぽんと両手を置くと、晴れ晴れとした表情で「はい」と頷いた。

 笑わば笑え。世の中、馬鹿馬鹿しいとは思いつつも、理解を得る為に必要な儀式ってのは山とあるのだ。

「ところで、俺を慰めたいと言ってた門下生って、美人?」

 元気になったところで、にやっと笑いつつ問う俺に、彼女はたちまち呆気に取られた顔になると、

「もう、ランジャ様ったら!」

 と、苦笑しながら小さな拳でぽこぽこ殴り掛かって来た。よしよし、その意気だ。

 

 

 

 さて、問題はアイヴァンの事だ。彼とは何とか和解して、協力を仰ぎたいところだけど、一体どうしたものかと思い悩んでいたが、何の事は無い。あの野郎、翌日にはあっさり遣いを寄越して来て、夫人の歓迎の意を受けるや、三日後には邸へ馬車を乗り付けて来やがった。

 玄関ホールに立ったところを、出迎えた俺に放った台詞が振るってやがる。

「我が名誉の為、真実を確かめんと罷り越した。ユージェニー嬢に御目通りを願いたい」

 まったく、この野郎と来たら……。後ろの侍従が抱えてる、明らかに見舞いの品と判る大きな花束や、可愛らしい菓子箱や、葡萄酒の詰まった籠は一体何だ? 説得力が無いにも程があるぞ。

 思わず苦笑を浮かべつつ放った俺の軽い拳を、奴もまた照れ臭そうな苦笑いで受け止める。

 ベニカは突然の来訪に面食らった様子で、俺たちの顔を交互に見上げていたが、雰囲気で何かを悟ったか、両手で口元を覆うと、肩を竦めながら嬉しそうにうふと小さく笑った。

 柔らかな人声に階段を振り返れば、ユージェニーが夫人に伴われて姿を現したところだった。

 彼女は客人を想い人と認めるや否や、半信半疑と言った表情をたちまち輝かせ、小走りに階段を駆け下りて彼の眼前に膝を折ると、美しい所作で拝礼した。

「アイヴァン様、療養の身にありながら御目通りが叶うとは、望外の喜びに存じます」

「気鬱の病と聞いて案じておったが、その美貌に些かの陰りも無い事に安堵している。劇場にも侯爵閣下より報せがあったとの事。暫くは代役を立てての興業になるそうだが、贔屓筋の御歴々を感嘆せしめるには至らぬであろう。そなたには一日も早く回復し、神界の美声を以って我らを魅了して貰いたい」

 何を格好付けてるんだか、もどかしいったらありゃしねェ。しゃちこばった挨拶なんぞすっ飛ばして、手を取り合うなり抱き締め合うなり素直に振る舞えばいいものを……。

 それでも、聞いてるこっちが気恥ずかしくなるような二人の会話は、ベニカと並んでにこにこと微笑ましげに見守っていた夫人が、頃合いを見て応接室へと促すまで、慎ましやかな距離を置いたまま延々と続きそうな雰囲気だった。

「今、薔薇園では秋咲の花が盛りなの。是非ご覧になって」

 どうやら夫人は二人きりの時間を作ってやりたいようだ。彼女の顔を見たらすぐ帰るつもりでいた奴に晩餐を勧め、更には、部屋も用意したからと一泊する事を承服させると、茶を飲むのもそこそこに庭園の散策を提案する。

 何やら我が事のように声を弾ませる夫人に、二人は幾分戸惑った様子だったが、照れ臭そうな微苦笑を見交わすと、共に礼を言って応接室を辞した。

 盛秋の柔らかな日差しが溢れる庭園の小径を、二人は時折微笑を見交わしながら辿って行く。

 やがて遠慮がちに手を繋ぎ、腕を組み、人目を憚るようにそっと寄り添う姿が、色付く木立の葉陰に隠れると、夫人は窓越しに見遣りながら、遣る瀬無い面持ちで深く溜息をついた。

「心から睦み合う者同士が、想いを遂げられない事ほど辛いものは無いわ。たとえそれが、避け得ぬ運命であったとしても……」

 庭園に消えた二人の姿を、ベニカは窓硝子に張り付いたまま、うっとりとした眼差しで追っていたが、彼女がふと零した呟きに何を思ったか、振り向くと神妙な面持ちで見上げた。

 ひょっとして、夫人があいつらに入れ揚げてるのは、単なる野次馬根性や同情心からじゃなくて、自分の過去に投影するものがあるからなのかな。

 そう言えば以前、カレル大親方が、夫人と先代のナクルタツリ王、リシルロカン陛下との関係を匂わせるような事を言ってたっけ。

 だが、彼女は后には選ばれず、王も既に身罷られて久しいと聞く。どこまで深い仲だったかは、外野の俺には知る由も無いが、女ってのは年を重ねても尚、己を袖にした男を想い続けていられるものなんだろうか。

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