晩餐には、彼が見舞いにと持参した葡萄酒も饗された。
俺も御相伴に与ったのだが、これがまた味香り共にこの上なく芳醇で、文句の付けどころの無い逸品だった。
聞けば、サリミロに領地を持つ貴族は、規模の大小こそあれ、皆果樹園と果実酒の醸造所を抱えていて、どちらさんもその品質向上に鎬を削っているんだそうだ。
自慢の品が首尾よく殿上人の御目に留まって、御用達の証たる四緒双鍵章を戴く栄誉に与れれば、最高級品として高値で取引されることになり、領主様の喉ばかりか懐までも潤うって寸法だ。
中でも一番の上物とされているのは、ノランサリエ侯爵領で造られる梨酒なんだそうで、城下の酒場でもお馴染みの、棚の一番上に鎮座ましましてるあれでさえ二級の扱いらしい。
アイヴァンの御父君である、リスディ男爵家有するテネレ河畔の領地でも、御多分に漏れず葡萄栽培が盛んに行われているそうで、栽培法や醸造法の試行錯誤を重ねた結果、近年漸く国章のラベルを許されたとか。
快挙の裏には、彼の博学が大いに貢献したとかで、男爵閣下には、道楽息子の汚名返上と共に、更なる研究への期待として領地の別邸を賜ったと、彼一流の諧謔を交えて面白おかしく語って聞かせてくれた。
「先頃、収穫を終えたと代官からの報告もありまして、間も無く新酒の仕込が始まるそうです。
今時分はどの村も収穫祭で賑わっている事でしょうけれど、今年は気候が良かった為か、豊作であったと同時に、農地を狙う鹿の害も多く、森番や狩猟官でも手に負えぬ有様で、先月辺りは、一族を上げての狩に追われておりました」
「あんたも狩を?」
「えぇ、弓はあまり得意では無いのですが、止む無く」
「何だ。俺も誘ってくれればよかったのに」
冗談めかして言う俺に、彼は「えっ」と声を上げ、ユージェニーと驚いた様子で顔を見合わせる。
「ロアルデでは狩人であったと言う噂は、まことであったのですか」
「まぁね」
「いや、てっきり冗談であろうと……。貴卿は、カレル大親方の師兄筋の御落胤と聞き及んでおりました上に、神族でありながら、何というか、その……独特の雰囲気をお持ちなので」
「見た目はこんななのに、中身はがっかりするほど野卑ってか?」
言い辛そうに口籠っているところへ、にやっと笑いながら混ぜっ返してやると、
「い、いや、あの、そう言うつもりでは」
なんぞと訳の判らない言い訳をする。
「まぁいいって。慣れたもんさ。だけど、見た目を裏切るってんなら、お上品な貴公子ながら、あんたの拳も中々のもんだったぜ」
「如何にも。我が家の家訓として、一族の男子は全て神聖騎士団へ出仕すべしとあります故、剣術と体術は、幼少から兄上の予備として同様に課されております」
些か自嘲気味な彼の物言いに、
「御見逸れ致しました」
と慇懃に頭を下げて見せると、大広間は和やかな笑いに包まれた。
「本職の狩人とあらば、貴卿の弓の評判も尤もな事。来季の狩には、是非とも御指南頂きたい」
「旨いジビエと、国章付きの一杯に有り付けるのなら、喜んで」
杯を掲げつつ片目を瞑って見せると、彼もまた「勿論ですとも」と笑顔で頷く。
「実は、鹿の他にも農地を狙う者がありまして、三年程前には国章拝受の報に触れてか、葡萄の苗木を盗む者までありました」
呆れた様子で肩を竦めて見せる彼の顔を、「とっ捕まえたか?」と興味津々に覗き込むと、何やら意味深な笑みを浮かべつつ首を振った。
「何、苗木自体はありふれた白葡萄です。盗まれた農夫は怒り心頭と言った様子で、代官へ訴え出たようですが、彼には捨て置けと命じました」
「何でまた……」
「今年の収穫期に、犯人自ら名乗り出て来ましたので」
「はぁ?」
飄々と言いのけた答えに、俺たちが思わず顔を見合わせると、彼は何を思い出したのかくすくすと肩を震わせて笑い出す。
「盗人曰く、件の苗を自分の畑に植えたところ、我が領地で採れるものとは、似ても似つかぬ凡庸な果実しか実らなかったとかで、『これは魔道の術に違い無い、貴様らを騎士団へ告発してやるぞ』と、勇み押し掛けて来たのです。
いやはや、これには代官や農夫たち共々大笑い致しました。彼我の違いは、苗でなく土と栽培法であったというのに……」
「あらまぁ、何とも気の長い盗人だ事」
思わず声を上げる夫人の言葉と共に、何やら揉み手で収穫の日を待つ男の、下卑た小者面すら思い浮かんで来て、俺たちも一頻り笑わせて貰った。
件の盗人は告発どころか、逆に敢え無く御用となったそうで、事の顛末は農夫たちの間にも笑い話として広まったらしい。彼とは互いに杯を掲げ合って、その快挙を改めて讃えた。
「園芸にお詳しくていらっしゃるのなら、アイヴァン殿、薔薇は如何かしら?」
期待を込めた問い掛けに、「及ばずながら」との謙虚な回答を得ると、夫人は同好の士を得たとばかりに顔を輝かせる。
「音に聞く閣下の御園を拝見出来るとは、光栄の至りに御座います。どれも美しく珍しい花ばかりで、馨しい香りと共に神界の至福を想うひと時でありました」
「想い人と共にあれば尚の事、ね」
いたずらっぽい一言に、頬を染めた二人が照れ臭そうな苦笑を見交わすと、夫人もまた優しい笑顔を浮かべながら、満足そうに頷く。
「近々開かれる愛好会の花比べに、新しく造った花を出品したいと思っておりますの。美しく咲かせる為にもあなたの御意見を伺いたいわ。またいらして下さると嬉しいのだけれど……」
「え? 宜しいのですか?」
「えぇ、是非に」
「閣下のお望みとあらば、喜んで」
彼は逸る口調で答えると、想い人と晴れやかな表情を見交わした。邸へ出入りする名目が出来れば、彼女との逢瀬も心置きなく愉しめるって事だ。この二人には、ちょいとばかし当てられてる気もしないでも無いけれど。
翌日のアイヴァンの帰宅に際しては、来た時同様、玄関ホールでたっぷり長々と別れを惜しむと、馬車が出た後は、互いの姿が見えなくなるまで見送っていた。
奴は神殿の当番が週末に入っているとかで、来週の中頃にまた来る約束なんだそうだ。
その頃には、ドミニクの奴もアリサを連れて遊びに来たいと言っていたし、当日は何やら賑やかになりそうだ。
ユージェニーはと言えば、いつしか夫人に誘われるまま、薔薇園に通うようになった。
朝起きて、朝食に有り付こうとあくびをしながら階下へ降りると、戻って来た彼女たちと出くわして、挨拶を交わす事が何度かあったが、日増しに表情が明るくなるのが見て取れた。
何でも、近頃は花を摘みながら、小声で歌を口ずさむまでになったとかで、夫人も、
「金糸雀の囀りを独り占めしているの」
などとおどけながらも、我が事のように喜んでいる様子だった。恐らく、想い人と話題を共有したいと思っての事なんだろう。
いじらしいと言うか何と言うか、あれ程の美女にここまで想われりゃ、男冥利に尽きるってもんで、近付く野郎に牙を剥きたくなる奴の気持ちも判らんでもないな。
確か俺は休暇中だった筈なのに、毎日何だかんだと忙しい。
せめて週末ぐらいは、自分らしく自堕落に過ごしたいと思いつつ、昼過ぎまで自室のベッドでだらだら惰眠を貪っていると、開け放っていたバルコニーから、秋晴れの暖かな微風と共に舞い込む、女の華やいだ笑い声に目を覚まされた。
一体何事かと寝惚け眼を擦りながら起き上がり、ガウンを着ながら外へ出ると、声の主はベニカとユージェニーだった。
二人とも、頭や肩や両腕に所狭しと小鳥を止まらせ、その可愛らしい仕草や歌声にはしゃいでいる。どうやら、ベニカが小さな手に載せた餌を目当てに集まった連中のようだ。
彼女が舌を小さく鳴らして呼ぶ度に、小鳥たちの数が増えていくので、既に隣室のバルコニーは千客万来の有様だ。そう言えば、タラサノの森にいた頃も、彼女の周囲にはいつでも森の住人の姿があったっけ。
うっかり声を掛けると逃がしてしまいそうなので、暫くそっと見守ることにする。無邪気なユージェニーの笑顔を見る限り、彼女の心を溶かすには、俺が下手な小細工をするよりも、夫人の暖かな人柄や、無心に懐へ飛び込んで行くベニカの無垢な純真さの方が、何倍も効果的だったようだ。
ベニカの頭の上の駒鳥は、彼女が俺の気配に振り返っても逃げなかったが、「ランジャ様!」と一声叫ぶや否や、他の鳥たちをも引き連れて一斉に飛び立って行った。
二人は暫し驚いた顔で小鳥たちを見送っていたが、顔を見合わせると愉しそうに笑った。
「お休みだったのでしょう? 起こしてしまって御免なさい」
「いやいや、ベニカ殿の見事な鳥寄せの術、昼寝如きで見逃しちゃ勿体無い」
そう言って片目を瞑って見せると、手摺越しに見上げる顔が途端に輝く。ユージェニーはその向こうで丁寧に拝礼すると、未だ幾分か硬い表情ながらも、はにかむような微笑を見せてくれた。
「どうだ? 調子は」
「はい、お陰様で。お世話になっていながら、こんな事を申し上げるのは憚られますが、毎日がとても楽しく……。病の事など忘れてしまいそうなほど、安らいだ心地に御座います」
「そうか。そいつは良かった」
ベニカは俺たちの遣り取りを、暫しにこにこと嬉しそうに見ていたが、周囲に散らかった色とりどりの羽毛に気付くと、
「大変、お掃除をお願いしなくちゃ」
と言うなり元気に駆け出て行った。
その小動物のようにくるくると忙しない姿を、ユージェニーは少しばかり呆気に取られた様子で見送ると、俺に向き直ってクスと小さく笑った。
「可愛らしいお嬢様でいらっしゃいますわ。私を病と知って慰めようとして下さる。劇場で初めてお会いした折にも、とても純真でお優しい方とお見受け致しましたが、あの笑顔には、丸で魔法のように心が癒される思いが致します」
「あぁ、俺もだよ。石屋の仕事ってのは何かと荒事が多くてね。長々と家を空けて、やっとの思いで帰る頃には、ボロ雑巾になってる事もしばしばなんだが、彼女の御蔭で何とか生き長らえてるよ。……あぁ、その……この前は、手荒な真似して済まなかったな」
何やら言い難くて、くしゃくしゃ頭を掻きながらもごもご詫びると、彼女もまた、恥じらうように頬を染めて俯き、小さく首を振る。
「そのような事……。助けて頂いたにも拘らず働いた御無礼の数々、私の方こそ御許しを請わねばなりません」
「いや、いいって。気にすんな。ところで、例の書類について二、三訊きたい事があるんだけど、いいか?」
出来る限り優しい口調で言ったつもりなんだけど、彼女はさっと表情を硬くすると、可憐な薄紅の唇を微かに噛んだ。尋問はまだ無理か。中々難しいもんだな。
「まぁ、無理にとは言わんよ。ただ、こっちの内情にも係わるんでね。いずれは話して貰わないと困る。それだけは判ってくれ」
溜息交じりに言う俺に、彼女は、
「申し訳ありません」
と沈んだ声で頭を下げる。
「もっとも、俺もこれから来客の予定なんだ。週末だってのに、上司が仕事を手土産にやって来るんだそうで……」
そう言って肩を竦めると、森の中の石畳を駆ける馬車の音が近付いて来て、木陰から立派な四頭立てが姿を現した。
そいつが車寄せに停まるのを手摺越しに見下ろすと、カレル大親方は、大輪の白百合ばかりの大きな花束を抱えた従者と共に降りて来て、こちらに気付くと笑顔で片手を挙げて見せてから玄関へ入って行った。
「御出でなすったようだ」
思わず顔を見合わせた彼女に片眉を上げて見せ、あくびをしながらバルコニーを離れる時、
「行ってらっしゃいまし」
と、遠慮がちな可愛らしい声を背中で聞いた。