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新王の戴冠の儀は、それから一ヶ月後の事だった。
譲位が公式に発表された時には、さすがに国中が大騒ぎになったようだが、正統な世継である王太子が成人を迎えているということもあり、異を唱えるものは無かった。
人々は、眉目秀麗な若き王に、かつての王家の復活を期待し、また、王権に固執せず、譲位と共に臣に下ったディエシーの忠義を口々に称えた。
戴冠式は、辺境各国から招かれた王侯貴族の見守る中、神都から迎えた司祭によって盛大に執り行われ、神殿を出発したパレードは、美々しく飾られた騎士団に先導されて、祝福する群衆の中を城へ向かう。
途中、ダラハン将軍と共に騎士団を率いたディエシーは、沿道の群衆の中にベニカを肩車した俺を見付けると、馬上から親指を立てながら片目を瞑って見せた。
やれやれ。玉座から開放されて自由になったあいつに、これから一体どれだけ振り回される事になるやら。などと暢気なことを考えていたら、呆れたことに奴はその日の夜にやって来た。
パレードを見物した後、俺とベニカで久し振りにタラサノ村に帰ってきてすぐの事だ。夜分に珍しい蹄の音に、彼女は不審に思ったのか、窓を開けて外を窺っていたが、慌てて入り口に駆け寄って扉を開けると、訪れた来客に深々と頭を下げた。
「国王陛下におかれましては態々のお運び……」
「おいおい、俺はもう王様じゃねぇぜ。国王陛下は勘弁してくれ」
そう言って笑う奴に、彼女ははっと顔を上げると「申し訳ありません」と恐縮するが、奴は別段気にする風もなく彼女の頭をくしゃっと撫で、出て来た俺には「よっ」と軽く手を挙げて見せた。
「随分急なご来訪だな将軍閣下。手枷足枷が取れて更に身軽になったご様子で……」
「おーよ。ちょいと出掛けるのにもコソコソ忍ばなくてもいいってのは、実に快適だな」
どうやらこいつは皮肉ってものが効かない体質らしい。
印象が変わってるのは軽装のせいだと思っていたら、蓄えてた髭をすっかり剃り落としてることに気付いた。五歳は若く見える。
背中に負った物々しい両手剣は随分と大振りだが、剣把の馴染み具合を見たところでは、どうやら虚仮威しの飾りではないようだ。
「今度は何だ?」
「おぅ、そちらのレディに御同伴の申し込みに来た」
「はぁ?」
奴の言葉を聴いて、俺と同じようにきょとんとした彼女と、思わず顔を見合わせる。
「あの……どちらへおいでになるのでしょう?」
戸惑いながらおずおずと尋ねる彼女に、奴はいたずらっぽくにやりと笑うと、腕組みをして言った。
「そうだなぁ……俺の名をちゃんと呼べたら教えてやるよ」
子供相手に何を考えているのやら。奴は呆れている俺をよそに、考え込んでる彼女を面白そうに見下ろしている。
「え……と、スランフール侯爵様……ですよね?」
「いーや。それじゃ長過ぎる」
にやにや笑いながら否定する奴を、彼女は困ったような顔で見上げる。
「ディエシー将軍閣下……?」
「まだ長ぇ」
更に否定され、彼女は半分泣きそうな顔で、助けを求めるように俺を振り向くが、俺も訳が判らないので肩を竦めるしかない。
「ディエシーでいい。これから一緒に神都へ行く相棒だってのに、陛下だの閣下だのなんてのは無しだ」
「え! 本当ですか?」
痺れを切らしたのか、自分で正解を言う奴の言葉に、泣きそうだった彼女の顔が途端に輝く。
「ちょっと待てよ! ベニカを連れて行くなんて本気なのか?」
「おーよ。そもそも連れてくって約束したのはお前だろ? 上長のサインが無きゃ動けねぇ立場じゃあるまいし、いつまで燻ってるつもりだ?」
そりゃそうだけど……。あの時とは状況が違う。宮廷から要注意人物と目されてる将軍と、得体の知れない自称『雷神の御子』と連れ立っての道行きなんて、着火済みの爆弾背負って歩くようなもんじゃないか。
「言ったろ? 神都に行く時ゃ腕利きの護衛をつけてやるって。俺とお前がいりゃ神都行きなんざ散歩みたいなもんだ。それとも何か? 元英雄王の護衛じゃ不満か?」
「あんたは兎も角、俺は何も……」
「『雷神の御子』と噂される野郎が、何の寝言をブッこいてやがりますやら。おまけにミルジオ訓練教官殿が絶賛する弓の名手だってぇじゃねぇか」
「だからって……!」
「今なら戴冠式のごたごたで人の出入りが多いから、国境を越えるなら今日明日あたりが好機ョ。すぐ支度して追って来い。俺はコランの宿場で待ってるから」
「今からかよ!」
「おーよ。ちゃっちゃと済ませて帰ってこようぜ。じゃ!」
奴はそれだけを一気にまくし立てると、唖然としてる俺をよそにとっとと出て行ってしまった。相変わらずマイペースで強引な野郎だ。
いっその事すっぽかしてやろうかとも思ったが、奴の言葉を真に受けていそいそと支度を始めた彼女の気持ちを察すれば、そういう訳にも行かない様で。
思えば瀕死の俺を救ってくれたのは彼女だった。ならばこの小さな恩人の夢のために、一肌脱ぐことに致しますか。
取り敢えず、遠乗りに行く程度の簡単な身支度を済ませると、護身用にと使い慣れた大型のナイフを帯び、クロークを羽織った上から弓と矢筒を背負う。
村を出るときには、世話になったみんなに挨拶してからと思っていたけど、仕方ない。
馬に鞍を置いて彼女を前に乗せると、満天の星空の下、寝静まった村を密かに出た。
「不安じゃないか?」
「いいえ。ランジャ様と一緒なら平気です」
「そうか。それなら良かった。で、ディエシーみたいに俺の『様』は取れないのか?」
「駄目です。ランジャ様は『雷神の御子』ですから」
「聞いてたのか……」
「はい。支部のみんなも噂してました。でも、私は初めてお逢いした時から、ずーっと御子様だと思ってます」
「怖いか?」
「いいえ。ランジャ様は私を助けて下さったし、ランジャ様は国を滅ぼすような怖い方じゃないって、みんなも知ってます。でも、知らない人は怖がるかもしれないから、ランジャ様が『雷神の御子』なのは内緒なの」
「俺も滅ぼした覚えは無いしな」
言いながら肩を竦めて見せると、彼女は楽しそうに笑う。何だか慌しい出発になっちまったけど、ベニカが笑顔なら良しとするか。
「奴の言ってた宿場ってのは、ここからどれ位なんだ?」
「街道へ出て南西へ半日くらいです」
彼女は俺の問いに振り向くと、とんでもない答えをさらっと告げる。
「半日……って。あの野郎!」
暢気にしてたら夜が明けちまう。俺は舌打ちして拍車を当てると、月が照らす街道を南西へ向かった。
彼女は最初のうちこそ興奮状態で楽しそうにしゃべり続けていたが、暫くするとさすがに眠くなったのか、何度もずり落ちそうになった。
途中、大きな村ごとに駅馬車の停車場があって、旅籠が併設されているため休憩場所には事欠かなかったが、彼女を抱えて馬を飛ばすのは骨が折れた。
それでもどうにか暗い内には辿り着けたけど、夜半はとうに過ぎていて、俺も馬もくたくただった。
宿場街は小さいながらも賑わっていて、夜中であるにも拘らず人通りがあり、宿屋の窓には煌々と灯りが点っている。中に入ると一階は酒場になっていて、結構な客入りだった。
何でもここは国境を越える手前の最後の宿場らしい。ディエシーは、熟睡するベニカを汗だくで抱えて入って来た俺を上機嫌で出迎えると、酒臭い息で労をねぎらい、俺から彼女を受け取ると、二階に取った部屋に寝かせて来た。
「あー死ぬかと思った。あんなに走ったの初めてだ」
奴のいた席へどさりと腰掛けると、奴が注いだ一杯を飲み干してから、頽れる様にテーブルへ突っ伏した。
「呆れた野郎だなぁ。たったこれっぽっちで音を上げる何ざ、どんだけヌルい生活して来たんだよ」
くたばってる俺をよそに、奴は手にした瓶をラッパ飲みであおりながら面白そうに言う。
「生来の事務屋に向かって何言ってんだよ。うるせえよ」
「寝言言ってんのはお前さんだ。事務屋もクソもあるか。ここはアルコロジーじゃねぇ」
そんな事は言われなくたって判ってる。でも、何をやっても余裕綽々なこいつを見てると、時々癪に障って、何か一言でもいいから突っかかってやりたくなる。
「国境を越えれば少しは休めるさ。ほれ、これ飲んだら寝ろ」
ゆるゆる起き上がると、奴が差し出す二杯目の杯を渋々受け取る。
「何だってこんなに急ぐんだ?」
「そこには居ない筈の人間になるためさ」
奴はそう言って席を立つと、デカいあくびをしながら二階へ上がって行った。