翌週、ドミニクは漆黒のクローク姿で現れた。
思わず呆気に取られた顔で言葉を失ったまま、玄関ホールの真ん中で突っ立っている俺とアイヴァンに、奴は「如何です?」なんぞと得意顔で言いながら、御丁寧にも翼刃章を思わせる金のブローチで留めたそいつの裾を、その場でひらりと翻して見せる。
「何だそりゃ。仮装大会か?」
「まぁ、そんなところです。城下へ忍んで行く為に作らせました。如何です? 立派な石使いに見えますでしょう」
何やら独り御満悦といった主の様子に、背後に控えたアリサも苦笑気味な困惑顔だ。
「僭越ながら神官殿、ホルザレン会は、石使いの身分を騙る者に、取り分け厳しい事を御存じですか?」
諭す様な口調で言うアイヴァンにも、「勿論」なんぞと笑顔で頷いて見せる。
「大丈夫です。仕立て屋と良く相談をしましたから。あなた方の物には、襟に翼刃章の縫い取りの着いたフードがありますが、ほら、私の物にはありません。ブローチの意匠も、家伝の紋章です」
何やら自信満々に説明する奴の姿に、アイヴァンも根負けした様子で、
「まぁ、それなら良しと致しましょうか」
と渋々言いながら肩を竦めると、俺と苦笑を見交わした。
「何なら、あんたも入門するかい? そうすれば堂々と本物を着て歩けるぜ?」
半ばからかう口調で言ってやると、今度はとんでもないと言った仕草で慌てて両手を振る。
「私の父上は、聖騎士の夢でさえお許し下さらない方ですよ。その上、石使いになりたいなどと言い出そうものなら、いよいよ邸から出して貰えなくなります」
だが次の瞬間、はっと顔を上げると、何の悪巧みを思い付いたのか、
「あぁ、名案が浮かびました」
なんぞといたずらっぽい笑みをにやりと浮かべた。
「父上に、ホルザレン会への入門を申し出るのです。勿論、お叱りになるでしょう。そこで、ならば聖騎士なら如何かと問えば、石使いになるくらいなら、と、お許し下さるかもしれない」
「はぁ?」
思わず声を上げた俺たち同様、アリサも「若様……」と呆れ顔だ。なのに奴は丸でお構い無しに、「そうだ、そうしよう」と、すっかり上機嫌で繰り返し呟いていた。どうやら夢の実現の為なら手段は問わないつもりらしい。
「あら、ドミニク殿、いつ石使いになられたの?」
優しく柔らかな声を振り返ると、夫人が女性陣を従えて階段を降りて来たところだった。
「こんにちはアレーネ様。いいえ、私は偽物に御座います」
しれっと言いのけた一言に、ベニカとユージェニーも唖然とした顔だ。
夫人もまた、
「まぁ、偽物だなんて、ここにいる本物さんたちに叱られましてよ」
と、苦笑交じりに窘めるけど、奴が、
「たった今、お叱りを受けたばかりです」
なんぞとおどけた仕草で大袈裟に拝礼して見せると、互いに顔を見合わせて楽しそうな笑い声を上げた。
やがて、アイヴァンとユージェニーが、夫人と共に談笑しながら薔薇園へ向かうと、残された俺たち四人は、ドミニクの提案で城下へ繰り出す事と相成った。
早速馬車に乗り合わせて森を出る。城下へ降りて邸宅街を過ぎ、繁華街の入り口に差し掛かったところで下車すると、商店街をあちこち冷かしながら広場へ向かう。
そこではすっかり馴染みになった屋台の店主たちと軽口を交わし、大道芸人や楽師たちに祝儀や拍手を送った。
俺と一緒にいると、顔見知りの連中が気さくに声を掛けてくれる。ドミニクはそれが嬉しいようで、店先に並んだ日用品や雑貨を物珍しげに手にとっては、好奇心の赴くままにあれこれと質問攻めにしていた。
そんな中、ふと視線を感じて振り返ると、噴水の縁に腰掛けた若造が、何やら面白くなさそうな顔でこちらを見ている事に気付いた。
彼には見覚えがある。確か、アリサがドミニクの馬車に撥ねられた時、施療院へ運んだ上に看病までしてくれた荷役夫だ。確かあの時、彼は彼女の事を憎からず思っているような様子だったっけ。
「よう」
片手を挙げながら歩み寄り、隣に腰掛けると、彼は「あ、どうも」と何やら極まり悪そうに会釈する。
「どうしたよ、声を掛けてやりゃいいじゃねぇか」
少しばかりからかうような口調で言ってやっても、「いえ……」と仏頂面のまま軽く首を振るだけだ。
「あの子は、もうエスネの森の住人なんだ。俺の手の届く相手じゃなくなっちまったんですよ」
「そんな事ァねぇよ。別に養女に貰われていった訳じゃねぇんだし」
「同じこってすよ。御令嬢の行儀見習いならいざ知らず、あの森へ召し出された平民で、帰って来た奴なんざいやしない。旦那も神使様ならご存知でしょう?」
「あぁ、神章を持って生まれた赤ん坊の事か? それなら、今頃神官様か巫女様にでもなって、何不自由無く暮らしてるだろ」
「大枚と引き換えに産みの親から引き離されて、貴族の養子として出世の道具にされるんだ。森に入れない俺たちにゃ、本当に幸せかどうかなんて判りゃしません。
アリサだってきっとそうだ。街の連中の間じゃ、側女に貰われてったんだって専らの噂ですよ」
「そりゃ誤解だって。ドミニクはカミさん一途で、側女なんざ考えた事も無いとさ。ああ見えて不器用なほど真面目な奴だぜ」
「でも旦那、あの顔をご覧なせぇよ」
彼が溜息交じりに顎をしゃくった先を振り向くと、帽子屋の店先ではしゃぐ三人の姿があった。
大きな山高帽をすっぽり被って、前の見えなくなったベニカの様子に、無邪気な笑い声を上げるドミニクの横顔を、アリサは共に笑いながらも、何やら切なげな眼差しで見詰めている。
「あんな顔する子じゃなかったんだ。誰にでも親切で明るくて可愛くて、だけど、あんな色気のある目で人を見る事なんて無かった。
見違えるほど綺麗にはなったけど、あれは俺の知ってるアリサじゃない。きっと、もう、野郎に、あの神使様に……抱かれちまったに違いない」
膝に置いた手を拳に握り締めながら、彼は俯いて絞り出すような声で言う。が、
「おい、俺の弟分を見縊って貰っちゃ困るぜ」
と苦笑すると、少しばかり驚いたような顔で俺を振り向いた。
「奴は来年、許嫁と祝言を挙げる事になってるんだそうだ。その頃には、神官の仕事も板に付いてるだろうし、もしかしたら、すぐに跡取りが出来るかもしれん。そうなりゃカミさんの手前、侍女と遊び歩いてる暇なんぞ無くなるだろうよ。
彼女も晴れて御役御免となれば、同時に辛い片思いもお終いさ。そこであんたの出番だ。傷心に付け入らない手は無ぇだろ?」
言いながら片目を瞑って見せると、只でさえ真っ赤に日焼けした彼の顔が、更に耳まで赤くなる。
「え、ぇえ? つつつ付け入るだなんて、そんな俺……」
「なァんだ。デカいナリして意気地の無い野郎だな。まだ時間はある。彼女が城下へ帰って来るまでに、求婚する度胸ぐらい付けて置けよ」
ドミニクたちが俺を呼んでる。軽く片手を挙げて答え、彼には「じゃぁな」と言いながら、背中をぽんと叩いて立ち上がった。
茶房へ行きましょうと弾んだ声で言いながら駆け寄って来たベニカに、手を引かれながら振り返ると、彼は独り何やら決意を秘めた表情で拳を固め、仲間の呼ぶ声に明るく答えて立ち上がると、そのまま雑踏に紛れて行った。
急かされつつ向かった先は、先月催された精霊祭の帰りに、ベニカにせがまれて立ち寄った茶房だった。
どうやらドミニクたちはあれ以来、城下へ繰り出す度に訪れているようで、出迎えた給仕の応対ぶりもさることながら、居合わせた女子門下生どもから黄色い声を掛けられるあたり、すっかり常連といった風情だ。
「ランジャ様、ドミニク様、ごきげんよう」
「まぁ、ドミニク様が金ブローチのクロークをお召しよ」
丁度店を出るところだったのか、そそくさと席を立った彼女たちにたちまち包囲された。どうやらクローク姿の奴を同門と見て、俄かに親しみを覚えたようだ。
初めて来た時も、遠巻きながらこちらを気にしていたようだし、もしかしたら、殿上人と御近付きの好機を狙っていたのかもしれんな。小娘ながら、中々に抜け目の無い奴らだ。
「修行に御出でになってたなんて、存じ上げませんでしたわ」
「ランジャ様、御存知でしたのなら、教えて下さればよろしゅう御座いましたのに……」
「お見掛けした事は無かったけど、本部にお越しだったのかしら?」
「承認試験はいつお受けになられましたの?」
お前ら、質問したいなら一人一問ずつ順番にしろよ。一斉に喋られたんじゃ、何が何やら判らんじゃないか。
奴も彼女たちの勢いに気圧されて、些かたじろいでる様子だったが、にやっといたずらっぽく笑いながら放った、
「いや、私は偽物だ」
の一言に、「あらまぁ」だの「偽物に御座いますの?」だのと、目を丸くして声を上げる彼女たちの反応には、してやったりと満足そうな笑顔を浮かべていた。
何だ。この一着は、取り巻きをからかう為に作らせたものだったのか。やれやれと思いつつ、背後のアリサとこっそり苦笑を見交わす。
「もう、ドミニク様ったら、悪戯が過ぎましてよ」
「親方に知れたら大変ですわ。見付からないようになさいましね」
「大丈夫よ。その時は、私たちが庇って差し上げますわ」
「それは名案」
「私たち、ドミニク様の親衛隊ね」
何やら勇んで拳を握り締めるお嬢の仕草に、奴が「それは頼もしい」と笑うと、彼女たちもまた笑いさざめきつつ、口々に挨拶を交わしながら賑やかに出て行った。
通りから窓越しにこちらへ手を振る彼女たちに、上機嫌で応える奴を促すと、給仕の案内で奥の席に着く。
ベニカは菓子に使われていた果実酒のせいで、前回の記憶が途切れている事が心残りとかで、捲土重来を期するつもりだったようだ。
何とか言い聞かせて林檎のタルトで我慢させたが、目当てに有り付けなかった事よりも、子供扱いされた事の方が不満な様子。
尤も、アリサから、サヴァランの天辺に飾られてた木苺を譲ってもらうと、たちまち治る程度の御機嫌ではあったけど。
「そう言えば、あれから仕事の方はどうだ?」
満面の笑みで菓子を頬張る彼女を、にこにこと微笑ましげに見守る奴に軽い調子で尋ねると、何やら嬉しそうな口調で、
「はい、何とか上手くやっています」
との答えが返って来た。
「どうやら師兄方は、噂話がお好きなだけだったようです。よく耳を傾けてみれば、他にも、巫女や女官はどなたが美しいとか、神聖騎士団の何某卿は無礼だとか、そんな話ばかりして御出でで、別段、こちらが気に病むほどの事では無かったようです。
私にとっては興味の無い話題ばかりでしたが、貴卿の教えの通り、同好の士を装って適当な相槌を打っていたら、いつの間にか打ち解けておりました」
「そうか。そいつは良かったな」
「ええ。近頃などは、私に城下の様子をお訊ねになるほどです。平民の娘は如何か、皆アリサのように純朴で可愛らしいのかなどと、専ら女性の事ばかりではありますけれど」
奴が幾分呆れた物言いで肩を竦めて見せると、俺たちは思わず声を上げて笑い、アリサは「若様ったら……」と恥ずかしそうに顔を赤らめた。
神官様も所詮は人の子。増してや若造ともなれば、色気のある話に飛び付くのも無理からぬ事だろうな。
「実は、師兄の御一方から、聖騎士を統べる典礼官閣下へ、御目通りをお計らい下さるとのお言葉を賜りました。何でも、師兄は閣下と親交がおありなのだとか」
「典礼官? 騎士の頭目なのに将軍じゃないのか」
「えぇ。何でも、聖騎士の役目は神事と見做すのが宮中の習わしとか。でも、私にとっては典礼官も将軍と同様、憧れの存在です」
「なるほどね。言ってみりゃ、夢に一歩近付いたって訳だ」
「はい。宮中には、『二師に仕えず』との掟があります故、神官である以上、師たる司教猊下の元を離れる訳には参りませんから、師兄の御友人として節度を保たねばなりませんが、どんな武勇伝を拝聴出来るかと、今から楽しみでなりません」
喜びを隠し切れないといった様子で顔を輝かせ、逸る口調でふるう奴の長広舌を聞いていると、何だかこっちまで心が浮き立つようだ。
ひたむきに夢を追うその姿には、赤の他人である俺でさえ、思わず肩入れしたくなるってのに、何だって奴の養父母は、そこまで頑なに拒むんだろう。
司祭として跡を継いで欲しいとの思惑があるとか? だけど、初めて奴の夢を聞いた時、何故かアレーネ夫人も、暗に歓迎しかねる様な口振りだったっけ。
若造の他愛ない夢ひとつ。みんな、温かく見守ってやりゃいいのに。