翌早朝、奴は俺を叩き起こすと、寝惚け眼の前に一振りの剣を差し出した。両手で受け取っても、目が覚める程にずっしりと重い。
随分と使い込まれた様子だが手入れが行き届いてて、鞘から抜くと、磨き抜かれた剣身と、研ぎ澄まされた刃が窓から差し込む朝日を照り返す。
師匠の剣もそうだったが、先史時代の資料で見たものに似てはいるものの、遥かに純度の高い鋼で出来ている。
それにしても、何だってこんなに重いんだ? 重量が持つ加速度を利用して叩き斬るって奴なんだろうか。
「何これ」
「現役時代の俺の商売道具。お前さんにやるよ」
「使えねぇよこんな重いの」
「使えねぇじゃねぇよ。使うんだよ。弓だけじゃ接近戦で不利だろ? てか、お前ミルジオから教わらなかったのか?」
「形は見せてもらったけど……多分、俺には向いてない」
「何だよ勿体ねぇなぁ。あいつの弟子ったら、普通なら習うのは剣だろうよ」
「俺が弟子入りしたのは狩人の師匠だっての」
「しょうがねぇな。見せてもらったんなら視覚情報残ってるだろ。抽出して上層に常駐させとけ。そいつをトレースしてりゃ、あとは補助脳と体が覚えるさ。俺が使った手だ」
はいはい判りましたよ、と。補助脳の厖大なキャッシュの中から師匠の情報を探し出し、分析とシミュレーションを済ませて奴の言う通りにやってみる。が、やっぱり両手で支えるのがやっとで一回振るっただけでよろける始末だ。
奴はそんな俺を見て苦笑すると、金髪頭をがしがし掻きながら「こりゃ前途多難だな」と呟いた。
ベニカを起こし、朝食を摂るとすぐに出発する。国境まではここから更に二日掛かるらしい。
途中、休憩のために駅馬車の停車場に停まると、奴は彼女に小さな包みを手渡した。
「ケルデンから預かったんだ。元気で行って来いとさ」
「親方から?」
彼女は受け取ると、訝しげに言いながら荷を解く。中に入っていたのは金貨の詰まった皮袋と、親方の筆跡で書かれた封書だった。
緑色の封蝋には翼刃章の印が捺されている。何だ、この旅は親方のお墨付きなのか。だったらそれほど心配することもなさそうだな。
奴によると、金貨は俺が預けた目録を一部換金したものらしい。こうでもしないと受け取ってもらえないから、というのが親方の理屈だそうだ。してやられたな。
まぁ、ベニカに不自由な思いをさせるわけにはいかないし、有難く使わせてもらおう。
「そいつは神都に着いたら、大親方に渡して欲しいそうだ」
「はい。判りました」
彼女は嬉しそうに答えると、肩に掛けた雑嚢へ大切そうに仕舞い込む。が、次の瞬間はっと顔を上げると、俺を見上げて「石の箱、忘れてきちゃった」と呟いた。
どうやら親方の名を聞いて、小石を溜めていた衣装箱を思い出したらしい。あれを持って行くつもりだったのかと思うと、何だか可笑しくなって思わず吹き出す。
「ありゃ無理だ。馬が潰れる」
「そうですか……」
「神都まではまだ掛かるんだろ? その間にまた拾えばいい」
そう言ってやると、心配そうだった顔が途端に輝いた。その顔を見るだけで、何だか疲れだの不安だのが消えて無くなっちまうような気がする。
短い休憩を終え、奴に促されて馬に乗ると、再び南西へ向かう街道を急ぐ。
漸く辿り着いた国境の検問所は、大きな河に掛かる橋の袂にあって、もうすぐ夕暮れだというのに、今日中に越境したい連中でごった返していた。
閉鎖時間寸前でどうにか滑り込むと、奴は重装備の警備兵が示す書類に、慣れた様子で書き込む。
奴の書いた筋書きによると、どうやら俺たちは、神都の本部へ使いに出された石読みと、その用心棒ということになったらしい。
強ち嘘でもないし、証拠を示せと言う警備兵の要求には、親方に持たされた封書が絶大な効果を発揮した。
が、安堵の微笑を交わす俺と彼女をよそに、奴は兵隊が手紙の吟味すらせずに通した事が大層不満そうで、振り返り様に「平和が長いと兵隊が腐っていけねぇや」と、呆れた様子で呟いていた。
橋を渡れば隣国フィンデールだ。大河に掛けるにしては橋が簡素な造りなのは、戦時には落とされることになっているからだと奴は言った。
タラサノの森にいる間には実感できなかったが、その言葉に、いつか師匠が言っていた「一触即発」の一言を思い出す。
「まぁ、平和なんてのは、試合の合間のインターバルみたいなもんだからな」
奴はそう言うと、自嘲気味に笑った。騎士として、王として治安維持に努めて来た実感だろうか。
「アルコロジーは五百年間ずっと平和だぜ?」
「あそこは言ってみれば村みたいなもんだからな。縄張り争いの必要もねぇし。だが、この世界みたいに、生存競争の激しいところに人が集まりゃ、嫌でも利害が生まれる。剣を交える前に調整できるものなら必死でやるけどよ。
だからどこの王も情報収集に躍起だ。地底にいた頃みたいに、管理局から逐一配信されるわけじゃないからな。ホルザレン会に鉱山てぇ餌を与えて手懐けてるのもその一つだ」
「王様稼業も大変だな」
皮肉混じりに言ってやると、奴はにやりと笑って「まぁな」と返す。
「ホルザレン会はこの世界で一番デカい情報網だ。ナクルタツリの薬師も、バルナタートの黒羽も優秀だとは思うが、奴らには及ばねぇ」
「黒羽?」
「バルナタートで飼ってる諜報組織さ。正式名称は知らんが、何でも黒尽くめなんでそう呼ばれてる」
「黒尽くめ? もしかして矢も黒か?」
「よく知ってるな。どこかで見たのか?」
「地上に出てすぐ襲われたんだ。場所は……村の連中はクラニアム山って言ってた」
「クラニアム山だと?! 何であんな所に黒羽がいるんだ……?」
奴はそう言ったきり、いつになく厳しい顔で黙りこむと、暫くの間考え込んでいるようだった。
宿場街までにはまだ当分掛かりそうなので、街道を外れた場所に見付けた林の中で野宿することにした。
集めた薪を乾いた地面に積み上げ、精霊石の欠片を発動させて放り込むと、簡単に火が点く。
ベニカは疲れたのか、火で体が温まると俺の傍に蹲り、クロークに包まってすぐに眠ってしまった。
「便利なもんだな」
「火打石より早いだろ。そういえば火薬の類をまったく見掛けないけど、まだこの世界には登場してないのか?」
「あるにはあるんだが……」
奴は言いながら雑嚢をまさぐると、使い込まれた銀のスキットルを取り出し、ごろりと横になると一口あおった。
「この世界の連中にとって、『手続きを経ない火』てのはタブーらしくてな。神殿で発動させた石由来の、所謂『精霊の火』以外は使いたがらないんだ。恐らく『雷神の御子』に対する畏怖と同等のものだろ」
「なるほどね。『手続き』を経ないと国が滅ぶ……と」
「そういうこと。先の戦ではそこを突かれてな。手練を何人も失ったよ」
「向こうは火薬を持ってるのか」
「あれにゃ参った。石以外には薪や油を燃やすのが精々のこの世界に、いきなりピクリン酸を持ち込みやがったのさ。オーバーテクノロジーもいいとこだ」
「作ったのはソーセン……?」
「恐らくな。モノは松脂と炸薬を詰めた樽に、導火線を付けただけの簡単な焼夷弾だったんだが、正体を知らない地上人に取っちゃ脅威だ。式典でのダラハンのビビリ方、ハンパなかったろ? 連中にとっちゃ、あの圧倒的な熱量は、恐怖以外の何物でもなかったろうよ」
「え? 先の戦って敗戦だったのか?」
「勝ちも負けもねぇ状態さ。建前上は勝ったことにはなってるがな。先の戦……『神都の乱』てぇんだが、戦自体は神都からバルナタート騎士団を追い出して終わりだ。
まぁ、追い出したと言うか、逃げられたと言うべきか……。ソーセンは向こうへ行ったきりだし、『雷神の御子』奪還もならなかった。
休戦とは言うものの、奴らの持つ得体の知れない力に怯えながら、国境挟んで睨み合ってるってぇ状態が続いてる」
猛将すら恐怖せしめた魔道の力ってわけか。ソーセンとバルナタートは辺境各国と神聖騎士団の仇敵……。
師匠が言ってた言葉にはそういう裏もあったんだな。彼のあの凄絶な刀傷も、その時受けたものだったんだろうか。
ふと思い立って木の枝を手に立ち上がると、師匠の形を追ってみる。剣と違って重量が無い分、ほぼ正確にトレース出来た。
「何だ。出来るじゃねぇか。あとは筋力が付きゃいいだけだ」
「使う機会が無いのが一番いいけどな」
言いながら手にした枝を焚き火に放り込むと、ぱちんと爆ぜて燃え始める。
「何言ってやがる。俺が死んだら誰がベニカを護ってやるんだ?」
「あんたが死ぬような事態じゃ、先に俺が死んでるよ」
冗談めかして言い返してやると、奴はフッと鼻で笑ったきり答えず、こちらに背を向けるとすぐに寝入ってしまった。
夜半過ぎ、ベニカの隣で木に凭れてうとうとしていると、不意に金属質の冷たいものが頬に触れた。びくっとして目を覚ました瞬間、いきなり口を塞がれた。
「静かにしろよ石読みさん。そこの嬢ちゃんと一緒に俺らと御同道願おうか」
嗄れた男の声が耳のすぐ傍で囁く。奴は頬に触れていた金属を俺の目の前に翳し、それがダガーであることを誇示すると、今度は喉元に宛がった。何だこいつは。盗賊か?
「ほぉ、こいつは……神族の石読みとは珍しいな」
賊は、ランタンの暗い灯に照らされた俺の目の色を覗き込むと、感嘆の声を上げる。
抵抗の手段を探して手元の砂礫を掴むと、指先が精霊石の欠片が混じっていることを知らせた。相手は何人だ? 位置は?
「さすがに神使様はお綺麗な顔をしてらっしゃるぜ。鉱山行きも悪くねぇが、その筋か貴族の奥方にでも売り飛ばした方が実入りがいいな」
賊の言葉に答える下卑た笑い声は四、五人。全員後ろか。掴んだ砂礫をレベル125にして投げ付けると、相手が光と熱で目を潰されてよろけたところを、立ち上がり様に抜剣し、全身で振り回して何とか薙ぎ払う。
怒号と共に後ろから斬り掛かって来た一人をぎりぎりでかわし、どうにか隙を突いて刺したところで、既になけなしの筋肉に限界が来た。形も何もあったもんじゃない。
二人やられて警戒しているのか、腰撓めに構えてにじり寄る三人目に、間合いを見定めて振り被った瞬間、唐突に右腕から感覚が失せた。
萎えた手から滑り落ちた剣が大きな音を立てると、目を覚ましたベニカの悲鳴と賊の怒号が重なる。
咄嗟に彼女を庇って死を覚悟した時だ。目の前に迫った賊の上半身が血飛沫と共に吹っ飛び、その向こうに血塗れの大剣を引っ下げたディエシーがいた。
「あ、兄貴やばいよ! こいつまさか、金狼王……!」
「馬鹿言え! そんな筈があるか!」
奴の姿に残った二人がうろたえるように叫び、がむしゃらに突っ込んで来るが、軽く身をかわしながら相手の剣を往なし、返す手で捻じ伏せ、蹴り飛ばして止めを刺し、もう一人は反転する勢いに乗せて切り捨てる。速い。
「やれやれ。大丈夫か、おい」
奴は血糊を払って納剣すると、脱力してる俺の目の前にしゃがみ込み、にやりと笑うと暢気な口調で言った。
「右腕の、感覚が、無い」
乱れた息の下でそれだけを何とか言葉にすると、奴は無言で肩と腕を鷲掴みにして捩じ上げた。悲鳴を上げる暇も無く、鈍い音を立てて外れていた肩が元に戻る。
「あんなんじゃ俺だって脱臼するぜ。慣れねぇのに無茶すんじゃねぇよ」
奴はそう言って立ち上がると、俺が最初に斬った賊の死体を蹴って仰向かせた。
「まぁ、それでも二人片付けたか。ド素人の初陣にしちゃ上出来だな」
「こいつら何だ? あんたを知ってるようだったけど」
「女衒だ。そン中でも殺しや強盗も厭わない類の下衆野郎さ」
奴は答えると、忌々しげに唾を吐き捨てる。
「ケチな小者だが胸糞悪ィんで豚箱にブチ込んでたんだ。戴冠式の恩赦で出てきやがったか」
「あんたも随分とこまめに敵を作ってるんだな」
呆れる俺に、奴は肩を竦めて言う。
「性分でね。こういう手合いには虫唾が走るんだ」
「同感」
「こいつも大人しい時は、貧しい田舎娘なんぞを売り買いしてるんだが、大方、検問所でお前らを見付けて、優男や子供が相手ならと色気出したってとこだろ。こんな小者が石読みを攫う様になったってことは、一つデカい元締めがトンだかな」
「詳しいな」
「まぁな。この前お前らが片付けた鉱山も、坑道の奥で百人近く飼い殺しになってたそうだ。大方、喰い詰め者を掻き集めて売り飛ばしてたような連中が、ホルザレン会の本部監査に『処理』されたってとこだろ」
親方が穏やかな笑顔で話していた事の、本当の意味が判った気がして背筋が寒くなる。知らなかったとはいえ、俺は何だかとんでもない組織に入ってしまったらしい。
「さて、清掃係の到着だ」
奴はそう言うと、燻り続けていた熾き火を踏み付けて消す。見渡せば暗闇の林の中に、光る獣の目がいくつも見えた。狼か野犬か、血の匂いを嗅ぎ付けて来たようだ。
奴は気を失っているベニカを抱き上げようとする俺を制すると、代わりに彼女を担ぎ上げて馬に乗った。
「無茶すんなって言ったろ?」
「済まない」
「そう思うなら早く使えるようになれ。痛みが引いたら毎日筋トレと素振りな。でなきゃまた外れるぜ」
「判ったよ」
面白がってる口調で命じる奴に、憮然と答えながら馬に乗ると共に街道へ出た。