石使いランジャ   作:桜城静夜

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その5.深山の大薬師について
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 昨夜は薄暗くてよく見えなかったが、明り取りの窓の下にも扉があり、ロナが鍵を外して開け放つと、地下室にいる筈なのに、朝日と共に濃い朝靄が入って来た。

 どうやら店の裏手が崖になっていて、地下室は渓谷に面した崖の中腹に位置しているようだ。

 彼女の後について、自然石で巧みに隠された細い道を辿ると、崖下を流れる渓流の、小石で覆われた広い河原に出る。

 ふと思い立って一つ拾い上げると、案の定、精霊石だった。この河原の石全てがそうではないのだろうけど、ベニカが見たらきっと大はしゃぎだな。

 店主が連れて来てくれたのか、すぐ傍の木に馬も繋がれている。恐らく彼は、いつもこうして薬種を仕入れる為にナクルタツリへ向かう薬師たち匿い、密入国の手助けをしているのだろう。

 彼女は朝靄に霞む崖の上の店を一度だけ振り返ると、馬に拍車を当てて渓流を上り始めた。

 川沿いを暫く上ると狭隘な谷に入り、巨大な岩に行く手を阻まれたが、彼女は慣れた様子で脇へ逸れると馬を降り、手綱を手に延々と急斜面を登って行く。

 彼女を追って渓谷を縁取る原生林の中を縫って行くと、やがて整備された山道へ出た。それほど標高差は無い筈なのにひんやりと肌を刺す冷気を感じる。

 時折渓流から這い上がって来る川霧に何気なく手を伸ばすと、思いがけず指先が反応した。多量の環境粒子が含まれているのだ。

 冷気の正体は、こいつに設定されたレベル0のパラメータのようだが、管理局並みの上位権限で制御されているのはどういうことだろう。しかもこんな山奥で、一体誰が……?

 狭い岩がちの山道を進んで行くと、時折、霧に紛れて花のような甘い香りが仄かに漂って来ることに気付いた。

 最初のうちは香りを嗅ぐと不意に強い眩暈に襲われたが、間もなく慣れて分解反応も早くなった。

 こんな風に、俺たちなら何事も無く通れるけど、この機能が無ければ幻覚を見ていたかもしれない。これがあの店主の言っていた死の霧なんだろうか。

 道の途中で彼女がふと立ち止まり、馬を下りると、俺たちも慌てて馬を停める。

 一体何事かと見守っていると、彼女は路傍の岩陰に積まれた石を取り除き、そこに隠されていた香炉を取り出した。透かし彫りも美しい真鍮製の瀟洒な品だ。

 彼女は荷物の中から赤い小瓶を探し出すと、琥珀色をした米粒ほどの小さな結晶を香炉の中へ注ぐ。程なくして立ち昇った香りは、紛れも無くあの霧に混ざっていたものだった。

「こいつが死の霧の正体か」

 苦笑交じりのディエシーの言葉を振り向くと、彼女は少しばかり得意そうな微笑を浮かべて見せる。

「そうよ。こうしておけば不用意に山へ入る者もなくなるわ」

「薬師は大丈夫なのか?」

「本物ならね。ナクルタツリの薬師なら、薬に慣れる為に幼い頃から修練を積んでいる筈だから」

 俺の問いに心なしか誇らしげに答えると、彼女は香炉を元通りに岩陰へ隠し、再び馬に乗った。

 これが山に登る薬師の勤めなんだそうだが、この調子で時折立ち止まっては香炉の手入れをして回るので、大して進まないうちに日が暮れた。

 暗くなると冷え込みが一層厳しくなる。途中で見つけた廃駅に潜り込み、暖炉に火を点けるも、傷んだ壁の隙間や、破れた窓から忍び込む霧のせいで、一向に暖まらない。

 彼女が体を温める薬の処方を申し出てはくれたが、多分効かないので辞退した。

 当の彼女も、薬を飲んでは見たもののあまり効果は無かったようで、毛布を巻き付けても歯の根が合わない様子だ。

 何とかならないかと、漂う霧にかじかむ手を伸ばし、更に詳細を探ってみる。

 どうやらこの山の山頂付近を基点として、頂上から山麓までをカバーするように、範囲を指定して制御しているようだ。

 だとしたら、更に範囲を指定してネスト構造にしてやれば、下位権限でも割り込めるかもしれない。確か、アルコロジーでの室内空調もそんな風に制御していた筈だ。

 試してみようと立ち上がり、駅舎の中心を探るべく部屋の中を見回していると、奴と彼女の怪訝そうな視線に気付いた。

「霧に環境粒子が含まれてる。制御できるかもしれない」

 と言うと、奴は「ほぉ」と面白そうな口調で納得したが、彼女は「霧の中に石の精霊がいる」と言い直してやっても、よく判らないといった顔のままだった。

 ならば実践で示すしかない。部屋の中心と思しき空間に手を伸ばし、触れた霧にパラメータを入力する。範囲はこの駅舎。触発モードで0秒後にレベル3を発動。

 すると、瞬時に暖かい空気が部屋に満ちた。どうやら上手くいったらしい。

 奴は「こいつはいいや」と上機嫌で例の如く寝酒をあおると、ベンチに横になるなりすぐに寝入った。相変わらず順応性の高い野郎だ。

「石使いって、こんなことも出来るの?」

 彼女はほっとした顔をしながらも、不思議そうな眼差しで俺を見る。

「いや、多分これが出来るのは俺だけだ」

「そうなの……。あなたってやっぱり『御子様』なのね」

「こんな所で凍え死ぬのは御免蒙りたいからね」

 肩を竦めながら言ってやると、彼女は丸で少女のようなはにかんだ笑顔を浮かべ、小さく「ありがとう」と言うと毛布に包まって背中を向けた。

 何だ。いつも気を張って噛み付いてばかりいる奴だと思ってたけど、ちゃんと女らしい可愛い表情だって出来るんじゃないか。

 

 

 

 翌朝、廃駅の外で出発の準備をしていると、彼女が馬に荷物を負わせながら、小さな声で歌っているのに気が付いた。マグノリエ城下で聞いた、呪文のようなあの歌だ。

「変わった歌だな。初めて聞いた時にも思ったけど」

「そうね。とても不思議な歌。子供の頃、師匠から教えてもらったの。

 妹も教えてもらったと言ってたけど、何故か妹とは一緒に歌ってはいけないと言われたわ。あの子とは何をするにも一緒だったから、師匠の言い付けはちょっともどかしかった」

 俺の問いに答える彼女はいつになく上機嫌で、妹の事を話すのが嬉しいようだった。それにしても歌も不思議なら、師匠の教えってのもまた不可解だな。

「器楽や舞踏も師匠から?」

「それは放浪するうちに、色んな人から覚えたわ。いい事ばかりじゃなかったけど、山に篭ったままじゃ、知ることの出来ない事も沢山あったから、夢屋はやってて良かったと思ってるの。師匠には不評みたいだけど」

 そう言って苦笑すると、彼女はふと来た道を振り返り、じっと麓の方角を見据える。

 何事かと同じ方向へ視線を遣ると、濃く立ち込める朝靄の中、山道を登って来る影があるのに気が付いた。

 奴にも見えたようで、共に剣の柄に手を掛けつつ警戒していると、やがて影は十程の騎馬の一団となって現れた。

「やっと見つけたよ。一体どこを通って来たんだい?」

 野太く掠れてはいるが女の声だ。一団の先頭から一騎が近付いて来ると、やがてそいつは大柄な中年女の姿を現した。

 真っ黒に日焼けした顔に、癖の強い白髪混じりの黒髪を太い革紐でひっつめ、只でさえ逞しい体に、狼の毛皮まで纏っている姿は貫禄十分。差し詰め山賊の女頭目といったところか。

「まさかとは思ったけど、停車場の親父の言う通り、夢屋のロナじゃないか。あんたが山を登る何て珍しいね。しかも色男を二人も連れてさ」

 女はそう言うと、渓谷中に響き渡るような大声で、からからと豪快に笑った。

 どうやら俺たちは売られたらしい。親切な親父だと思ってたのに、とんだ食わせ者だったな。

「私はあなたなんか知らないわ」

 心底迷惑そうな顔で冷たく言い放つ彼女を、女は馬鹿にしたように鼻で哂う。

「そりゃそうだ。長老連中にさえお嬢様と呼ばれる程の高貴なお方だものさ。下々の顔何ざいちいち覚えちゃ居ないだろ。もっとも、その方があたしらにとっちゃ好都合だけどね」

「何の用?」

「別に大した用じゃないよ。持ってる薬を全部置いていきな。そうすりゃ命までは取りゃしない」

「何ですって? あなただって香が効かないならナクルタツリの薬師でしょう? それが山賊だなんて落ちたものだわ!」

「落ちたも何も……」

 女は自嘲混じりに言うと、呆れたように首を振って見せる。

「たかが王家の薬譜の為に亭主も息子も見殺しにされて、薬師の誇りも無いもんだ。とうに滅んだ国の為に、今更一体何を守ろうってのさ」

「滅んでなんかいないわ! 典薬寮がある限り、ナクルタツリは滅びはしない」

 彼女はあの燃えるような眼差しで睨み付け、強い口調で決然と言い返すが、女は意味深な薄笑いを浮かべると、馬上から彼女の顔をじっと見据える。

「へぇ。お嬢様ともなれば典薬寮の在り処をご存知なんだ。ならば案内してもらおうかねぇ」

「嫌よ。あなたなんかに渡さない」

「あたしが手に入れてどうするんだよ。あれをご所望なのはジョセル陛下に決まってるだろ? もし首尾よくいったら、お抱え薬師にしてもらえるかも知れないよ。まぁ、あんたは綺麗だから側女の方かも知れないけどねぇ」

「何て人なの! 祖国を裏切って敵の王に……」

「祖国だってさ! 聞いたかい?」

 女が振り返って声を張り上げると、背後の一団から下卑た笑い声が上がる。

「その祖国は、王は、あたしらに何をした? 民の命よりも薬譜を選んで、裏切り者どもに国を売り飛ばした張本人じゃないか」

 彼女はキッと唇を噛み締めて女の言葉に耐えていたが、ふと馬に戻ると、荷物の中から紫色の小瓶を取り出した。

「嫌だってのなら、力尽くって手もあるんだよ」

 にやりと笑った女の声に応えて、手下どもが一斉に剣や蛮刀を抜く。俺たちも彼女を庇って剣を抜くが多勢に無勢、どうやって切り抜ける?

「おやまぁ勇ましいこと。情夫かと思ってたら用心棒だったのかい」

 いちいち癪に障る婆ァだ。双方の間で緊迫する空気の中、どう片付けるか算段している最中だってのに、彼女は何を思ったのか、薬瓶を片手に俺たちの間をすり抜けて前に出た。それを見て婆ァはしたり顔でほくそえむ。

「どうやらその気になったようだねぇ」

「ロナ! 下がってろ!」

 奴の怒鳴り声を振り切って婆ァの馬に近付くと、彼女は薬瓶の蓋を取り、中から白い粉を少量掌に出すと、優雅な仕草で馬の鼻先にふぅっと吹き付けた。

 途端に馬は苦しげに嘶くと棹立ちになり、振り落とされた婆ァは地面に叩きつけられて無様な呻き声を上げる。

「お頭!」

 それに驚いた他の馬も次々に棹立ちになって、手下たちを振り落とす。彼

 女はその様子を冷たく一瞥して戻って来ると、「急ぎましょ」と言って馬に乗り、俺たちも剣を納めると、奴らの「覚えてやがれ!」の怒号を背に、彼女に続いて拍車を当てた。

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