先へ行くと森は途切れ、剥き出しの岩場を縫うように続く山道は、進むほど狭く急峻な九十九折になった。
油断すれば即、谷底といった場所ではあるけど、同時に麓まで一望出来る。
途中、岩庇の下に作られた東屋で馬を休ませていると、川霧に霞む岩場を崖から見下ろしていた奴が、ぽつりと呟いた。
「『焔陽の君』か……」
その一言に、弾かれた様に振り返る彼女の瞳には、何故だか明らかな動揺が見えた。
だが、奴はそれに気付かないのか、視線を眼下に置いたまま、再び独り言のように呟く。
「『古の盟約により聖山の守人たらん』……。確かに急峻で攻めるに難く、夏でも凍るこの冷気に守られてる様は聖山の名に相応しい。
おまけに精強で知られるバルナタート軍が控えてるとなりゃ、誰も攻めようなんて気は起こさねぇ。
ハルトランガ王も、為政者というよりは学者肌の優男で、およそ荒事とは縁遠い御仁だったしな。
故に、攻め込んだセブランのジョセルは狂王と呼ばれるに至った訳だが……。
攻められたナクルタツリも、守られていることに慣れちゃいなかったかってぇと、そいつも甚だ疑問だな。
バルナタートが自分たちのために血を流すことを当然と思うなら、ナクルタツリの民はそれに何を以って贖うつもりだったやら」
奴の言葉に彼女は何か言い掛けたが、風化した東屋の柱に寄り掛かると、広い背中を静かに見詰めた。
「バルナタートとの盟約がどんなものだったのか、余所者の俺には知る由もねぇが、王家の秘伝が神祖の時代に完成されたものだとすれば、彼らが恐れたのは国外への拡散だったんじゃねぇかな。
セブラン騎士団を壊滅に導いた猛毒がそれだとすれば、他国の手に渡る前に徹底的に破壊するだろう。
より多くを救うためなら、多分、俺もそうしたと思う。聖山の王としての宿命ってやつだな」
「そうか……ディエシーも王様だったものね」
俺の思ったことを代弁するように呟いた彼女を、奴は振り返ると「まぁな」と肩を竦めて見せた。
「ただ解せねぇのは、セブランが何故あの時期に襲撃し……」
奴がそこまで言った時だ。聞き覚えのある野太い怒声が谷底から聞こえた。
「奴さん、追って来やがったぜ」
言いながらもう一度麓の方角を覗き込み、舌打ちをする奴の言葉に、東屋を出て谷底を見遣ると、岩場の間に垣間見える山道を、あの山賊の一団が駆け上がって来るのが見えた。
「どうするよ?」
奴が言いながら振り返ると、彼女は繋いだ馬に駆け寄って、荷物の中からあの紫の小瓶を取り出すが、俺は半分呆れながら「それじゃ埒が開かねぇよ」と制した。
「一気に片を付けるしかねぇな」
俺の呟きに頷いては見たものの、奴も手立てを考えあぐねている様子だ。
「ちょっと待ってよ。片を付ける……って、殺すつもりなの?」
咄嗟に俺の腕を掴むと、彼女は非難がましい口調を叩き付ける。
「はぁ? 何言ってんだよ。奴ら殺る気だぜ?」
こんなことをやってる間にも、奴らとの距離は縮む一方だ。何か、何か手は無いのか……。
苛々と焦る俺の脳裏に、ふと鉱山の記憶が掠めた。霧だ! 霧を使おう。だが、どうやって発動させる……?
咄嗟に思い立って矢筒をひっくり返すと、矢と共に麓の河原で拾った、精霊石の小石が転がり出て来た。
「でも、あの人たちもナクルタツリの薬師なのよ!」
耳元で捲くし立てる彼女を振り払いながら、ぶちまけた矢の中から一本拾い上げ、鏃を外して小石に付け替えると、そいつを手に山道を見下ろす場所へ戻った。
「あのな、あいつらは薬師じゃねぇ。山賊だ」
「でも……!」
言い返す俺を追い掛けて来て、尚も食い下がる彼女を、奴がデカい声で怒鳴り付ける。
「生かしてどうする! そんなイイコちゃんで国が治まるか!」
彼女は一瞬、びくっと体を強張らせると、恨みがましい目で奴を睨み付けながらも、唇を噛み締めて黙り込んだ。
「ランジャ……?」
「こいつで焼き払う」
怪訝そうな奴に短く応えながら矢を番えると、次第に近付いて来る一団へ向けて弦を引き絞った。距離と速度から到達時間を割り出す。頼むぜFCS。
「決断しろロナ! お前さんの親父も決断したぜ!」
発動は五秒後だ。範囲は発動ポイントを基点に半径100M。レベル125。
「……判ったわよ!」
彼女の声を合図に放つと、五秒後に眼下の山道は巨大な火球に飲み込まれた。木霊する大音響に紛れて山賊どもの絶叫が峡谷に響き渡る。
一瞬立ち昇り、山風に掻き消えた煙には、人馬の焼ける匂いが混ざっていた。
快哉とばかりに口笛を吹く奴とは対照的に、彼女はその場にへたり込むと、青ざめた顔で焼け焦げて燻る遠くの岩場を凝視していた。
「雷神の、御子……」
うわ言の様に呟いた彼女に手を差し伸べると、小さな悲鳴を上げて後じさり、俺を怯えた様な目で見上げる。
助かったってのに一体何なんだよと思っていると、奴の手が俺の肩を宥める様に軽く叩いた。
「戦を思い出しちまったんだろ。そっとしといてやれ」
何となく釈然としないながらも、そう言うものかとその場を離れて東屋に退散すると、彼女は奴の差し出す手は素直に頼り、よろよろと立ち上がると、厚い胸にしがみ付いて肩を震わせる。その姿は丸で小さな少女のようで、鉱山に攫われた時のベニカに重なって見えた。
そう言えば、幼い頃に戦火に見舞われたと言っていたっけ。図らずも古傷に触れてしまったかと、少しばかり胸が痛んだ。
彼女は抱き寄せられ、大きな手で髪を撫でられるまでは大人しくしていたが、調子に乗った奴が、細い顎に指を掛けて上向かせ、顔を近付けたところで間髪入れずに平手が飛んで来た。まったく、何やってんだか。
すんでのところで手首を掴んだ奴がにやりと笑うと、彼女はカチンときた顔で振り解き、大袈裟な溜息をつきながら、これ見よがしに服の埃を払うと、いつものツンと澄ました表情に戻った。
「ありがとう。お蔭で正気に戻れたわ」
棘だらけの口調で言い放ち、彼女はぷいっと顔を背けてつかつかと東屋に戻って来ると、今度はその場にいた俺に、「何見てるのよ」と突っ掛かり、そそくさと馬に跨るなり拍車を当てて先に行ってしまった。
「いやはや、危ねぇ危ねぇ」
にやにや言いながら戻って来た奴と共に馬に乗ると、見えなくなってしまった彼女を追う。
「あんたも懲りねぇな」
と、呆れた口調で言ってやると、
「ああいう気の強ぇのは、モノにするまでが楽しいんじゃねぇか」
なんぞとからから笑ったが、奴にしてみれば娘ほどの歳だろうに、そんなに入れ揚げるような相手かね。
「酒には酔えなくなっちまったが、女にゃまだ酔える。酔ってる間は悪夢を見ずに済むからな」
ふと自嘲気味に呟くと、奴は山頂へ続く道を遠く透かし見た。
英雄の称号と引き換えに失った空白の十年を、同じ痛みを持つとは言え、あの生意気な小娘如きが埋められるものなんだろうか。
もっとも、奴はそんなことなんざ期待しちゃいないんだろうけど。
九十九折を登り切ると、馬一頭が漸く通れる程の、両側に断崖の迫る狭い道が続く。
岩肌から染み出す清水に濡れた山道を、歩き難そうに進む馬を宥めながら通り抜けると、出し抜けに視界が開けた。
晴れ渡る空の色が濃紺に見える。冷たい風が運ぶ薄い雲が足元を流れていく中、どこまでも続く緩やかな斜面を、色とりどりの小さな花が覆い尽くしている。
セブランで見た薬草と同じ種類のようだが、凛と凍て付く涼やかな香気が仄かに立つだけで、あの咽せ返るような強い香りは無かった。
「ギルメル城だ」
立ち止まる奴に並ぶと、俺を振り向いて短く言った。改めて見渡すと、斜面の遥か先で、天を指して輝く銀嶺を背に、城郭のようなものが聳えているのが見えた。
そこへ至る石畳の街道も、半ば花に埋もれるようにして続いている。視界を占める花畑も、よく見ると自然のものではなく、土を留める石垣や、縦横に走る灌漑水路が、至る所に作られていることに気付いた。
どれも十年前から放置されているのか、生い茂る草花に侵食されて荒廃が進んでいる。
街道の中程で、道を外れた彼女の馬が静かに草を食んでいる。主の姿が見えないので、馬を下りて辺りを見回すと、花畑の真ん中で薬草を手に佇んでいた。
彼女もこちらに気付いたのか、振り向くと、持っていた薬草を投げ捨てて戻って来た。
「やっぱり人の手が入らないと駄目ね。どれも使えそうに無いわ」
「でも十年前は焦土だったんだろ?」
「生き残った種が増えただけよ。回復とは言えない」
彼女は硬い表情で言うと、溜息をついて馬に乗り、街道へ戻った。
城郭に近付くにつれて水音が大きくなって来る。途中の街道では壊れた水路から水が溢れていて、石畳を洗う川となって流れ下っていた。
やがて清冽な湧水で溢れ返る堀の、半ば水没した跳ね橋を渡ると、攻城戦の傷跡も生々しい崩れ掛けた城門をくぐった。
城下の町並みは、まだ大半が焼け跡のままだったが、少しずつではあるけれど人が戻って来ているようで、所々に再建された商店が点在していた。
辺境各国から来た薬師たちなのか、時折往来を行き来する旅人の姿もあって、停車場の親父が言ったような死の国の面影など、微塵も感じられなかった。
城壁前の広場にある泉からも水が溢れていて、南東の方向へ緩やかに下る通りに流れ込み、そのまま堀まで続く浅い水路になっていた。
その水浸しな通り沿いに小さな宿屋を見つけ、部屋を取る頃にはすっかり日も暮れていたが、彼女は食事もそこそこに「薬屋へ行って来る」と言って出て行った。
「そう言えば、『焔陽の君』って何?」
相変わらず飲み足りなそうな奴に付き合って、食事が終わっても酒場に留まってだらだら飲んでいると、ふと東屋で奴が呟いた一言を思い出した。確かこれを聞いた時、彼女はひどく動揺しているように見えた。
「バルナタートに奪われたとされてる姫の、姉の方の二つ名だ。本名はカシュドラ。第二王女はリュクソラ。こっちは『氷月の君』とか呼ばれてた。まさか生きているとはな」
「あいつがそうだと?」
「確証は無ぇよ。だが、あいつには親父さんの……ハルトランガ王の面影がある」
「まさかお姫様が、あんな格好で夢屋なんかやってる訳ないだろ?」
そうは言ったものの、彼女のあの優雅な立ち居振る舞いや、気位の高さや、近寄り難いほどの気品は、平凡な娘には身に着けようの無いものばかりだ。
それにあの華やかな美貌。今は化粧気もなく服も男物を着てはいるが、盛装させたらさぞかし着映えがする事だろう。
「まぁ、夢屋に関しちゃ、あいつも一所にじっとしてられる性格じゃないだろうから、手段を選ばずにやって来た結果があれなんだろうよ。
国と共に王家も滅んだ。となりゃ、後ろ盾の無くなったお姫様なんざ平民同然。見方を変えりゃ、晴れて自由の身って訳だしな」
「じゃ、探してる妹ってのは? バルナタートに居るとされてるなら、何故わざわざ探し回る?」
「それよ」
奴はそう言うと、手酌でなみなみと注いだ酒を一気に飲み干した。
特段旨くもないありきたりな葡萄酒だけど、麓で飲んだ薬草酒よりは遥かにマシな代物だけに、自ずと杯が進む。
「もしもあいつが本物で、妹が行方不明って情報も本物だとしたら、バルナタートにいる筈の王女が、二人とも行方不明ってことになる。
実際、二人に関する情報は、あの戦以降、欠片すら入って来ねぇし。とうの昔に死んでるって噂もあるくらいだ。向こうにいるって話だってどこまで本当だか……。
意外と世間に流布してる情報ってのも、正確とは言えねぇのかも知れん。『誰もが知ってる』って事が、必ずしも情報の正確さを担保するものとは限らんしな」
「言われてみりゃそれもそうだな。あんたの恩人……ファルエル王の件も、事実と情報は違うようだし」
「この世界で正確な情報を得ようとするのは、それだけ骨が折れるってこった」
やっと空にした俺の杯に、尚も注ごうとする奴を制すると、テーブルの上に林立していた空き瓶に気付き、その数に呆れた。
許容量を超えれば全部分解されちまうのに、何で毎度毎度こうも無茶な飲み方をするのかね。こいつは……。
「呆れた。まだ飲んでるの?」
声を振り返ると、いつの間にか帰ってきていた彼女が、両手を腰に当て、呆れ顔で俺たちを見下ろしていた。少し開いた襟元に覗いた金鎖がキラリと光る。はて、あんなアクセサリ着けてたか?
「あ、お帰り」
「お帰りじゃないわよ。明日には帰るんだから、お酒も程々にして頂戴。只でさえ、いつもいつも酔っ払いみたいなのに、これ以上酔ってどうするの?」
世話女房よろしく捲くし立てる彼女の言葉を受けて、「だとさ」と水を向けてやると、奴は「へいへい。仰る通りで」と苦笑しながら漸く席を立った。