石使いランジャ   作:桜城静夜

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 彼女に促されて通路に入ると、すぐ右手が断崖になっていて、そこを流れ落ちる大瀑布が、夜目にも白い水煙を上げていた。どうやら夜霧と思ったのはこれのようだ。

 通路は断崖に穿たれた岩庇と繋がっていて、そのまま滝の裏へ続いている。

 そこにも同じ様に小さなランプが点々と灯されてはいるが、彼女が隠し部屋の明かりを消して肖像画の扉を閉じると、遥か崖の上から月が僅かに照らす他は、殆ど真っ暗になった。

 岩庇の下に作られた通路の幅は、思いのほか広かったが、薄暗い上に水浸しで、油断すると底の見えない滝壷に吸い込まれそうな錯覚に陥る。

 それでも何とか滝の裏に辿り着くと、通路は洞窟に変わった。

 ここにもランプは灯ってはいるけれど、中に入ってものの数分で方向感覚を失ってしまって、既に自分がどこから来てどこへ向かっているのかすら判らない。彼女の道案内が無ければ即、遭難だ。

 そんな状態で、足場の悪い岩だらけの迷路を散々引き摺り回され、やがて現れただらだらと続く石段を登り詰めると、古い塔の足元に出た。

 振り向いて見上げると、月明かりに浮かぶ影から鐘楼であることが判った。少し離れた場所にも同じ様な塔が見える。

 こいつは彼女によると、一対で春分と秋分を計る場所になってるらしい。戦で失われてしまったけれど、嘗ては向こうの塔と城を結ぶ石の橋があって、そちらが本来の通路だったそうだ。

「じゃ、さっきの迷路は?」

「罪人を典薬寮に連れて来るための通路よ」

「罪人? 何で」

「生贄にするの」

「い、生贄……」

「そうよ。生贄から精霊水を作るの。神界の奇跡が罪を清めて水に変える。典薬寮の薬草が特別なのは、そうして作った水を与えて育てるからなのよ」

 当たり前のようにさらっと言ってのけた彼女の言葉に、聞かなきゃよかったと少しばかり後悔した。

 地上はまだ未開の地だということも、どんな世界にも闇の部分があるということも、理屈では理解しているつもりだったけど、いざ目の当たりにしてみると、何とも言えない暗澹たる気分になるもんだ。

 鐘楼から先は、城壁のような高い石壁に囲われていて、勾配の緩やかな石段の両側に、小規模ながらも手入れの行き届いた薬草の段々畑が続いていた。

 張り巡らされた水路からは、小さな水音が聞こえるけれど、これが彼女の言う精霊水なんだろうか。ふと立ち止まって流れに触れると、案の定、指先が反応した。

「クレイドル液……?」

「まさか……」

 俺の呟きに奴も立ち止まり、水路の水を掌に掬って感触を確かめると、呆れたような顔で俺を振り向き、頷いた。

 医療ラボやタルセンド城下のものよりも不純物の含有量が多いものの、間違いなくクレイドル液だ。

 彼女は生贄から作ると言ったが、何だか嫌な想像しか頭に浮かんで来ないんだけど。

 特別な水で育てられた特別な薬草。しかもここでしか栽培されていないとなれば、山賊が狙うほどの貴重品だと言うのも頷ける。

 彼女は惜しげもなく使っているけど、それを更に精製した物となればおよそ法外な値が付くんだろう。マグノリエ城下の薬屋が言った通り、なるほど困ったお嬢様だ。

「あれよ。あれが典薬寮。御典薬師以外、誰にも知らされていない秘密の場所なの」

 彼女が指差す、石段の頂上で針葉樹の巨木が護る、石造りの建物には見覚えがあった。こいつも今までに見た神殿と同じ造作なのだ。

 これは一体どういうことだ? ホルザレン会のように、神殿建造に関わる集団が居ると言うことなんだろうか。

 辿り着いた建物は、夜中だけあって人気も無く深閑としていた。中を覗き込むと、大広間は柱毎に小部屋に区切られ、それぞれに置かれた机や棚には、蒸留装置だの薬研だの乳鉢だのが整然と並べられていた。

 恐らく日中はここで薬師たちが薬の精製に勤しんでいるのだろう。柱に掲げられた小さなランプと、明り取りから射す月の光に照らし出された柱廊には、染み付いた薬草の匂いが微かに漂っていた。

 彼女の後について小部屋の列を通り過ぎ、内陣へ入ると、やはりここにも隠し部屋で見た王旗と同じ巨大なタペストリーが掲げられていたが、石屋の商売道具であるところの、精霊石の祭壇は無かった。

 この山の麓に踏み入ってからこっち、終ぞ精霊石の活躍に出会わなかったのは、どうやらこういう事らしい。

 王旗をくぐり、階段を降りて狭い通路を行くと、そこにはアイコン付きのドアの代わりに、重厚な木の扉が付けられていて、彼女が持つ金鎖の鍵で開錠するようになっていた。

 中へ入っても、壁面照明は壊れているのか点灯しなかった。彼女が部屋の隅のランプに火を点すと、ほの明るい灯の中に、四方の壁一面に据え付けられた棚と、そこへびっしりと並べられた大きな薬瓶が浮かび上がる。

 彼女は、途方も無い数の瓶の列に圧倒されている俺たちをよそに、早速、目当ての薬種を物色し始めた。

 どこに何が収まっているのか熟知しているようで、次々と手際よく取り出して来ては、自分の薬瓶に移し替えている。

「おいランジャ、あれ……」

 不意に呼ばれて振り返ると、奴はずらりと並んだ棚の一角を指差していた。よく見ると、そこだけ途切れていて、金属質の壁が露出している。

 作業に夢中な彼女から離れ、奴と共に近付いて見ると、そこには果たして管理局のアイコンが刻印されていた。

「あいつが言ってた精霊水ってのは、まさかクレイドルで作ってるんじゃないだろうな」

「俺もそう思った。ここは城下の神殿と造りが同じだ。アレがあっても不思議は無ぇ」

「あるとすれば、ここか……」

 奴の言葉を継ぎながらアイコンに触れると、ドアは音も無く開き、乾燥した無機質な空気の中に、眩しい壁面照明が点灯する。

「ちょっと、何してるのよ!」

 彼女は声を上げるなり駆け寄って来ると、引き止めようと慌てて奴の腕を掴んだ。

「ここは王族以外入っちゃいけない場所よ。勝手に入らないで」

「ほぉ、じゃぁ姫様同伴なら大丈夫だな」

 奴がにやりと笑ってお構い無しにずかずか入って行くと、彼女は「もう!」と頬を膨らませながらも、仕方無しといった様子で一緒に入って来る。

 部屋の奥では、案の定、タルセンド城下と同じタイプのクレイドルが稼動していた。

 歩み寄り、操作パネルに触れると、密閉が解かれる音と共に蓋が開く。中に満たされている溶液はやはり高い純度に保たれていた。

 恐らく、不純物と思われたものは、ここから水路に運ぶ途中で薬品が混入したか、添加されたかしたものなんだろう。

「精霊水だわ……」

 俺が掌に掬い上げて奴に見せた溶液を、彼女は怯えた目で見詰めながら上擦った声で言った。

「精霊水は神炉に生贄を捧げて作るって、師匠が言ってた……」

 やはりそうか。確かに補助脳を持たない生贄は、クレイドルとの接続は望めない。となれば分解されて溶液にされる以外に無いわけで。

 アルコロジーに居た頃、培養液に加工したクレイドル液を、植物工場で使ってるってことは聞いたことがあるから、使い道としては強ち間違いではないんだろうけど、その材料は、医療セクションの死亡診断書だの、管理局の分解許可書だのと言った、お墨付きの亡骸であって、生きてる人間を生贄として使うなんて話は聞いたことが無い。というか、こんなのは向こうなら猟奇事件扱いだ。

 ふと見上げると、クレイドルの向こう側にもドアらしきものが見える。どうやら更に奥にも部屋があるようだ。だが、奴がアイコンに触れても反応は無かった。

 こちらを振り返り、やってみろと言う風にドアへ顎をしゃくる奴に、俺は壊れてるんじゃないかと思って一瞬躊躇したが、物は試しと指先で触れてみると、今度はあっけなく反応して、入り口と同様に音も無く開いた。

「何でランジャが鍵を持ってるのよ! ここへは師匠しか入れない筈なのに……!」

 彼女は大声で責めるけど、訳が判らないのはお互い様だ。奴と顔を見合わせながら、「さぁ? 何でだろ」と言ってやると、呆れ顔で肩を竦めつつも、畏怖と好奇心が綯い交ぜになった顔で室内を覗き込み、きょろきょろと見回す。

 次の間は巨大な円形の構造だったが、部屋の殆どを、中央に鎮座する鈍色の円筒で占められていた。

 通路程度に空いた壁との隙間を通って、周囲を一回りしてみたものの、内殻エレベータの出口以上にのっぺりとして捉え所が無く、何の装置なのかさっぱり検討が付かない。

「何だこりゃ……?」

 微かな低周波以外には音らしいものの無い室内に、奴の声だけが響く。見上げると、金属質の円筒は天井まで続いていて、照明を遮る陰が圧倒的な威圧感を齎していた。

「聞かないでよ。私だって初めて見るものなんだから」

「でも、あんたの師匠は入れるんだろ?」

 俺の問いに、彼女は眩しそうな顔で天井を見上げたまま頷く。

「えぇ。父も祖父も入れなかったのに、師匠だけは入れたの。きっと神祖のお許しを頂けたんだわ。ここは神域で、ルラトイを聖山たらしめる神界の力を得る場所と伝えられてるの」

「神界の力?」

「それが何なのかまでは判らないわ。神祖の御代に作られたものだそうだから」

 触れてみても、補助脳に蓄えられたデータ群の中に、適合する情報は無かった。神祖の御世ってのがいつ頃なのかは判らないけど、どうやら先史時代ではなさそうだ。

 神界の力ってのも判らないけど、彼女に説明を求めたところで、要領を得ない上に癇癪を起されるのが関の山だろうな。

「何かお探しですか?」

 唐突に聞こえた穏やかな声を三人で振り返ると、いつの間に入って来たのか、入り口のドアの前に、法衣を纏った老貴婦人が、侍女を伴って立っていた。

 

 

 

 亡きハルトランガ王と同じ純白の法衣。金の飾りで纏めた、長く艶やかな白髪。

 厳粛にして見守るような優しい微笑を湛えた面差しは、深い皺に刻まれてはいるものの、柔和な気品に満ちていた。若かりし頃は、きっと輝くばかりの美女だったに違いない。

「し、師匠……!」

 驚いて跪くロナに、老貴婦人は静かに歩み寄ると、差し伸べた両手で優しく抱き起こし、掌で愛おしそうに彼女の頬を包むと、しげしげと見詰めた。

「まぁ、ロナじゃないの。背が伸びて、綺麗になって……。ずーっと帰って来ないから、心配していたのよ」

「申し訳ありません……」

「で、どちらをお婿さんにするの? お二方とも?」

「ち、違いますってば! ここへ来るために雇った用心棒ですっ!」

 師匠の突拍子も無い質問を必死で否定する様子に、思わず顔を見合わせて噴き出す俺たちを、彼女は忌々しげに振り返ると、つかつかと歩み寄るなり小声で苛々と言い放った。

「もう! 師匠に見付かりたくないから、あなたたちにも内緒で来たのに! どうしてくれるのよ」

 八つ当たりもいいとこだ。喧嘩腰の口調に、こっちもからかい半分で言い返してやる。

「何でだよ。別にいいじゃねぇか師匠に会ったって」

「飛び出したきり三年も帰ってないのに、どんな顔して会えって言うのよ。おまけに神域にまで入ってしまって……」

「何を餓鬼みてぇな事言ってんだよ。心配してくれてるんだから説教ぐらい聴いてやれや」

 苦笑交じりの奴に肩を軽く叩かれると、彼女は極まり悪そうな顔で入り口を振り返るが、師匠は優しい微笑を浮かべたまま静かに首を振ると、微かな衣擦れの音と共に歩み寄った。

「あなたのことは、ここへ来る薬師たちから聞いています。あなたも彼らに託した私の言葉を聞いていることでしょうから、お説教をするまでも無いわね」

「師匠……」

「あなたはもう大人だから、私にも止めることは出来ないわ。ただね、亡き陛下からあなたを託されたからには、危険な目に遭わせたくないの。

 薬師たちもみんな心配してる。いつかは世継ぎとして帰って来て欲しいと思ってるのよ。それだけは判って頂戴ね」

「……はい」

 師匠は彼女の手を取ると、自分の手をそっと重ねながら言い、彼女の短い返事を聞いて満足そうに頷くが、、何気なくこちらを振り返った眼差しが、俺を捉えた瞬間、はっと驚いた顔になった。

「炎の瞳……神族の石読みとは珍しい事。ここを開けたのも、貴卿だったのかしら」

「ええ、そうです。勝手に入っちまって申し訳ない。他でも似たような扉を見たことがあったもので」

「何と……。『神域の鍵』を持つ者が、他にもいるだなんて……」

「『神域の鍵』?」

 呆然としたまま呟く言葉をそのまま聞き返すと、師匠はふと我に返るなり「何でも無いわ」と言いながら、ゆったりとした仕草で彼女を振り向いた。

「下山は明日になさいね。夜中に『贄の道』を通るのは危ないわ。邸の客間をご案内差し上げて」

 優しい口調で言う師匠の言葉へ、子供のように「はーい」と間延びした返事を不服そうに返すと、彼女は面倒臭そうに俺たちを手招きした。

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