石使いランジャ   作:桜城静夜

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 典薬寮の広大な裏庭に隠されるように建つ邸は、戦火を免れたようでほぼ無傷だった。

 ここは嘗て王家の離宮として使われていたものらしく、小規模ながらも贅を凝らした造りで、在りし日のギルメル城の壮麗さを窺わせる佇まいだ。

 俺たちが案内された部屋は、亡き王の執務室の隣だそうで、そこへは勝手に入るなとロナにしつこく言い含められた。

「だって、今でもそこに父が居るような気がするんだもの。逢えないのはきっとお忙しいからだ、って。

 小さい頃、父上がお仕事をされている時には、入ってはならないと言い付かっていたせいかもしれないけど……」

「そうか。あんたには親父さんの記憶があるんだな」

「え……?」

「ベニカには無いらしい。赤ん坊の頃に死なれちまったそうだ。俺が着てるこの服、あいつの親父さんのなんだとさ。

 これを着てる親父さんを見たこと無かったとかで、代わりに着せられちまった」

 苦笑混じりに言いながら肩を竦めて見せると、彼女は何か思うところがあったようで、独り言のように「早く帰らなきゃね」と神妙な顔で呟くと、「お休みなさい」と言って出て行った。

 翌朝、彼女は師匠と同じ法衣で現れた。何でもこれは御典薬師の仕事着であり、正装なのだそうだ。

 化粧こそしてないが、艶めく黒髪を綺麗に結い上げ、清楚な衣装に身を包んでいると、ちゃんとお姫様らしく見えて来るから不思議なものだ。

 彼女が言うには、蔵から持ち出した薬種の対価として、何種かの薬を精製していくように言い付かったらしい。

 もっともな話だとは思うが、彼女は不満たらたらで、

「コソ泥みたいなマネするからだ」

 と呆れながら窘めてやると、

「あなたたちが付いて来なければ、旨く行ってた筈なのに」

 なんぞと反撃された。懲りない奴だ。

 朝食を終えると、彼女は、作業が終わったらすぐ帰るから、と言い置いて典薬寮へ向かった。

 その言葉を受け、客間で帰り支度をしていると、入れ替わりにあの師匠がやって来た。

「昨夜はご挨拶もせずに失礼仕りました。私はここの寮長にしてトルフィニと申す者に御座います。お見知り置きを」

「トルフィニ大薬師長……! お噂は兼々窺っておりました。御目通りが叶うとは光栄の至り」

「貴卿は……?」

 自己紹介を聞いて珍しく興奮気味に反応する奴に、トルフィニ師は訝しげに小首を傾げる。

 その仕草はおっとりと優雅で可愛らしく、老女ながらロナよりもお姫様らしく見えて、クレイドルの部屋で行われていると言う、猟奇的な儀式を司る存在だとは、到底想像出来なかった。

「ロアルデから罷り越しました、ディエシーと申します」

「まぁ! あの金狼王でいらしたの? これはとんだ御無礼を……」

「いえ、王太子殿下への譲位で御役御免になりました故、今は気楽な野臥稼業にて、お気遣いは無用。で、こいつと旅に出たところを、こちらのお姫様に拾われましてね」

「左様に御座いましたの。して、こちらの神使様は……?」

「石読みのランジャと申します。お見知り置きの程を」

「石読み? 貴卿ほどの高位の神族が、何故かような賤業に……?」

 大きなお世話だとは思ったが、説明するのも面倒なので「まぁ色々とありまして」と適当に答えておく。すると彼女は静かに歩み寄り、俺の顔をじっと見詰めた。

「神章を見せて頂けますかしら?」

「神章?」

「『神域の鍵』をお持ちの貴卿ならば、これと同じものをお持ちの筈……」

 そう言って俺を見上げた彼女の白い額に現れたのは、管理局のアイコンだった。しかも、青色の! こいつは管理セクションのスタッフしか持ち得ない、最上位権限を示すものだ。

 俺のアーカイヴ止まりの権限でも、ディエシーみたいな基本仕様に比べればかなり上位の筈だが、その上を行く権限持ちが、何故こんな山奥に居るんだ?

「まさか、あんたも管理局の連絡員なのか……?!」

 半ばうろたえながら問う俺の言葉を、彼女は理解できないのか、戸惑ったように眉根を寄せる。

 これは一体どういう事なんだ? 彼女が連絡員でないのだとしたら、地上人にも補助脳を持つ人間が居ると言うことなのか?

「あ、いや失礼」

 皺深い瞼の下で澄んだ青い双眸が、混乱している俺をじっと凝視していることに気付くと、取り敢えず疑問の山は置いておくことにして、軽い深呼吸で何とか気持ちを落ち着かせると、前髪を掻き揚げてポートを開けて見せた。

「まぁ、貴卿は緑色をお持ちでらっしゃるのね。初めて見る色だわ」

 俺の額に浮かんだアイコンを確認して満足したのか、彼女はそう言いながら、にっこりと穏やかな笑顔を浮かべた。

 ディエシーもまた、彼女が持つアイコンの色に面食らった様子だったが、ふと我に返ると、一歩進み出て訊ねた。

「大師は、サリミロから御輿入れになったと伺いましたが……」

「左様に御座います。代々評議会に名を連ねる侯爵家に御座いましたが、神章を持って生まれたが為に、幼い頃宮廷へ召し上げられ、そこで巫女としての養育を受けましたの」

 そう言えば、神都には神族がたくさん居るってベニカも言ってたっけ。だとしたら彼らと地上人との混血によって、管理局の手に依らない、言ってみれば天然のデュオ系が生まれても不思議は無いか。

 だけど、大師はどうやってあの権限を手に入れたんだ? 神都には、補助脳を操作出来る程の環境があるってことなんだろうか。

「何故『神域の鍵』を……?」

 どうやら奴も同じ疑問を持っていたようだ。彼女は暫し黙考するように口を噤んでいたが、独り小さく頷くと、静かな口調で切り出した。

「三十五年ほど前の、女皇聖下が御再臨遊ばされた折に、七賢者より賜りました。私は聖下の、云わば『控の鍵』の守人を仰せ付かったのです」

「控の鍵……」

 耳慣れない言葉に、俺たちは反芻しつつ思わず怪訝顔を見交わす。

「いつの頃からか、聖下は鍵をお持ちになれなくなったとか。聖座はそれを北方三国の呪いと恐れ、七賢者によって、聖下に代わって鍵を持つ者を立てる事になったと聞きました。

 以来、神官と巫女の中から一人ずつ、『控の鍵』の守人が召し出されるようになったそうです」

 大師は物憂げな眼差しを外へ遣ると、静かに窓辺へと歩み寄る。

 邸を囲む木々の木漏れ日が縁取る窓の外には、朝日に白く浮かぶ鐘楼の石壁の向こうに、遠くの山々が青く連なるのが見えるばかりで、遥かに見晴るかす神都は遠いようだった。

「『控の鍵』は、宮廷の権威に関わることに御座います故、宮中の聖座以外には、長きに渡って秘されておりました。

 先代の、リシルロカン陛下の御世に、神章を持つものを后として迎えたいとの御召に応じて、この国に罷り越しました折にも、このことは伏せられておりました。

 典薬寮のあの部屋を開けるまで、陛下ですらご存知ありませんでしたから。

 あの部屋は宮廷の『賢者の間』と同様、神界に通じているとの言伝えに御座います。ルラトイを聖山たらしめる神界の力は、あの部屋から齎されているとか……」

 神界に通じるってのは一体どういう事だ? 聖山たらしめるってのも判らない。山を覆う環境粒子とも何か関係がありそうだけど、恐らく彼女に訊ねたところで、納得のいく説明なんぞ得られないだろう。

「そう言えば、大師は王太后にあらせられましたな」

 思い出したように言って拝礼しようとした奴を、彼女はゆっくり振り返ると優しい手で制した。

「陛下がお隠れあそばした折に、私もまた俗世との縁を絶ちましたので。以来、この離宮で静かな日々を過ごしておりましたが、まこと残念な事に、長くは続きませんでした」

「戦……ですか?」

「ええ、左様に御座います。突然の襲撃にて、『鍵を持つ巫女を差し出せ』と喚ばわる一団が、『春の塔』に迫りましたが、幸い、王の薬術とギルメル駐留軍によって護られておりましたので、典薬寮にまで被害が及ぶことも無く……。

 私もまた、御典薬師たちと共に、神炉の間へ身を隠しておりましたので、難を逃れる事が出来ました」

「セブランの狙いは、秘伝の薬譜だったと伺いましたが……」

「恐らく彼らはセブランの者ではないでしょう。王家の者と御典薬師以外に、ここを知る者はいない筈でしたから。

 何者かがセブランの騎士を騙ったものと思われます。典薬寮と、鍵の存在を知る何者かが……」

「では一体誰が……? 十年前に一体何があったんだ……」

「判りません。あの戦で王と共にナクルタツリは滅びましたが、あの者たちは鍵を手に入れることは出来ませんでした。なれば、いつの日かまた襲撃を受けないとも限りません。

 老い先短い私に代わり、来るべき時に備えて、この国の遺産である典薬寮を継ぐ者を決めなければならないのですが……」

 彼女は言いながら視線を巡らすと、俺の顔をじっと見据え、ふと曰くありげな微笑を浮かべた。

「貴卿がここへいらしたのは、まさに僥倖と言うべきだわ」

 彼女はそう呟きながら歩み寄ると、思わず身構えた俺の手を取り、皺深い掌をそっと重ねた。

「この聖山でも他国の例に漏れず、代々神祖の血を受け継ぐ者が治めて来たの。リシルロカン王も、ハルトランガ陛下も赤い神章をお持ちだったわ。

 そして貴卿も……。神章と『神域の鍵』、両方を持つ高位の神族である貴卿なら、この国の玉座に相応しいわ。しかも、とても美しい。丸でアシュリ聖下のようにね」

「えぇ?! な、何、ちょっと待っ……!」

 一体何を言い出すんだこの婆さんは! 言ってる事が理解出来なくて、軽くパニックに陥ってる俺をよそに、彼女はにこにこと嬉しそうな笑顔で言葉を続ける。

「二人の姫には残念ながら現れなかったけれど、次代にはきっと神章を持つ王子が生まれるわ。ロナを、カシュドラ姫を后とすれば、その血筋も絶やさずに済む。如何かしら? あの子はとても魅力的でしょう?」

 そりゃ『焔陽の君』と称えられる美姫だ。心を惹かれないと言えば嘘になるけど、それとこれとは話が別だろ。

「いや、俺には無理です。ってか、出来ません。俺を待ってる奴がいるんだ。早く帰ってやらなきゃ」

 そうだ。ベニカが薬を待ってる。それに玉座になんか縛り付けられたら、サリス室長の待つアルコロジーにだって帰れなくなっちまうじゃないか。

 ディエシーと同じ轍を踏むなんて真っ平御免だ。第一、凡庸な事務屋でしかない俺なんぞ、間違っても為政者になれるような器じゃない。

「あら、お判りにならないかしら? これは『お願い』ではないのよ」

 彼女は言葉を遮るように、穏やかながらも有無を言わさぬ口調で言い切り、ロナの様な堕天使の笑みをにやっと浮かべて見せる。おいおいおい、何だか雲行きが怪しくなってきやがったぞ。

「それに、あの子の案内無しに、どうやって『贄の道』を通り抜けるおつもりなのかしら?」

「何だと?!」

 しまった。確かに彼女の言う通り、あの洞窟の迷宮を通り抜ける為には、ロナの存在は不可欠だ。

 奴もまた、彼女の脅迫じみた言葉を受け、つい反射的に剣把を握ったものの、抜くことも出来ずに狼狽している。

 さしもの金狼ディエシーでも、こいつばかりは剣で解決って訳にはいかないだろう。畜生、どうすりゃいい?

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