石使いランジャ   作:桜城静夜

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「師匠! これは一体どういう事ですか?!」

 唐突に扉が開け放たれ、凛と響く声を振り向くと、あの燃える眼差しに怒気を含んだロナが立っていた。

「処方の面倒な薬種ばかり言い付かったから、何か変だと戻ってみれば……」

 そう呟きながらつかつかと歩み寄る彼女に、大師はまったく臆する様子もなく、俺の手を離して静かに振り向くと、優美な仕草で不思議そうに見上げた。

「どうしたの? ロナ……。美しく高貴な新王がおいでになったのよ。その后になると言うのに、随分とご機嫌斜めなのねぇ」

「師匠……いえ、お祖母様、私はもう大人なの。生涯の伴侶くらい自分で探します!」

「何を言っているの? あなたは聖山の王族、ナクルタツリの王女なのよ。相応しい相手でなければ認められないわ」

「ならばお尋ねしますけど、母上は相応しい方だったの?」

 怒りを露に強い口調で詰め寄る彼女に、さしもの大師も一瞬、たじろいで口篭る。

 そう言えば、親父さんや妹の話は嬉しそうにしていたけど、今まで母親の話は一度たりとも出て来なかった。

「も、勿論よ。神章を持つ巫女でいらしたのだから。それにとても美しい方だったでしょう? あなたのその美貌は、あの方から受け継いだものよ」

「では何故、今ここにいないの? 私たち姉妹を置いて、どうして神都に帰ってしまったの?」

「ロナ……」

「私は子供だったから、何も知らないと思われてるのかもしれないけど、父上の部屋にある薬瓶、あの中身が何なのかぐらい知ってるわ」

「あれは……ただの精霊水よ」

「お祖母様にとってはそうでしょうね。でも、例え身分は低くても、父上にとっては最愛の女性だったのではなくて?」

 それはつまり、高貴な后を迎えるために、邪魔な存在だった王の寵妃を生贄にしやがったって事なんだろうか。

 何てこった。見てくれはおっとり優雅なお姫様だってのに、とんでもない婆さんだ。

「母上はきっとそれを知ってあなたを恐れたに違いない。国の将来を憂いての事と仰りたいのでしょうけど、そうやって思い通りにならない者たちを排除して来たんだわ。

 で、どうするおつもり? ランジャも思い通りに行かないようだけど、たとえ彼が『雷神の御子』であっても生贄にするのかしら?」

 彼女の言葉に、大師は驚愕も露わに俺を振り向くけど、その明らかに怯えを含んだ眼差しには何と答えていいか判らず、肩を竦めて見せるしかない。

 これで諦めてくれるといいけど……。と思ったのも束の間、次に大師が放った言葉には耳を疑った。

「それなら、尚の事ここから帰すことは出来ないわ」

「えぇ?! 何でだよ!」

「お祖母様?!」

「大丈夫よロナ。心配しないで。神使様は生贄にはならないわ。精霊水は本来、神を癒すための水なのだから」

 大師は当惑している彼女に歩み寄ると、晴れやかにして輝くような笑顔で言う。

「何と素晴らしい。『雷神の御子』を王に戴くと言う事は、今まで持ち得なかった『力』を手に入れるという事よ。神都に比肩し得る力を……」

「何ですって……?!」

「聖山ルラトイを擁するナクルタツリが、セブランが如き小国に膝を屈するなど有り得ない。この汚辱を晴らすには、何としても『力』が必要なのよ」

「神祖の盟約では聖山の剣はバルナタートの筈でしょう? 『雷神の御子』じゃないわ。それに、父上は復讐など望まない筈」

「盟約が結ばれた神祖の御世では、ナクルタツリは辺境国ではなかった。バルナタートが護るものは聖山の秘術であって国ではなかったのね」

「ルラトイが聖山と崇められるようになったのはどうしてなのか、お祖母様にはお判りにならないの……?」

 彼女の言葉には既に熱したような怒りはなかったが、いつになく悲しげな物言いには失望に近いものが感じられた。

「どうしてそんなことを言うの? 私は誰よりもこの国のことを想っているわ。今までも、これからもずーっと」

 何だってこうも的外れなんだこの婆さんは。彼女もさすがに溜息をつきながら目を伏せて首を振る。

「どうやらこれ以上話をしても無駄なようね。ディエシー、ランジャ、行きましょ」

「お待ちなさい!」

 部屋を出ようとする俺たちを、一転して威圧的な語気で制止する大師を振り返ると、その手の中には小さな緑色の薬瓶があった。それを目にした途端、彼女は狼狽し、硬直する。

「双宝氷水天華……!」

「お待ちなさいロナ。どうしても聞き分けないと言うのなら……」

 今しも瓶の蓋が開けられようとした、その時だ。

 舞うが如き素早さで相手の懐に入った彼女が、その目の前でパキン! と指を鳴らした瞬間、大師の鼻先に微かな赤い霧が立ち、同時にふっと力が抜けたところを咄嗟にディエシーが抱き留めると、奴の腕の中でくずおれた。

「お、おい、大丈夫なのか、それ……?」

 大師を抱き上げながら当惑気味に訊ねる奴に、彼女は転がり落ちた緑の小瓶を、戦利品とばかりに拾い上げ、法衣の襟元から胸の谷間に押し込みながら、得意げな微笑を見せた。

「大丈夫よ。毒性は無いから。薬師の修行を始めたばかりの子供が、最初に作る悪戯用の薬なの。文字通り、ただの目眩ましね。もっとも、私のは薬効を強めてあるけど」

 そう言いながら、誇示するように広げて見せた彼女の指先には、赤い粉末が僅かに残っていた。

 それを見たら何だか急に脱力してしまって、どっと溢れ出た疲労感に、奴と顔を見合わせると特大の溜息をついていた。やれやれ、斬った張ったの方が遥かに楽だ。

 気絶した大師は、奥の寝室に運んでベッドに横たえた。

 彼女は少しの間、その年老いた眠り姫の寝顔を見詰めていたが、何を思ったか、先程の戦利品を取り出すと、蓋を取って一滴だけ唇に垂らした。

 一瞬、苦い青草のような香りが立つと、四肢の先に痺れるような感覚があったが、すぐに分解され、彼女が蓋を閉めると同時に香りも消えた。

「手足の自由を奪う薬なの。大薬師たる師匠に効くかどうかは判らないけど。こんな手荒な手段を取るなんて、余程ランジャを気に入ったのね。薬が効かないと知ったら、一体どんな手を使うつもりだったのかしら」

 呆れたような口調で言いながら、ダガーを抜いて天蓋の飾り紐を切り取ると、俺たちにしたと同様にその皺深く細い手足をベッドに縛り付けた。念には念をということか。年寄り相手でも実に容赦ないな。

「ごめんなさいね、お祖母様。あなたのことは尊敬してるし頼りにもしてるけど、今回みたいなのだけは御免だわ」

 大師の耳元へ顔を近づけてそれだけ言うと、俺たちに外で待っててと言い残し、邸の奥へと戻って行った。

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