石使いランジャ   作:桜城静夜

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「やれやれ。優しい顔して厄介なお師匠さんだったな」

 外へ出ると奴は邸を振り返り、溜息混じりに呟く。

「まったくだ。危うくあんたの恋敵にされちまうとこだった」

「いや、俺は別に人妻でも一向に構わねぇけど。ってか、他人様の女を落とすってのも、これまた違った楽しみがあってだな……」

 やっぱりこの男は一度くらいぶん殴って、性根を叩き直しておくべきかも知れない。

「それはそうと、アシュリ聖下ってのは一体何者なんだ? どうやらソロ系らしいことは前にベニカから聞いたけど」

「あぁ、実は俺にもよく判らねぇんだ。神都にゃソロ系と思しき貴族や神官が何人もいるのは確かなんだが、そいつらの正体となるとさっぱりだ。

 女皇聖下ともなると、更に雲の上さ。最近の辺境諸侯じゃ謁見に与れた奴はいないんじゃねぇかな」

「御再臨遊ばされるってのはどういうことだ? あちこちでクレイドルが動いてることから見ても、神都にはあれ以上の環境があることは想像がつくけど、不老不死ともなるとアルコロジーの技術よりも上ってことだろ? 有り得るのか?

 大師の鍵にしたってそうだ。補助脳の基本情報を書き換えるには、医療ラボ級の設備と環境が必要な筈だ。それをやってのける七賢者てのは一体……」

「おいおい、ちょっと待てよ。俺だって何でも知ってるわけじゃねぇんだ。勘弁しろよ」

 苦笑しながら制する奴に、頭に湧いた疑問の洪水を、そのまま浴びせていた事に気付いて、はっと我に返った。

 言われてみればそれもそうだ。奴もまたこの世界じゃ新参者。一辺境国の王に過ぎなかったのだから。

「聞いた話では、七賢者てのは神官団のまとめ役らしいとか、聖下のご意見番らしいとかで、俺もトルフィニ師の話を聞くまでは、元老院みたいなもんだと思ってたんだが……。改めて考えると、宮廷ってのは随分と得体の知れねぇところのようだな」

 奴はそう言うと、謎解きを楽しんでいるかのような顔で、面白そうににやりと笑った。

 

 

 

 典薬寮との間に広がる庭園の中程で待っていると、暫くして男装に着替えた彼女が出て来た。が、ここを訪れた時よりも荷物が増えてるのは、一体どういうことなんだ?

「師匠の部屋にあった薬種を、全部持って来ちゃっただけよ。はい、これ持って」

 俺たちに大きな袋を一つずつ差し出すと、彼女は丸で悪餓鬼のように舌をぺろっと出して見せる。どうやら大師への意趣返しということらしい。

 苦笑しつつ受け取って仕方なく背負うと、中に山と詰め込まれた、硝子や陶器の小瓶が軽やかな音を立てた。

 帰る前に、亡き父王に花を手向けたいと言う彼女に付き合って、『春の塔』と呼ばれるもう一つの鐘楼に登る。

 延々と続く螺旋階段を上り詰めると、鐘を失った煤塗れの円蓋と、僅かに残る橋の袂とが、生々しい戦火の傷跡を残していた。

 彼女がそこから薬草の花束を投げると、谷を渡る強い風に一瞬吹き上げられ、白い花弁を雪のように散らしながら、遥か下を流れる雲海に吸い込まれて行った。

「『力』って、一体何なのかしらね……」

 花束の行方を目で追っていた彼女が、呟くようにぽつりと言う。

「今思えば、私も師匠と同じだったわ。『力』さえあれば……『雷神の御子』さえ手に入れれば、ナクルタツリは滅びずに済んだんじゃないかって。でも、手に入れたとて、きっと私にはあなたの『力』は使えないわ。

 あなたが、たった一矢で山賊たちを焼き払ったときに気付いたの。私の心の中に消えずに残ってる、炎への恐れがその答えなんだわ。フラムが反対した理由は、きっとそれね」

 彼女は自分自身に言い聞かせるように言うと、少しばかり切なそうな顔で俺を振り向いた。

「あの時はごめんなさい。護ってくれたのに……」

「いや、別に。用心棒の仕事をしたまでだ。気にすんな」

 そう言ってやると、一瞬だけ微かな微笑を浮かべて見せ、渓谷の向こうに見える城の塔に視線を遣った。

「『世界が十の神々に分け与えられた時、神祖カーリャは聖山を氷で鎧い、バルナタートの剣に秘術を以って報いた』……。幼い頃に師匠から聞かされた十神祖列伝によれば、薬術に長けていたナクルタツリの神祖は、バルナタートの祖たる軍神の戦傷を癒してから、その剣に護られるようになったそうなの。

 そのお蔭で、軍備に掛ける人材や国費を、薬術の発展に傾注することが出来たのに、長い間、守られる事に慣れてしまって、いつしかそれを当然の事と思うようになってしまったのかもしれない。

 バルナタートが流す盟約の血に、ナクルタツリは秘術を以って報いなければならない。それが私たち姉妹に託されたとされる薬譜だとすれば、父も、駐留軍も盟約を果たしただけだったのね。

 あの日……城が落ちた日、私たち姉妹は、ギルメル城下に駐留していたバルナタートの騎士に、馬車で連れ出されたの。私たちの護衛をしていた二人の若い騎士だったわ。

 セブラン側の山道に馬車の通れる街道は無かったから、北方三国を経由して出るつもりだったのかも知れない。

 でも、炎に包まれた城を見て、父や祖母を案じた私は、城門の手前で馬車を飛び出してしまったの。結局、御典薬師に見付けてもらうまで、炎に阻まれてそこから一歩も動けなかったけど……。

 私が炎の中で立ち竦んでいた時、父は典薬寮を護るために、塔の香炉で秘薬を焚いていたんだわ。城中が赤い霞に覆われて、それに触れた者の亡骸で埋め尽くされたと聞いた。

 死んだのは全てセブランの兵士で、ギルメル駐留軍には効かなかったとか。彼らは落城すると、薬草畑に火を放って本国へ帰ってしまった。

 当時は何故そんなことをしたのか、師匠や長老たちに訊いても、『盟約だから』としか教えて貰えなかったけど、今思えばディエシーの言った通り、秘薬とその奥義を、セブランから護る為だったに違いないわ。

 でも、何も知らない城下の民にしてみれば、裏切られたとしか思えなかったでしょうね。私も長い間、その意味を理解できなかった……」

 憂いを含んだ物言いに、山道で山賊に叩き付けられた言葉に反論もせず、じっと耐えていた彼女の姿が思い出された。

 恐らく、彼女自身の心の中にも、晴れない疑念が渦巻き続けていたのだろう。バルナタート騎士団への憎悪はそこから湧き出たものなのかもしれない。

「親父っさんは、自刃だった、とか……」

 ロアルデ支部で、師匠やベニカから聞いていた噂話を口にすると、彼女は、「いいえ」と語気強く答えながら首を振った。

「そう言う噂が流布している事も、それに対して、長老たちが誰も否定していない事も知ってる。だけど、事実は違うわ」

「え、違うのか?」

 ディエシーが彼女の表情を窺うように訊き返すと、今度ははっきりと頷く。

「父は殺されたのよ。敵はセブランかバルナタートかは判らないけれど、当時近侍についていた薬師から、直接聞いた話だから、間違いは無いわ」

 強い口調のままそこまで一息に捲し立てると、怒りを鎮める様に深い溜息をつき、静かに言葉を継いだ。

「父は敵刃に斃れた。師匠の言う事には、父は微笑んでいたそうよ。丸で勝者のようだったって。

 幼い頃は、私を慰めるために、師匠や長老が作り話をしているんだと思ってたけれど、近侍の薬師も同じ事を言ってた。今わの際に、典薬寮の安否を訊ねた父に無事を告げると、微笑んで息絶えた、と。

 神祖の教えに従い、剣の力を持つ代わりに、薬術を磨くことが国防に繋がると信じていた父の理念も、今なら判る気がするわ」

「それだけじゃねぇな。ひょっとするとハルトランガ王は、本当に勝者だったのかも知れんぜ」

 腕組みをしながらいたずらっぽい口調で言う奴を、彼女は怪訝な顔で振り返る。

「勝者……?」

「おーよ。考えても見な。今この国は誰の支配下だ? 攻め込んだセブランは何を手に入れた? 戦利品どころか、この国の亡霊を恐れて、手も足も出ねぇ様子じゃねぇか。

 麓で聞いた噂が本当なら、王は秘伝の毒薬で、敵陣に赴くことなくセブラン騎士団を殲滅し、この国に仇なす者へ恐怖心を植え付け、更に偽薬や偽薬師の横行を以って、改めてナクルタツリの重要性を世に知らしめ、その存在価値すら吊り上げて見せた。しかも、その心臓部たる典薬寮も、継ぐべき王族も無傷ときた。

 剣の力しか知らん連中に、それすら及ばん力を見せ付けて、笑って死んで行ったんだ。綺麗な顔してやがるのに、おっそろしい王様だぜ」

 渓谷の向こうに聳える城を見詰めたまま、心底面白そうにからからと笑う奴の言葉を、彼女は黙って聞いていたが、心なしか晴れやかな顔で天を仰ぐと、小さく「父上」と呟いた。

 

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