ベニカが動けないことには、先へ進めないので、店主の好意に甘えて暫くこの街に滞在することにした。
とは言っても、治療はフラム老師が専属でやってくれてるから、俺たちに出来ることは殆ど皆無だ。
なので、それぞれ好き勝手に行動することにしたのだが、同じ部屋に逗留しているにも拘らず、ディエシーとは殆ど顔も合わせない日々が続いていた。
奴は毎日何をやってるんだか、晩飯を終えると、「情報収集だ」と言いながら夜の街に出掛けて行き、翌朝、俺が目を覚ます頃になると、帰って来るなりベッドに潜り込む体たらくだ。
まぁ、いつも酒か香水の匂いをぷんぷんさせてるあたり、大体察しは付くけれど。
老師の薬術のお蔭か、ベニカの回復は早かった。何でも、彼は本来なら王家お抱えの御典薬師らしいのだが、暗君との折り合いが悪くて、何年も前に城を引き払ってしまったそうだ。
今では店の奥に陣取って息子を手伝ったり、施療院を訪れる修行薬師の面倒を見る日々らしい。そんな腕利きに付きっ切りの看護をしてもらえるなんて、ベニカも随分な高待遇だ。
最初のうちは脚が萎えてしまっていて、部屋から出るのも一苦労だったけど、七日もすると階下まで一人で降りて来られるようになった。
近頃は、店先の椅子で本を膝に乗せ、術譜の暗誦をしながら俺が来るのを待ってるくらいだ。
「あ、ランジャ様」
俺の姿を見つけると、彼女は慌てて本を閉じ、いそいそと椅子を降りる。
「お早うベニカ。調子はどうだ?」
「大丈夫です。もう脚も痛くならないの」
元気な声で言いながら、その場でぴょんぴょん跳んで見せるけど、完治にはもう少し掛かりそうだ。
既に日課となったリハビリのために、奥の階段を上がるように促したが、彼女は困ったような顔で俺を見上げた。
「タリスさんに店番を頼まれたんです。施療院から帰るまで待ってて下さい」
タリスと言うのは老師の息子で薬屋の店主だ。やれやれ。ベニカが人懐こいのをいい事に、ちゃっかり使われてるな。
老師もまた店の奥で薬の調合に掛かり切りらしく、表には出て来れないらしい。
仕方ないので、そのまま店先で彼女の修行に付き合っていると、動き始めた商店街の賑わいの中、温厚な顔に申し訳なさそうな表情を浮かべながら、太鼓腹を重そうに揺らして駆けて来るタリス店長の姿が見えた。
「お早う。朝から忙しそうだな」
「いやぁ申し訳ありません。つい話し込んじまいまして……」
苦笑交じりに声を掛けてやると、店主は極まり悪そうに頭を掻いて見せ、ベニカに礼を言うとそそくさと店内のカウンターに入った。
「今じゃベニカはウチの看板娘ですよ。読み書きが出来る上に愛想が良くて、おまけに器量よしですから」
そう言って穏やかな声で笑う彼に、彼女もまた俺を見上げると照れ臭そうにえへへと笑う。
「ずーっと居て欲しいけど、そうもいかないからねぇ。早く元気になって神都へ行ったら、また帰りにでも寄っておくれ」
彼は優しい口調でそう言うと、「はい」と笑顔で答え、店の奥の階段をゆっくり上って行く彼女を、目を細めて見守っていた。
何度か階段を上り下りした後は、休憩も兼ねて暫く修行に付き合ってやる。
と言っても、彼女が暗誦する術譜を聞いて、正しければ精霊石の小石を発動してやるだけなのだが、彼女はこの方法が甚くお気に入りの様子で、毎日修行の度に何度でもせがまれた。
お気に入りと言えば、大抵毎日、修行の後にリハビリの一環として広場まで散歩するのだが、その帰りに小さな食堂で昼食を摂るのが日課になっていた。
何でも、女将がロアルデの生まれとかで、同郷と知って振舞ってくれた薄荷茶がお気に入りらしい。
今日もまた、鴨のローストのサンドイッチを綺麗に平らげた後、カップにたっぷりの蜂蜜を入れて、大切そうに飲んでいた。
まだ少しやつれた感じに見えるけど、この食欲なら元に戻るのもそう遠くないだろう。明日は少し遠出するか。
馬で遠乗りってのも悪くないだろう。そう思って一昨日あたりに下見に行った時、静かな林の中に大きな池を見付けたっけ。
土産にと狩った鴨を、「ベニカに食わせてやってくれ」と女将に持って行ったら驚かれた。
本職は狩人だと言ったら「神使様が? ご冗談でしょ」と取り合って貰えなかったけど。
彼女が早く神都に行きたがっているのは、重々承知ではあるのだけど、村を出てからこっち、ずっと慌しい毎日だった為か、何だかこうやってだらだら過ごすのが心地良かった。
あちこち寄り道しながら夕暮れ時に帰って来ると、店が見えて来た辺りで彼女は一瞬立ち竦み、俺の後ろに身を隠した。
何事かとその怯えたような視線を辿ると、五、六人の少年が店先から中を覗き込んでいる。
いずれも柄が悪そうで、お世辞にも毛並みがいいとは言えない連中だ。
店主は奥にでも入っているのか、追い払う様子も無い。
「何だ? あいつら……」
「判りません。時々向かいの角から、ああしてお店の中を窺ってるの。今日はあんな近くまで来た……」
彼女が怯えるのも無理は無い。同年代と言えば、純朴でこざっぱりとした村の子供や、ホルザレン会門下の良家の子息たちしか知らずに育ったんだ。
ここは店主や女将のようにいい人も多いけど、やっぱり吹き溜まりの街だけあって油断はならないな。
彼女をクロークの中に庇ったまま、連中に気付かれないように店の裏手へ回ると、裏口からすぐ二階へ上がるように指示し、そのまま路地を通って、こっそり店の表に戻った。
連中は「居る?」「居ねぇ」などと言いながら、まだ店の中を覗き込んでいる。そこへ足音を忍ばせて近付き、一番後ろの少年の首根っこを捕まえると、通り中に響くような悲鳴が上がった。
「やべぇ! 逃げろ!!」
残りの連中が薄情にも逃げて行くのを見送りながら、捕まった少年はじたばたもがきつつ「放せ! 放せ!」と怒鳴り散らす。
「何の用だ?」
顔を覗き込んで訊いてやると、少年は「ぅわ! 神使様……!」と叫ぶなり抵抗を諦めた。
手を放してやると、罰の悪そうな顔でがしがし頭を掻きながら、向かいの角からこちらを窺っている仲間を、恨めしそうに振り返った。
「ベニカを見に来ただけだ」
「へ?」
ぶっきらぼうに答える少年の一言は、一瞬、何のことやら意味が理解できなかった。彼は、俺の腰に佩いた剣をちらりと見てから、言い難そうに言葉を続ける。
「ヨシュが、裏の薬屋に、ここいらじゃ見掛けないような、すげぇ可愛い子がいるっていうから、見に来たら本当に可愛いくて、それで、その、毎日……仕事の合間にだけど……」
何だそりゃ。ただ単に、毛色の違うのを見付けたので見物に来てただけということか。
「当の本人は怖がってるんだが」
半ば呆れて腕組みしながら言ってやると、彼はあからさまに落胆した顔で俺を見上げた。
「何だよ、俺たちベニカを護る騎士団なのに……!」
その一言には、悪いと思いながらも思わず吹き出した。騎士団って、お前ら……。
「あんなこそこそした騎士団があるかよ」
「だって! だって、ベニカって小さくて、きらきらふわふわのお姫様みたいで、俺たちみたいな薄汚いのなんか、相手にしてもらえないかもしれねぇだろ? そしたら……カッコ悪いじゃねぇかよ」
俺に笑われたのが癇に障ったのか、彼はムキになって言い返す。
「怖がらなくてもいいのに……。浮浪児と違って店の子は悪さなんかしねぇよ。何たって店のシンヨウに係わるからな」
「生意気言ってやがる。意味判ってんのかよ」
「判るさ! シンヨウがなくなると父ちゃんにぶん殴られるって事だよ」
なるほど。体で覚え込ませる教育方針と言う訳ね。さては何か仕出かす度にやられてるな。
「神使様はいつもベニカと一緒だけど、あの子の父ちゃんなの?」
「違うけど、まぁ、親代わりみたいなもんだな」
「じゃあさ、あの、俺たちを騎士団として認めてもらえないかな……」
面白い奴だ。友達になりたいってのなら判るけど、どうあっても騎士団を名乗りたいらしい。
そんな中、窓が開く音を見上げると、二階からこちらを窺っているベニカと目が合った。
「ベニカ、こいつらお前と友達になりたいんだってさ」
友達じゃねえよ騎士団だよと不満げに呟く少年をよそに、ベニカは「友達?」と聞き返す。
そいつに軽く頷いて見せると、顔を引っ込めて窓を閉め、ゆっくりとした足取りで店先まで出て来た。
「ランジャ様……?」
まだ怖がっているのか、彼女は俺に隠れるようにしがみ付くと、不安そうな顔で見上げる。
「悪さはしないってさ。怖がられるのは心外だそうだ」
その言葉に強く頷いて見せる少年と、俺の顔とを交互に見ると、彼女はしがみ付いたままおずおずと手を差し伸べた。
「タ、タラサノのベニカです……よろしく」
「俺はカロン。表通りの仕立て屋の」
すると少年は、握手に応えるのかと思いきや、その場に跪くと彼女の手を恭しく押し戴き、
「お会い出来て光栄です。我が姫」
なんぞと言うなり、小さな手の甲に唇を押し付けた。やれやれ。すっかり騎士気取りだな。
「わ、我が姫?」
思い掛けず口付けされた手を慌てて引っ込めると、彼女は面食らったように大きな目を瞬かせた。
「あー! ずるいぞカロン!」
「抜け駆けかよー!」
すかさず向かいの角から抗議の声が上がる。
「仲間を見捨てて逃げる卑怯者なんか騎士じゃねーよ!」
負けじと言い返すカロン少年に、他の連中は慌てて駆け寄って来ると、「悪ィ」だの「許せ」だのと口々に詫びた。
「俺を隊長にしてくれるんなら、許してやってもいいけど」
調子に乗ってやがる。だが、仲間たちからは「しょうがねぇな」と言われつつ、不承不承ながら隊長として認定されたようだ。
「やべぇ。父ちゃんだ」
仲間の一人が裏通りの入り口を透かし見てぺろっと舌を出した。見れば肉屋の前掛けをした大男が、こちらを指差して何事かを怒鳴り散らしている。どうやら仕事をサボっていることを見咎められたようだ。
肉屋の息子が慌てて逃げ出すと、他の連中も蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。何とも騒々しい連中だ。