宿に戻って、ベニカの手紙をディエシーに渡すと、奴は無造作に封を開けるなり、何の遠慮も無く読み始めやがった。
「えーと何々? 『おやかたごぶさたしてます。おげんきですか』」
「おい、何堂々と読んでんだよ!」
「え? だって何を書いたのか気になるだろ?」
「そりゃ気になるけど、読むなって散々念を押されてンだ」
「義理難いねぇ、お前さんも」
奴はそう言って笑いながら便箋を手にベッドへ腰掛け、続きは黙読にしてくれたはいいが、時々吹き出したり、くすくす笑ったりするのが気になって仕方ない。
そんな俺に、奴はからかい半分で「読むか?」と訊くが、一瞬躊躇してから「いや、やめとく」と固辞すると、声を上げて笑いやがった。畜生、何だってんだ。面白くねぇ。
奴は読み終わると、王への密書をベニカの手紙に挟み込み、封蝋を施すと停車場へ出しに行った。
往復で一ヶ月。向こうからの返事が早馬で来たとしても三週間は掛かるらしい。ベニカには悪いが、神都行きはまた暫く延期だな。
「奴に用事が出来たから」と理由を告げると、彼女は少しがっかりしたようだったが、店長や自称騎士団と、もう少し一緒にいられることについては異存は無いようだった。
それはいいとして、元気になった彼女をいつまでも預けておく訳にはいかないので、宿屋に連れて帰ろうとすると、店長に引き止められてしまった。
「でしたら、ご出発の日まで、ベニカにウチの店番として働いてもらうってのはどうでしょう? 親父も喜びますし、私が留守の間だけ店に出てくれれば、それで十分ですから」
これまた随分と気に入られたもんだ。彼女に話をすると勿論二つ返事だったが、俺が毎日術譜の家庭教師をすることが条件だそうで。要するに、今までと変わらない生活がまだ暫く続くということだな。
ディエシーの奴も相変わらずで、一晩中どこぞでシケ込んで来たかと思えば、時々ルクレシアを連れてきては宿で休ませるといった生活を続けていた。
気休めかもしれないけれど、それでも少しは回復してきているのか、自称騎士団の連中によると、街では「ルクレシアが綺麗になった」と噂になってるらしい。
「男が出来たんだって、ウチの兄ちゃんが言ってたぜ」
「俺知ってる。フーシェの宿に長逗留してる風来坊だって」
「何か、ガタイのいい金髪の男前だってよ。騙されてるんじゃないの? って母ちゃんが言ってた」
「だったら可哀想だよ。遊び人なんだろ? そいつ」
やれやれ。お前ら本当にベニカと同年代か? 丸で酒場で管巻いてる酔っ払いの話を聞いてるみたいだぞ。
何でも彼らによれば、そんな彼女の噂を聞いて、また客が付く様になったらしい。一度ばかりは、嫌がって奴の部屋へ逃げて来たところを、娼館の用心棒に連れ戻されたことがあったとか。
本国からの返事が来るまでは、いつも通りにしていた方がいいと判断したか、奴は殴られても無抵抗だったようで、確かに、いつだったか頬に痣を付けて憮然としていた日があった。
彼女もあんな体で客を取ったら弱る一方だろうけれど、今は耐えるしかない。
奴も普段なら三下如きに伸されて黙っているようなタマじゃないだけに、内心は忸怩たるものがあったに違いない。
「あの子なら、身請けされるみたいだよ」
買い物のついでにベニカと世間話をしていた、紅百合亭の娼妓たちが振り向いて言うと、騎士団の連中は「えぇ?! ほんとかよ!」と、一斉に色めき立つ。
「さっき白薔薇館の前を通りかかったら、立派な馬車が停まっててさ、身なりのいい旦那が女将と話してたんだよ。ルクレシアがどうのってね」
「そうそう、半病人でも神使様だもんさ。貰い手くらい付くだろ」
「本当か、その話……!」
思わず立ち上がって詰め寄ると、娼妓たちはどぎまぎと俺を見上げ、揃って耳まで赤くなる。
「た、多分そうだよ。あの業突く婆ァったら、その旦那と上機嫌で話してたから。あの人がご機嫌なのは、身請けの話の時だけなのさ」
「ルクレシアが身請けされりゃ、あの子目当てのお客が、ウチにも流れて来るってもんだ。いい事尽くめじゃないか」
「元気な頃は綺麗だったもんねぇ、あの子。おまけに気立てもいいしさ」
「みんな偽者だって言ってたけど、やっぱり本物だったんだねぇ」
「そりゃあんた、本物だってバレたら、方々で首が飛ぶって」
「あーぁ、あたいもお大尽に請け出されたいもんだ」
「あんたみたいなお茶っ引きに、お大尽なんかつくもんかい」
「あっははは、それもそうだ」
彼女たちはぺちゃくちゃと上機嫌で話してるけど、何だか嫌な予感がする。こっちの計画がバレるのもまずいが、他人に身請けされるのもまずい。
俺はベニカに「ちょっと出掛けて来る」とだけ言い残すと、店を飛び出した。
宿屋の二階へ駆け上がって部屋へ飛び込むと、出掛ける寸前の奴とかち合った。「聞いたか?」の問いに「聞いた」と答える。
「まずいな」
「あぁ、まずい」
「畜生、返事はまだかよ」
「早くてもあと一週間は掛かるな……」
奴はそう言いながら、自分の掌に苛々と拳をぶつけた時だ。階段を上がって来る音に続いて、控え目なノックの音がした。答えて扉を開ける奴の胸に飛び込んで来たのはルクレシアだ。
「どうした! 何があった!」
奴の問いにも、彼女はしがみ付いたまま震えるだけで答えようとしない。
「私を……私を殺して下さい。ディエシー様」
抱き寄せられて宥めるように背中を撫でられると、彼女はやっとの思いでそれだけを言い、あとは奴の胸に顔を埋めたまま啜り泣くばかりだ。
「どうした! 落ち着けルクレシア」
「お願い……殺して。ディエシー様のお側で死にたい……」
「落ち着けって。そういう台詞はベッドの中だけにしろ」
おいおい、ドサクサに紛れて何言ってやがンだ。
「枢機卿が、あの男が店に……」
「何だと?!」
奴は吼えると、彼女を抱き締めてギリと歯噛みする。
「まさか、まさか身請けするってのは……」
彼女は奴の胸から俺を振り向くと、濡れた瞳のまま頷いた。畜生、何てぇ執念深い野郎なんだ。
出来ればすぐにでも逃がしてやりたいが、今の彼女の体力ではロアルデまでの長旅なんて到底無理だ。どこかへ匿うにしても、娼館の用心棒はこの街を知り尽くしてるに違いない。
「下郎の分際で女神を妾にしようなんて、太ぇ野郎だ」
彼女の髪に頬を埋めたまま、殺気立った目で奴が呟く。待てよ、女神……? 彼女が神族ならば或いは……。
「ルクレシア、あんた確か巫女だったんだよな」
唐突な俺の問いに、二人同時に怪訝顔を向ける。が、奴は気付いたようで「あ!」と声を上げた。
「神章だ! お前さん、神章は持ってるか?」
奴は彼女のか細い両肩に手を置くと、顔を覗き込むようにして訊く。そんな俺たちの様子に彼女は戸惑った様子だったが、奴を見上げたまま静かに頷くと、そっと前髪を掻き揚げた。
「よっしゃ!」
奴は強く拳を固めて叫んだ。彼女の白い額には、奴と同じ赤いアイコンが浮かんでいる。補助脳が備わってる証だ。これならクレイドルが使える!
だが今すぐには動けない。神殿へ行こうにも日没までは石使いとその客でごった返してる筈だ。
その内陣へ、神官でもない俺たちが入って行くのはまずいだろう。ましてや目的地は彼ら言うところの禁断の地……『神域』だ。
「仕方ねぇ。夜を待って連れ出すしかねぇな」
「大丈夫なのか? 娼館の奴ら、絶対あんたを警戒してるぞ」
「なぁに、そん時ゃ『別れを言いに来た』とでも言って、小芝居の一つでも打ってやるさ」
そう言って奴が笑って見せると、漸く彼女の顔にも微かな笑顔が浮かんだ。
「いいなルクレシア。もう少しの辛抱だ。俺が迎えに行くまで、いつも通り大人しくしてるんだ。女将にとっちゃ今やお前は金蔓だ。抵抗すれば監禁されるぞ。そうなりゃ終いだ」
念を押す奴に、彼女は心なしか明るい声で「判りました」と答え、ふと背伸びすると奴の頬に口付けてから部屋を出て行った。