城下が日暮れと共に闇に沈む中、宿屋のある城門付近と、それに連なる繁華街だけは、終夜明々と灯が点り続け、酒場と娼館が乱立する通りは、酔客の怒声と客引き女たちの嬌声で溢れ返っていた。
大きな精霊石が煌々と輝く街灯に寄り掛かって、道行く人波を眺めていると、時折、年端も行かないような街娼が声を掛けて来るが、相手にせずにいると、皆一様に悪態をつきながら去って行く。
この殺伐とした空気がこの街の本性だ。こんな場所でも、ルクレシアにとっては心安らぐ隠れ家だと言う。
通りの向こうの白薔薇館では、入り口で押し問答が続いている。
喧騒に掻き消されて声は聞こえてこないが、ディエシーが懸命に説得している相手は女将なのだろう。濃い化粧をして派手に着飾ってはいるけれど、でっぷりと太った醜悪な老婆だ。
女将は奴を追い返したい様子だが、野次馬で集まって来た娼妓たちは、どうやら奴の味方らしい。
彼女らに一斉に抗議されると、女将は渋々引き下がり、代わりに現れたルクレシアの肩を抱くと、奴は娼妓たちに礼を言って店を後にした。
「お疲れ。素晴らしい色男っぷりだな」
少々茶化し気味に言ってやると、奴は大げさに溜息をついて見せた。
「やれやれ。しぶとい婆ァだぜ。一時間だけときたもんだ。そんなせせこましい逢瀬があるもんかよ。なぁ」
そう言いながら奴に顔を覗き込まれると、彼女は少し恥ずかしそうに微笑む。
「じゃ、あとは手筈通りに」
「了解」
俺の短い返事を聞きながら、奴は彼女の白い耳元へ名残惜しげに口付けると、そのまま独りで宿へ戻って行った。
奴はそこで、彼女を取り戻しに来るであろう、白薔薇館の用心棒どもを迎え撃つ手筈になっている。
俺は奴の背中を見送ると、彼女を抱きかかえるようにして神殿へ急いだ。
繁華街の通りを一本脇に逸れただけで、月明かりと街灯が照らすだけの暗闇になるのは有難かった。いつもベニカと散歩している賑やかな裏通りも、灯が消えて廃墟のように寝静まっている。
広場を横切り、神殿に辿り着くと、無人の筈の柱廊の広間には、数人の浮浪者が屯していた。どうやらここを定宿にしているようだ。
一瞬身構え、彼女を背に庇いつつ剣把に手を掛けて見渡してみたが、彼らは俺たちに胡乱な眼差しを向けるだけで、特に何かをして来る気力は無い様だった。
内陣のタペストリーをたくし上げ、中の階段を降りると、通路の先にアイコンの付いた金属質の壁を見付けた。
例によって、ここもタルセンド城下と同じ造作のようだ。アイコンに触れてドアを開けると、彼女は怯えた様子で不意に立ち止まる。
「ランジャ様、一体何を……?」
「早く中へ! 追手が来たらまずい」
「いけません。私は穢れた身……神祖のお許しも無く立ち入れば、罰を受けます」
「いいから早く! 俺が許す!」
半ば強引に手を引いて素早く中へ飛び込むと、背後で閉じたドアと、一斉に灯った壁面照明に、驚いた彼女は小さな悲鳴を上げて蹲る。
「大丈夫だ。怖がらなくていい」
手を差し伸べると、彼女はおずおずと立ち上がりながら周囲を見回した。何も無いところを見ると、どうやらここは控えの間らしい。
奥にもう一つのアイコンを見つけて手を触れると、果たしてあの『神炉の間』が現れた。微かな低周波を感じるあたり、無事稼動中のようだ。
中へ入ると、彼女は背後で閉じるドアを不安そうに振り返る。例の骨董品クレイドルに歩み寄り、操作パネルに触れると、密閉の解かれる音と共に蓋のロックが外れた。
「こいつを使ったことは?」
「い、いいえ。これは一体、何に御座いましょう?」
パネルを操作しながら背中で聞くと、彼女は震える声で答えるが、俺はそれには構わず蓋を開けて中を確認する。
「あんたら『神炉』って呼んでるんだろ。こいつであんたを回復させるんだ」
溶液の純度も申し分無し。これなら使えそうだ。問題は修復完了までどれくらい時間を要するかだな。
「服を脱いでくれ」
……返事が無い。不審に思って振り返ると、彼女の怯えた目と出合った。
「大丈夫だって」
そう言って歩み寄ると、何故か悲鳴を上げて後退さり、退路を壁に阻まれると、俺を見上げる赤い瞳にみるみる涙が溢れて来た。
「な……何、どうしたんだよ」
訳が判らない。取り敢えず宥めようとして腕を掴むと、縮こまるように体を硬くする。背けた顔を幾つも涙が伝い落ちるのは何故なんだ? 何故そんなに震えてるんだ? こいつがそんなに怖いのか?
「ランジャ様……そういう方だったのですね」
「え?」
「優しい方だと思っていたのに……酷いわ」
「えぇ?!」
ちょっと待て! やっと意味が判った。だがその途端、頭にカッと血が昇る。
「違うって! そうじゃない! 何を勘違いしてンだよ! あんたをどうこうしようなんて気はねぇって!」
あぁ畜生! 何て説明すりゃいいんだ。こんな事で押し問答してる場合じゃ無いってのに……!
じりじりしながらくしゃくしゃと頭を掻くと、儘よとばかりに彼女を抱き上げる。こうなりゃ実力行使あるのみだ。後のことは後で考えりゃいいや。
骨と皮ばかりの彼女の体は、哀れにもベニカ程の軽さだ。突然抱き上げられて驚いたのか、硬直したように目を見開いたまま俺の顔を見上げている。
そのままクレイドルに浸けると、悲鳴を上げて起き上がろうとするので、「ごめん!」と言いながら頭を押さえ付けると、ゴボゴボと音がして液面が泡立った。
肺に溶液が満ちる感覚は、慣れないと溺れる様な気がしてパニックを起こすかもしれないけど、今はそんなこと気にしている余裕は無い。
気を失って底に沈んだ彼女の様子に大きな溜息をつくと、蓋を閉めて操作パネルに触れ、小さなディスプレイに流れる情報を注視する。
補助脳と問題なく接続できればいいけど、もしも拒否されるようなら、分解が始まる前に強制終了しなけりゃならないので気が抜けない。
走査中の表示が消え、接続完了の文字に安堵すると、数秒後に現れる修復時間の表示を待つ。基本情報の生成込みで二時間半か。彼女は初めて使うんだ。多少時間が掛かっても仕方ない。
操作を終えると、ここを出て控の間で待つことにする。ディエシーは旨く切り抜けられるだろうか。どうせ奴の事だ。この前の礼とばかりに派手な大立ち回りを演じるに違いない。
何も無い床に座り、壁面照明が輝く滑らかな壁に背中を預けると、殺風景な部屋の中に、所々小石が散らばっている事に気付いた。こいつはきっと、神殿で取引されてる精霊石の欠片が転がり込んだものだろう。
何気なく拾い上げてレベル5を入力すると、仄かな光を放つ。指先を温める温もりに、思い出すのはベニカの無邪気な笑顔だ。今頃は薬屋の二階で、どんな夢を見て眠っているのやら。
ルクレシアの修復が終わって無事送り出したら、今度こそ神都へ向けて出発できるだろう。随分と振り回してしまったけど、いつも笑顔でいてくれるのが救いだな。