石使いランジャ   作:桜城静夜

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その7.光の女神について
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 遠くでアラームが鳴っている。毎度お馴染みのけたたましいベル音だ。はいはい起きます。起きますよっと。

 寝心地が悪いのは、きっと徹夜の残業中で、休憩室のソファか何かで仮眠しているからに違いない。

 まったくどいつもこいつも、何だっていつもいつもギリギリになって、山盛りの仕事を頭を掻きながら持ってきやがるんだ。締め切りは毎月二十五日だと知ってる癖に……!

「馬鹿野郎」

 と、思わず口をついた自分の悪態に目を覚まされると、そこは休憩室の天井でもクレイドルの蓋の裏でもなく、暴力的な照度の壁面照明に霞む、殺風景な控の間の景色だった。

 どうやらいつもの悪い癖で、また眠ってしまったらしい。心身ともに疲れていたとはいえ、嫌な夢を見ちまったもんだ。

 立ち上がると同時にアラームが止んだ。俺が行くまでも無く、ルクレシアは自分で蓋を開けたようだ。

 奥の部屋のアイコンに触れてドアを開くと、そこには半病人の娼妓の姿は既になく、代わりに光を纏うが如き女神がいた。

 無機質な照明を受けて輝く豊かなプラチナブロンドが、柔らかく艶やかな白磁の肌を滑る。

 空のクレイドルの中で半身を起こし、呆然と両の掌を見詰めているその四肢は、ほっそりと伸びやかなソロ系特有のものだ。

 肋骨が痛々しく浮いていた胸にも、小ぶりながらも美しい乳房が隆起していて、あまりの変貌振りに言葉もなく見詰めている俺の視線に気付くと、小さな悲鳴を上げながら両腕で隠し、体を捻って背を向けた。

 輝きを放って揺れる長い髪から覗く、しなやかな背中もまた美しい。

 身に着けていた筈の粗末な服は、案の定、綺麗さっぱり分解されてしまったようだ。

 少々呆れ気味に溜息をついて歩み寄り、脱いだクロークを肩に掛けてやると、白銀の長い睫毛に縁取られた、ルビー色に輝く瞳が俺を見上げた。

「服を脱いでくれって言った意味が判ったろ?」

 そう言って笑うと、瑞々しい張りの戻った頬を薔薇色に染め、ふと視線を逸らすと、小さな声で恥ずかしそうに「ごめんなさい」と答える。

「私、ランジャ様に何という事を……」

「まぁいいさ。気にすんな」

「これは一体……、もしや、もしや貴卿は……」

 俄かに怯えを滲ませる眼差しは、片目を瞑ってやると訝しげな色に変わる。

「神様があんたを受け入れてくれたって証だ。俺は只のしがない石読みでね。こいつは大切なクロークなんだ。あとで返してくれよ」

 軽い調子で言いながら銀のブローチを留めて顔を上げると、目の前に濡れたように艶めく唇があることに気付き、どきっとして動作が止まった。

 その紅い唇が微かに微笑み、誘うように僅かに開くと、俺を見上げていた赤い瞳がそっと白い瞼を閉じる。

 どうやら、身一つの娼妓にとっては、これが精一杯の返礼と言う事の様だ。

 少しばかり戸惑ったけど、たまには役得ってのも悪くないよな。こんな姿を見せられて何も思わないような野暮天じゃなし。

 静かに重ねた唇の弾むような張りと、柔らかな舌の甘い感触に酔い痴れていると、遠くから急かすようなノックの音が聞こえて来た。何だよ、無粋な奴め。

 名残を惜しむように軽く啄ばんでから離れると、ドアを振り返る。五回のノックならディエシーだ。

 奴は一度では判らないと思ったか、二度目はゆっくりとノックする。彼女と顔を見合わせて肩を竦めると、ドアに歩み寄ってアイコンに触れた。

 奴は肩で息をしながら入って来るなりにやりと笑う。相当派手にやらかしたんだろう。未だ興奮冷めやらずといった状態だ。

 「彼女どうよ」の上機嫌な問いに、「美神の復活だ」と答えて奥を振り返ると、クロークの前を掻き合わせながらクレイドルから出て来た彼女の姿を、立ち止まったまま呆然と見詰めた。

「こいつは凄ぇ……」

 その一言だけをやっと口にした奴に、彼女は静かに歩み寄ると、そっと寄り添って厚い胸に額を預ける。

「ディエシー様、私……」

「顔をよく見せてくれ」

 奴はそう言って大きな両手を彼女の頬に添えると、優しく上向かせた。

「綺麗だ。綺麗だルクレシア……。これが本来のお前の姿なのか。丸で呪いでも解けたみたいじゃねぇか」

 その感極まったような物言いに、彼女は初めて幸せそうな微笑を見せる。

 奴は彼女を上向かせたまま、堪り兼ねたように慌しく口付けると、抱き締めて柔らかな髪に頬を埋めたが、はたと気付いて顔を上げると、彼女の両肩に手を置いて体を離し、クロークに包まれたしなやかな肢体を、上から下までしげしげと眺めた。

「服は?」

 きょとんとして俺を振り向く奴に、苦笑で応えながら、おどけた仕草でぱっと両手を開いて見せる。

「おいおい、着たまんま入れたのかよ」

「仕方ないだろ。細かいこと言うなよ」

「あのなぁ……」

 奴は小さく舌打ちして金髪頭をがしがし掻くと、自分を見上げる彼女の不安そうな眼差しへ、呆れたように肩を竦めて見せた。

「しょうがねぇな。どこかで調達して来るか……。さて、女神様はどんな御召しがお似合いかな」

 恥ずかしそうに頬を染める彼女に軽口を叩き、細い肩を大切そうに抱くと、奴は俺へ顎をしゃくって外へと促した。

 

 

 

 控の間を後にして短い通路を進み、神殿へ出る扉を開けた時だ。

 浮浪者とは違う複数の声と、足早に近付いて来る人の気配に、足を止め、タペストリーの陰で耳を澄ました。

「神族の男とな?」

 不機嫌に問う老人の声に、付き従う複数の影の中から男の声が、「左様に御座います」と丁重に答える。俺の事だろうか。奴ら一体何者だ?

「どうしたよ」

 立ち止まったままの俺を訝しむ奴の声を、咄嗟に制したが遅かった。

「誰だ!」

 奴の声に気付いたか、誰何する怒声と共に駆け寄る足音に、「来るな!」と二人を制しつつ抜剣して外へ出るが、奴もまた彼女に「動くなよ」と言い聞かせつつ剣を抜く。

 明り取りから差す月光に浮かぶのは六人。剣把に手を掛け、祭壇を挟んでこちらと対峙する五人が、俺たちから背後の老人を庇って後退さる。

「これは神使様、このような深夜に神殿へお越しとは、一体どのような御用ですかな? あぁ、もしもご婦人との逢瀬をお楽しみでしたのなら、お邪魔しましたことをお詫び申し上げたい」

 男たちの背後から内陣にいる俺を見上げて、贅沢な仕立てのローブを纏った細身の老人が、粘りつくような気持ちの悪い声で問う。慇懃な物言いながらも馬鹿にした口調が癇に障った。

「さて、お姿をお見かけした者に依れば、ご同伴のご婦人も神使様だったと窺いましたが、どちらにおいでに御座いましょうか? 私共はその女神様をお捜し申し上げておる者です」

「誰だよお前ら」

 憮然として問う俺に、老人は片手を軽く上げて従者たちを下がらせると、前へ進み出てにやっと笑うが、爬虫類を思わせるような表情の無い目が冷たく光るばかりだ。

「これは失礼致しました。私はヴィスロと申しまして、聖下の下僕に御座います」

 その名を聞いて、タペストリーの裏から「ひっ」と言う悲鳴が上がると、老人は畏まって下げた頭の下から炯々とした眼光を放った。

 こいつが、この毒蛇のような薄気味の悪い男が、ルクレシアの仇敵か。

「ほぅ。そちらにおいででしたか。随分とお捜し致しましたよ、フィノンお嬢様。あぁ、こちらではルクレシアと言うお名前だそうですね。お嬢様に相応しい、実にお美しい名だ」

 老人は低く笑いながらゆっくりと進み出ると、大げさな身振りで祭壇を仰いだ。

「フィノン様、どうかこのヴィスロめにお姿をお見せ下さい。お嬢様にお逢いしたい一心で、長きに渡ってお捜し申し上げておりましたが、この街においでになると聞き、矢も盾もたまらず罷り越しました。

 私が参りましたからには、もう何もご心配になることは御座いません。神都の我が邸にお越し頂く手筈は、全て整って御座いますよ」

 舌なめずりでもしそうな粘着質な老人の言葉に、ディエシーが思わず「ブッ殺してぇ」と呟く。

 同感だが、いずれこいつには先王謀殺の件で思う存分囀ってもらわなきゃならないんだ。もどかしいが今ここで殺すわけにはいかない。

「手前ぇに逢わせる筋合いはねぇ。老い先短ぇンだ。怪我しねぇうちにとっとと帰ぇんな」

 押さえ気味ながらも燃え上がりそうな怒気を含んだ奴の言葉にも、爺ィは動じるどころか、薄い唇を歪めて嘲笑すら浮かべていやがる。

「これはしたり。暫くお逢いせぬ間に、淑やかでいらしたお嬢様も、随分と奔放な女性になられたようですな。お美しい神使様ばかりか、かような勇ましい剣士までも手玉に取るとは……。

 ですが、このまま私どもの元へお越し頂けないとなると、こちらのお二方のお命を頂戴しなくてはなりません」

 爺ィの言葉に従者たちが一斉に剣を抜く。鞘鳴りの音にうろたえて出ようとする彼女を、奴が背中で庇いつつ「出るな」と制すると、彼女は不安そうな声で奴の名を呼んだ。

 さて、この二人をここから逃がすにゃどうするべきか……。奴らの出方を見極めようと剣把を握り直した時、ふと祭壇の上に散らばった精霊石の欠片が目に留まった。

 爺ィが彼女に気を取られている隙に、手近な一つを取ってレベル3を入力する。

「おい強姦魔、こいつが何だか判るか?」

 俺の声に振り向いたところで、淡く光る石を一瞬だけ誇示して掌に握り込む。すると、薄ら笑いを浮かべていた爺ィの顔がみるみる強張った。

「ゆ、指輪……! 私の指輪!!」

 よし、引っ掛かりやがった。こちらに手を伸ばそうとするところをにやっと笑って見せてから、握った小石を神殿入り口へ向けて思い切り放り投げると、爺ィは奇妙な悲鳴を上げ、遠ざかる小さな光を追って、よろよろと駆け出した。今だ。

「死ねェ! クソ爺ィィィ!!」

 剣を手に絶叫しつつ内陣を飛び出すと、隙を突かれた従者どもが、「猊下!」と叫んで追って来る。

「殺すなランジャ!」

 百も承知。こいつは囮だ。小石を探して這い蹲る爺ィをよそに、背後に迫る二つの気配に備える。

 一人目は図体はデカいが脇がガラ空きだったので楽勝だったが、二人目は正攻法ながら多少手応えのある奴だ。ならば裏をかいてやろう。

 散々上手を取らせてから外して均衡を崩し、つんのめった所を斬り飛ばす。

 後の三人は、内陣付近から悲鳴と怒号と剣戟の音が聞こえるあたり、どうやらディエシーの獲物にされてるようだ。奴なら余裕だろう。

「ランジャ!!」

 奴の呼ぶ声に内陣を振り向いた瞬間、背後からドカッという衝撃を受ける。脇腹に熱い痛みを感じて何事かと見下ろすと、貫いた短剣の切っ先が引き抜かれたところだった。

 異常を察知した補助脳が、リカバリセルを叩き起こしたか、視界の端にアラートの赤文字が積み上がって行く。

 石の床にくずおれる俺の耳に奴の絶叫が響いたが、出血のせいか耳鳴りがしてきてよく聞こえない。

「は……やく、ルクレシ……」

 腹を蹴られて思わず蹲ると、霞む視界に、爺ィの気色の悪い顔が近付いて来た。畜生、貴様か……。年寄りと見て油断した。

「よくも謀ってくれましたな、神使様。私は恥を掻かされるのが大嫌いでしてね」

 奴は無事彼女と逃げ遂せただろうか。俺は死ぬのか。俺が死んだら、ベニカは……。

「所詮、神族とて人間。姿形が神に似ているというだけで、傷付ければ血を流し、死にもします」

 耳元で粘りつくように囁いた爺ィの、引き攣れた様な高笑いを聞いたのを最後に、俺は気を失っていた。

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