石使いランジャ   作:桜城静夜

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 随分天井が高い。丸で奈落の底から見上げているかのようだ。

 天井付近の明り取りにも、御丁寧に鉄格子が嵌っていて、そこから差す僅かな日の光以外に光源は無いようだ。

 どこか遠くで水の滴る音がする。敷き詰められている藁屑もじっとりと湿っていて黴臭い。

 石造りの通路に面した入り口に嵌っているのが、扉ではなく鉄格子なところを見ると、ここは地下牢らしい。でも、一体どこの地下なんだ?

 爺ィに刺された傷跡は、いつの間にか塞がってたけど、誰がやったのか知らないが、下手っ糞な縫合跡はまだ血糊で固まったままだ。

 あぁ、また服を汚しちまった。ベニカに叱られるな。家庭教師に来ない俺を、彼女はきっと心配してるに違いない。

 あれから三日か……。ディエシーは巧くやれただろうか。早くここから出なきゃならないとは思うが、手枷足枷じゃ身動きが取れない。

 近付いて来る足音に顔を上げると、程なくして鉄格子の鍵が開き、獄吏らしい大男が入って来た。

 図体はディエシーよりもデカいけど、頭は弱そうだ。愚鈍そうな濁った目や乱杭歯の並んだ顎などは、およそ人間と呼ぶのも憚られるような、別の生き物に見える。

 奴は言葉が話せないのか、目の前に立つと身振りを交えて何事かを唸っていたが、訳が判らずにただ呆然と見上げている俺に業を煮やしたか、徐に手枷を繋いだ鎖を掴むと、引き摺り上げて無理やり立たせた。

 奴はそのまま、まだ足元の覚束ない俺を引き摺るように牢の外へ出すと、精霊石ランプが薄暗く灯る先へ引っ立てて行く。

 辿り着いたのは通路の交差する場所で、どうやら地下牢の中心のようだった。石壁の一部に作られた棚には禍々しい刑具が所狭しと並べられ、どれも使い込まれているようでランプの灯を受けて黒光りしていた。

 奴は俺の手枷を外すといきなりぶん殴って来た。吹っ飛ばされて壁に叩き付けられたところで、引き摺り起こされて上衣を脱がされると、中央の低い天井を支えている石の柱に、後ろ手に縛り付けられた。

 どうやら頬の内側を切ったようだ。口の中に溜まった血を吐き捨てながら、「手加減ぐらいしやがれ」と呟くと、今度は力任せに腹を殴られた。畜生、眩暈がする。馬鹿力め。

「やめんか。死なれては意味がない」

 聞き覚えのある声だ。粘り付くような気持ちの悪い喋り方。ヴィスロ枢機卿……あの毒蛇爺ィか。

 獄吏は窘められて低く唸ると、歩み寄る爺ィの背後に、叱られた犬のように背中を丸めて控えた。

「お加減は如何ですかな? 神使様。酷いお怪我のようでしたので、是非治療をと思いまして、こちらへ御案内申し上げたのですよ」

「下手糞」

「は?」

「下手糞だと言ったんだ。痕ンなったらどうする」

 その瞬間、ピシと音がして胸の皮膚に熱が走る。気怠い頭を起こして見ると、爺ィが鞭を手に薄気味悪い笑を浮かべていた。

「人の好意は素直に受けるべきで御座いましょう。あぁ、そう言えばお名前を窺っておりませんでしたな。

 神都においでの方であれば、大抵は存じ上げておるのですが、どうやら貴卿とは初めてお目に掛かるようですので」

「手前ェに名乗る筋合いは無ぇ」

「何ですと?」

「金で官位を買うような下郎に、名乗る名前何ざ無ぇって言っ……」

 俺の言葉を遮るように奴は何度も鞭を振るう。細くて片腕ほどの長さしかないのにかなり効く。素材は何だろう。木の枝や獣皮じゃないところを見ると、「先史時代」の遺物だろうか。

 あぁ、こんな状況なのにそんなことが気になるなんて、こいつは最早ライブラリの職業病だな。

「金で位を得たとは聞き捨てなりませんな。私は神都で薬を商う善良な一商人でしてね。この官位は、止ん事なきお方のお力添えを持って、賜ったもので御座いますよ。まぁ、多少は投資も致しましたがね」

 裂けた皮膚が熱を持ってズキズキと痛む。なるほど薬屋ね。ルクレシアの養父母は確か毒殺だったと言ってたな。

 手前ぇ自身で善良などと言ってのけるような野郎に、心底善良な奴何ざ居ねぇっていう良い見本だ。

「腐ってやがる」

「何を仰いますやら。貴卿も神族であれば、宮中での生活がどんなものかはご存知でしょう。お蔭様で、商いの折には随分と良い仕事をさせて頂きましたよ」

 奴はそう言うと引き攣ったような声で笑った。これ以上その気持ち悪い声で喋るな。傷に触る。

「私が扱っております薬には色々ありましてね。面白い薬が手に入ると、必ず試してみるのも私の仕事で御座いまして。

 フィノンお嬢様と過ごしました際にも、私自身である薬を試してみましたが、実に素晴らしいもので御座いました。あの夜の事が今でも忘れられない程ですよ」

「餓鬼相手に薬で手篭めにしたってか。変態爺ィ」

「これは異な事を。止ん事なき姫君の中には、十二や十三で后となられるお方もおられますのに。

 ましてやフィノン様は既に成人で御座います故、私の側女としてお世話申し上げても、何の問題もありませんでしょう? それとも、神使様には異議がおありになるとか……」

「手前ェの所業を棚に上げてよくも言えるな」

「はて、何の事で御座いましょう? 私はただ、貴卿と同様に、フィノンお嬢様をお慕い申し上げているだけで御座いますよ。行方をご存知ならば是非教えて頂きたい」

 何だ。こいつは俺がルクレシアの情夫だと勘違いしてるのか。狒々爺ィめが。

「けっ! 手前ェの面ァ鏡で見てみやがれってんだ。反吐が出そ……」

 奴は再び言葉を遮ると、半狂乱になって打ち据える。いい加減にしてくれ。奥歯を噛み締めて何とか耐えてはいるけど、そろそろこの苦痛すら麻痺してきそうだ。

 ふと打撃が止み、鞭の柄で顎を持ち上げられると、見たくも無ぇのに、目の前に返り血を浴びて肩で息をつく爺ィの、異様な熱を帯びて爛々と光る、気色悪い双眸が迫った。

「なるほど、神使様は確かにお美しくていらっしゃる。貴卿が御婦人であれば、また違ったおもてなしも出来ましょうけれど、残念ながら私は男には興味が持てませんのでね。ただそのお姿を羨むばかりですよ」

 そう言いながら、奴は持ち上げた俺の顎を筋張った手で掴み、しげしげと眺めると、頬に付いた血を生ぬるい舌でゆっくりと舐め取った。その感触のおぞましさに思わず全身が粟立つ。

「それにしても、神族というのは、何故かくも美しい姿をしておられるのでしょうな。丸で人の理想を具現化した人形のようだ」

「うるせぇ……爺ィに、褒められた……て、嬉しくも、ねぇ……」

「まったく、これほど美しいお姿なのに実に粗野なお方だ。神都ではどちらの門閥でいらっしゃるのやら」

「生憎、だな。俺は、野良……なんで、ね。神都なんざ……知らねぇ」

「ほぅ。それは好都合」

 奴はそう言うと、息が上がってへたばりかけてる俺を見下ろしながら、喉の底で低く笑う。

「お嬢様の行方を教えて頂いた後、神界へお帰り頂いたとしても、どなたも存じ上げないと言うことで御座いますな」

 つくづく持って回った言い方をする奴だ。用がなくなったら始末してやると言いたいんだろうよ。気取りやがって。

 ふと近付いて来る靴音に顔を上げると、従者らしき男が奴の背後に現れ、「猊下」と呼び掛けると奴に何事かを耳打ちした。

 奴はそれをしかつめらしい顔で頷きながら聞いていたが、従者が会釈して辞すると、俺を振り向いて薄気味悪い微笑を浮かべる。

「まぁ、いいでしょう。明日また参りますので、お嬢様の行方は、その時にお伺いすることに致しましょう」

 どうやら今日のところは開放されたらしい。爺ィの姿が見えなくなると、俺はまた獄吏に引き摺られて牢に戻された。

 

 

 

 疲れた。湿った藁屑に仰向けに転がると、胸や腹に付けられた幾筋もの傷が熱を持って脈打つ。

 これぐらいの傷なら今夜のうちに消えるだろうけど、こいつを連日じゃたまんねぇな。プロメーテウスかよ俺は。

 いや、それよりも精神的なダメージの方がデカいか。頬を這いずり回った奴の舌の感触を思い出しただけで怖気が走る。

 あんなおぞましい爺ィに手篭めにされた幼いルクレシアが哀れでならない。俺なら発狂必至だな。

 翌日は、獄吏に引き摺り起こされて目が覚めた。あんな状態でも寝てられる自分に少々呆れつつ、昨日と同じ様に通路を引っ立てられて行くと、またしてもぶん殴られて、拷問室の柱に縛り付けられる。

 今日もあの毒蛇爺ィに付き合わされるのかとうんざりしていると、獄吏は俺を見る濁った目に明らかな戸惑いを浮かべ、ずんぐりした分厚い掌で、恐る恐る俺の胸やら腹やらを撫で回し始めた。

 どうやら昨日の傷がすっかり消えていることを不審に思ったようだ。

「やめろよ気持ち悪ィ」

 邪険に言い放つと、奴はデカい図体にも拘らず、甲高い悲鳴を上げて飛び退いた。面白ぇ。ビビってやがるのか。

 奴は程なくして現れた爺ィに駆け寄ると、身振り手振りで唸って見せているようだが、「何だ。騒々しい」と一蹴されていた。

 忌々しいことに今日も爺ィは鞭を手に上機嫌だ。おまけに見物客まで同伴ときてやがる。

 こちらも爺ィと同様に身なりこそ上等だが、下劣な品性がせり出した腹に詰まってるような醜悪な親父だった。

 奴らは丸で観劇にでも来た様に、談笑しながら入って来ると、俺を見るなり親父は「ほぉ」と感嘆の声を上げたが、爺ィは「何と」と言うなり顔を引き攣らせて硬直した。

 血相を変えて駆け寄ると、獄吏同様あちこち撫で回しやがる。その悍ましい感触に、思わず昨日を思い出して全身に悪寒が走った。

「汚ぇ手で触るんじゃねぇよ」

 噛み付く俺をよそに、奴は「これは一体……」と引き攣った顔で呟きながら後退さる。

「如何なされましたか。ヴィスロ殿」

 背後の親父に問い掛けられてやっと我に返ると、爺ィはうわ言のように呟いた。

「傷が……昨日あれ程痛めつけたと言うのに、傷が全て消えている……」

「まさか」

「いえ、まことに御座います陛下」

 陛下ときたぜ。さてはフィンデール王イルシュか。なるほど、いつぞやロナが言ってた通り、助平そうな下品面をぶら下げたこの親父よりは、妾腹とか言うドラ息子のほうが幾分かは二枚目だな。確かに似てねぇや。

 こいつがいるって事は、ここはマグノリエ城の地下と言うことか。

「何もせずとも傷が消える……? まさか、こ奴、只の神族では無いのでは……」

「と、申されますと?」

「近頃、城下で妙な噂が出回っておりましてな。何でもロアルデ北方にて、『雷神の御子』が蘇ったとか」

「『雷神の御子』……!」

 爺ィは思わず声を上げると、あの表情の読めない爬虫類の目に、僅かながら怯えを滲ませつつ、俺の体を頭のてっぺんから爪先まで眺め回した。

 別に大した事なんぞしてないのに、俺も随分と有名になったもんだな。

「飽くまで噂ではありますが、神族でありながら石読みに身を窶した男がそれであると」

「石読みで御座いますか」

「左様。これは一度ホルザレン会に照らした方がよろしいでしょうな」

「なるほど。騙りであれば彼らに処分を委ねれば良し。本物であればその時は……」

 意味深に笑う爺ィの言葉に王は含み笑いで返すと、背後に控えた従者に「エレイン親方を急ぎ召し出せ」と命じた。

 あぁ、ホルザレン会の婆さんか。城下の支部へベニカと挨拶に行った時にも、面倒臭そうにあしらうだけだったから、どうせ俺のこと何ざ覚えちゃいないだろうさ。

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