8-1
フィンデールを出て、隣国ケイディシアのトゥラシオン大公領に入る頃には、とうに夏も終わり、秋風で朝晩冷え込むようになった上に、不安定な天気が続いていた。
領都のソルファ城下に近い大きな宿場町に入ると、すぐに宿を取り、本格的な寒気が来る前に冬支度をしようと、ベニカと二人で買い物に出た。
宿のある表通りに面した大きな道具屋に入り、三人分の冬服と防寒具を何点か選んで支払いを済ませていると、横から彼女の小さな手が伸びて来て、カウンターの上に何かを置いた。
「これもお願いします」
彼女が満面の笑顔で置いた物を摘み上げて見ると、どうやらアクセサリのようだった。
深紅に染められたカーフを編み込んだ細い革紐の両端に、鏃を模した燻し銀の小さな飾りが付いている。少々古ぼけて見えるあたり、アンティークなんだろうか。
「何これ?」
「ラリエットです。首飾りなの」
「へぇ」
ベニカも、こういう物を欲しがるお年頃になって来たという訳か。まぁいいや。幾らもしない代物だし。それにしても、可愛い顔して随分渋いのが好みなんだな。
店主に追加分を支払うと、そのまま手渡したが、彼女は大切そうに受け取ると、自分の首に飾るでもなく、背負った小さな雑嚢にそのまま仕舞い込んでしまった。
「着けないのか?」
「内緒です」
そう言うと、彼女は嬉しそうにえへへと笑って、俺の抱えた荷物を半分持ってくれた。
この前の手紙といい、今回のこれといい、随分内緒が増えたな。これが成長というものなんだろうけど、何だか少し寂しい気もする。
入り口を振り返ると、いつの間にか降り出していた雨が、本降りになって店の窓硝子を叩いているのに気付く。
彼女も、荷物を抱えたまま窓に駆け寄って空を見上げると、困ったような顔で俺を振り向いた。雨宿りをしようにも、当分は止みそうに無い。
仕方なく外へ出て庇の下でフードを被り、空いてる方の手でクロークを広げて彼女に目配せすると、嬉しそうに潜り込んで来る。
取り敢えずの目標は、斜向かいの食堂の軒下だ。「それ!」と掛け声を掛けてやると、彼女は両手で荷物を抱えたまま、きゃーきゃーはしゃぎながら駆け込んだ。
雨粒を払いながら、次の目標を角の武具屋に決めて再び飛び出す。そんな事を繰り返しながら宿屋が見える所まで辿り着くと、いつの間にかはしゃぎ声が二重に聞こえる事に気が付いた。
不審に思ってクロークを捲くって見ると、彼女の隣に見知らぬ少年が潜り込んでいる。
ベニカよりも幾らか年かさのようで、少しばかり大人びた顔つきをしている。
引き締まった四肢は、男にしては線が細い気がするけど、柔らかな栗色の巻き毛に、勝気そうな明緑色の瞳をした中々の美少年。
彼女も、突然現れた彼に面食らったような様子だけれど、心なしかぽーっと見惚れている。
贅沢な仕立ての服を着込んでいるあたり、どこかの貴族の若君ってとこだろう。迷子だろうか。
彼は俺の視線に気が付くと、一瞬、罰の悪そうな顔をしたが、俺が質問するよりも先にしがみ付いて来ると、懇願するような眼差しで言った。
「追われているんだ。匿ってくれ」
「へ?」
彼の言葉を受けて通りを見渡してみると、雨に追われて家路を急ぐ、疎らな人波の向こうに、明らかに何かを探して周囲を見回している男が三人ほど見えた。
いずれも上品な身なりだが、服の上からでも盛り上がった筋肉が見て取れる屈強そうな連中だ。
「あいつらか?」と尋ねると、彼は強く頷く。一体何者だろう。厄介な事にならなきゃいいが……と、舌打ちをしながら二人を促すと、裏通りへ通じる路地へ潜り込んだ。
「一人で帰れるか? ベニカ」
少しばかり心配だが、屈み込んで訊くと彼女は大きく頷いて、「お持ちしましょう」と俺の荷物も引き受けてくれた。
「ランジャ様は?」
「あいつらを撒いたらな」
逆に俺を心配そうに見上げる彼女に、苦笑交じりで答える。
「お気を付けて」の言葉に「お前もな」と返しつつ、濡れた髪をくしゃっと撫でてやると、両手で荷物を抱えながら、表通りに並ぶ商店の軒先を辿るように駆けて行った。
彼女の姿が宿に入るのを遠く確認し、少年を再びクロークに隠して、そのまま裏通りへ出ると、古びた大きな酒場の壁に、二階へ通じる外階段を見付けて駆け上がる。
踊り場の手摺から身を乗り出すようにして、フードの陰から表通りを見下ろすと、奴らの一人が路地に入って来たのが見えた。
男は辺りを注意深く見回しながら裏通りに出て来たが、まだこちらには気付いていないようだ。
緊張している俺をよそに、クロークの前から顔を覗かせる少年を、慌てて押し戻そうとした時だ。唐突に背後の扉が開いて、厚化粧の女が顔を出した。
露出過多なあられもない衣装を着ているあたり、酒場の酌婦か酔客相手の娼婦だろう。
彼女は俺たちに驚いて、一瞬声を上げそうになったが、俺が唇の前に人差し指を立てて見せると、軽く頷き、面倒臭そうに扉の内側へと手招きした。
中へ入ると、空気の淀んだ薄暗い通路の両側に、小部屋の扉が並んでいた。娼館と言えるほど上等なものじゃない。酒場が兼業する淫売窟と言ったところか。
女はその中の一部屋に俺たちを入れると、粗末な衣装箱から手巾を引っ張り出し、仕草で雫を拭けと示しながら手渡してくれた。
分厚い化粧で若作りをしているけど、くたびれた年増女だ。三十は過ぎてるだろう。
「ありがとう」
「いいさ。店が開くまで暇だからね」
女は気怠くそう言うと、フードを外した俺を見てはっとした顔になった。
「まぁ珍しい。神使様の石読みなんてのもいるんだねぇ」
「色々と訳ありでね」
借りた手巾で濡れた服や髪を拭きながら、煤けた硝子越しに窓の下を見ると、さっきの男はこちらを見失ったと見えて、仲間と合流すべく表通りへ戻って行った。どうやら無事撒けたようだ。
大きな溜息をつきながら振り返ると、少年は渡された手巾を呆然と見詰めていたが、何をすべきか漸く理解したようで、俺を真似て不器用に拭き始めた。
いつもなら、こんな事は従者か召使にやらせているんだろうけれど、俺は野郎は甘やかさない方針なので悪しからず。
女はそんな彼の様子を鼻で嗤うと、ベッドに腰掛け、傍らの水煙管のパイプを手に取り、一口燻らせた。
部屋や通路に充満していた、糖蜜のような甘ったるい香りは、どうやらこれだった様だ。
各種資料で「先史時代」の風習であることは知っていたけど、現物を見るのは初めてだ。
もっとも、その独特の酩酊感は、学生の頃に一部のワルの間で流行ってた、御禁制のトランス系ツールで興味本位に体験したことはあったけど。
「お連れの坊ちゃんは、どこかの王子様かい?」
「知らねぇ。すぐそこで拾ったんだ。追われてるんだとさ」
「そうかい。嫌だねぇ。最近またキナ臭い噂を聞くようになったし、どこも静かなのは一時だね」
「キナ臭い噂?」
「何でも、ケイディシアがね、トゥラシオンへまた懲りずに喧嘩を売るって話さ。石屋の間じゃ聞かないかい?」
「残念ながら、俺は新参者なんでね」
そう言って肩を竦めて見せると、女は胡散臭そうに俺の姿を眺め回し、意味深な微笑を浮かべる。大方、贋物だとでも思ったんだろう。
それにしても、石屋なんて呼ばれたのは初めてだ。強ち間違いじゃないとは思うけど、何だか安っぽい感じがして、あまりいい気分とは言えない。
「向こうは意地でもこっちを取り込みたいようだね。代替わりしてもやる事は同じさ」
「無駄な戦だ。どうせまた負ける」
言葉を受けてそう吐き捨てた少年に、女は一瞬、面食らったような顔になったが、さも面白そうに声を立てて笑った。
「面白い坊ちゃんだね。あぁ、いつもと同じなら、またケイディシアが負けるだろうよ。だけど前と違って、今回は城下に大公妃がおいでだからねぇ。どう転がるか判らないよ。
もっとも、戦を嗾けて一儲けしたい連中にとっちゃ、勝ち負け何ざ二の次だろ。石屋も薬屋も、戦になれば儲かるそうだからねぇ。
そこへ持ってきて、近頃は煙草屋も色気を出して来てるって言うじゃないか。あんたら石屋も、うかうかしてらんないね」
「なるほどね。ここの親方に逢ったら言っとくよ」
俺の言葉を聞いて、女は再びにやりと笑う。すっかり俺を贋物と決めて掛かってるようだが、面倒臭いので反論はしない。
どうせもう逢うことも無いだろう。窓を叩く雨音も静かになって来たし、そろそろ出るとするか。
「もう行くよ。ありがとう。世話になった」
「なぁに、あんたがイイ男だから助けたまでさ。まったく近頃の石屋ときたら、フリッツといい、あんたといい、二枚目ばかり集めて客でも取ろうってのかい?」
「はぁ?」
何て言い草だ。癇に障って思わず突っ掛かるけど、女は笑って両手を振るばかりだ。
「冗談だよ。それからそこの王子様、あんたが大貴族様の御曹司なら、お父っつァんに伝えとくれ。縄張り争いがしたいなら、平民の男手を当てにしないで、お身内でどうぞってね」
こいつはまた痛烈だな。反論したそうな少年の肩を抱いて制すると、女には挨拶代わりに軽く手を挙げて見せ、早々に退散した。
「父上は……敵から領民を守ってるんじゃないか」
「大方、ヒモか亭主を兵隊に取られでもしたんだろ。気にするな」
どうやら彼はトゥラシオン側の貴族様のようだ。憮然と呟いて俯いた頭をくしゃっと撫で、再びクロークに隠すと、外階段を降りて表通りに出る。
小雨がそぼ降る中を、取り敢えず宿に向けて歩き出すと、少年が何事かを呟いた。立ち止まって覗き込むと、涙を一杯溜めた大きな緑の瞳がこちらを見上げていた。
「何か言ったか?」
「母様に……母上に逢いたい」
その一言で、耐えていた涙がぽろぽろと頬を伝う。それを見て思わず苦笑が浮かんでしまった。言うことは一丁前でも中身はまだまだ子供だな。
「家はどこなんだ? 乗り掛かった船だ。近くなら送ってやらんでもないぞ」
「邸はソルファだけど、母上は……お仕事でオーラート城下にいる」
「オーラート城って、ケイディシア王の?」
俺の問いに、彼は力なく頷く。何でこんな目に遭ってるのかは知らないけど、きっと心細さから母親が恋しくなったんだろう。
「そいつは随分遠いな。今夜は宿に隠れればいい。明日になったら停車場まで送ってってやるよ。駅馬車ぐらい一人で乗れるだろ?」
そう言ってやると、袖口で涙を拭いて俺を見上げ、安心したように微かに微笑むと大きく頷いた。