先を行くディエシーが、いつもの調子で勢い良く扉を開けた時だ。
ガタッという物音に、奴は反射的に剣把を握ったが、次の瞬間動作が止まった。何事かと中を覗き込むと、ザーリャが挑む眼差しで剣を突きつけている。
堂に入った構えだが、良く見ると手にしているのはペティナイフだ。あの餓鬼、昨夜の果物籠からくすねて来やがったか。
「何やってんだお前?」
呆れた口調で言う奴を、彼は何故かびっくりした顔で見上げると、手にしたナイフを慌てて後ろに隠した。
「お、伯父上、何でこんな所に……?!」
「伯父上ぇ?!」
思わずベニカと声を揃えて聞き返す俺をよそに、奴は剣把から手を放すとつかつかと彼に歩み寄り、後ろに回した手をガシッと掴むと、難なく捻り上げてナイフを取り上げた。
「ったく、餓鬼がこんなもの振り回すんじゃねぇよ」
奴はそう言って舌打ちをすると、彼の栗色の巻き毛をわしわし弄りだす。
殴られると思ったのか、彼は一瞬身を縮めたが、意外な展開に面食らいつつ恐る恐る奴を見上げた。
「まったく何やってんだか。男装して騎士ごっこか? あーぁ。髪もこんなに短くしちまって、母ちゃんが見たら泣くぞ」
「知り合いなのか?」
歩み寄る俺に、奴は「おーよ」と振り返ると、彼を見下ろしながら肩を竦めた。
「俺の姪っ子でな。さっき話してたロエル大公の愛娘、スーラニーだ」
「あぁ、やっぱり女の子だったか。何か変だとは思ってたが」
彼……もとい彼女は呆れ顔の大人二人に見下ろされて、居心地悪そうにしながら上衣の裾を弄っている。
どこかの大貴族なんだろうとは思ってたけど、よりによってトゥラシオン大公の御令嬢とはね。
そう言われて改めてその御尊顔を拝すれば、あの肖像画で見た、凛々しくも麗しい王后陛下の花顔玉容を髣髴とさせる容姿ではあった。
「えぇ! 姫様だったの? どうしよう、私、若様だと思って失礼を……」
奴はおろおろとうろたえるベニカの頭をくしゃっと撫でると、にやにや笑いながらいたずらっぽい口調で言う。
「いーや。ベニカは悪くねぇ。嘘ついたこいつが悪い。ほれスーラニー、ベニカに謝れ」
促された当人は面白くなさそうにぷっと膨れて横を向くと、辛うじて聞こえる位の声で「ごめんなさい」と呟くように言った。
「で、何でこいつがここにいるわけ?」
奴は言いながら腕組みをすると、困惑顔を俺に向ける。
そりゃそうだ。内戦前夜といった雰囲気の中で、当事者の御息女が、城外の宿屋でくすねたナイフ振り回してるなんて、常識で考えりゃまず有り得ない。
「ベニカと買い物してたら、匿ってくれとか言ってくっついて来たんだ。追われてるんだとさ。
実際、物騒なモノぶら下げてるのが三人ほど、この辺りをうろついてるのも確かだ。まぁ、悪い奴には見えなかったけど。意外と従者だったりしてな」
半ば呆れながら説明する俺を、彼女は極まり悪そうにチラと上目遣いに見上げると、相変わらず小さな声で「違う。従者なんかじゃない」と呟く。
「じゃぁ何だ。お前がここにいることを、反トゥラシオン派の連中に知られでもしたらどうする。父上や兄上の立場も考えたらどうだ」
強い口調で窘められると余計に反発したくなるのか、彼女はまた不貞腐れた顔でそっぽを向いた。
「兄貴がいるのか」
「あぁ、ザーリャってぇ文武両道の出来のイイのがいるんだが、五つも離れてるせいかこいつにゃ大甘でね。可愛がるのは結構だが、親父と二人掛りで甘やかすもんだから、この通りだ」
奴は俺の問いに苦笑交じりで答えながら、相変わらずそっぽを向いたきりの彼女へ顎をしゃくる。
どうやら身分も名前も、兄貴をそのまま騙ったようだ。恐らく言葉遣いも兄貴の真似だろう。
「何があったんだ。言ってみろ。ん?」
「嫌だ。伯父上、絶対お怒りになるもの」
奴がデカい図体を目の高さまで屈め、幾分優しい口調で言ってやっても、彼女は頑ななままだ。
「怒んねぇから。ほれ、言ってみろ」
「嫌」
「ったく、我侭姫が……」
そう呟いて金髪頭をがしがし掻きながら立ち上がると、奴は俺を振り向いて特大の溜息をついた。
「オーラート行きは延期だな。こいつはソルファの城に連れてって、親父に拳骨の一つでも食らわしてもらった方が良さそうだ」
「大甘じゃ期待薄じゃねぇの?」
「問題はそこだな」
俺の言葉に苦笑で答える奴に、彼女は不意にしがみ付くと、面食らって振り向いたところを縋るような目で見上げた。
「オーラートに行くの?! 私も連れて行って!」
「駄目だ」
「お願い伯父上! 母様を守らなきゃ!」
「はぁ?! 餓鬼一人行った所で何が出来る」
「剣なら負けない!」
奴は自分を見上げて必死に訴える彼女に一瞬唖然としたが、呆れた様子で小さな肩に両手を置くと、諌める様な口調で言った。
「あのな、勘違いすんなよ。親父も兄貴もお前と手合わせする時ゃ、怪我しねぇようにと手加減してるんだ。あの二人が本気出したら、お前なんざ瞬殺だぜ。母ちゃん守る何ざ十年どころか百年早ぇ」
「連隊長殿はいい腕だって褒めて下さったぞ!」
彼女がムキになって言い返した瞬間、奴の目が険を含む。
「あ? ちょと待て、連隊長だァ?」
凄む様な調子で聞き返されると、彼女ははっとした顔になり、気まずそうに口を噤むと、しかめっ面で腕組みをする奴の顔を、上目使いに盗み見た。
「言ってみろ。どこの連隊長だ? トゥラシオンか? ケイディシアか? あぁ、確かにお前の剣技が並じゃねぇことは、親父っさんも重々承知だよ。
だからこそお前が調子に乗らねぇように、騎士団の連中には相手をするなと言い渡してある筈だ。
お前と手合わせした連隊長には厳罰を受けてもらわにゃならん。言ってみろ。どこのどいつだ?」
彼女は暫くの間、唇を噛み締めたまま奴と睨み合っていたが、ふと俺を振り向くと、駆け寄って来てクロークの中に潜り込んだ。
「あ、こら! 話は終わってねぇぞ!」
怒鳴り付けられるとひょこっと顔を出すが、舌を出して見せると再び潜り込む。まったく始末に負えない。これにはさしもの奴も、御手上げと言った様子で首を振る。
「姫様も、一度お袋さんに会えば満足なんだろ。取り敢えずオーラートに連れて行こうぜ」
溜息混じりに言ってやると、奴は「しょうがねぇな」と舌打ちをして身支度を始める。
それを見て彼女の肩を叩きながら「出発だ」と言うと、うふふと笑い声がしてクロークを跳ね除けるように出て来た。現金な奴だ。
「ありがとう。ランジャは優しいのだな。丸で兄様みたいだ。伯父上は父様みたいだけど」
「そいつはどうも」
彼女は嬉しそうに言うと、呆れる俺をよそに飛び乗るようにベッドへ腰掛け、脚をぶらぶらさせながら身支度をする俺たちを眺めた。
正直言っちまうと、俺は別に優しさから言った訳じゃなくて、ただ延々続く押し問答を聞いてるのが面倒臭かったってだけなんだけど。
宿を引き払い、馬丁が引いて来た馬にベニカを乗せていると、スーラニーがこちらを見上げていることに気付いた。
「ベニカはいつもランジャと一緒なのだな」
彼女の言葉に、ベニカは馬上から嬉しそうに「はい」と答える。
「私もランジャと一緒がいい」
「三人は無理だ。ディエシーに乗せて貰え」
半ば呆れて笑いながら言ってやると、不服そうな顔で俺を見上げた。
「伯父上はすぐお説教するから嫌だ」
彼女は膨れっ面でそう言うと、向こうで自分を呼んでいるディエシーをチラと振り向いた。一度言い出したら引かない性格のようだし、仕方ないか。
ベニカに「悪いな。替わってやってくれるか?」と聞くと、快諾してくれたので、手を貸してやって降ろし、替わりにスーラニーを乗せる。
一部始終を呆れ顔で見ていディエシーは、荷物を抱えて駆け寄って来たベニカを、大きな手でひょいと抱え上げると、「お一人様ご案内」とおどけながら、自分の馬に載せた。
「あーぁ、可哀想になぁ。大好きなランジャ様を取られちまって」
彼女は少し寂しそうにこちらを振り向いていたが、そう言って笑う奴に頭を撫でられると、顔を赤らめながら慌てて前を向く。
「ランジャは石読みなのか?」
街道へ出ると、すぐにスーラニーの質問攻めが始まった。
「一応。本職は狩人だけど」
「でも神族なのだろう?」
「一応」
「どうして神族なのに石読みや狩人をやっているのだ?」
「色々と事情があって」
「どんな事情なのだ?」
「複雑な事情」
「答えになってないではないか」
彼女は振り返りながら呆れた口調で言うが、にやっと笑う俺と目が合うと苦笑を浮かべた。
先を行く馬上では、寂しげだったベニカを気遣ってか、奴が盛んに話し掛けては、笑わせている声が聞こえて来る。
「家族はいるのか?」
「いない」
「独りなのか」
「まぁね」
「ベニカとは親子じゃないのか」
「いや。でもまぁ強いて言えば親代わりだな」
「彼女に親はいないのか?」
「あぁ、赤ん坊の時に死んじまったそうだ」
「戦で?」
「いや、鉱山で事故に遭ったらしい」
「そうなのか……。それは寂しかろうな」
彼女はそう言うと、時折風に乗って聞こえて来る、ベニカの明るい笑い声を聞きながら、少し離れてしまったディエシーの背中を、遠く見詰めた。
「伯父上は、どうしてトーラン陛下に譲位されたのだ?」
「やりたいことがあるんだそうだ」
「やりたいこと?」
「何で俺に訊く」
「ランジャは知らないのか?」
「知ってるけど、説明するのが面倒臭い」
そう言って笑ってやると、彼女は再び振り返り、「御主という奴は……」と呆れ顔で呟いた。
「伯父上は御結婚なさらないんだろうか」
「さぁな」
「すぐ新しい后をお迎えになると思ったんだ。伯母上の葬儀の時、とてもお辛そうだったから」
何があっても豪快に笑い飛ばすあの男が、子供の目から見ても「お辛そうだった」か……。
前に后の事を訊ねた事があったが、忠節を奉げる対象として、指一本触れられなかったと言っていたから、てっきり夫婦の情愛なんぞとは別次元の関係だとばかり思ってた。
寵妃は大勢抱えているのに、后の座は空席のままなのも、奴の性格が束縛を嫌ったからだと思ってたけど、どうやらそう単純なものではないようだ。
「ランジャは結婚しないのか?」
「はぁ?」
いきなり水を向けられて面食らっていると、彼女は興味津々と言った顔で俺を見上げる。あぁ、そういうことに心惹かれるお年頃な訳ね。
「父上が常々仰っているぞ。后のいない世界は無味乾燥だと。だから、伯父上も御主も結婚すべきなのだ。
決まった相手がいないのなら、私が結婚してやるぞ。御主は優しいし、とても綺麗だから気に入ったのだ。神族の夫というのも悪くない」
「そいつは光栄だが、大貴族の姫様に、狩人のカミさんが務まりますかね?」
からかい気味に言ってやると、何故か不服そうにぷっと膨れて見せる。
「そうではない。結婚したら、一緒にソルファの邸で暮らすに決まっておろう。さすれば私も遠くへ輿入れせずとも良いし、兄上ともずっと一緒にいられる」
どうやら大好きな兄上と離れずに済む方法を模索中なのであって、結婚に対して憧れを抱いてる訳じゃないようだ。
さも名案を思い付いたと言わんばかりの得意げな話し振りに、思わず可笑しくなって吹き出すと、「何が可笑しいのだ」と非難がましい目で振り向いた。