彼女は暫くその調子で喋り続けていたが、次第に口数が少なくなって来た。気になったので覗き込むと、心なしか顔色が悪い。
元気そうに見えたからすっかり忘れてたけど、そう言えば、今朝は二日酔いでへたばってたんだっけ。
「大丈夫か?」と訊ねると力なく頷くが、到底大丈夫には見えない。やれやれと思いつつ、拍車を当てて奴に並ぶと、怪訝そうな顔が振り向いた。
「具合が悪そうだ。休ませよう」
「本当だ。顔色悪いな。おい大丈夫か?」
奴が心配そうに問い掛けるが、彼女は未だに意地を張ってるらしい。ぷいとそっぽを向いて馬の首に寄り掛かる様子に、奴は「ったく」と呟いて舌打ちをした。
最寄の停車場に入り、すぐに部屋を借りてベッドに寝かせると、奴は彼女の枕元に腰掛けて、心配そうに覗き込む。
「どうしたんだ。酔ったのか? 馬は得意な筈だろ」
「いや、姫様は二日酔いでいらっしゃる」
少しばかり茶化す口調で言ってやると、奴が呆気に取られた顔で俺を振り返る。
「二日酔いィ?!」
「あぁ。昨日の晩飯ン時、ちょっと目を放した隙に、俺の杯を飲み干しやがったんだ」
「葡萄酒か?」
「カルヴァドス」
それを聞いて奴は、溜息をつきながら呆れた様子で首を振ると、青い顔でぐったりと横たわる彼女の頭を「この馬鹿が」と小突いた。彼女は「痛」と言って頭を抱えると、奴を睨み付けて蹲る。
「伯父上は優しくない。ランジャを見習えばいいんだ」
毛布に潜り込んだ彼女がくぐもった声でそう言うと、奴は俺を見てにやりと笑った。
「えらい気に入られようだな」
「何だか知らんがね。さっきまで口説かれてた。相手がいないなら姫様が結婚して下さるそうだ」
苦笑混じりに言いながら肩を竦めて見せると、奴は、
「大公家へ婿入りか。そいつァ凄ぇ」
と笑う。その後ろで扉が閉まる音がしたのでふと顔を上げると、ベニカの姿が消えていた。
「ベニカは?」
「あれ? さっきまでそこに……」
奴の言葉を半分聞いたところで部屋を飛び出す。彼女の姿が見えないと、また攫われたんじゃないかと不安になる。
駅舎の中にも見当たらないので慌てて表へ出ると、街道脇の柵に腰掛けて、項垂れている小さな背中を見付けた。
「どうした」
歩み寄って軽く肩を叩き、膝を屈めて覗き込んでやると、涙でぐしゃぐしゃの顔で俺を見上げる。
「どうした。何で泣いてる」
「ランジャ様、姫様と結婚するの?」
「はぁ? する訳ないだろ?」
しゃくり上げながらの問いに笑いながら答えると、彼女はクロークの裾で涙を拭った。まったく、何を言い出すかと思えば……。
「本当?」
「本当も何も、姫様だって冗談で言ったんだろ。大公の御令嬢ともなりゃ、許婚ぐらいいるさ」
「許婚……」
「そうさ。何でお前が泣くことがある?」
「姫様、美人だから……。ランジャ様も、私より姫様の方がいいんだと思ったの」
「何言ってンだか。ハナっから餓鬼と結婚する気なんざ無ぇよ」
何だかもう、既に馬鹿馬鹿しいのも面倒臭いのも通り越していて、苦笑しか出て来ない。
「お前だってロナの薬で美人になるんだろ? 楽しみにしてるんだけど俺」
そう言ってにやっと笑って見せると、彼女ははっと顔を上げ、そそくさと柵から降りるなり、俺にしがみ付いて頬擦りして来た。
「泣き虫め」
くしゃっと頭を撫でて言ってやると、俺を見上げて照れ臭そうにえへへと笑う。やれやれ、心配させやがって。
すっかり機嫌を直した彼女の手を引いて駅舎に戻ると、スーラニーも起きていて、カウンターでサンドイッチに齧り付いていた。
「もういいのか?」
「腹が減ってたんだとさ」
隣に腰掛けながら訊くと、奴は呆れた口調で言いながら、仏頂面の彼女の髪を、くしゃくしゃと乱暴に撫で回した。
「何だ。そうだったのか」
「済まねぇな。心配掛けちまって」
「いや、元気ならいいんだ」
メシが食えるなら問題無さそうだな。奴は、彼女が綺麗に平らげたのを見計らって出発を促すと、今度は問答無用で自分の馬に担ぎ上げた。
「嫌だ。ランジャと一緒がいい」
「何言ってやがる。あっちはベニカ専用だ」
奴に笑いながら言われて、彼女は暫く不満そうにこちらを見ていたが、奴が拍車を当てて早駆けにすると、すぐにはしゃいだ歓声を上げた。
その様子を眺めていたベニカと顔を見合わせると、小さくクスと笑う。「追うか?」と訊くと首を振るので、このままゆっくり行くことにした。
オーラート城下に近付くにつれて、擦れ違う人通りが多くなって来る。
しかも普通の旅行者や商人だけではなく、着の身着のままといった感じの貧しい家族連れや、家財道具を載せた荷車を引く一家も多い。
戦の気配を察知した者たちが、城下から逃げ出そうとしているんだろう。
停車場や宿場町の宿もそんな連中で溢れ返っていて、とてもじゃないけど部屋を取れる状態じゃない。
なので、やむなく近場の森に入って野宿することにしたのだが、どうやらスーラニー姫にとっては初体験だったらしい。
彼女は最初のうちこそ不安そうにしていたが、ベニカに食べられる木の実や香草を教えてもらうと、大はしゃぎで採集したり、俺やディエシーが獲って来た兎や魚を捌くのを、悲鳴を上げながらも興味津々で眺めたりと、すっかり楽しんでいる様子だった。
それでもさすがに疲れたのか、腹が一杯になると、寝転がって寝酒を食らってる奴に寄り掛かってうとうとし始める。
平民の少年に化けているとはいえ、姫様を地面に寝かせるのは気が引けるので、ベッドの代わりにと俺の毛布を畳んで敷いてやると、横になるなりすぐに寝入った。
ベニカもそれを見て何か思うところがあったのか、自分の体に巻きつけていた毛布を、眠っている彼女にそっと掛けてやると、俺に駆け寄って隣に腰を降ろし、寄り掛かるように蹲った。
「寒くないのか?」
顔を覗き込んで訊いてやると、「平気です」と言った直後に小さなくしゃみが出た。極まり悪そうに俺を見上げる彼女と、思わず苦笑を見交わす。
クロークの中に入れてやると、やっぱり寒かったのか、ぴったりくっついて来る小さな体は、思ったよりも冷たかった。
ふと思い立って、彼女から精霊石の小石を一掴み貰うと、触発モードのレベル6にしてハンカチに包み、手渡した。
「わ、あったかい。ありがとうランジャ様」
彼女は暫くの間、両手で包み込んだ布越しの仄かな光を、うっとり嬉しそうに眺めていたが、胸に抱きかかえると体が温まったのか、程なくして静かな寝息を立て始めた。