9-1
隊長はシルトと名乗った。綺麗に刈り込んだダークブラウンの口髭が良く似合う、穏やかで物静かな雰囲気の紳士だ。
何でも、ディエシーが神聖騎士団で将軍をやってた頃の部下だったらしい。
彼が奴と共に暖炉の前の肘掛け椅子を勧められて、親方と差し向かいに腰掛けると、他の二人と俺たちも、それぞれ好き勝手な椅子やソファに落ち着いた。
「で、姫様は何をやらかしたんだ?」
家令が勧めるティーカップを受け取りながら、奴が興味津々といった様子で身を乗り出すと、シルト隊長は首の後ろを撫でながら、言い難そうに「実は……」と切り出した。
「実は、兄君のザーリャ殿を騙って我が小隊に……言葉は悪いですが、潜り込んで来たと言うか、何と言うか……」
彼の言葉に親方は天を仰ぎ、額に手をやって呆れたように首を振るが、奴は「ンなこったろうと思ったぜ」と苦笑した。
「当然、騎士団でも騒ぎになりまして、大公殿下にご報告すべく、急遽早馬を出す一方で、姫君にも事の次第をお尋ね申し上げたのですが、頑なにも『自分はザーリャです』の一点張りでして」
「何とまぁ……。トゥラシオン出の騎士だっているってのに、肝の据わった姫様だねこりゃ」
面白がってる奴の口調に、彼も思わず苦笑を浮かべる。
「そこで、そんな姫君のご様子に連隊長が一計を案じまして、『剣豪で知られるトゥラシオン大公の嫡男であれば、その剣技も優れたものである筈。まことザーリャ殿であれば私を打ち負かしてみよ』と、手合わせを命じられたのですが……」
「おいまさか……」
「ええ、そのまさかです。いや実にお強くていらっしゃる。さすがはロエル卿の姫君と申しましょうか……。小さな御身で、巨漢の連隊長殿を右へ左へ翻弄する様は、いっそ華麗ですらありました」
何だか彼も面白がってる様子だが、親方は困りきった顔で「まったくこの子は」と呟くと、大きな溜息をついた。
「連隊長殿は姫君の剣技を大層気に入られて、『殿下はエルサ姫の生まれ変わりに違いない』と絶賛しておられましたよ」
彼の感嘆に、母親に寄り添って立つスーラニーは、少々誇らしげな顔になるが、奴に小突かれると頭を抱えて頬を膨らませ、騎士たちの笑いを誘った。
その一方で、窓際のソファに陣取った俺は、ぴったりくっついて旨そうに茶を飲むベニカに、「エルサ姫って誰」と小声で訊ねる。
彼女に曰く、かつてケイディシア王家に実在した姫君で、戦死した夫に代わって女だてらに戦場へ赴き、その剣技と武勇をもって活躍した事から、姫将軍の二つ名を戴いた女傑だったそうで、後に所領と爵位を得てトゥラシオンの祖となった人物らしい。
なるほど、姫様はその血統をしっかり受け継いでるという訳だ。
「何でそんな事をしたの? 行儀見習いに行きたいと言うのは嘘だったの?」
親方は彼女の両手を取ると、心配そうに柳眉を顰め、勝ち気な緑の瞳を覗き込むように訊ねる。
「ごめんなさい母様。でも、神聖騎士団に入りたいなんて言ったら、母様、神都行きなんて絶対御許しにならないでしょう?」
「当たり前です。それに、剣の稽古なら、いつも父様と兄様がお相手して下さるでしょう。それじゃ嫌なの?」
彼女は諌める母親の言葉に激しく首を振ると、「でも兄様が……」と呟いて唇を噛んだ。
「兄様がどうしたの?」
「兄様、『神聖騎士団への御召しは名誉だけれど、暫く学問はお預けだな』って、少し寂しそうでいらしたから。兄様は本も剣と同じ位お好きだから、私が替わりに神都に行けば、学問を続けられると思ったんです」
「おいこらスーラニー!」
後ろから唐突に怒鳴られて飛び上がると、彼女は恐る恐る奴を振り向いた。親方の背後に控えていた家令も、彼女につられたのか、弾かれたように背筋を伸ばす。
「お、伯父上……」
「騎士団舐めンじゃねぇ! 餓鬼の遊び場じゃねぇんだぞ!」
「ご、ごめんなさい!」
「ザーリャには、倅の名代で行って貰う事になってたんだ。親父や兄貴ばかりか、ウチにまで恥かかせやがって……この考え無しが!」
「もうしません! 絶対しません!」
奴の剣幕に彼女は思わず縮み上がり、咄嗟に親方の陰に逃げ込むと、涙目で必死に許しを請う。
「ったく、どいつもこいつも……。おいシルト、その小娘に負けた盆暗は何て名だ」
舌打ちをして金髪頭をがしがし掻く奴に、隊長は何故かいたずらっぽくにやりと笑った。
「ナーダル卿ですよ、将軍。あの小ディエシーと仇名された、フィンデールの『山犬』です」
「はぁ?! あの糞餓鬼が連隊長だと?! 神都防衛は大丈夫なのかよ……。世も末だなおい」
「いえいえ、彼もあれでいて中々の名将ぶりですよ。伊達に閣下の名を戴いてるわけではありません」
「神都へ行ったら、直々に鍛え直してやる。野郎には首ィ洗って待ってやがれと伝えとけ」
奴が苦りきった顔で溜息をつきながら言うと、隊長は笑いながら「畏まりました」と答えた。
「で、その姫将軍が何でここにいるんだ? 入ったからには、年季の三年が明けるまで、帰れねぇのは承知だろうが。懲罰受けてぇのか? ん?」
腕組みをした奴に、非難がましい口調で問われると、彼女は母親の陰から恐る恐る顔を出す。
「神都で、ケイディシアの騎士たちが噂していたんです。戦になるかもしれないって。戦になったら城下の母様が危ない。そう思ったら、居ても立ってもいられなくて……」
「それで飛び出して来たってか。ほんッとに考え無しだな、お前は」
「……ごめんなさい」
「第一、従者も付けずにたった独りでどうやって帰って来たんだ?」
「……神都からレカンダまでは、貴族の輿入れ行列に紛れ込んでました。そこから先は駅馬車だけど」
「はぁ?!」
「小姓のふりをしていたら誰も気付かなかったぞ」
頬を膨らませながら、果敢に反撃を試みる姫様だが、「そう言う問題じゃねぇだろよ」とあっさり返り討ちにあう。
「なるほど。道理で見付からなかった訳だ」
二人の遣り取りを面白そうに眺めていた若造は、そう呟くと同僚と顔を見合わせてくすくす笑った。
「で、お前らは先回りしてソルファ城外で待ち伏せしてた。と」
奴に水を向けられると、隊長は大きく頷く。
「閣下に見付けて頂いて助かりましたよ。で、御一行が出発されたのを見届けると、この二人に後を追わせまして、私はその間にソルファへ赴き、大公に事の次第をご報告に上がったのですが……」
「何だ、まだ何かあんのか?」
「その……さぞやお怒りかと思いきや、呵々大笑されまして、『それ程までに剣の道を究めたいと申すのなら、神都で研鑽を積むのも良かろう。ついては神聖騎士団で、あのお転婆を預かっては貰えまいか』と仰せられまして……」
困惑顔で言い難そうに答える隊長の言葉に、奴は「どいつもこいつも……」と頭を抱え込むが、スーラニーは途端に顔を輝かせる。
「本当に? 本当に父上がそう仰ったの?」
「はい、確かに。今回のことは書類の不備ということにして、後日改めて申請されるとの事です。ただ、条件が御座いますよ」
「条件? それは何?」
思わず身を乗り出した彼女に、彼はにやりと笑い、勿体ぶった仕草で手入れの行き届いた口髭を弄る。
「『己が本分を全うせよ』との事です。近々慶事がおありなのでは?」
その一言に、何故か彼女の顔から一瞬で輝きが失せ、唇を噛むと力なく項垂れた。
「嫌だ」
押し殺した声で呟く娘の顔を、親方は心配そうに覗き込む。
「輿入れなんて嫌だ。父様も母様も一体何をお考えなんだ。相手は代々敵対して来た王家じゃないか」
「スーラニー……?」
「王太子なんて知らない。顔も見たこと無い。そんな相手に嫁ぐなんて嫌だ。私はランジャと結婚するんだ。ランジャと結婚してソルファの邸で暮らすんだ!」
そう叫んで飛び出して行った彼女に、親方はおろおろと立ち上がって隊長に慌しく会釈をすると、慌てて追い掛ける。残された家令が、彼女の代わりに「失礼致しました」と丁寧に頭を下げた。
スーラニーの言葉を真に受けて不安になったのか、気が付くと、隣でベニカが俺の腕を握り締めて小さく震えている。宥めるように頭を撫でてやると、掴んだ腕に頬を押し当てて来た。
なるほどね。融和の為の政略結婚て奴か。神聖騎士団に潜り込んだのも、俺と結婚すると言い張るのも、理由は兎や角言ってはいるけれど、どれもそいつから逃げ回る為の口実だった訳だ。
貴族に生まれた少女の宿命とはいえ、まだほんの子供な彼女には、酷な現実かも知れん。
「やれやれ、しょうのねぇ奴だ。お前らも済まなかったな」
奴は部屋を飛び出して行った母娘を、呆気に取られた顔で見送っていたが、騎士たちに向き直ると、頭を掻きながら詫びた。
「いいえ。スーラニー殿がご無事で良かった。脱走の懲罰云々よりも、輿入れ前の姫君に何かあっては大事ですからね」
苦笑交じりで言う隊長に、奴は呆れたように笑う。
「ロエルの奴も大概だけど、お前も甘いねぇ。あんな我侭娘なんざァ、一発ぶん殴って突っ返しゃ良いんだ」
「そんな、とんでもない。いくら腕が立つとは言え、あんな幼い姫君……殴る何て気が引けますよ」
「ったく……育ちが良すぎるってのも考えモノだな。えぇ? 伯爵殿」
奴に言われて困ったように首の後ろを撫でる彼に、二人の部下は顔を見合わせて苦笑する。
「ところで、神都でもここの情勢が噂になってるって?」
一転して探るような眼差しで身を乗り出した奴に、彼もふと真顔に戻る。
「えぇ。未だ噂話の域を出ておりませんが、連隊長殿も何か妙だと……」
「なるほど。お前らも、ただ我侭姫を追っ掛けに来た訳じゃねぇようだな。ナーダルも目端が利くようになったじゃねぇか」
「将軍は、何故こちらへ……?」
「俺は別に。ただ釣りをしに来ただけだ。ケイディシアの鱸は旨いからな」
奴はとぼけた顔でそう言うと、腑に落ちない様子の彼ににやりと笑って見せた。