ふと車窓を流れる街の喧騒に視線を移した時だ。見覚えのある人影に、慌てて御者に車を止めさせると、窓から顔を出して大声で呼んだ。
「ロナ!」
声は聞こえたらしい。彼女は立ち止まると、俺の姿を探してきょろきょろと辺りを見回す。
「ここだ!」
手を振ってやると漸く気付いたようで、通りの向こう側から手を振り返すと、人込みを縫って小走りに駆け寄って来る。何事かと彼も顔を出して外を見渡すと、嬉しそうに声を上げた。
「あ! この間の美人ですよ彼女! お知り合いだったんですか。不器用だなんて言いながら、ランジャ様も隅に置けないなぁ」
「うるせぇよ」
ロナは漸く辿り着くと、馬車の下から車窓の俺たちを見上げて、「はァい。久し振り」と笑顔で手を振る。相変わらず素っ気無い出で立ちながら、嫌でも人目を引く美しさだ。
「こんなとこで何してるの?」
「何って、仕事の帰り」
「仕事? 仕事って何の……?」
「俺、曲がりなりにも正式に承認された石読みなんだけど」
呆れ顔で答える俺に、彼女がきょとんとした顔をすると、フリッツは弾んだ声を掛ける。
「嫌だなぁ、お嬢さん。僕たちは神殿で石の精霊を呼び出すのが仕事ですよ」
「あぁ、そうだっけ。忘れてたわ。ランジャもちゃんと本来の仕事をすることもあるんだ」
「随分なご挨拶だな」
「ランジャ様、お知り合いなら僕にも紹介してくださいよ」
痺れを切らした彼が無邪気にせっつく。
「あぁ、彼女は夢屋のロナだ。ロナ、彼は石使いのフリッツ」
「よろしく、レディ。あなたのような美しい方と、御近付きになれるなんて光栄です」
「よろしくね。色男さん。ロナでいいわ」
紅い唇に艶然たる微笑を浮かべて差し出した、彼女の華奢な手を宝物の様に押し戴くと、彼は熱い眼差しで黒い瞳を見詰めたまま、その白い甲に口付ける。
手馴れたものだな。支部きっての色事師だけあっていちいちソツが無い。彼女も彼女で、二枚目の口付けに満更でもない様子だ。
「あなたがここにいるって事は、ディエシーとベニカも一緒なの?」
「あぁ、この先の、ホルザレン会の邸で厄介になってるよ」
「本当?」
途端に顔を輝かせやがる。現金な奴だ。「乗れよ」と扉を開けてやると、いそいそと乗り込んで来た。車内に甘く仄かな香りが満ちる。
「何だ。スランフール候のイイ人だったんですか。さすがにお目が高い。あの方が恋敵じゃ、僕に勝ち目は無さそうだなぁ」
彼が大袈裟な物言いで、残念そうに肩を竦めて見せると、それを聞いた彼女は耳まで真っ赤になって俯いた。
「や、やだ、イイ人だなんて……そんなんじゃないわよ。だ、誰があんな女ッ誑しになんか……」
やれやれ、素直じゃねぇのも相変わらずだな。
「今日は夢屋はやらないのか?」
俺の質問に、彼女は大きな溜息をつきながら首を振る。
「暫くは休業よ。何だか妙なものが流行ってるらしくて、こっちは商売上がったりなのよ」
「妙なものって、例の奇病?」
「それもあるけど、水煙草で夢が見られるんですって。色町で流行ってるらしいの。とんだ商売敵が現れたものだわ」
「水煙草……?」
憤懣やるかたないといった様子で腕組みをする彼女をよそに、俺と彼は思わず顔を見合わせる。確か、街の噂では奇病の出所も歓楽街だって話だ。
「どうしたの?」
ただならぬ様子に、彼女は怪訝そうな顔で俺たちの顔を交互に見る。
「いや……実は俺たちも煙草屋を捜してるんだ。どうやら奇病には仕掛け人がいて、煙草屋がその鍵を握ってると踏んでの事でね。だが、尻尾を掴む手掛かりとなるとさっぱりだ」
それを聞いて彼女は暫し考え込んでいたが、はっとしたように顔を上げると、「まさか……!」と呟いた。
「何か、心当たりがおありですか?」
探るような眼差しで問う彼に、彼女は大きく頷く。
「私、この城下で薬屋をやってるティルカに頼まれて、週に何度か施療院での治療を手伝ってるんだけど、うわ言を言う患者が決まって口にするのが、『煙草をくれ』とか『煙草が喫みたい』って言葉なの。
衰弱し切ってるから、苦しさから逃れたくて言ってるのかと思ってたけど、もしかしたら奇病の正体は何かの中毒なのかもしれない。
煙草で夢が見られるなんて変だと思ってた。きっと中毒を起こすような幻覚剤を混ぜてるんだわ」
「なるほど。敵は歓楽街の客の中から、相手を選んで薬入りの水煙草を喫ませていた……と」
「トゥラシオンの兵士に蔓延させたその後で、ケイディシアの民を中毒に陥らせれば、丸でトゥラシオン由来の疫病のように演出できますね。
恐らく、『トゥラシオン病』の噂を流したのも同じ人間でしょう。内戦を狙うなら、民の敵意をトゥラシオンに向けさせる必要があるでしょうし」
「どんな奴だか知らないけど、絶対その手口を暴いてやるんだから。当然、あなたたちも手伝ってくれるわよね」
彼女はそう言って俺たちの顔を覗き込むと、あの堕天使の微笑をにぃっと浮かべた。はいはい、殿下の仰せの通りに……。借りがある身としちゃ、どうやら従わない訳にはいかないようで。
支部の邸に着いて玄関の大扉を開けると、いつもなら、「お帰りなさい! お疲れ様」の声と共に、階段を駆け下りて来る門下生たちが、俺たちの姿を見るなり、「えぇーっ?!」と悲鳴に近い声を上げた。
思わず身構え、面食らった顔を見交わす俺たちを、彼女らは二階の吹き抜けに溜まったまま、不安げな顔を寄せ合って、ひそひそ囁き合っている。
何事かと思いながらも、漏れ聞こえる単語を繋ぎ合わせて見ると、どうやら意中のフリッツが美女連れで帰って来た事に、甚く衝撃を受けているらしい。
ただ一人、ベニカだけが勢いよく駆け下りて来ると、「ロナ! 久し振り!」と飛び付いた。
「あら、ご無沙汰。元気そうね」
「うん! いつも綺麗ねロナ。待ってて! 今、ディエシーを呼んで来てあげる」
笑顔で言うなり、回廊の向こうへ駆けて行ってしまったベニカに、彼女は「え、ちょっと待……」とうろたえると、俺を振り返って苦笑交じりに肩を竦めて見せた。
来客に応対しようと書斎から出て来たジョゼ氏を、俺とフリッツで「まぁまぁ」と制しながら押し戻し、今日の売上金やら伝票やらを手渡して出て来ると、玄関ホールに独り残されて、そわそわしていたロナの顔がぱっと輝いた。
「よぉ! 久し振り」
ベニカに連れられて、親方と共に出て来た奴は、嬉しそうに片手を挙げてつかつかと歩み寄ると、懲りずにまた抱き付こうとする。
が、またもやするりと逃げられるかと思いきや、咄嗟にガシッと細腕を掴むと、そのまま引き寄せて腕の中に捕らえた。今回は奴の反射神経の勝利と言ったところか。
「どうしたよ。俺が恋しくなって逢いに来たってか? ん?」
「ち、違うわよ! 誰が恋しいもんですか。ううう自惚れないで頂戴」
そう言いながらも、彼女は抵抗することすら忘れているのか、大人しく抱かれたまま、陶然と奴の顔を見上げている。
一方、二階の門下生たちは、彼女が奴の客だと知って、一様に安堵の溜息をついていたが、奴が調子に乗って彼女の細い顎に指を掛け、紅い唇に喰らい付こうとすると、今度は水を打ったように静まり返った。
そんな異様な空気を察知したのか、奴はふと動作を止めると二階を見上げ、自分たちを固唾を呑んで凝視してる少女たちに気付くと、にやりと笑った。
「おっと、こいつは失敬……。お嬢様方の教育にはよろしくねぇようで」
そう言ってロナに向き直った瞬間、例の如く平手が飛んで来るが、相変わらず物ともせずに阻止すると、悔しそうに睨み付ける彼女を見て豪快に笑った。
「やだわディエシーったら。こんな可愛い想い人が居るのに黙ってるなんて。余計な気を回しちゃったじゃないの」
いたずらっぽい微笑を浮かべて歩み寄る親方に、ロナは慌てて跪く。
「大公妃殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう……」
「待って、お嬢さん。ここはホルザレン会よ」
優しい口調で手を差し伸べる親方に、ロナははっとして顔を上げると、彼女の手を取って立ち上がり、少しばかり恥ずかしそうな微笑を浮かべた。
「失礼しました。高貴な方であっても、ここでは平等に御座いましたね。初めましてオリガ親方、夢屋のロナと申します。ロナとお呼び下さいませ」
「初めまして。よろしくね、ロナ」
そう言って微笑むと、親方はふと彼女の耳元に顔を寄せる。
「どうせ狙うなら正妻の座になさいな。今なら空席よ」
うふふと意味深に笑う親方に、細い肩を励ますように軽く叩かれると、ロナは真っ赤になって、
「私は別にそんな……せ、正妻なんて、その……」
と、どぎまぎ呟いていたが、門下生たちをからかう奴をチラと振り返ると、何故か「よし」と小さく拳を固めていた。一体何の気合を入れているのやら。
「夕食を御一緒に如何かしら? 是非お話を伺いたいわ」
ディエシーの野郎を落ち着かせる好機到来とでも思ったのか、親方は、本人がたじろぐほどロナに興味津々だ。
「いえ……ご厚意は有難く存じますが、これから知人の手伝いで、施療院に行く約束になっておりますので……」
「施療院へ?」
「はい。拙いものですが、少しばかり薬師の心得が御座いますので、及ばずながらお役に立てれば……と」
「まぁ、ナクルタツリの方だったの。ティルカ師のお弟子さんかしら? それともジーニ師?」
「いいえ。でも、お二方とも縁は深う御座います」
「そうだったの。お若いのに頼もしいわ。聖山の薬師は、あなたのように美しい方が多いのかしら? そう言えば、ハルトランガ王も、エネラ妃も、とても美しい方でいらしたわね」
その一言にふと顔を曇らせる彼女の肩へ、親方はそっと両手を置くと、包み込むように優しい母親の顔で言った。
「私に出来る事があれば何でも言って頂戴。施療院の事だけじゃなく、ナクルタツリの事も、あなた自身の事も。勿論、恋の相談も……ね」
「ありがとう御座います」
彼女は逸る口調で眩しそうに礼を言うと、僅かな逡巡の後、意を決したように顔を上げた。
「それではお言葉に甘えて、一つ、お願いをしてもよろしいでしょうか?」
「何かしら? 何でも言って」
「水煙草を扱っている者に、お心当たりはありませんでしょうか? 水煙草を置いている店、扱っている商人、どんな情報でも構いません」
「水煙草……煙草屋?」
柔らかだった親方の眼差しが、途端に険を含む。
「ホルザレン会の情報網とは、筋が違うかもしれませんが、施療院で治療を受けている患者のすべてが、歓楽街で水煙草を喫んでいる様なんです。でも、どうやらヤミで出回っているらしくて……」
「何ですって?!」
「恐らく、あの奇病の症状は何かの中毒です。薬師が使う薬種の中にも、似たような効果を齎すものもありますが、人命に関わる危険なものだけに、取り扱いには慎重を期すべしと習ったものばかりです。或いは、私たちの知らない未知の薬種なのかもしれない。似た症状でも、あれほど酷いのは今まで見たことがありませんでしたから」
「手伝うぜ」
奴はそう言うと、自分を振り返る彼女に、にやっと笑って見せる。
「俺たちも、丁度その煙草屋を探してたとこなんだ。石屋と薬屋での共同戦線と行こう」
そんな訳で、ロナは患者からの聞き取り、俺たち石屋は街中での情報収集、ディエシーは歓楽街での聞き込みを担当し、一週間後にそれぞれの情報を持ち寄ることになった。