10-1
最初の一週間は、丸で収穫が無かった。
ロナが患者から聞き取って来る情報も、殆どが意味不明なうわ言ばかりで、聞き取れる言葉は辛うじて娼妓の名前くらいだそうだ。
で、俺たちもその情報を元にあちこち聞き回ってはみたが、娼妓の名前も複数に渡る上に、ありきたりな偽名ばかりで殆ど特定不能だった。ディエシーなんぞは街娼一人一人にまで聞いて歩いたらしい。
ひょっとすると、足が付かないように、トゥラシオンの兵士が客の時だけ、違う偽名を名乗っているかもしれない。だとしたら、かなり計画的だ。
ふと思い立って、勝手にくっついて来たフリッツと共に、大本の情報源だったソルファの淫売窟まで来てみたが、あの女は既に居なかった。
あの時と同じ夕暮れ時に、裏通りの酒場の外階段から中へ入り、女が匿ってくれた部屋に行ってみたが、既に綺麗に片付けられていて、粗末な狭い室内を見回してみても、手掛かりどころか女が居た痕跡すら残っていなかった。
俺たちが部屋から出て来ると、けばけばしい化粧をした若い女が、店側の階段から上がって来た所に出くわした。
女は俺たちの顔を見るなりにやっと笑うと、好奇に満ちた眼差しで寄って来た。
「あんたら、そこの姐さんのご贔屓かい?」
「いや、違うけど、聞きたい事があって……」
「残念だねぇ。姐さんはもういないよ。何ならあたいに乗り換えない? あんたらみたいな二枚目なら大歓迎だよ」
そう言いながら科を作って見せる女に、俺たちは思わず苦笑を見交わす。
「彼女、煙草を喫んでませんでした?」
「あーぁ、あんたもやらないかって言われたけど、あたいは臭くて嫌いだったね。城下で流行ってるんだとか自慢しちゃってさ。いけ好かない年増だよ」
どうやら己自身の、安香水の風呂にでも浸かったかの様な、強烈な臭気には気付いていないらしい。
「何処の店で買ってたか知ってるか?」
「店じゃ売ってないってさ。客から買ってたんじゃないの? 時々毛色の変わったのが来てたから」
「毛色が変わったのって?」
「ウチみたいなとこに来るにしちゃ、やけに身なりが良かったよ」
そこまで聞いたところで、女は階下から名を呼ばれ、ぶつくさと文句を言いながら降りて行ってしまった。
俺たちも外から階下へ降り、開店準備で忙しそうな酒場へ入って行くと、店主らしき初老の痩せこけた男が、濡れた手を前掛けで拭きながら出て来て、俺たちを胡散臭そうな顔で交互に見た。
「まだ準備中だよ」
「人を探しに来たんです」
「人ぉ?」
フリッツの言葉を聞くと、彼はあからさまに面倒臭そうな顔をする。
「二階で商売をやってた女だ。外階段に一番近い部屋に居た、三十がらみの年増女……」
「リタなら死んだよ。十日ほど前だ」
彼は俺の言葉を遮るように言いながら鼻で嗤うと、追い払うように手を振った。
「死んだ? 何でまた……」
「さてね。気が付いたら死んでたのさ。掃除屋の見立てじゃ、毒でも煽ったんじゃねぇかって話だ。別れ話でも縺れたんじゃねぇの? ヒモとは年がら年中揉めてたから」
「毒……」
まともに効く毒なんぞは、ナクルタツリの秘薬と同様に高価だと聞く。だとすれば、淫売女如きが簡単に使える代物じゃない筈だ。どうにも引っ掛かる。
「あいつは皮肉屋で口は悪かったけど、根は優しくてイイ奴だったんだ。何も死んじまうこたァなかろうにな」
「煙草をやってたよな? 彼女の部屋に水煙管があった筈だけど」
「そう言や吸ってたな。ベネが臭いからやめてくれって言って喧嘩になってたっけ。だけど掃除屋が入ったときには無かったな」
「煙草屋との取引は?」
「商売としちゃ来てなかったね。客としてならいたかもしれねぇが、いちいち何屋かなんて聞かねぇしよ」
顎の無精髭を弄りながら皮肉交じりに笑う店主に、礼を言って店を出る。どうやら詰みらしい。
「何だかおかしいですね」
宿屋に帰る途中で、フリッツがふと店を振り向いて言った。
「あぁ、何か変だ。淫売女が毒で死ぬってことも、煙草を何処で手に入れたかって事も、遺品の中に水煙管が無いって事も……」
「煙草屋らしい客は、身なりのいい男と言っていましたね」
「身なりのいい男ねぇ……。貴族なら、気に入った女がいるとしても、使いをやって邸や別邸に呼び出すだろうし、店にわざわざ出向く事は無いだろうな。とすれば稼いでる商人か職人か……」
「その客が、彼女に煙草を喫ませるために水煙管ごと買わせるか、貸すかしていたけれど、彼女の死の前後に持ち去った……て事ですか」
「一体何のために?」
「自分がそこに出入りしていた痕跡を消すため……証拠隠滅……だとしたら、彼女を毒殺したのも、その煙草屋かもしれません」
「本物の毒を淫売女如きに惜しげもなく使えるほど、羽振りが良い男……ってことか」
ふと嫌悪感と共に脳裏に浮かんだのは、冷たく表情の無い蛇の目だった。ヴィスロ枢機卿……確かあの男も毒使いだったな。しかも前職は薬屋だとか言ってやがった。
件の煙草には、中毒性の薬が混ぜられてる可能性もあるとロナも言っていたし、もしかしたら、死んだ女が言っていた薬屋ってのは、ナクルタツリの薬師とは違う連中のことなのかもしれない。畜生、こんな事なら、もっと詳しく聞いときゃ良かった。
くしゃくしゃと頭を掻く俺の隣で、何を思ったのか彼が唐突に顔を上げ、切迫した表情で俺を見る。
「帰りましょう! 今すぐ!」
「え? 何、どうしたよ」
「煙草屋が証拠隠滅を図っているのだとしたら、オーラート城下の娼妓たちも狙われる筈です」
「……そうか! まずい、こうしちゃいられない」
大急ぎで宿へ帰り、身支度もそこそこに引き払って城下へ向かう。だが、くたびれ果てて支部の邸に辿り着く頃には、既に三人の被害者が出ていて、いずれも掃除屋の処分も済んで城外の共同墓地へ捨てられた後だった。
騎士団だってそうそう暇じゃない。淫売女の死因など、痴情の縺れか商売上のトラブルぐらいにしか思わなかったのだろう。
どうやら先手を取られちまったようだ。取り敢えず、今回ソルファで得た情報は、ディエシーからエデル将軍へ伝えてもらって、捜査の一助として貰う事とした。
徒労感に苛まれつつ、疲れた体を引き摺って、親方が用意してくれた二階の部屋に夜遅く戻ると、ベッドで何かが動いたような気がして、びくっとして立ち止まった。
遠巻きにしながら、部屋の隅の精霊石ランプのシェードを細く開け、薄明かりの中を忍び寄って覗き込むと、気配の主は、毛布に包まって寝息を立てているベニカだった。
脱力しつつ大きな溜息をつき、反射的に握っていた剣把から手を放すと、苦笑しながら寝乱れた毛布を直してやった。
無垢な寝顔に暫し癒される。彼女にも贅沢な部屋が与えられていた筈だけど、俺が留守の間ずっとここで寝ていたんだろうか。
そう言えば最近は、親方の手伝いや神殿の仕事で忙しかった上に、煙草屋の捜索も加わったせいでろくに顔も合わせていなかった。
昼間は通いの門下生たちと一緒だから平気だろうけど、彼らが帰ってしまうと、広い邸はさぞ寂しかろう。
スーラニーにも最近会わないと思っていたが、何でも、神都から呼び戻した家庭教師を付けられて、行儀見習いの続きをさせられてるそうだ。
姫将軍にとっては窮屈な生活なのだろう。時折、癇癪を起こしては脱走を図って親方に小言を喰らっているらしい。
夜半過ぎに、何か温かいものが触れた様な気がして目を覚ますと、隣でベニカがぴったり寄り添っていた。
気付けば肩から毛布も掛けられている。どうやら俺は絨毯の上に座り込んだまま、ベッドに寄り掛かって眠ってしまっていたようだ。
「風邪引くぞ。ベッドに戻れ」
「ここがいいです」
「駄目だ。早く戻れ」
そう言っても、彼女は俺の顔をチラと見上げただけで、聞こえない振りをして一層くっついて来る。
「ベニカ」
少しばかり強い口調で言うと、今度は俺の顔をじーっと見詰めてから、にこっと笑った。
「ランジャ様が一緒なら戻ります」
何だ。添い寝のおねだりか。やれやれ。早く大人になりたいとか言いながら、甘えたい時は子供のままなんだな。ちゃっかりしてると言うか何と言うか……。
剣帯を外し、クロークを脱いで仰せの通りベッドに入ると、嬉しそうに潜り込んで来る。毛布を掛けて頭を撫でてやると、またしても俺の顔をじーっと見詰めた。
「どうした。寝られないのか?」
彼女は首を振ると、暫くの間言いあぐねてもじもじしていたが、小さな声で恥ずかしそうに、「口付けして下さい」なんぞと言う。
何だか今日は要求が多いけど、久し振りに顔を見たのだから応えてやるかと思い、前髪を掻き揚げて白い額に顔を近付けると、「あ、あの、そうじゃなくて……」と小さな手で遮られた。
「ん?」
「あの、えと、そ、その……」
「何」
「あの、ロ、ロナとディエシーみたいに……して欲しいです」
「はぁ? 何言ってやがンだ。マセ餓鬼め」
そう言って笑ってやると、「だって……」と不服そうに頬を膨らませる。
「だってじゃねぇ。早く寝ろ。夜が明けちまうぞ」
「門下生の姉様たちに聞かれたんです。『ランジャ様とはどのようなご関係ですの?』って。私、何て答えたらいいのか判らなかったの」
「それと口付けの仕方とどんな関連があるんだよ。親代わりだって言っときゃいいだろ?」
訳が判らなくて呆れた口調で言う俺に、彼女は「あ、あの……」と再びもじもじすると、上目遣いでこっちの顔色を窺いながら、「許婚じゃ、駄目ですか?」と小さな声で訊く。
「許婚って……。あのなぁ、俺とお前で幾つ離れてるか判ってんのかよ。誰が見たって親子だろ?」
「嫌です」
「嫌ですったってお前……」
「親子じゃ結婚出来ません」
何をそんなにムキになってるんだか。夢中で言い返す彼女が可笑しくて、思わず苦笑が浮かぶ。これじゃ丸で痴話喧嘩だ。
「餓鬼が心配することじゃねぇよ」
「酷いです。私はこんなにランジャ様の事が好きなのに……」
そう言うと彼女は一丁前な溜息を付き、拗ねた顔で俺を見る。何だか根負けした気がして「俺も好きだから早く寝ろ」とぞんざいに答え、頭から毛布を掛けて軽くぽんと叩いてやると、もそもそと這い出て来て、えへへと照れ臭そうに笑った。
やれやれ、現金な奴だ。改めて前髪を掻き上げ、石鹸の匂いのする小さな丸い額に口付けしてやると、幸せそうな顔で目を瞑り、程なくして静かな寝息を立て始めた。
まったく、結婚だの恋愛だのと、こいつにゃまだまだ早いだろうよ。さては門下生のお嬢どもに感化されやがったか。