石使いランジャ   作:桜城静夜

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 翌朝、目が覚めて瞼を開くと、すぐ目の前に、俺に口付けしようとしてベッドの縁から身を乗り出すベニカの顔があった。

「何やってんだ? お前」

 半分寝惚けながら言うと、彼女は慌てて飛び退き、あたふたおろおろしながら「お、お早う御座います」と言ってぺこりと頭を下げた。

「まさかお前に寝込みを襲われるとは思わなんだ」

「え、あ、あの、ご、ごめんなさい」

「何を色気付いてんだか」

 そう言って苦笑した瞬間、寝過ごしたと思って慌てて起き上がるが、今日は週末だったことを思い出して溜息をつき、頭をくしゃくしゃ掻きながらベッドを降りる。

 こんなに日が高くなるまで目覚めなかったなんて、余程疲れが溜まっていたらしい。彼女によると、見兼ねた親方が起こさないようにと配慮してくれてたようだ。

 身支度をしながら、扉をノックする音に答えると、部屋付きの小姓が大きな花束を抱えて入って来た。

 この邸には毎日沢山の花が届く。トゥラシオン大公が愛妻に宛てたものが大半ではあるが、他は全てフリッツ宛だ。

 何でも貴族の令嬢や奥方が、彼の気を引こうと、挙って贈り物攻勢を仕掛けて来るらしい。

 彼も心得たもので、欲しい物は何かと尋ねられると、必ず花と答えているとか。で、届けられた豪華な花々は、そっくりそのまま親方への贈り物として邸中を飾ると言う寸法だ。

 小姓は部屋の隅に据えられた大きな花瓶に花を生けると、朝食は如何致しましょうと尋ねて来た。

 「一緒に食うか?」と彼女に訊くと嬉しそうに頷くので、二人分を注文する。程なくして運ばれて来たものを窓際のテーブルに置いてもらうと、彼女は給仕を丁重に断り、自分でいそいそと食器を並べる。二人で食事するのも久し振りだな。

 開け放った窓を占める明るい曇り空の下、中庭から聞こえる歓声はスーラニーのものらしい。どうやらディエシーに剣の稽古を付けてもらっているようだ。

「修行はどうだ?」

 食いながらの俺の問いに、彼女は満面の笑顔で「楽しいです」と即答する。

「姉様方もみんな優しい方ばかりですし、親方も良くして下さいます。姫様にお貸ししていた服、解れていたとかで、親方が手ずから繕って下さったの」

「そうか、良かったな」

「それに、いい匂いのする石鹸で洗って下さったの。親方みたいないい匂い。お母さんて、みんなあんな匂いなのかな……」

 彼女はそう言うと、窓外に広がる中庭を見下ろした。つられて視線を転じると、スーラニーが、ディエシーのあの大剣を貸してもらって、奴に笑われながらも振り回そうと奮闘している最中だった。

「姫様がちょっと羨ましいです。父上も母上もいて、その上兄上までいらっしゃるなんて」

「俺じゃ不足か?」

 少々不満そうな振りをして言ってやると、彼女は寂しげな顔のままぶんぶんと首を振る。

「私は、ランジャ様のお側に置いて頂ければそれで十分です。でも、姫様はランジャ様とご結婚なさりたいのでしょう? そうしたら私、また独りになってしまいます」

 泣きそうな顔で言う大きな緑の瞳に、みるみる涙が溢れて幾つも頬を伝って行く。苦笑しながらナプキンを差し出してやると、フォークを持ったまま受け取って、ごしごしと顔を拭った。

「泣きながらメシ食う奴があるか。姫様には許婚がいるって言ってただろ? しかも相手は大国ケイディシアの王太子で、文武両道の男前だそうじゃないか。俺みたいな素性の知れない風来坊なんか、本気で相手にするわけ無い」

「姫様だけじゃありません。門下の姉様方も、みんなランジャ様が好きなんです。ぶっきらぼうで言葉遣いも乱暴だけど、お美しくてお優しくて素敵だって」

「そいつは光栄だが、お前と仲良くしたいって事だろうさ。考え過ぎだよ。第一、あいつらにだって許婚はいるし、目下のお目当てはフリッツだ。俺じゃない」

「そうでしょうか……」

「それに、俺は子供にゃ興味ねぇって言ったろ? 姫様のものにも門下のお嬢たちのものにもならねぇよ」

 半ば呆れながら言ってやると、今度はぷっと膨れて「私だって子供です」と言う。

「自覚があるならいちいち余計な心配するんじゃねぇ。お前が大人になるまで待たされる身にもなってみろ」

 言いながら大袈裟な溜息をついて見せ、にやっと笑ってやると、漸く笑顔に戻った。

 朝食が終われば、夕方の会議にロナが来るまでは暇だ。食器を下げに来た給仕の会釈に応えながら、今日一日ぐらいはベニカに付き合ってやるかと思っていると、部屋の外の回廊を、スーラニーが俺の名を呼びながら駆けて来る音が近付いて来て、窓越しに俺を見付けると唐突に扉を開け放した。

「ランジャ! ここにいたのか」

 嬉しそうに飛び込んで来た彼女に、ベニカは取られまいと慌てて俺に駆け寄る。

「何だよ、ノックも無しに……」

「ランジャ、剣の手合わせをしてくれ。母様を守るために帰って来たのに、毎日毎日、行儀作法だの言葉遣いだのと閉じ込められていたのでは、腕が鈍ってしまう」

 彼女は苦笑する俺などお構い無しのようだ。両手で俺の腕を掴むと、勝気な瞳を生き生きと輝かせて、はしゃぐように部屋の外へと促す。

「俺かよ。ディエシーはどうしたんだ?」

「母様に呼ばれて行ってしまった。御主なら伯父上と互角であろう? 共に旅をしてるのだから」

 どうやら今日は家庭教師も休みのようだ。窮屈な生活で溜め込んだストレスを、この機に発散させようという魂胆らしい。

 俺としても、最近は剣を触る暇もない日々だったし、食後の腹ごなしにも丁度いいだろう。

「よっしゃ。姫将軍の御手並み拝見だ」

 続き部屋から剣を手に出て来た俺を、ベニカは不安そうな顔で見上げるが、「すぐ戻るから」と言い聞かせると、早く早くと急かすスーラニーに、手を引かれながら部屋を出た。

 

 

 

 中庭に出て回廊を見上げると、ベニカは手摺に寄り掛かって見下ろしていた。

 手を振ってやると振り返して来たが、相変わらず寂しそうな顔のままだ。一体何を心配してるのやら。俺は何処にも行きはしないと言ったばかりなのに。

 先手はスーラニーだ。彼女の剣は、小柄な体格に合わせて小振りに作られてはいるが、剣身は一丁前にも美しく輝くトゥラシオンの鋼だ。

 俺が抜剣して対峙すると、気合と共に突き込んで来る。咄嗟に受けて反撃を試みるが、リズムもバランスもスピードも大人相手とは勝手が違って、小回りが効く為に先手先手を取られる始末だ。

 特に、身長差のせいで、思わぬ所から出て来る切っ先には梃子摺らされた。なるほど、神聖騎士団の連隊長殿を負かしただけの腕ではある。

 防戦一方で苦笑しながら後退する俺を、彼女は目を輝かせて攻め続ける。一瞬、踵に触れたものが、花壇を仕切る煉瓦だと気付いた時には既に遅く、咲き乱れる花の中へもんどり打って尻餅を搗いた俺の鼻先に、会心の笑みと共に、踏み込んだ切っ先が突き付けられた。

「参った。さすがに強いな、姫将軍」

 そう言って笑ってはみたものの、内心では少女に負けを喫したことに、少なからぬショックを感じてはいた。

 彼女は剣を納めながら、そんな俺の心を見透かしたように、呆れた溜息をついて肩を竦める。

「何だ。伯父上の友人だから、少しは骨のある奴だろうと思ったのに、これでは期待はずれだ」

「そいつは悪うござんした」

 にやっと笑って立ち上がり、服に付いた花びらや土を払い落とす俺に、彼女は取り落とした剣を拾って渡そうとしたが、切っ先が持ち上がらないことに驚いて俺を見上げた。

「何だこの剣は! こんなに重いのを使ってるのか」

「重いのか。俺はそれしか知らないから、そんなもんだと思ってたが」

「スランフールの紋章だ! 伯父上の剣ではないか。道理で重い筈だ」

 彼女は剣把についている磨り減った飾りを俺に示すと、不満そうな顔で切っ先を引き摺ったまま差し出した。

「これで勝っても面白くない。手心を加えて貰ったも同然ではないか。ここで待っていてくれ。今、違う剣を持って来るから」

 そう言うが早いか、邸の中へ駆けて行った彼女を見送りながら、受け取った剣を納める。

 さてはディエシーにしてやられたか。あの野郎、俺が持つには重過ぎるのを承知の上で使わせてたな。

 フィンデールで奴に散々シゴかれた日々を思い出して、思わず苦笑が浮かぶ。そう言えば、使い慣れなくて脱臼したこともあったっけ。

 程なくして戻って来た彼女の腕には、一振りの剣が抱えられていた。一体何処から持って来たのか、鞘も剣把も意匠を凝らした造りの、贅沢な代物だ。

「兄上の剣だ。これを使ってくれ。御主は兄上と背格好が似ているから、こっちの方がいい筈だ」

 彼女が嬉しそうに差し出すそれは、とんでもなく軽かった。

 鞘を払い、剣把を握ると手にしっくり馴染む。バランスも絶妙。礼装用の飾り物かと思いきや、なかなかどうして剣豪の嫡男に相応しい逸品と言ったところだ。

 彼女は、俺が剣を抜いたのを見て早速抜剣すると、じゃれつく子犬のように構えたまま早く早くと急かす。やれやれ。彼女にとっては手合わせも遊びでしかないのか。

「よし、来い!」

 構えて声を掛けると、さっきと同様に突いて来る。今度は難なく交わして反撃に出られたが、やはり彼女の方が少しばかり早い。

 一進一退で決着が付かない事に少々焦れた俺が、彼女が上手になったのを見計らって一瞬劣勢に見せ掛け、押して来る力を逆に往なして捻じ伏せた。勝負あり。

 軽やかな音を立てて零れ落ちた剣を、彼女は一瞬、呆気に取られた顔で見詰めていたが、「やはり手合わせはこうでないとな」と、何故か嬉しそうに呟きながら、拾い上げて笑顔で納めた。

「その剣は兄上から賜ったものだ。私を負かした褒美に授けよう」

「気持ちは有難いが、辞退するよ」

 借りた剣を納めて差し出すと、彼女は不思議そうな顔で受け取りながら俺を見上げる。

「何故だ? 気に入らないのか?」

「いや、そいつはいい剣だ」

「ならばどうして?」

「何でだろうな。奴の剣で勝たないと意味が無いような気がする」

「さっきはそれで負けたではないか」

 彼女は呆れた口調で言いながらも、勝ちは貰ったと言わんばかりの微笑を浮かべ、再び抜剣して構えた。

 それに呼応して俺もまた自分の剣を抜く。軽いのを持った後だけにいつに無く重く感じるが、彼女にスピードで対抗しようってのは土台無理な話だ。ならば彼女には無い要素で戦った方が有利だな。

「行くぞ!」

 明るい声で叫ぶと同時に、軽やかな身のこなしで突っ込んで来るのを受け止めると、先程と同じ様に劣勢を装う。

 彼女も同様に息をもつかせぬ素早さで攻めて来るが、隙を突いて反転し、剣の重量を利用して一気に攻勢に出る。

 ……つもりだったが、一瞬、彼女の瞳に恐怖が滲むのを見てしまうと、途端に戦意が失せてしまった。苦笑と共に剣を降ろし、鞘に納める俺の顔を、彼女はぽかんとした顔で見上げる。

 いくら強いとは言え、こんな年端も行かない少女相手に、何をムキになってると思ったら、何だかすっかり毒気が抜かれてしまった。

 持ち前の身軽さと、大公直伝の剣技もさることながら、彼女の最大の武器はその可愛らしい容貌だな。

「どうしたのだ? ランジャ……」

「あんたの勝ちだ」

「勝負はまだ付いてないぞ。さっきは御主が優勢だった」

「あんな顔されちゃ戦意喪失だ」

 言いながら溜息をついて肩を竦めて見せると、彼女は不満そうに頬を膨らませる。

「それはどういう意味だ。私の顔のせいにするな」

「怖がってたろ」

 にやっと笑って言ってやると、途端に顔が耳まで赤くなった。

「怖がってなどいない! 御主の剣など怖いものか。かかって来い! もう一度やり直しだ」

 ムキになって突き付けて来る切っ先を、笑いながら払い除ける。

「剣の手合わせなら、許婚とやったらどうだ? 出来る奴だそうじゃないか」

「嫌だ。私が結婚するのは御主だ。王太子じゃない」

「何だよ。この前の話で納得したんじゃなかったのか」

「あの時は……ああ言わなければ収まらないと思ったからだ」

 そう言いながら極まり悪そうにふと顔を背けると、呆れ顔の俺を剣を納めながらチラと見上げる。

「何故ケイディシアの王太子が相手なのか、その意味を考えたことがあるか?」

「意味……?」

「そうだ。剣以外にも、母君を守る手立てがあることを知るべきだろ? あんたは仮にもトゥラシオン大公の姫君なんだから」

「大公の姫なんて窮屈なだけだ。私はベニカのように御主と自由に生きたい」

「あいつはあんたが羨ましいと言ってたぞ」

 俺の言葉に、「私がか?」と心底驚いた顔で見上げる。

「あんたには立派な両親と、その上兄君まで揃ってる」

「そうか……。彼女には家族がいないのであったな」

「ああ。親代わりの俺がいなくなっちまったら、あいつはまた独りだ」

 その一言に、彼女は一瞬愕然とした表情になったが、すぐさま顔を背けてぷっと膨れると、「それとこれとは話が別だ」と言い捨てて、邸の中へと駆けて行ってしまった。

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