昼過ぎに、ケイディシア騎士団を名乗る数人が邸を訪ねて来た。
何でも、四人目と五人目の犠牲者が出たらしいのだが、その一人がプローアン男爵なのだそうで、重要参考人として、夫人が盛んに粉を掛けてたフリッツの名が挙げられたんだとか。
彼が男爵の邸を訪ねたのはあの日の一度きり。しかも、晩餐の席は蹴って来てるのだからアリバイはあるのだが、取り敢えず身の潔白だけは証明しておきたいとの事で、証人を申し出た親方と共に出掛けて行った。
彼によると、件の男爵はお世辞にも褒められた人物ではないらしい。
いつだったか門下生たちも噂していたが、領地の別邸に入り浸っては、娼妓や愛人を出入りさせて酒色に溺れる毎日だったとかで、ほったらかしにされた夫人は、いきおい城下で男妾漁りに精を出すといった爛れっ振りだったそうだ。
令嬢は貞淑な美女だそうだから、きっとそんな両親を反面教師として育ったに違いない。彼は彼女の今後の運命を思ってか、沈んだ表情で憐れだと零していた。
夕方、頼まれていた事務仕事を終えて書斎から出て来ると、ロナが来ていてベニカと談笑していた。
挨拶代わりに軽く手を挙げて歩み寄ると、彼女は怪訝そうな顔で手を伸ばし、俺の髪を束ねていた革紐の飾りに触れた。
「何を着けてるのかと思ったら、これ首飾りなのね。堅物だと思ってたのに色気付いちゃって……誰から貰ったの? 白状しなさい」
すんなり細い人差し指を俺の鼻先に突きつけながら、意味深ににやりと笑った彼女に、「ベニカだよ」と苦笑で返すと、今度は「ははぁン」と妙な得心顔で頷き、くすくすと笑った。
「なァるほど。印を付けられちゃったって訳ね」
「何だよそれ」
「さぁ? 何の印かしらね。ランジャ様は鈍いから判らないのよ。ねぇ、ベニカ」
振り向いて片目を瞑って見せる彼女に、ベニカはどぎまぎと顔を赤らめ、「そ、そんなんじゃありません」と逃げて行ってしまった。
彼女は、階段を駆け上がる彼女を見送りながら、微笑ましげににうふふと笑うが、姿が見えなくなると小さな溜息をついた。
「あの子、何だかいつもより元気が無いようだけど、何かあったの?」
「何だかね。俺を誰かに取られやしないかと、いらん心配してるみたいだ。何処へも行きゃしねえよって何度も言ってるんだけど」
それを聞くなり彼女は腕組みをすると、心底呆れたような口調で言った。
「あなたって、本っっ当に鈍いのね」
「何だよ。何が鈍いってんだよ」
「女心に鈍感だって言ってるの」
「はぁ? 誰の」
「呆れた。ベニカに決まってるでしょう? 今迄は自分だけのランジャ様だったのに、ここへ来て恋敵が現れる可能性に気付いちゃったのよ」
「恋……って、あいつはどう見たってまだ餓鬼だろうよ」
「お生憎様。あの子の年頃なら、もう恋くらいするわ」
「まさか、ンな訳あるかよ。門下のお嬢どもに感化されただけだろ」
「私の初恋は八つの時だったわよ。護衛の騎士に恋をしてたわ。戦で離れ離れになっちゃったけど、強くて優しくて素敵な人だったの」
何故か得意そうな顔で言ってるけど、誰もそんなことなんぞ訊いてない。第一、八歳だなんてマセ餓鬼もいいとこだろう。こいつが色気の権化みたいに育ったのは、早熟だったからじゃないのかね。
「あの子、約束が欲しいんじゃないの?」
「何の」
「将来の! 結婚の約束に決まってるでしょう? まったく鈍いわね」
「はぁ? 出来るわけ無いだろ?」
「どうして? あんなに可愛がってるじゃない」
「俺とあいつで幾つ離れてると思ってるんだよ。それに、五年後にこの世界にいるかどうかも判らねぇのに、そんな約束出来るかっての」
「何ですって?! それどういう事よ!」
言っちまってから気付いてはっとなったが、もう遅い。慌てて吹き抜けを振り向き、ベニカの姿が無かった事に安堵すると、責めるような眼差しで俺を見上げる彼女の、細い両肩を掴んで言った。
「ベニカには言うなよ。絶対に!」
「どういう事? 五年後に何処へ行くって言うの?」
「さっき言った事は忘れろ。いいな」
掴んだ肩を揺さぶって尚も迫る俺を、彼女は非難と不安と畏れの入り混じった顔で見詰めたまま、何かを振り払うように首を振った。
「神界へ帰るつもりなのね。あなた、やっぱり『雷神の御子』なんだわ……」
「知るかよ。神界だの御子だのと……。あんたらが勝手にそう呼んでるだけだ」
「お、痴話喧嘩か?」
ふと通り掛ったディエシーの、明らかに面白がってる口調に、俺たちは弾かれたように離れる。
「な、何でランジャなんかと痴話喧嘩しなきゃならないのよ」
「なんかとは何だよ。失礼な奴だ」
奴に食って掛かる彼女と、その言い草に噛み付く俺を、奴は呆れた様子で苦笑しながら、「まぁまぁ」と宥めて引き離すと、食堂へと促した。
食堂に行くと、親方とフリッツもいつの間にか帰って来ていた。
取り敢えず、当たり障りの無い話をしながら夕食を済ませ、報告会は子供たちが部屋へ戻ってから、杯片手にぼちぼち始めることになった。
最初の話題は、昼間フリッツと親方がしょっ引かれて行った、プローアン男爵殺害事件だった。
取り調べの際に騎士団から聞いた話では、男爵は、別邸出入りの娼妓と共に殺されていたそうで、死因は短剣による刺殺。
第一発見者は別邸の使用人らしいのだが、使われた凶器も下手人の手掛かりも、未だに見付かっていないとの事。
フリッツの嫌疑は、男爵本人とは面識が無い上に、別邸のある領地には足を踏み入れた事すらなかった為に、あっさり晴れたらしい。
この事件も、確かに殺されたのは娼妓だし、殺された場所が貴族の別邸というのはセンセーショナルではあるが、今迄と違って毒殺じゃないし、どうやら煙草屋とは関係なさそうだ。
ロナによれば、先日殺された娼妓たち以外にも、まだ煙草をやってる奴がいるらしく、患者は増える一方で、重篤な奴から死人も出始めたらしい。
俺たちが持って来た煙草屋らしき男の情報も、エデル将軍の配下と、城下に逗留中のシルト隊長率いる神聖騎士団の手を借りて捜索中ではあるが、さっぱり手掛かりが掴めないままだった。
一同の間を重い空気が支配し始めた頃、不意にノックされた扉を全員が振り返る。入って来た小姓に応じた家令が、フリッツを振り返って静かに歩み寄ると、彼に来客である事を告げた。
「僕に客ですか? 誰だろう、こんな遅くに……」
彼は訝りながら席を立つと、親方に会釈して部屋を辞したが、暫くして、遣り切れない表情で戻って来ると、後ろ手に閉めた扉にそのまま寄り掛かり、しばしの間、掌で目を覆って何かに耐えていた。
噛み締めた唇にうっすらと移った口紅の色が、男子ながらゾクッとするほど妖艶に見える。
大きな溜息をつき、漸く扉から離れてふらふらと席に戻ると、彼は手酌で杯を満たして乱暴にあおり、口紅の跡を消そうとするかのように、手の甲で無造作に唇を拭う。
「誰だったの?」
心配そうに尋ねる親方に、彼は杯に視線を落としたまま呟くように言った。
「タミラ嬢ですよ。喪服のまま、僕に別れを告げに来たんです」
「別れ……って」
「ノウェリ氏の邸へ奉公に出されることが決まったそうです。要は、あの成り上がりの老人の妾にされるんだ。今更愛してると言われたところで、僕に出来る事なんて何もない」
「フリッツ、あなたタミラを……」
親方の言葉を遮って首を振ると、口元に微かな冷笑を浮かべる。
「これは同情です。母親に売られた娘を憐れんでいるだけ。僕は誰も愛さない。僕の命はキール会長の……ホルザレン会のものですから」
彼は遠くを見る眼差しで無表情にそう言うと、ふと思い出したように懐から何かを取り出し、気怠い仕草でテーブルの真ん中に置いた。
「男爵の懐から出て来たそうです」
掌に収まる程のそれは、小さな陶器の皿に、細かい穴が無数に空けられた錫箔を被せて、周囲を細かくかしめたものだった。こいつは一体何だろう。
「ほぉ、こいつァ水煙草の火皿だな……」
興味深げな口調で呟いたディエシーを、俺たちは一斉に振り向く。奴が手を伸ばしてそいつを手に取ると、表裏を一通り眺めてからロナに手渡した。
彼女もまた受け取ったブツを弄繰り回していたが、徐に懐からダガーを取り出すと、錫箔を丁寧に切り開く。最後に刃先で穿り返すと、乾燥させた葉を糖蜜で固めた物が出て来た。
「普通の煙草にしか見えないわね」
彼女は摘み上げたそれを、目の高さに持ち上げて眺め回していたが、肩を竦めると再び火皿に戻した。
「焚いてみりゃいいじゃねぇか」
一連の作業を見守っていた奴が、痺れを切らしたように言うと、彼女は「駄目よ」と語気強く制する。
「何が混ぜられてるか判らない。不用意に焚いたり出来ないわ。ねぇフリッツ、これ、預からせてくれる? ティルカの店になら幾つか試薬もあるから、薬の正体が判るかもしれない」
彼は大きく頷くと、「是非お願いします」と答えた。
「問題は、こいつが出て来た経緯だな。明日エデルと逢うことになってるから、捜査情報を回してもらおう」
火皿を見詰めたまま腕組みしていた奴も、親方と顔を見合わせて頷き合う。
俺とフリッツも、明日からの仕事の合間に、男爵と一緒に殺された娼妓について聞き込みをすることにした。
この事件、煙草屋とは関係無いどころか、どうやら大有りのようだ。