翌日は、小雨のそぼ降る寒い日だった。
神殿での仕事を終えた後、表通りの真ん中に大きな店を構えた薬屋に、フリッツと二人で立ち寄ると、ティルカ師の娘だと言うおっとりとした中年の女店主が応じた。
彼女によると、ロナは昨夜から部屋に篭り切りらしい。店の二階の奥の間まで案内されたが、ノックしても返事は無かった。
フリッツと怪訝顔を見合わせてから、そっと扉を開けると、暖炉の火が赤々と燃える部屋の中、調合器具や薬瓶で散らかり放題のテーブルの向こうで、カウチに横たわるロナを見付けたが、そのしどけなく無防備な寝姿に思わずどきっとした。
「お嬢様、お客様で御座いますよ」
そっと歩み寄って優しく声を掛ける店主に、彼女は気怠い声で答えながら瞼を開くと、俺たちの存在に気付いた瞬間、がばっと起き上がり、顔を耳まで赤くしながら、深い谷間が覗く胸元を慌てて掻き寄せた。
「ななな何見てるのよ。ノックぐらいしなさいよ!」
「何言ってんだよ、ノックぐらい聞けよ」
苦笑しながら空いてる椅子に勝手に腰掛ける俺を、寝乱れた髪を整えながら睨み付けると、一転してフリッツには笑顔で席を勧めた。
「如何ですか? 何か判りましたか?」
テーブルに乱立する薬瓶を物珍しそうに眺めながら問う彼に、彼女は頷いて大きな溜息をつくと、疲れた顔で背凭れに体を預けた。
「邪法よ」
「邪法?」
「禁じられている薬術よ。破った者は処罰されるわ。重罪なら死刑。たとえ軽い罪であっても、一度でも邪法薬師の烙印を押されれば、薬師としての生命は終わり。二度と薬には関われなくなる。一部の御典薬師を除いては……ね」
「蓮火幇……ですね?」
フリッツの片眼鏡がキラと光ると、彼女は疲れた顔のまま気怠く頷いた。
「蓮火幇?」
俺の問いに、彼はいつもの明るい声でさらっと事務的に答える。
「ナクルタツリ長老会議直轄の、特殊な薬師集団です。専門は治癒ではなく暗殺ですけどね」
「暗殺……!」
「ナクルタツリが、騎士団の代わりに神都へ供出していた宮廷薬師の中に、蓮火幇の薬師がいたという話は聞いたことがあります。もっとも、先の戦を機に変質したという噂もありましたが」
「さすがはホルザレン会ね。何でもよくご存知だわ」
皮肉たっぷりの一言だが、天使の笑顔で「ありがとう御座います」と答える彼に、彼女は毒気を抜かれて苦笑を浮かべる。
「私は、セブランの侵攻でラトリ幇主が戦死した時に、次代幇主を決めずに解体したと聞いたわ。それ以来、所属していた薬師たちの行方は判らないそうよ。
長老会なら知ってる人もいるだろうけど、多分、訊いても答えないでしょうね。この件に関わっていなければいいんだけど……。邪法薬師とは言え、ナクルタツリの人間が犯人だ何て考えたくないわ」
そう言って溜息をついた時、階下から聞こえて来た声に彼女の顔がぱっと輝いた。どうやらディエシーが来たらしい。
奴も分析結果が気になったようだが、俺たちの場合とは打って変わって、ノックする音にいそいそと出迎える彼女に、思わずフリッツと苦笑を見交わす。
「よぉ、煙草はどうだった?」
部屋に入るなり開口一番に訊ねる奴を、彼女は自分が寝ていたカウチに座らせ、その隣にちゃっかり腰掛けながら、細い肩を竦めて見せる。
「黒よ。真っ黒。煙草そのものじゃなく、糖蜜に紫花天蠍晶《しかてんかつしょう》が混ぜてあったわ。邪法で調合された幻覚剤よ。強烈な快楽と引き換えに、人の思考力を奪って心を操る類の毒……。分析のついでに解毒剤の調合もしたかったんだけど、複雑過ぎてお手上げ。どうやら患者たちを救う手立ては無いようね。残念だけど」
なるほど。この散らかし放題は奮闘の跡だったのか。いつでも何をやるにも自信満々な彼女を、ここまで梃子摺らせるとは、敵はどうにも厄介な奴のようだ。
「で、そっちは?」
俺が水を向けると、背凭れに寄り掛かっていた奴が身を起こす。
「おぅ、エデルの話によると、男爵はどうやら白らしい。オリガにも奴さんの背後を洗ってもらったんだが、薬屋だの煙草屋だのは出て来なかったとさ。
今ンとこ最有力な仮説は、煙草屋と係わりがあったのは娼妓だけで、男爵はとばっちり食っただけって事のようだ。
ヤバい煙草を極秘に遣り取りするには、城下から離れた別邸は格好の場所だったんだろう。身なりのいい男が出入りするのを、使用人が何度も見てるそうだ。
してやられたッつってエデルが悔しがってたよ。あの野郎、城下ばかりを捜索してたから。
大方、自分の邸に男を咥え込んでた事に腹ァ立てて、現場を押さえるつもりで乗り込んだ男爵が、女を始末しようとしてた煙草屋と鉢合わせて、口封じにやられたってとこだろ」
「なるほど。煙草屋も、まさか奴さんが乗り込んで来るとは思わなかっただろうから、毒殺なんてまどろっこしい手は使えなかった、と」
「そんなとこだろな。お嬢の奉公先ってぇ成金にも当たったが、あの爺ィの取り扱いは専ら宝飾品で、薬も煙草も扱った事は無ぇとさ。
しかも、派手好きだった男爵家は上得意だ。いくらお嬢が欲しくても、金蔓を殺してまで手に入れようとは思うまいよ。
それにしても狒々爺ィには勿体無ぇよなぁ、あんなイイ女……。あの成金にくれてやるくらいなら俺が……いッ! ……てェ」
どうやらロナに抓られたらしい。奴が顔をしかめて尻を擦りながら振り向くと、彼女はツンと澄ました顔でそっぽを向く。
その様子に吹き出す俺たちに、奴が苦笑で返した時だ。にわかに騒々しくなった階下の気配に扉を振り返ると、店主と一緒にベニカが飛び込んで来た。
「ランジャ様、ランジャ様、大変です!」
「どうした。何があった」
思わず立ち上がった俺に、彼女は乱れた息を整えるのももどかしげに縋り付くと、泣きそうな顔で言った。
「御邸に一杯兵隊さんが……! どうしよう、親方が殺されちゃう!!」
「何だと?!」
吼えるディエシーと共に、ロナとフリッツも彼女を取り囲む。
「まずは落ち着け。深呼吸して……そう」
彼女が言われた通りに深く呼吸をすると、俺は目の高さに屈んで小さな両肩に手を置いた。
「よし、落ち着いたな。詳しく説明してくれ」
「はい。私、ランジャ様のお帰りを、通りに出て待っていたんです。そうしたら、剣や弓を持った兵隊さんたちが大勢御邸に来て、『大公妃を捕らえろ!』って……。ランジャ様、親方を助けて下さい! 姉様や兄様もまだ御邸においでなんです!」
「判った。よく知らせてくれたな」
そう言って立ち上がり、ベニカと共に飛び出そうとしたところを、「おい!」と呼ぶ奴の大声に引き止められ、憮然としながらも立ち止まる。
「何処へ行く気だよ」
「はぁ?! 何処って、邸に決まってるだろ?!」
「熱くなってどうすんだよ。お前が一人で行って何が出来る?」
「じゃあ、どうすりゃいいんだよ」
奴は俺の反論を聞いてか聞かずか、妙に冴えた目で腕組みをすると、ポツリと「こっちにも兵隊が要るな」と呟いた。
「フリッツ、宿へ行ってシルトを呼んできてくれ」
「判りました」
「お前らは俺と来い。城へ行く」
「城?」
「エデルから兵隊を借りるのさ」
「なるほど。了解」
返事と共に動き始めた俺たちの間から、奴はベニカの首根ッコをひょいと捕まえ、店主に引き渡す。
「お前はここで待ってろ」
「私も行きたいです」
店主に手を引かれながらも、不服そうな顔で見上げる彼女に、奴はいたずらっぽい苦笑を見せる。
「馬ァ鹿言ってんじゃねぇよ。ランジャのカミさんになりてぇんだろ? だったら亭主の足引っ張るような真似するんじゃねぇ」
彼女はその一言にはっと顔を上げ、俺に駆け寄って一度だけぎゅっとしがみ付くと、大人しく店主の元へ戻り、ぺこりと頭を下げた。
「どうぞ御無事で」
俺を見上げる心配そうな眼差しに、「判った」と強く頷いてやると、彼女はぎこちないながらも気丈な笑顔を返してくれた。
昼下がりの支部には、当番の石使いも神殿に出払っていて、親方と門下生の他は僅かな家士しかいない。賊はその時を狙い澄まして襲撃したに違いない。
店を出ると、邸の方角を不安げに透かし見る野次馬たちの向こうで、商店主たちが慌しく店仕舞している様子が見えた。
人混みを縫って城門まで辿り着くと、待ち受ける歩哨は奴の顔で難なく通れはしたものの、城壁の内側も騒然とした様子で、兵たちに指示を与える大音声と共に、重装備の甲冑がそこかしこで金属音を響かせている。
そんな中を案内の従騎士に連れられて行ったのは、城壁に繋がる尖塔の中の部屋だった。
どうやらここは監視塔の一室で、簡素な石造りの窓から見下ろす親方の邸からは、降り頻る小雨の中、中庭に蠢く一団が帯びる装備が、遠目にも鈍く光るのが見えた。
「ディエシー殿! ご無事であったか」
「幸か不幸か、たまたま道草食ってたら、この通りよ」
俺たちを出迎えたのは、暖かな茶色の瞳に鋭い眼光を宿した長身の騎士だった。
彼は差し出した手に握手で応じた奴の肩を軽く叩くと、背後の俺たちに気付いて顔を向けた。
「あぁ、俺の連れだ。石読みの方はランジャ。彼女はロナ。薬師だ。お前らにはまだ紹介してなかったな。こいつがエデル。古い悪友だ」
尋ねる先を制して奴が慌しく紹介すると、エデル将軍は人懐こい微笑を浮かべて頷き、俺たちにも手を差し伸べてくれた。
「よろしく」
「こちらこそ」
握手に応じる手は大きく力強い。短く刈った亜麻色の髪は、門下生のウルスラ嬢と同じ色だ。そう言えば、御父君は騎士団の将軍だと誇らしげに自慢してたっけ。
「さて、一体何が起きたって?」
「仇討ちだそうだ」
「仇討ちィ?!」
呆れた口調で肩を竦めて見せる将軍に、奴は思わず声を上げて聞き返す。
「ホルトン卿は先頃、御子息をトゥラシオン病で亡くされてな。大公を仇と見て襲撃したようだ」
「そう言や、騎士が一人死んだってオリガも言ってたな。クロンダル伯の倅だったか……」
「葬儀の折に、あの奇病にトゥラシオンは関係ないとご説明申し上げたのだが……ご理解頂けなかった様だ」
「盲信もタチの悪い奇病だな。他人が瞼をこじ開けてやった所で、本人に真実を見る意志が無けりゃ、瞑ってるのと変わりゃしねぇ。その上、無駄に行動的となると始末に負えねぇな」
「姫君ばかり五人の後に産まれた待望の嫡男だったそうだ。お気持ちは判らぬでもない」
「だったら尚更、悪所通いなんて放蕩は諌めるべきだったんじゃねぇのかね」
「あぁ、悪所に詳しい貴卿の言なれば、尚一層もっともな話だ」
将軍が相槌を打ちつつも意味深な笑みを浮かべて見せると、奴もまた極まり悪そうな苦笑を返す。
「敵はヤキが回った往年の猛者か……。俺の可愛い義妹に手を上げるたァいい度胸だが、こりゃ下手に数で押したら暴発しかねんな」
奴は舌打ちして窓辺へ歩み寄り、「問題はどうやって攻めるか、だ」と呟くと、暫しの間、腕組みをして眼下の邸を睨み付けていたが、ふと俺を振り向くと手招きをした。
「お前さんなら、どう出る?」
言葉を受けてロナと共に歩み寄り、奴の隣で邸を見下ろす。
中庭にいるのはどうやら弓兵のようだ。それぞれが四方の回廊を見渡せる位置に着いている。不審な動きがあれば即、射殺ってな構えだろう。穏やかじゃないな。
屋根の上に突き出した幾つかの煙突からは、細い煙が立ち昇っている。恐らく中では剣を手にした連中が、人質を取って立て篭もっているに違いない。親方と門下生はどこの部屋にいるんだろう。
「人質がいる以上、どこかの城みたいに爆破って訳にはいかねぇな」
「私が行って眠らせようか?」
「夢屋の衣装でか?」
呆れて振り向く俺に、彼女は得意げな顔で「当然」と言い放つが、奴から「馬鹿言ってんじゃねぇ」の一言を叩き付けられると、紅い唇を餓鬼の様に尖らせる。
まったく、自信過剰もいいとこだ。殺気立ってる連中の真っ只中へ、あんな格好でのこのこ入って行ったら、眠らせるどころか取って喰われるのが落ちだろうさ。
……だが、ちょっと待てよ。眠らせるってのは強ち悪い手でもないぞ。
「そう言えば、あんたの使ってる夢屋の香だけど、あれは粉か? それとも結晶?」
「え? 粉だけど……何に使うの?」
突然の俺の問いに、彼女は面食らった顔で怪訝そうに答える。
「兵隊を眠らせる手を考えてる。香を焚く温度は? 前に精霊石ランプで焚いてたのを見たけど、あれくらいか?」
「そうよ。でも、どうやって邸に香を持ち込むの?」
「空からだ。すぐ作れるのか?」
「薬種さえあれば出来るわ。御典薬師のジーニなら持ってる筈。でも、空からって……一体どうやって?」
「弓だ。複合弓じゃ無理だけど、バリスタで飛ばせば中庭まで楽勝だろ? 全員眠らせるのは無理だろうけど、戦力は削げると思う」
「よっしゃ、それ採用! 眠らねぇ奴は俺に任せろ」
奴はそう言ってにやりと笑うと、窓外を見渡しながら両手の指をぱきぱき鳴らした。
「そうと決まりゃ行動開始だ。俺はクレフに会って、足元で暴れる許可を取り付けて来る。ついでにロエル宛に早馬も出させるか。お前らはその間に香の準備だ。
エデル、悪いが色々借りるぜ。お前さんは万一に備えて、引き続きここで監視を続けてくれ」
「心得た。好きに使ってくれ」
将軍の言葉を受けて俺たちは監視塔を飛び出す。が、奴と彼女はいいとして、城内の勝手がわからない俺は、さっきの従騎士に案内を頼むことにした。
「香はどれ位必要なの?」
「そうだな。邸中を眠らせるつもりで頼む。出来たら厨房へ持って来てくれ」
「判ったわ」
途中で御典薬師の部屋へ向かう彼女と別れると、俺は従騎士と共に精霊石のある倉庫へ向かった。