11-1
暁の薄明かりの中、朝靄に沈む未だ目覚めぬ表通りを、俺たちの靴音と鎖帷子が立てる微かな金属音だけが響いて行く。
奴によると、フリッツは自ら突入組に志願したそうだ。剣技の方は未知数だが、ホルザレン会への忠誠心とやらを見せてもらおうということで承知したらしい。
やがて大公邸に辿り着くと、中庭制圧班としてシルト隊の三人は裏口へ向かう。残り四人は邸内制圧班として、更に上下階へ分かれる手筈になっている。
奴は玄関の大扉を音を立てないように細目に開き、中を確認すると一旦閉じた。
「死人が出てるな」
その一言に戦慄する。思ったより香の効果が薄かったんだろうか。
ロナが言うには、密閉空間であっても、最大の効果が得られるのは一時間だけらしい。こいつは気を引き締めて掛からにゃならん。
「俺はお前らの骨なんぞ拾う気は無ェからな。生きて戻れ。行くぞ」
大扉を再び開き、奴に続いて滑り込むように侵入すると、大理石の床は血の海だった。
ホールの真ん中には、敵兵の死体に混じって、ジョゼ氏と年かさの二人の小姓が倒れている。いずれも滅多斬りで既に息は無い。
斬り飛ばされた腕は小姓のものだろうか。剣を握ったまま階段下に転がっていた。恐らく、女主人と門下生を護るために、三人で賊を阻止しようとしたに違いない。
氏の穏やかな微笑や、素直で従順だった小姓たちの笑顔が思い出されて、腹の底で点火した怒りが一瞬で全身の血へ延焼する。
「畜生……!」
熱くなって吼えた俺とは対照的に、フリッツは陶磁器のように硬く冷たい表情で剣を抜くと、紫の瞳に静かな殺気を灯して顔を上げた。
「行きましょう」
奴がユアン殿下と共に一階奥へ向かうと、俺たちは吹き抜けの階段を駆け上がり、二階の部屋を片っ端から開けて回る。
門下生たちが修行に使ってる角部屋は誰もいなかった。どこかに避難しているといいけれど。
幾つかの部屋には賊がいたが、大抵は香が充満する部屋で昏睡状態か、もしくは朦朧状態だったのでそのまま斬り捨てた。
時折、やけに威勢のいい奴がいて梃子摺らされたが、そういう奴は、どいつも不気味なほどの躁状態で、爛々とした眼光が恰も人ならぬ異形の物の様だった。もしかすると、例の煙草の中毒者だったのかもしれない。
それにも増して驚かされたのは、フリッツの剣の腕だった。華やかな容姿とは裏腹な、師匠を髣髴とさせる、一片の迷いすら無い冷徹な剣技。
彼は自身で下層階級の出だと言っていたが、一体どこで、誰の指南を受けたんだろう。
回廊を駆ける俺たちの耳に、中庭から剣戟の音が聞こえて来る。
そこでも大半は昏睡状態のようだったが、密閉された室内よりは効果は薄かったのかもしれない。或いは、煙草の中毒者が多かったか。どちらにしても、神聖騎士団シルト小隊の敵ではないようだ。
二階を一回りしてみたが、親方たちの姿はどこにも無かった。階段を駆け下り、敵兵の死体が累々と折り重なる中を、一階奥へと廊下を駆け行くと、開け放たれた扉から斬り結ぶ音が聞こえた。
「ディエシー!」
叫んで飛び込むと、組み合ったまま動かない奴と壮年の騎士の姿があった。どうやらこいつが敵の大将、ホルトン卿らしい。
奴と対峙したまま、背後からは殿下の刃にうなじを捉えられ、更に血刀を引っ下げて飛び込んで来た俺たちを目にして観念したか、彼は力なく降ろした剣を床に突き立て、その場に跪くと、「最早これまで……」と呟いて静かに目を閉じた。
「金狼王が御相手とあっては私に勝ち目は無い。さぁ、一思いに息子の許へ送って下され」
「ふざけんじゃねぇよ」
奴が怒気を押さえ込んだ声で言いながら、血糊を払って剣を納めると、彼は瞼を開き、少しばかり驚いた顔で見上げる。
「手前ェの不始末ぐらい手前ェで片付けろ。死にてェなら洗い浚い吐いてから断頭台で死にやがれ」
奴の言葉が効いたのか、縛り上げる間、彼は無抵抗で静かに目を閉じたままだったが、舌を噛んで死なれでもしたら元も子もないので、念の為猿轡も噛ませておく。
それにしても、ここにも見当たらないとなると、みんな一体どこへ隠れているんだろう。
「あぁ畜生、胸糞悪ィ。呑まなきゃやってら……あ!」
腹立ち紛れに転がった椅子を蹴り飛ばした奴が、唐突に顔を上げる。
「地下だ! オリガたちは酒蔵にいる!」
思い出した。そう言えば地下に氷室があると言ってたっけ。四人で部屋を飛び出し、厨房のある一角へ急ぐ。
逸早く到着した奴が、厨房奥の扉の把手に手を掛け、奴の目配せに殿下が頷いて剣を構えると、追い付いた俺たちも剣把を握り直す。
が、扉が開かれた瞬間、殿下の剣は刃を受けて火花を散らした。
「殿下!」
咄嗟に援護しようとした俺を、奴は何故か苦笑いで制する。何事かと見れば、地下へと下る階段から飛び出して、彼に挑んでいるのはスーラニーだった。
彼は最初の一手こそは不意を突かれた様子だったが、鬼気迫る彼女の、あの読めない切っ先を悉く受け止める様は見事としか言いようが無い。
必殺の覚悟で繰り出す剣を、微笑すら浮かべて軽々と往なす彼に、さすがの彼女も苛立ちを隠せない様子。
次第に攻める手に荒さが目立つようになって来た時、ふと階段を踏み外し、仰向けに落ちそうになったところを、咄嗟に剣を捨てた彼に抱き留められた。
「は、放せ! 貴様何者だ!」
「ユアンに御座います、我が君。姫将軍の助太刀に参上仕りました」
「ユアン……だと?」
群青の瞳に優しく見詰められると、彼女は抵抗を諦め、頬を染めて恥らうように顔を背ける。
「どうやら、姫様の心変わりが期待出来そうですね」
少しばかりおどけた調子で耳打ちするフリッツに、俺は「だといいがな」と答えつつ苦笑を浮かべた。
彼女がここを護っているということは、この奥に親方たちが隠れているのは間違いなさそうだ。姫将軍の面目躍如だな。
階段を降り切ったところでは、ユージンが慣れない剣を手に扉を護っていた。
が、どことなく及び腰で、目は固く瞑ったままだ。気概は認めるけど、それじゃ護衛の任など勤まるまいよ。
「くくく来るなら来い! おおおお親方とウルスラは僕が護る!」
文字通り、盲滅法に斬り付けて来るところを、ひょいと避けた奴がリカッソを掴み、「はいはいご苦労さん」と苦笑交じりに声を掛けると、彼は驚いて瞼を見開き、「ディエシー卿……」と呟きながらその場にへたり込んだ。
氷室の扉を開くと、小さな灯が揺らめく薄闇の中、恐怖と寒さに震える門下生を背に庇い、抜き身を構えたまま、寄らば斬るの殺気を漲らせているオリガ親方の姿があった。
ドレスに散った返り血は賊のものだろう。おどろに乱れた金髪と、炯々たる火を灯す金の瞳は、獲物に喰らい付かんとする牝豹の様に凄艶だった。
だが、侵入者を味方と認めると、手にした剣を取り落し、俺たちの名を呼びながら震える脚で立ち上がると、腕を広げて歩み寄るディエシーの、厚い胸に抱き留められた。
それを切っ掛けに、門下生たちも次々に飛び付いて来る。怖かったんだろう。年少の子の中には泣き出すのもいて、フリッツに優しく宥められていた。
「みんな、ありがとう。お礼の言葉も無いわ」
人心地付いたか、彼女はその一言をやっと口にすると、俺たちに向き直り、丁寧に拝礼する。
「母様!」
駆け寄って飛び付くスーラニーを固く抱き締めると、彼女と共に現れたユアン殿下の微笑に、美しいカーテシーで応えた。
地下室から出ると、中庭の制圧も完了したようで、シルト隊の面々もやって来た。
彼らと殿下には師弟の保護と、ホルトン卿の連行を任せることにしたのだが、廊下に出るや否や悲鳴の大合唱だった。
そう言えば出てすぐの所に、はらわたブチ撒けて白目剥いてるのが一体転がってたっけ。
だが、それを目の当たりにして気絶したのは、お嬢どもではなく意外にもユージンだった。
「もう、しっかりしてよ。さっきはお父様みたいに勇敢だったのに……」
叱咤しながら担ぎ上げようとするウルスラ嬢に、シルト隊の若造が苦笑しながら手を貸すと、賑々しい連中と共に邸を出て行った。
「さて、迷子が残ってないか、見回りしたら帰るかね」
奴が暢気な口調で言いながら、大剣を担いで中庭に向かうと、俺たちも邸の中を見回ることにした。
もう一度二階を回り、階下に下りて書斎に入った時だ。先に入った俺の首筋に、研ぎ澄まされた殺気が突き付けられた。
ゆっくり振り返ると、紫の瞳にあの闇を灯したフリッツが、剣を手に凍て付いた微笑を浮かべている。
「お、おい、何の冗談だよ」
何が起きたのか理解出来ず、引き攣った半笑いを浮かべる俺の言葉にも、彼は眉一つ動かさない。
「見ましたよ。ランジャ様」
静かに一歩踏み込む彼に、俺は背中に冷や汗を感じながら後退さる。
恐らく一対一では彼の剣技には敵わない。こっちが剣把を握ったと見るや、きっと彼は一瞬早く俺の喉を切り裂くだろう。
「あなたは禁呪を使った。神殿の外で目覚めた精霊は、世界に仇なす魔物になる。本部監査としては看過出来ませんね」
しまった……! そう言えばケルデン親方に言われていたんだ。俺の技は禁呪かもしれないって。よりによって本部所属の人間の目の前で使っちまうなんて、迂闊にも程がある。
「どうするよ。資格剥奪か? 俺は……」
「さぁ? どうすべきなんでしょうね、僕は……。ホルザレン会としては、資格を剥奪するだけでもいいんでしょうけれど、もしあなたがソーセン師のように、禁呪によって魔物を操る魔道師であるならば、ここで首を跳ねて、ケイディシア王に献上するというのも悪くない。僕としても、神族を一人、合法的に葬れることは願っても無いことですから」
「何だと……?!」
「会長は神を、この世界を愛せと仰った。ならば彼が愛するこの世界に、偽りの神など要らない」
狼狽する俺を、彼は暫くの間、あの凍て付いた眼差しでじっと見詰めていたが、ふと視線を落とすと自嘲するような笑みを浮かべた。
「でも、あなたを見ていると迷います。僕が知っている神族とは丸で違うから」
そう言いながら気怠い仕草で剣を降ろし、鞘に納めると、彼は肩を竦めて見せた。
「あなたは恐らく、本物なのでしょうね」
「本物……?」
「『雷神の御子』です。まことの御子であれば禁呪も何も無い。それこそが神の御技なのですから」
「俺は……」
「僕もそうであって欲しいと思う。僕には……あなたは斬れません」
大きな溜息をつき、静かに首を振った彼が、唐突な衝撃を受けて不意にくずおれた。
「フリッツ?!」
咄嗟に抜剣し、彼の陰から現れた、血刀を引っ提げた影に斬り掛かったその瞬間、残党の上半身は、俺の目の前で血煙と共に斬り飛ばされた。
「何をボサッとしてやがる!」
気が付かなかった。ディエシーの怒声が耳に痛い。
慌てて彼に駆け寄り、止血を試みたが、袈裟掛けにやられた右の肩口からの出血が酷い。
ばっさり斬り裂かれたクロークの下は、鎖帷子のお蔭で傷こそ無かったが、酷い打撲を負っているようで浅い呼吸が苦しそうだ。
「しっかりしろフリッツ!」
耳元で叫ぶ俺の声に反応したか、彼はうっすらと目を開けて何かを呟いた。
「何だって?」
聴き取ろうと口元に耳を寄せると、掠れた声で「まだ……死ねない」と聞こえた。
「死ぬかよ。あんたは死なねぇよ」
「ぼ……くを、神……炉に……」
「何? 何だって?」
「神炉……神殿の……奥」
「おい、こいつ今、神炉って言ったよな」
一緒に覗きこんでいた奴が顔を上げる。俺が頷いて剣帯を外すと、奴は無事な左腕を担ぎ上げ、俺には反対側を支えろと指示した。
クロークの切れ端と彼のクラヴァットで止血し、患部を庇いながら腰に腕を回して支えると、ゆっくり歩き出す。鎖帷子の重量もあるんだろうけど、細身なのに筋肉質なせいか、意外に重い。
「神族だったとはな」
そう呟いた奴の言葉に、俺は何故か答えられず、そのまま無言で邸を出ると、早朝の表通りを神殿へ向かった。
己自身が神族ならば、彼は何故同族を嫌う? 殺したいと思うほどに……。紫の瞳が宿すあの透明な闇は、全ての神族に対する嫌悪だったのだろうか。
判らない。彼はホルザレン会の理念の通り、神々が支配するこの世界に傅くことを誇りとしていた筈だ。
「タミラ……」
うわ言で呟くのは女の名か……。
「大丈夫だ。あんたは死なない。彼女にはまた逢えるさ」
そこまで愛していたのなら、突き放すこともなかったろうに。彼女はきっと哀しんでるぞと思いきや、
「ケイト、サラ、ジャニス、ルナ、マーガレット……」
と、後から後から女の名前ばっかり出るわ出るわ……。思わず奴と顔を見合わせて苦笑したね。色事師健在なり、だ。