神殿には、何とか人目に付く前に到着出来た。
内陣を経て控の間に入り、神炉の間まで運び込んだはいいが、彼は失血のショックで気を失ったまま目を覚まさない。
床に横たえた彼を見下ろしながら、どうしたものかと途方に暮れていると、奴がにやっと苦笑を浮かべた。
「俺、出来れば野郎の裸なんぞ見たくねぇんだけど」
その言葉には、俺も苦笑で「同感」と答える。ならばこのまま放り込むしかないな。どの道、彼の服は血まみれだし、分解されて消えてしまったとしても問題は無いだろう。
取り敢えず、お気に入りの装飾品とクロークだけは外してやると、クレイドルの蓋を開け、奴と二人で肩と脚を支えながら静かに沈めた。
蓋を閉め、補助脳の走査を始めたディスプレイを注視する。接続完了の表示に続いて示された修復時間は、一時間だった。やれやれ。この間に着替えでも取ってきてやるか。
丸で肉屋の調理場みたいになっちまった邸に戻ると、二階に上がってフリッツの部屋に向かった。
綺麗に整頓されたクローゼットを開けると、伊達男だけに洒落た服ばかりが並んでる。
その中から適当な物を選んで階下へ下りると、奴は酒蔵からくすねたか、葡萄酒の瓶を何本か脇に抱えていて、手にぶら下げた一本を、何やら得意そうな顔で俺に掲げて見せた。
「ちゃっかりしてやがる」
「ま、いいじゃねぇか。内輪の打ち上げってことで」
神殿に戻ると、精霊石を運んで来た鉱夫たちに出くわした。
事情を話して一旦帰って貰うことにしたが、彼らは血みどろの鎖帷子を纏った俺たちを見て、一様に驚いてはいたものの、事件のあらましと親方たちの無事を知って安堵すると、鉱山のみんなにも伝えないとと口々に言って大慌てで帰って行った。
彼らを見送ってから、人目を憚りつつ内陣の奥に潜り込む。控えの間に入ると、神炉の間に彼の服を置きに行った俺をよそに、奴は早速座り込み、手にした瓶をナイフ一本で器用に開封するなり、実に旨そうにあおる。
戻って来た俺にも一本差し出すので、遠慮なく受け取り、奴を真似てラッパ飲みであおった。矢鱈と旨い。渇いた喉を潤すには勿体無いほどの上物だな。
「お前さんの弓、ありゃツールだろ。あんな精密なのは生身じゃ無理だ」
したり顔で言う奴の言葉に、俺は「あ、バレた?」と苦笑して見せる。
「スポーツクラブで入れた体験版がたまたま残っててね。付属のFCSが意外と使えるんで重宝してる」
「へぇ。俺にも使えるかな。どれくらいの大きさョ?」
奴は新しい玩具を見付けた餓鬼みたいに、興味津々な顔で喰らい付いて来た。
「空きが170あれば。200あればもっといいけど」
「170だとぉ?!」
目を剥いてそう叫ぶと、奴は苦笑しながら「無理無理」と首を振る。
「そんなの、転送するだけで一日仕事だぜ。桁が違うよ。もっとも、十五年もブランクがありゃ事情が変わるのも無理はねぇか」
呟くように言いながら、奴はしみじみと溜息をつくけれど、無理も無い。
向こうじゃ管理局の公式ツールだって遅くても一ヶ月に一度は更新される。一年更新をサボっただけで別物になっちまうんだ。十五年落ちの奴が驚くのも無理は無い。
「そう言えばお前、補助脳の発現率が高かったって言ってたけど、どれくらいョ?」
「112%」
「はぁ?! 100%越えかよ! それって普通バケモノって言わねぇか?」
奴は呆れ顔で言うけれど、今時のソロ系なら100%越えなんて珍しくも無い。アーカイヴや管理局上層に行けば掃いて捨てるほどいる。我らがサリス室長に至っては120%なんて噂もあるくらいだ。
「そう言うあんたは? その腕力と反射速度だ。ひょっとして、制御系に違法ブースターでも入れてたりして」
「まさか。公式は重いから、ヒーローズの奴に換装しちゃいるけど、まったく弄ってないノーマルチューンだ」
「ツール・ヒーローズ? スポーツ系制御ツールの?」
「そう。ys-408L」
「それって弄りようの無い軽量型じゃねえか! どノーマルであの身体能力だ何て、あんたのほうがバケモノだろうよ」
「発現率65%のデュオ系補助脳にゃ、公式のニューロ・ペガサス製はオーバースペックでね。もっとも、補助脳自体、地上に出てからは殆ど使ってねぇけどな」
そう言ってウヘヘと面白そうに笑うと、奴は喉を鳴らして酒をあおる。
御説ごもっとも。この世界で本当に必要なのは、高機能なツールや補助脳の容量なんかじゃなくて、己の運を切り開く為の経験と体力、それに、未知や危険を面白いと思える位の胆力だ。
「あいつも言ってみればデュオ系だな。両親のどっちかがソロ系なんだろう」
微かに響いて来る低周波を感じながら、奴はクレイドル・ルームのドアをちらりと振り返る。
「そうだな。でも、賎民の出身だと言ってた。片親が神族なら上流階級だとばかり思ってたけど……」
「実はどこかの名門の御落胤様とかだったりしてな」
いたずらっぽい口調で茶化す奴に、俺もまたにやりと返す。
「まぁ、あの容姿だし……。その上、クレイドルの機能まで知ってるとなりゃ、強ち嘘とも言えなさそうだ」
早々に二本目を開けながら、奴は「だな」と相槌を打つ。
「そう言えばあんた、この手のクレイドル使ったことあるか?」
俺の問いに、奴は「勿論」と答えながら怪訝そうな顔を向ける。
「実はさ、大分前、あんたンとこのクレイドルを使わせてもらった時に、変な声が聞こえたんだ」
「変な声? 何だそりゃ」
「補助脳が繋がると滅茶苦茶眠くなるだろ? その手前くらいで。ノイズだらけのおっさんの声なんだけど、聞いたことないか?」
「ねぇよ。寝惚けてたんじゃねぇの?」
そう言って奴が笑った時、唐突にアラームが鳴り渡った。
間もなく鳴りやみ、徐に開いたドアを揃って振り返ると、フリッツは丸で何事も無かったかのように、ひょこっと顔を出した。
彼は辺りをきょろきょろ見回して俺たちを見付けると、あの天使の微笑をぱっと浮かべた。
「あ、いいなぁ。僕にもご馳走して下さいよ」
無邪気な口調で言いながら歩み寄り、傍らに座り込んだ彼に、奴は上機嫌で瓶を手渡す。
「あんたが神章を持ってるなんて知らなかったよ」
「本部監査所属の石使いなら、誰でも持ってます。ロアルデ支部のハンスもそうですよ」
そう言えば、物静かで理知的な青年がいたっけ。彼も俺のことを色々と知りたがっていたけれど、あれは監査の仕事だったんだな。
「この仕事は、荒事も多いですからね」
彼はおどけた調子で肩を竦めて見せるけど、あの冴えた剣技を思い出すと、少しばかり背筋が寒くなる。監査などと言いながら、その実態は、ホルザレン会の実力部隊と言った所だな。
ロアルデの隠し鉱山に絡む有象無象も、本部監査に「始末」されたと聞いたが、こんな若い連中だとは思わなかった。
「その様子なら、問題無く修復出来たようだな」
「はい。ありがとう御座いました。これで僕の迷いにも答えが出せましたよ」
受け取った酒を旨そうに煽ると、彼は誰に言うとも無く呟いた。
「命の恩人に、刃を向ける事は出来ませんからね」
「刃……?」
少しばかり険を含んだ眼差しで問う奴に、俺は「いや、何でもないんだ」と取り繕うように首を振る。
「それにしても僕は幸運です。『金狼王』の剣技と、『雷神の御子』の御技を間近で目にすることが出来たんですから」
屈託無く笑う彼に、俺たちは思わず苦笑を見交わす。
「いや、あんたの剣技にも驚かされたよ。一体どこの師匠筋なんだ?」
「僕の師匠はキール会長です」
「会長? ホルザレン会の?」
彼は俺の問いに意味深な微笑を浮かべると、「面白い物をお見せしましょう」と言って、徐に片眼鏡を外す。静かに開かれた白い瞼の下に現れたのは、ルビーのような真紅の瞳だった。
「神族……?」
「いいえ。僕は人間の女から産まれた人の子です。神族じゃありません」
「え? じゃぁ神族ってのは?」
「それそれ。俺もその定義がよく判らねぇ。神章を持ってりゃ神族なんじゃねぇのか?」
思わず身を乗り出す奴に、彼はにこっと笑って首を振る。
「神族とは、神界で生まれる者だけを言うそうです。正確にはね。それ以外は、赤い瞳や神章を持っていても、本来なら神族とは言わないそうです。まぁ、大抵は氷の髪と炎の瞳をお持ちなので、ランジャ様のような容姿の方を神族と呼ぶのは、強ち間違いではないのでしょうけれど」
「なるほど」
と言う事は、トルフィニ師などは、例え上位権限の神章を持つ者であっても神族ではなく、フィノンのように神界で生まれた者だけが神族と呼ばれる、と。要は、容姿や機能ではなく出自で判断されるって訳ね。
「僕の場合は、父が神族でした」
手にした瓶から一口煽ると、彼は静かに語り始めた。
「宮廷に仕える高位の神官だったそうです。母はその奥方の小間使いでした」
「じゃぁ、お袋さんてのは……」
奴の言葉に、彼はフッと自嘲的に笑う。
「いいえ。側女になれるほどの家柄じゃありませんでしたから。所謂『お手付き』って奴ですよ。僕を身篭った事を奥方に知られると、身一つで邸を追い出されたそうです。
その時に田舎へ帰ればよかったのに、母は神都に留まりました。馬鹿ですよね。いつか父が迎えに来て、側女にしてくれると信じていたんです。年端も行かない少女だった母が、美しい神族の男に夢中になるのは無理からぬことだったのでしょうけど……。
当然、小娘の孕み女など、雇ってくれるところ何てありませんから、邸を追い出された母に生活の手段など無く、僕を産んだ頃には既に乞食同然の、どん底の生活だったようです。会長に拾われなければ、母子共々野垂れ死にしていたでしょうね」
「会長に?」
「ええ。僕に神章があることを知って、保護してくれたそうです。そればかりか、僕に教育と剣技まで与えて下さった。大恩ある方です。彼が僕の父であったらどんなに良かっただろう……。
幼かった僕は母を愛してはいましたが、今となっては同時に軽蔑もしてる。確かに彼女は美しい人でした。美しくて、愚かで、哀れなほど純真だった。
僕のこの瞳を見るとよく言っていましたよ。この赤い瞳は父に愛された証なのだと。玩ばれて捨てられたのに、死ぬまで現実を見ようとしなかったんです」
「お袋さん、亡くなったのか」
「ええ。引き取られて程なく。酷い暮らしで体も弱っていましたからね」
「親父さんは? まだ生きてるのか?」
「いいえ、死にました」
そう言った彼の瞳があの闇を帯び、口元に凍て付くような冷笑が浮かぶ。
「まさか、あんた……」
眉を顰めて問う俺に、彼は肩を竦めて見せる
「僕は何も……。当時は剣もろくに使えませんでしたからね。可能であれば、僕が手を下したかったけれど……」
「じゃぁ、下手人は?」
「さぁ。誰だったんでしょう?」
いたずらっぽい微笑をにやりと浮かべる彼は、明らかに何かを知っている顔だ。
「会長によると、僕が七つになった時、父が尋ねて来たそうです。何でも、僕が神章を持っていることを聞き付けて来たとか。
彼には奥方との間に息子が二人いたそうですが、どちらにも神章は現れなかったらしいんです。神官の家柄なのにね」
「跡継ぎ問題か……」
「まぁ、そんなところです。でも会長は僕を引き渡すことを拒んだ。すると、次に邸を訪れたのは刺客だったそうです。恐らく、不義の証である僕を亡き者にしようとしたのでしょう。彼にとって僕は、所詮その程度の価値しかなかったんだ」
醒め切った顔をして鼻で嗤い、疲れたような溜息をついて酒を煽る。
「刺客の亡骸が裏通りで見付かった日に、父も死にました。どちらも魔物に心臓を食い破られていたそうです」
「何だよ、その魔物ってのは……」
魔物そのものでも見るような、険を含んだ眼差しで奴が問う。
「さぁ。判りません。誰もその実体を見た者はいませんが、そうとしか思えないような、禍々しい傷痕だったそうです。
会長に尋ねても、静かに微笑んで、『終わったよ。君は自由だ』としか仰らなかった。……恐ろしい方です。だけど、どこまでも優しくて、誰よりも強い。
大親方の中には、そんな彼を、『冥神の御子』と呼ぶ方もいる。会長はもしかしたら、闇の眷属を操る魔道師なのかもしれない。
それでも、親を愛せない僕にとっては親以上の存在なんだ。僕は彼の為に在りたい。彼の為なら命も惜しくはありません」
「『冥神の御子』……」
何だか神様の大安売りだな。これが所謂、原始宗教で言うところの「汎霊説」って奴なんだろうか。
「いずれあなた方もお会いすることになるでしょう。彼も、楽しみにしているそうですから」
彼はそう言うと、天使の笑顔を浮かべる。会長は既に俺たちの事は把握済みという事か。
恐らくホルザレン会は、タラサノ村でケルデン親方に出会った時点で、俺に関する情報収集を始めていたに違い無い。
彼や会には色々助けてもらった恩はあるけれど、何だか複雑な気分だ。
「ところで、ランジャ様は兎も角、何故スランフール候がここにおいでなんですか?」
探るような眼差しで訊く彼に、奴は俺と苦笑を見合わせると、丸でいたずらでも見咎められたかの様に肩を竦めた。
「やはり噂は本当だったんですね」
「噂?」
怪訝そうに奴が問い返すと、彼はしたり顔で微笑む。どうやら自分の秘密を明かしたのだから、俺たちにも白状させようって魂胆らしい。
「貴卿が『戦神の御子』だという噂ですよ。幾ら調べても、あなた方の経歴は謎だらけですからね。
なのに、聖下は貴卿に玉座をお許しになった。神界から来たと言われても驚きませんよ。
僕たちだって、薄々感じています。この世界の他に、僕たちの知らないもう一つの世界がある事も、そこから時折、あなた方のように神の末裔としか思えない存在が現れることも」
「ほぉ。そいつァ随分と御執心だな」
奴は空になった瓶を傍らに転がすと、面白そうににやりと笑う。奴が抱えて来た瓶は、いつの間にか全て空になっていた。
「まぁ、確かにお前さんの察する通り、俺とこいつはこの世界の人間じゃねぇよ。だけど、知ったところで面白い事なんぞ何にもありゃしねぇぜ。既に滅びた文明だ。いずれは消えて無くなる」
そう言いながら立ち上がると、奴はもっと聞きたそうな顔で見上げる彼に片目を瞑って見せた。
「そろそろ帰らねぇとな。葬式の準備をされちまう」