神殿を出て城に辿り着くと、歩哨が護る城門の真ん中で、ロナが仁王立ちで待ち構えていた。
俺たちの姿が見えるなり、「遅ーい!」と怒鳴るけど、口の端が笑ってる辺りに本音が覗いてる。
本当は奴に飛び付きたい癖に、相変わらず素直じゃないな。
「嫌だ、あなたたち何でこんなにお酒臭いの?!」
あからさまに顔を顰める彼女に、奴が「隠れ家で打ち上げしてた」と平然と答えると、呆気に取られた様子で口をあんぐり開ける。
「呆れた! まったく何て人たちなの?! みんな心配してるのに……!」
「死んだとでも思ったか?」
やっと言葉に出して噛み付いた彼女に、奴がにやっと笑って言うと、勝気だった黒い瞳がたちまち潤み、溢れる涙を隠すように「馬鹿」と呟いてぷいっと顔を背けた。
「『金狼ディエシー』が、そんな簡単に死ぬわけないでしょ? さぁ、みんな待ってるわよ」
精一杯の照れ隠しなのか、彼女はぶっきらぼうに答えると、華奢な両手で奴の背中を力一杯押した。
城の前庭は、門下生を迎えに来た貴族たちの馬車でごった返していた。
誰もが一様に娘の無事を喜び、彼らを見送る将軍と親方に、労いと感謝の言葉を掛けて帰って行くが、中には筋違いの抗議をぶつける者もいた。大抵は娘に諌められて、渋々撤回しているようだったけど。
俺たちの姿を見付けると、親方はすぐに駆け寄ってきて一人ずつ抱き締めてくれた。
疲れているだろうに、気丈な笑顔が眩しい。彼女は、ばっさり切り裂かれたフリッツのクロークを見て驚くと、何度も念を押すように無事を確認する。
無傷であることを知ると、丸で自分の息子のように抱き締めて、優しく背中を撫でてくれる彼女に、彼は少しばかり照れ臭そうな微笑を浮かべていた。
奴が将軍と共に王への報告に向かうと、俺たちは城の客間に通された。
案内の小姓が扉を開けると同時に、飛び付いて来たのはベニカだった。俺たちの帰りが遅いので、代わりにロナが迎えに行ってくれたようだ。
「ごめんな。遅くなっちまって」
目の高さに屈んでやると、小さな手で首に抱き付いて来る。
「いいえ、いいえランジャ様。ご無事で何よりです」
そう言いながらも、押し当てて来る頬は濡れていた。
ついこの前までは、事ある毎にぴーぴー泣いてばかりだったのに、短い間に随分と成長したもんだ。
俺もまた、そんな彼女に甘えて、否が応でも成長せざるを得ない事態に巻き込んじまってる事を、重々反省すべきだよな。
「ロナに教えてもらいました。ランジャ様の正妻になるのなら、何があっても『タイゼンジジャク』でいなきゃ駄目よ、って。だから私、泣かないように頑張ったの」
「はぁ?」
まったく、子供に一体何を吹き込んでるんだ。思わず呆れ顔で振り返ると、思わず吹き出すフリッツと親方の横で、ロナはにやにやしながら知らん顔で視線を逸らした。
彼らによると、大公邸は、さすがに改修が終わるまでは帰れないとかで、俺たち共々、暫くここで厄介になる事になったらしい。何でも、クレフ陛下とユアン殿下の計らいで、英雄として歓待して下さるそうで。
僅かな間ながらも、城で生活する事になった事に、ベニカは大感激といった様子で、与えられた豪華な部屋に、お姫様になった気分だとはしゃいでいたが、夜になるとやっぱり一人は寂しくなるようで、相変わらず俺の部屋に来てはベッドに潜り込む毎日だった。
ジョゼ家令と小姓たちの葬儀には、ロエル大公もザーリャ殿下を伴って出席した。大公邸開放の報せを受けて、すぐソルファを発ったらしい。
向こうでも最悪の事態に備えて、兵馬を整えていたそうだから、気が気ではなかったに違いない。到着早々、出迎えた愛妻を、挨拶もそこそこに堅く抱き締めて動かなかった様子から、その心中が窺えた。
大公は、妹君の故ライサ妃とよく似た、凛として物静かな優男で、俺が描いていた情熱的で豪放磊落な剣豪のイメージとは大分違っていた。若かりし頃は、今のトーラン陛下とそっくりだったそうだ。
むしろ、クレフ王の方が、頬に凄絶な刀傷があったり、右腕がケロイドに覆われていたりと、歴戦の勇士そのものの、凄味のある赤毛の偉丈夫だった。
奴によれば、神聖騎士団時代には、奴やダラハン卿と並んで「赤獅子」と仇名される勇将だったらしい。
一方、スーラニー自慢の兄上であるザーリャ殿下は親方似で、知的な雰囲気ながらも、母親譲りの蠱惑的な金の瞳と、中性的とも言える容姿とが相俟って、男子ながらいっそ妖艶ですらある。
いきおいその夜に催された、事件解決を祝う夜会では、フリッツと共に貴婦人や令嬢たちの耳目を集めることになった。
それなのに当の本人は、彼女らを体よくあしらうばかりで相手にせず、ユアン殿下やシルト隊長たちと剣の話題に夢中な様子で、自分を囲む美女たちを、甘い言葉で酔わせているフリッツとは正反対だ。ああ見えても堅物なのかな。
「産み月間近な妃殿下がおいでなのよ。大公以上の愛妻家が、他の女になんか目移りするわけないでしょ?」
杯を手に生意気な微笑を浮かべて、ロナは呆れた口調で言う。さっきまで貴族たちに囲まれていたけれど、バルコニーまで避難して来たらしい。
どうやら彼女の美貌に魅入られた連中の、息子の嫁や自分の側室にとの思惑が見え隠れする会話にうんざりしたようだ。
俺もまた、入れ替わり立ち代りやって来ては、判で押したように同じ話題を話し掛けて来る貴婦人たちに閉口していたところへ、彼女を見付けてこれ幸いと逃げて来たという始末だった。
「彼ってまだ十七歳だろ? もう妃がいるのか……」
「え? だって十七よ? 立派な成年男子じゃないの。トーラン陛下だってそうでしょ?」
そう言えば、戴冠式のパレードで見た馬車の上には、民の祝福に笑顔で応える陛下の隣に、王后陛下とお呼びするのも憚れるほど幼い顔立ちの、可愛らしい貴婦人が幸せそうに寄り添っていたっけ。
「あなたみたいに、貴種の癖にイイ歳して独りでいる方が珍しいのよ。馬鹿正直に独り者だなんて白状するものだから、ほら、御覧なさい。令嬢方が色めき立っちゃって。それとなく誘ってるのに全然気付かない何て、やっぱり鈍感なのねぇ」
「大きなお世話だ。俺が独り者だろうが妻子持ちだろうが関係ねぇだろよ」
「そうね。あなたには関係ないわ。だけど、彼女たちにはきっと大有りね」
彼女はそう言って意味深に微笑むと、こちらを盗み見ながら扇の陰で囁き合う貴婦人たちをちらりと見た。
「何でだよ」
「本っっ当に鈍いわねぇ。あなたが神族だからに決まってるじゃない。神官や司祭と誼を結べば、神都での栄耀栄華は約束されたも同然。だからみんなあなたの家柄を知りたがる。なのにあなたったら曖昧な返事しかしないんだもの」
あぁ、それで彼女らの質問攻めにも合点がいった。面倒臭いから「大した身分じゃない」で切り抜けようとしたのに、今度はどいつもこいつも娘や自分の自慢話ばかりでうんざりしてたんだ。あれは俺をダシに、神都での地位を得ようと目論んでの事だったのか。
噂話に花を咲かせている連中の中には、許婚同伴で来ていた年かさの門下生や、支部所属と思しき女石使いもいたし、きっと俺のことを、聞かれるままにあれこれと言い触らしているに違いない。
「あなたって、一体何者なの?」
彼女の探るような眼差しに、澄ました顔で答えてやる。
「タラサノの狩人でロアルデ支部の石読み」
「どちらも神族のやる仕事じゃないわ」
「そりゃ悪うござんした」
苦笑交じりで言い返す俺に、彼女はいたずらっぽい顔をしてにやっと笑う。まったく、ドレスアップしていつに無く淑やかに振舞ってる癖に、口だけは相変わらず棘だらけだ。
それにしても、並み居る盛装の貴婦人たちの間にあっても、彼女の美しさは際立つ。
紫紺のイブニング・ドレスは、肌の白さが一層映えて眩しいくらいだ。綺麗に結い上げた黒髪の、夜風にそよぐ柔らかそうな後れ毛。
そのしなやかな首筋を飾る大粒の真珠のネックレスが、動くたびにはちきれんばかりの胸元に転がって目のやり場に困る。
『焔陽の君』と称えられる聖山の美姫と知ったら、きっと誰もが平れ伏すに違いない。
「あんたにも許婚はいたのか? 姫様なんだし」
「さぁ? 今となっては判らないわ。御祖母様にも訊ねた事は無いし」
彼女はそう言うと、露にした細い肩を竦めて見せた。
「国土は荒れ果てて城下は廃墟。傅く臣下も民も諸国へ逃げて散り散りなのに、姫様で御座いなんてお笑い種だわ。妹と祖国を取り戻すまでは、色恋沙汰に現を抜かしてなんかいられない」
自嘲めいた微笑を浮かべ、深い溜息をつく彼女の、切なげな視線の先にいるのはディエシーだ。奴はそうとも知らずに、嘗ての悪友たちと冗談を言い合っては爆笑してやがる。
やがて談笑の輪に美しい貴婦人が加わると、奴は徐にその肩を抱き寄せ、耳元で何事かを囁き始める。口元を扇で隠して上品に笑う貴婦人の様子に、彼女は途端に不機嫌な顔になった。
「何よあいつったら……美女となるとすぐ口説きたがるんだから」
腹立ち紛れに呟いたその一言に、俺は思わず吹き出した。
「『正妻の座を望むなら、何事にも泰然自若とすべし』じゃなかったのかよ」
茶化すような口調で言ってやると、彼女はたちまち耳まで赤くなる。
「な、何よ、うるさいわね。誰があいつの正妻になんか……」
「素直じゃねぇな」
「えぇ、どうせ私はあなたの正妻みたいに、素直で可愛い良い子じゃありませんよ」
「正妻……って、あいつは違うって言っただろ?」
「あなたがそう思ってなくたって、ベニカは十分そのつもりよ。ランジャ勲爵閣下の許婚として、夜会に出られない事を残念がってたわ。『大人になったら』がまた増えちゃった、って」
「俺は……」
彼女は言いかけた言葉を遮って、不意に俺の肩をぽんぽん叩くと、にやっと笑ってあさっての方向を指差す。
つられて振り向いた先には、一つ向こうのバルコニーで談笑する、スーラニーとユアン殿下の姿があった。
二人ともすっかり打ち解けた様子で、優しい眼差しの殿下に見守られながら夢中で喋るスーラニーは、短く切ってしまったブルネットを花で飾り、可愛らしいドレスに身を包んでいる。
さしもの姫将軍も、今宵ばかりはすっかり淑やかな貴婦人だ。殿下との結婚を頑なに拒んでいたくせに、どういう風の吹き回しやら。
「よーく御覧なさいな。あれが恋する女の子の顔よ」
「はぁ?」
そう言われても俺にはよく判らない。殿下を見上げるスーラニーは、明緑色の大きな瞳を輝かせ、頬を薔薇色に染めているけれど、ベニカならいつだってあんな調子で話をしてるし、別段変わった様子だとも思えなかった。
彼女が言う通り、俺ってやっぱり鈍いんだろうか。