バルコニーで燻ってる俺たちに気付いたか、上機嫌で奴が呼んでいる。彼女と苦笑を見交わして肩を竦めると、渋々出て行って談笑の輪に加わった。
「エデルがお前さんの弓に惚れたとさ」
通り掛る給仕から新しい杯を受け取り、俺たちに手渡しながら奴が言う。
「あれこそまさに神技。実に見事であった。ランジャ殿はこれほどの技量を持ちながら、何故、石読みなどに身を窶しておられる?
巷間では、蘇った『雷神の御子』は石読みの姿で顕現するとの噂もあるが、よもや貴卿がその御子ではあるまいな」
心底不思議そうな将軍の物言いに、俺は奴を横目でチラと見てから、澄ました顔でしれっと言ってやった。
「私奴は、石使いの奥儀を求めて諸国を遍歴中の、しがない石読みに過ぎませんので」
その一言で、奴が飲み掛けの葡萄酒を盛大に吹き出すと、興味深そうに耳を傾けていたクレフ王も、ユアン殿下に瓜二つの王后陛下と顔を見合わせ、共々に声を上げて笑う。
「いや失礼仕った。もしその方に異存なければ、我が弓隊の指南にと思っていたのだが……」
「陛下の弓隊は既に十分な技量をお持ちに御座います。今回の手柄は彼らにあると言っても過言ではないでしょう。是非あの弩兵にもお褒めの言葉を賜れますよう」
「左様であったな。勿論、彼らにも褒賞を与えるが、その方にも何か望む物は無いか?」
「いいえ。陛下のみならず、大公殿下からも、過分な栄誉と褒賞を賜りましたので」
「ふむ。ディエシーの友にしては、何とも欲の無い男だな。ホルザレン会は会長からして俗欲とは無縁と聞くが……」
大袈裟に溜息をついてみせる王を、奴は苦笑しながら馴れ馴れしく肘で突付く。
「おいおいクレフ、そりゃどう言う意味だよ。丸で俺が俗欲塗れみたいじゃねぇか」
「両手に余るほどの美女を手に入れて自由を謳歌している男の、どこが強欲でないと言うのかね?」
そう言って豪快に笑う王は、厳つい風貌ながらやんちゃ坊主そのままに無邪気で、若かりし頃の悪童ぶりが窺えるようだ。
「では陛下、畏れながら勲爵閣下に代わりまして、私の方からお願いしたき儀が御座います」
それまで大人しく俺たちの会話を聞いていたロナが、進み出て艶然と微笑んだ。その艶やかさに王も自ずと相好を崩す。
「これはロナ殿。そなたほどの美女の願いとあらば、叶えぬ訳には参らぬな。何なりと申されよ」
「この度の騒動、元を辿れば、邪法薬師の手に成る毒が発端で御座いました。陛下には是非、邪法を禁ずる御布令をお出し頂けますよう、お願い申し上げます」
「余の思いもそなたに同じだ。既に邪法を罪とする布令は元老院に命じてある。我がケイディシアに於いて、聖山の手形を持たぬ薬師は全て邪法と見做される事となろう。そなたら正法の薬師はこれから忙しくなるぞ」
「陛下……」
彼女が感極まった様子で眩しそうに見上げ、深々と頭を下げると、王は「励むが良い」と楽しそうに笑った。
「それにしても、そなたのような御典薬師がおれば、その光り輝く旭日の如き美しさに、病魔の方から逃げ出すであろうな。是非ジーニと共にこのオーラート城で……」
上機嫌で言い掛けた王を、奴はすかさず制すると、「先約ありだから」と、にやにやしながら自分自身を指差して見せ、王は「何と。相も変わらず手の早い奴よ」と苦笑いで肩を竦める。
彼女はそんな彼らに呆れた振りをしながらも、小さな声で嬉しそうにうふふと笑う。なのに俺と目が合うと、取り繕うように咳払いをして、いつものツンと澄ました顔になった。
ふと顔を上げると、笑いさざめく賓客たちの間を縫って、従騎士が一人早足で近付いて来た。彼は王に一礼すると、自分に気付いて振り向いた将軍に、険しい表情で耳打ちをする。
「何?!」
将軍は俄かに表情を引き締めると、「失礼仕る」と慌しく一礼し、彼と共に大広間を出て行った。
一体何が起きたんだろう。ディエシーも硬い表情で俺と視線を合わせると、小さく頷き、共に人込みを縫って廊下に出た。気が付けばロナと、どこで合流したのかフリッツもついて来ている。
「エデル!」
大声で呼ぶ奴に、遥か先を急ぐ将軍は足を止めて振り返り、俺たちが追い付くのを待っていてくれた。
「何があった」
「ホルトン卿が死んだそうだ」
「何だと?!」
彼は大公邸から連行された後は、取調べの為にずっと地下牢暮らしだ。死を望んでいた事から、安易に自殺しないようにと監視も強化していた筈。それが何故……?
俺たちは無言のまま顔を見合わせると、彼と共に地下へと急いだ。
従騎士の案内で辿り着いたのは、地下牢の入り口にある獄吏の詰所だ。ホルトン卿の遺体は既に牢から出され、仮眠用の粗末なベッドに横たえられていた。
獄吏の説明によれば、夕食は何事もなく普通に摂っていたらしい。で、先ほどの見回りで異変に気付いたそうだ。
死後数十分と言ったところか。何だか妙な死体だ。出血を伴う外傷もなさそうだし、死に顔も苦悶に歪んでいるわけでもない。
左の顎から首筋にかけて、内出血のように青黒く変色しているのを除けば、丸で眠っているかのようにも見える。
「毒だわ」
上擦った声で呟くロナを、全員が振り向く。
「でも、変ですね。服毒ならもっと苦しんだ形跡がある筈……」
フリッツは、自分の言葉に彼女が「そうね」と頷くと、遺体に歩み寄り、何を思ったか徐に上衣を脱がし始める。やがて分厚い胸板が露になると、変色が左肩全体に及んでいるのが判った。
彼は俺たちに手伝わせて遺体をうつ伏せにすると、肩からほぼ背中全体に広がる変色部分を入念に調べ始める。
「あった!」
俺たちが何事かと固唾を飲んで見守る中、彼は小さく叫ぶと、変色部の中心に当たる肩甲骨の下辺りを押さえ付けながら、取り出したハンカチで覆い、指先で探ると布地ごと何かを摘み上げた。
広げたハンカチの中から現れたのは、血塗れの針だ。
「こいつは何だ?」
険しい顔で覗き込んでいた奴が顔を上げて訊ねると、彼は硬い表情で答えた。
「蓮火幇の毒針です」
「蓮火幇だと?!」
「まさか……、十年前に解体したと聞いたが」
「僕も、実物を見るのは初めてです」
彼は言いながら針をハンカチに包むと、先端には触れぬようにと警告して将軍に手渡した。
「では城内に賊が……!」
身構える従騎士を、将軍は首を振って制する。
「蓮火幇の暗殺者は神出鬼没と聞いた。下手人は既に逃げ遂せているだろう。だが、逆にホルトンを殺した事で、今回の件に彼奴らが関与している線は更に濃厚となったな」
「だが、一体何のために……?」
「解せぬ。嘗ての主であるナクルタツリ王家も滅んで久しい今、彼奴らは一体何の為に蘇ったのだ……?」
厳しい眼差しで遺体を見下ろす将軍の言葉に、青ざめた顔で俯いたロナの震える肩を、奴は宥めるように無言で抱き寄せた。
連絡を受けてホルトン卿の遺体を引き取りに来たのは、彼の長女だった。奥方は随分前に死別していたそうだ。
彼女は憔悴し切った様子で、亡き父に代わって将軍に一連の騒動を詫びると、静かに涙を拭っていた。
「あの時、ジーニ師の諫言に耳を傾けていれば、こんな事にはならなかったでしょうに……」
ふと零した彼女の呟きに、何を思ったか奴が顔を上げ、気付いた将軍と頷き合う。
「彼は何と……?」
「はい。亡き弟がトゥラシオン病と診断された時に、父は、邸を訪れた薬師を自称する男を、弟の主治医に取り立てたのですが、出自が怪しいとしてジーニ師に反対されたのです。
なのに父は彼を、『御典薬師でありながら、息子に満足な治療も施せぬ者』として、一顧だにしませんでした。以降は頑なに件の薬師の言葉を妄信し、結果このような事に……」
「その薬師は、今どこに……?」
「判りません。私も普段は実家を離れて暮らしておりましたので……。弟の葬儀の時には、既に邸には居なかったようです」
「どんな男でしたか」
「身奇麗な……良家の子息然とした若い男だったように思います。確かルジェと名乗っておりました」
その一言に、俺たちは思わず顔を見合わせる。身なりのいい、薬師を自称する男……! 一連の事件で暗躍していたのは、恐らくそいつだ。
「後手に回っちまったな」
棺を載せた馬車が城門を出て行くのを見送りながら奴が呟くと、将軍もまた険しい顔で頷いた。
彼は早速、配下に薬師の行方を追うべく指示を出したが、今となっては消息を掴むのは難しそうだ。
ロナもまた、ジーニ師やティルカ師に心当たりがないか訊ねてくれたが、どちらも心当たりは無いと言う。
ジーニ師に至っては、偽薬師にしてやられたと怒り心頭な様子だったらしい。この事件、色々と尾を引きそうだな。