暫くすると、遠くから親方を呼ぶ少女の大声が聞こえて来た。
やがて彼女に手を引かれ、息を切らせながらやって来た親方の腕には、俺の為に作ってきてくれたのか、頑丈そうな松葉杖が抱えられていた。
「この石は……一体……」
親方がうろたえながら差し出す手には、彼女が持って行った光る石が載っていた。既に半分くらい気化していて、さっきよりも小さくなっている。
「あぁ、俺がやった」
「まさか……祭壇もないのに……どうやって……?」
彼は石を見詰めたまま、うわ言のように呟いていたが、気を取り直すと、顔を上げて俺に詰め寄って来た。
「もう一度! もう一度お願い出来ますでしょうか」
なんだか随分興奮してるようだ。上ずった声で懇願する彼の言葉を受けて、ベニカは慌てて小石を取り出すと、両手で捧げ持つように俺に差し出す。
まるで子犬のように、ものすごく期待に満ちた眼差しで見上げてるのを見ると、思わず苦笑が浮かんでしまった。
ならばリクエストにお答えしてもう一度。さっきと同じレベル5。今度は0秒だ。小さな掌に載った石に軽く触れてやると、すぐに白い光を放ち始めた。
「ね、ね! すごいでしょ親方!」
「こ、これは……」
彼は暫くの間、言葉もなく少女の手の中の光を凝視していたが、何を思ったのか突然がばっと跪くと、俺に深々と頭を下げた。彼女も慌ててそれに倣う。
「神使様、どうかその御技をこの子にお授け下さい!」
「はぁ?!」
「これはまだ年端も行かぬ子供ですが、石読みの力は天性のものが御座います。いずれは神都に遣って石使いの修行をさせたいと、かように思っておりました所に神使様がおいでになられた。これも神祖のお導きと思います故、何卒……」
「うーん、そう言われても……」
無理。絶対無理。補助脳無いだろあんたたち。でも、多分それを言っても理解できないだろうし、第一、説明するのも面倒臭い。
さてどうしたものかと考えあぐねていると、ふと悪知恵が浮かんだ。
「実は俺も伝授の仕方が判らないんだ。でも、神都にいる神使様なら何か知ってるんじゃないかな。俺も行ってみたいし」
我ながら白々しいな。心配そうに見上げていた彼女の顔が輝くのを見ると、少しばかり胸が痛んだ。
「お供しますランジャ様!」
「あぁ、そん時ゃよろしく」
俺の言葉を聞くと、彼女は弾ける様な笑顔で親方に抱きつく。彼もほっとした表情で彼女のくしゃくしゃの赤毛を優しく撫でると、深々と頭を下げた。
「ありがとう御座います。石使いケルデン、この御恩は一生忘れません」
外から親方を呼ぶ声が聞こえる。彼は窓を開けて外の声に答えると、ハンガーに掛けていたクロークを羽織ったが、彼を追って慌てて身支度をしようとする彼女を制した。
「親方……?」
「お前はいいよ。神使様のお世話をなさい」
「はい」
「あぁそうそう、これを使ってもらいなさい。森へ行ってミルジオさんに作ってもらったものだ。では神使様、私はこれで……」
彼女は親方から松葉杖を受け取ると、両手に抱えたまま戸口まで見送りに出て行った。家の前を通り過ぎて行く陽気な鉱夫たちの声が、それぞれ彼女の挨拶に答えて行く。
やがて賑やかな一団が遠ざかって行くと、嬉しそうに小走りで部屋に戻って来た。
「仕事?」
「はい。新しい鉱脈を掘るので、親方は石読みに行くんです」
「あーそれ、その石読みとか石使いって何?」
「精霊石を見分けられるのが石読みです。石使いは石を読むだけじゃなく、石の精霊を呼び出す力もある人なんです」
「あぁ、それで鉱山にね。ベニカも石読みなんだ。小さいのに凄いな」
「歴代最年少なんだそうです」
彼女は照れ臭そうにえへへと笑って言うと、椅子に掛けていた自分のクロークから、ブローチを外して持って来た。
銀の菱形の中に、翼を広げた二羽の水鳥が、首を伸ばして向き合う姿が彫金されている。そのシルエットは翼を持つ短剣にも見えた。
余程大切にしていると見えて、ぴかぴかに磨かれている。クロークとブローチが彼らの証ってわけだ。
なるほどね。歴代最年少じゃ、大きすぎるクロークも合点が行く。
「ホルザレン会の紋章です。石読みでは銀だけど、石使いとして承認されると金のブローチになるんです」
「ホル……何?」
「ホルザレン会です。石読みとか石使いの元締めで、神都にあるんです。あ、そうだ! 大親方の中には神使様もおいでだって聞いたことがあります。きっとランジャ様の御技のこと、ご存知かも」
「へぇ。あんたの親方は?」
「普通の人です。でも、沢山修行して石使いになった人なので尊敬してます。私も沢山修行して親方みたいな立派な石使いになるの」
「そうか。がんばれよ」
「はい」
夢中で喋るベニカは小動物みたいで可愛い。質問だらけの俺にも嫌な顔一つせずに、むしろ得意そうに答えてくれる。
立ち居振る舞いや言葉遣いに子供らしいぎこちなさはあっても、躾が行き届いてるのが窺えて、見ていて気持ちがいい。
「それ、使ってみるか。せっかく親方が用意してくれたんだ」
壁に立てかけた松葉杖を指差すと、彼女はいそいそとベッド脇まで持ってきてくれたが、降りようとした俺を見て「あ、大変」と呟くと、慌てて奥の部屋へ駆けて行った。
暫くの間、がたがたごそごそ音がしていたが、やがて男物の服と、綺麗に磨かれたブーツを抱えて戻って来た。
「お召し替えしましょう」
言われてみれば、俺の格好はあちこちボロボロに破けていて酷いものだけど、この服を借りるのはちょっと気が引ける。
デザインこそはシンプルだけど、見るからに上質なリネンだし、おまけに控え目ながらも精緻な刺繍まで施されてる。礼服とまでは行かないものの、どう見たって平服じゃない。
「いや、これはまずいだろ。親方の大切なものじゃないのか?」
「父の形見です」
「え。親父さんの……?」
「両親とも石使いだったんですけど、私が赤ちゃんの時に落盤事故で死んだそうです。それからずっと親方のお世話になってるの」
「そうだったのか……。じゃぁ、尚更それは着られないよ」
「ランジャ様ならお似合いになると思ったんですけど……」
そうか。ベニカはこれを着た父親を見たことがなかったんだな。彼女にとって顔も知らない両親は、この家に残る遺品で面影を追うしかない存在なわけだ。
そう思うと、服を抱えて寂しそうな顔をしているこの小さな少女が、急に不憫に思えて来た。
「よし判った。それ着よう。但し、汚しても怒るなよ」
「はい」
途端に満面の笑顔だ。あぁ、この顔見たさに何でも言うこと聞いちまいそうだな。
先が思いやられるぞと苦笑する俺をよそに、彼女はいそいそと着替えを手伝い始める。添え木だらけで思うように動けない身には有り難いけど、正直、気恥ずかしい。
さて、着替えが終わったらリハビリ開始だ。少々はしゃぎ過ぎな彼女をやっとの思いで追い掛けながら、近所を案内してもらう。
村の名はタラサノ。辺境国ロアルデの北部に位置していて、近隣五箇村を治める領主は男爵様で、何を話してるのか判らない程のご老体だということまで教えてくれた。
昼日中だというのにやけに静かなのは、男たちが総出で鉱山に行ってるからだそうだ。
かつては小作農での細々とした暮らしだったが、ベニカが生まれた頃に彼女の両親が鉱脈を見つけて以来、すっかり鉱夫の村になったらしい。
農業より実入りもいいので、跡取りを城下の寄宿学校へ遣っている家も多いとか。
そんな訳で、村に残ってるのは女子供と年寄りだけ。気楽なおカミさん連中は、水場で暢気に井戸端会議という寸法だ。
「あらまぁ。サヤルの服がぴったりじゃないの」
俺たちを見つけた一人の声に、みんなお喋りと洗濯の手を止めてこちらを振り向く。
「あーどうも」
空いた手を軽く上げると、口々に挨拶を返してくれた。
「お怪我はもう大丈夫なの?」
気遣わしげな様子で問う一人に、
「そりゃあんた神使様だもの。あたしらとは造りが違うわよ」
と、その隣のおカミさんが、濡れたままの手で肩を叩きながらおどけると、一同からは軽やかな笑い声が上がる。
「お蔭さんで。看病がいいからね」
それに答えて、ベニカの小さな頭を撫でながら言ってやると、彼女は俺を見上げて嬉しそうにえへへと笑う。
「やっぱり神使様だったんだねぇ。お綺麗な方だからそうじゃないかと思ったんだ」
「ベニカが懐いちゃって、まぁ」
「サヤルが生きてりゃ、神使様くらいの歳かもねぇ」
「やーだ神使様のほうがずっとお若いわよ」
「陛下の御為とはいえ、こんないい子を残して死ぬなんてねぇ」
「ほんとにねぇ。不憫だよ」
「あんたもご両親みたいに立派な石使いにおなりよ」
「はい」
元気に答えるベニカに、おカミさんの一人が洗っていた手巾を絞って近づくと、目の前にしゃがみこんで、彼女の埃だらけの顔を拭い始めた。
「ほらほら。女の子なんだから、山に行かない日ぐらいは綺麗にしなきゃ」
もう一人がやって来ると、今度はくしゃくしゃの髪を梳き始める。
「女の子はいいねぇ。可愛くってさぁ。ウチは小うるさい糞餓鬼ばっかりで、つまんないったらありゃしない」
明け透けな悪態にどっと笑い声が沸く。それを皮切りに、次から次へと旦那や子供の悪口やら愚痴が飛び出すが、どれも惚気に聞こえるくらいあっけらかんとしたものだ。
いつの間にか、ベニカのくしゃくしゃ頭も綺麗な編み下げにされていた。「可愛いぞ」と言ってやると、その場でくるりと回って見せる。その姿を見たおカミさんたちから、また笑い声が上がった。
「そういえば神使様、何だってあんな大怪我を?」
「あぁ、襲われたんだ。逃げ回ってるうちに足を滑らせちまってさ。そんで谷川にドボン」
俺の言葉に、和やかだった彼女らが一転して騒然となり、ベニカもまた心配そうな顔で見上げる。
「何だって?! 一体誰に」
「山賊かい?」
一同からの急く様な問いに、
「判らない。姿が見えなかったんだ」
と、戸惑いながら答えると、彼女たちは顰めた眉を付き合わせて言い合った。
「ちょっと、谷川の上流ってクラニアム山じゃないの!」
「あの山の向こうは禁足地だよ。あんなとこ、山賊だって行きやしないよ」
「北方三国には魔物が巣食ってるって言うじゃないか。まさか、それじゃないだろうね」
「おお嫌だ」
「怖い怖い」
身を縮こませながら身震いする様子に、俺の胸にも不安が滲んで行く。
「禁足地……って」
やっぱり俺はまずい場所に出てしまったんだろうか。執拗に狙って来るあの黒い矢を思い出すと、改めて背筋が寒くなった。
「ほら、大昔に神様の怒りに触れて、『雷神の御子』に焼き払われた国があった。あれですよ」
「それ以来、あそこから向こうは立ち入っちゃならないって」
「神使様ならご存知でしょう?」
「やっぱり何かいるんだねぇ。怖いねぇ」
眉根を寄せて囁き合うおカミさんたちの話を、大人しく聞いていたベニカが、ふと呟く。
「そうだ。ミルジオさんなら何か知ってるかも」
「あぁ、これ作ってくれたって人?」
松葉杖を示すと、強く頷いた。
「ミルジオさんは狩人で、このあたりの山にはすごく詳しいんです。前に、クラニアム山にも行ったことがあるって言ってたの」
この先何があるか判らない。危険を避けるためにも、障害になるものの情報は得ておく必要があるな。
件の狩人は、村外れの森の奥にある、大きな沼の畔に住んでいると言う。二、三日後には松葉杖もいらなくなるだろうから、その頃行ってみることにした。