12-1
フリッツたちが発った数日後に、俺たちも大公邸を出た。
親方の、「遠慮しないで、新年まで居ればいいのに」と言う甘い声に、ついつい絆されそうにもなったけど、間違いがあっちゃいけないしな。
いや、少しぐらいは間違いもあったっていいんじゃないか、とも思わないでもなかったが、俺だって命は惜しい。
出発を決めたら決めたで、今度は門下生のお嬢どもに、抗議に近い引き止められ方をした上に、スーラニーには癇癪起こされるしで散々だったけど。
オーラート城下を出て暫く行くと、街道筋の村の広場や郊外の牧場に、簡素な木の祭壇が組まれているのを見掛ける様になった。ベニカによると、あれは冬至祭のための祭壇なんだそうだ。
「冬至祭?」
「はい。お日様の力が一年で一番弱くなる日なので、捧げ物をして元に戻るようにお祈りするんです。
お日様の力が弱くなると、魔物が出るようになるから、祭壇の火は夜通し絶やさないようにするの」
「へぇ」
街道脇に馬を停めて遠目に眺めていると、初冬の枯れ色に染まる長閑な風景の中、牧草地に設えられた祭壇では、近隣の村人たちが次々に訪れては、農作物や狩の獲物を捧げて行くのが見えた。
「それから、お祭りにはもう一つ意味があるんです」
街道へ戻って再び馬を出すと、彼女は「何?」と問う俺を振り返って、うふふと何やら意味深な微笑を浮かべた。
「お日様が見てないうちに、今年ついた嘘や隠し事を、祭壇にこっそり告白して赦して貰うの」
「そりゃ大変だな。俺なんぞは一晩中祭壇から離れられなくなりそうだ」
冗談交じりで言ったのに、彼女は途端に不安そうな顔になる。
「ランジャ様、そんなに隠し事してるんですか?」
「さぁな。そう言うお前はどうなんだ?」
そう言ってにやりと笑ってやると、はっとした顔になって俯き、前を向いて小さく溜息をついた。
「そうだ私、ランジャ様が『雷神の御子』だっていうこと隠してました。あとで祭壇に告白しなきゃ」
「お前はイイコだなぁ」
笑いながら頭を撫でてやると、再び振り返り、ほっとした様子で嬉しそうに微笑むけれど、その顔を見ると少しばかり胸が痛んだ。
タラサノ村で彼女と交わした約束は、俺の技の伝授だった。神都へ行きさえすれば、その方法が判るかも知れないとは言ったものの、そいつは神都へ案内してもらうための口実であり、言ってみれば口から出任せで、伝授の確証なんぞこれっぽっちも無い。
あの時、村を出ることを躊躇っていたのも、彼女に嘘をついていることが心苦しかったからかも知れない。
だけど、嘘はいつか必ずバレる。真実を知った時、彼女は俺をどう思うだろうか。
「何を浮かねぇツラしてんだ? ん?」
夕食の後、宿の二階で彼女を寝かし付け、再び酒場へ降りて来ると、奴がにやにやしながら満たした杯を差し出して訊く。
「いや、ちょっと……。良心の呵責に苛まれてる」
受け取った杯を一口煽ると、思わず大きな溜息が出た。
「何だそりゃ」
「村を出るとき、ベニカに出来もしない約束をしちまってさ。今更ながら思い出して後悔してる」
「結婚ならしてやりゃいいじゃねぇかよ。あと五年もすりゃ、ありゃイイ女んなるぜ」
「違うって! 何でそうなるんだよ」
ついムキになって言い返す俺を見て、奴は心底面白そうにげらげら笑う。
ここレカンダの宿場は、ケイディシアのはずれにあって、オーラート城下と神都サリミロの中間点に当たるらしい。
ここを出れば神都まで数日だ。目的地を目の前にして、こちとら執行前の死刑囚よろしく憂鬱がいや増してるってのに、まったく、こいつの能天気が時々羨ましくなるよ。
「まぁ、何を言ったのかは敢えて聞かねぇが、真実が傷になる事もありゃ、嘘で癒される事もある。あいつだって、いつまでも純真無垢じゃいられねぇんだ。そのうち判ってくれるさ」
「そんなもんかね」
「そう思うしかなかろ? 何なら、冬至祭の祭壇へ懺悔でもして来るか?」
奴がからかうような口調で顎をしゃくった窓の外が、不意に明るくなって歓声が上がる。振り返って窓越しに遠く見遣ると、表通りの先の広場で祭壇に火が入ったところだった。
取り囲む群衆から繰り返し乾杯の声が上がり、やがて喧騒に紛れて祭を祝う素朴な歌も聞こえて来た。
ベニカは、俺の秘密を隠している事を懺悔しなきゃと言っていたけれど、残念ながら既に夢の中だ。
「何てぇか、あいつの純真さはある意味残酷だよな。否が応でも自分の穢れた部分を思い知らされるよ」
自嘲気味に零した俺の言葉に、奴もまたやけにしんみりと頷く。
「あぁ、そりゃ言えてるな。あの透き通った緑色のでっかい目でじーっと見られると、時々、ひれ伏して謝りたくなる。訳もなく」
情けない物言いで肩を竦める奴と顔を見合わせると、思わず吹き出して笑っちまった。
あいつにはいつまでも無垢で居て欲しいけど、そう思うのは恐らく俺の身勝手なんだろうな。何より本人が子供でいることを望んでいない。
いつかは大人になっちまうのは判っているけど、その日が来るのが少しばかり怖いような気がする。
「さて、俺は大人の穢れた嘘でも楽しんで来るかな、っと」
奴は慌しく杯を干して席を立つと、鼻歌交じりの上機嫌で夜の街へと繰り出して行った。
酒場で飲んでいた宿の客も、広場の賑わいに誘われて、祭の輪に加わる者も出て来たようだ。きっとこの調子で夜通し楽しむんだろう。
俺は飲みかけの瓶と杯を手に二階の客室へ戻ると、そこから見物を決め込もうと窓際の椅子に腰掛けた。
部屋の明かりを落としたままでも、窓に映る祭壇の火が明るい。
冴え冴えと凍て付く月と澄み渡る星空の下、歌い踊る無数の影と、開けられた樽から幾度と無く注がれる、振舞い酒に酔う群衆の輪を、炎は丸で幻影のように照らし出す。
杯を手に取ることも忘れて、テーブルに頬杖を突いたまま見入っていると、目を覚ましたベニカが起き上がり、俺が居ることに気付くと、毛布を被ったままベッドを降りて歩み寄って来た。
「ランジャ様……?」
「祭壇に火が点いたぞ」
俺の言葉に窓際へ駆け寄ると、彼女は自分の息でたちまち曇った硝子を、毛布の端でもどかしげに拭い、広場を見下ろすと歓声を上げた。
「本当だ! ランジャ様、行きましょうよ」
「行くのか? 寒いぞ」
はしゃぐように言う彼女ににやりと笑って言ってやると、あの純真無垢にして真剣な眼差しで俺を見上げる。
「私、祭壇に告白しなきゃならないんです。お日様が見てないうちに赦してもらわなきゃ」
「あぁ、そうだったな」
彼女は俺の返事を待っていたかのように、いそいそと身支度を始める。
冬服の上にいつもの大人用クロークを巻き付け、フードを被った上から更にマフラーを巻き付けると、もこもこの着膨れ状態だ。
それでも本人は準備万端とばかりに微笑むと、手袋をした小さな手で俺の手を取り、急かすように宿を出ると、祭壇のある広場まで引っ張って行く。
広場は既に大変な人込みで、賑やかにひしめく露店が祭気分を高揚させる。
通りに面した商店は、酒場や娼館といった夜の商売以外は閉店していたが、どんなに狭い路地でも、戸口ごとに沢山のランタンや蝋燭が灯されていて、幻想的な雰囲気だった。
魔除けのものなのだろう。どれもこれも太陽を模した丸い形をしている。その淡い光の中を、彼女は俺の手を引いたまま夢中で人波を縫って行く。
祭の輪の中まで辿り着くと、唐突に手を放して祭壇へ駆けて行き、暫くの間、薪の爆ぜる音と共に舞い上がる火の粉を、天を焦がすばかりに燃え盛る炎に照らされながら、一人好奇心に満ちた輝く瞳で見上げていた。
そんな中、入れ替わり立ち代り懺悔をしに来る人々に気が付くと、自分もまた胸に手を当てて瞼を閉じ、俯いて何事かを呟き始める。
やがて顔を上げると大きく溜息をつき、離れた場所で見守る俺を振り向くと、満面の笑顔で駆け戻って来た。
「満足したか?」
俺の問いに、彼女はマフラーで半分隠れた顔で見上げると、「はい」と嬉しそうに大きく頷く。
「ついでに願い事もしてきました」
「へぇ。何をお願いして来たんだ?」
「大人になったら、ランジャ様と結婚出来ますようにって」
何だか、その笑顔が眩し過ぎて心が痛い。思わず曖昧な微笑を浮かべて溜息をついちまった俺に、彼女は不安げに顔を曇らせる。
「どうしました? ランジャ様……」
「いや、何でもないよ。帰ろう。寒いだろ?」
手を差し出すと、丸で条件反射のように握って来る。俺の手は彼女には大きいようで、正確には中指から小指までを握るのが常の流儀だ。
「ランジャ様は、告白しないの?」
「ああ、俺はいいんだ。一晩じゃとても足りそうにないからな」
苦笑交じりに肩を竦めて言う俺を、彼女は不思議そうな顔で見る。
「お前は、何で俺なんかと結婚したいんだ?」
人波と逆行する俺に、彼女は手を固く握ったまま、白い息を切らせながら早足でついて来る。
「幸せになれると思うからです」
こりゃまたストレートなお答えで。夜会での打算的な貴婦人たちとは雲泥の差だな。
「何でそう思うんだ?」
少々意地悪な質問かなと思いつつ彼女を振り向いて見ると、歩きながら真剣な顔で「えーと、えーと」と考え込んでいたが、はたと思い付いて顔を上げると、心なしか頬を紅潮させてこう言った。
「ランジャ様の事を想うと、幸せな気分になるんです。何より私の命の恩人ですし。だから、ずーっとお側に置いて貰えたら、ずーっと幸せな気分で居られると思ったの」
「そうか……」
ずっと側に、か……。いつも口癖のように言っている言葉なのに、今日のこの場で言われるのはさすがに堪えるな。いっそ俺も洗い浚い懺悔しちまった方がいいんだろうか。
もしかしたら、真実は彼女を傷付けてしまうかもしれないけれど、彼ら地上人の素朴な信仰に従えば、今夜ばかりは赦して貰えるかも知れない。
俺が黙り込んじまったせいで、彼女もじっと黙ったまま、時折心配そうに俺の顔を見上げながら、はぐれまいとして懸命について来る。
「なぁ、ベニカ」
「はい」
乾いた声で漸く切り出した俺の言葉に、彼女は待ち兼ねた様に緊張した顔で返事をする。
「もしも……もしも、俺の技が伝授出来ないとしたら、お前はどうする?」
「え……?」
彼女は少し驚いた声で聞き返すけど、どんな顔で俺を見ているのかと思うと、何だか怖くて振り返れない。
「あと何日かで神都に着いちまうけど、向こうに着いて、本部に行って、神族の大親方に会ったところで、多分、俺の技はお前には伝授出来ない。
上手く言えないけど、俺とお前たち地上人では、何てぇか……体の仕組みが違うんだ。だから、俺はお前に嘘をついちまった事になる。
記憶を失ったなんてのも嘘だ。俺はこの世界の人間じゃない。俺が住んでた世界を、お前ら地上人が神界と言うのなら、そこから来た人間を御子と呼ぶのなら、恐らく俺はそうなんだろう。
俺はこの世界でやらなきゃならない仕事がある。それには色々知らなきゃならない。その為にお前を利用したんだ。お前に嘘をついて……」
丸で魔物にでも取り憑かれたかのように、一息に捲くし立てたあと、魔除けの蝋燭が点々と灯る路地の真ん中で、口を噤んで立ち止まってしまった俺の手を、繋いだままの小さな手がぎゅっと握る。
泣いているんだろうか。こんな時は一体どうすりゃいいんだ。抱き締めて背中を撫でてやればいいんだろうか。俺のせいで傷付けたってのに……。
「知ってます」
拍子抜けするほど明るい声に、思わず驚いて振り向くと、あろう事か、彼女は満面の笑みを浮かべて俺を見上げていた。
「い、今何て言っ……」
「全部知ってます。ランジャ様が御子様なことも、ランジャ様の御技が私には伝授出来ないことも、全部知ってます。
あんな凄い技をお持ちの方が、普通の神使様な筈はありませんし、その御子様の御技が、私みたいな普通の人間に伝授出来る何て思ってません。
親方は沢山修行して石使いになった人だから、修行すれば出来るようになると思っちゃったんでしょうけど」
そう言って、いつものように照れ臭そうな顔でえへへと笑うベニカを、俺は気が付くと跪いて抱き締めていた。
「ベニカ……お前って奴は……」
小さな手が俺の首にしがみ付いて、マフラーで埋まった顔で頬擦りして来る。
「ランジャ様は何も嘘なんかついてません。利用した何て仰らないで下さい。私はお役に立てて嬉しいです」
「ごめん、ごめんなベニカ……。お前を護ってやる何て御大層なことを言いながら、お前には怖い思いや心細い思いばかりさせてる」
「いいえ。ランジャ様はどんな時でも必ず帰って来て下さいました。寂しがる私がいけないの。私、もっと強くなります。ずっとお側に居られるように」
「俺はまだやるべき事を何もなしえていない。これからも寂しい思いをさせちまうかもしれないけど、それでも俺の側に居たいと思うか?」
「もちろんです。だって、ランジャ様と一緒に居ると、幸せな気持ちになれるんだもの」
「俺、ソーセンに会えなくても、五年後には一度神界に戻らなきゃいけないんだ。それでも……」
「お待ちしてます」
彼女はそっと手を放すと、跪いたままの俺の顔を、瞳を輝かせてじっと見詰める。
「だから、約束して下さい。必ず帰って下さると」
「判った。約束しよう」
そう言って頷いてやると、何故か彼女は頬を染めてそわそわし始めた。
「そしたら、あの、あの……」
「ん?」
「口付け……して下さい。約束の証に……」
それを受けて軽く頷き、フードの下の前髪を掻き揚げようとする俺を、彼女は慌てて制すると、
「あ、あの、おでこじゃなくて、その……」
と言いながら、もどかしげにマフラーを解き、フードを外した。
静かに閉じた瞼が小刻みに震えてる。額じゃないとすると、唇にしろって事か。
だけど、どうしても唇でなきゃ駄目なんだろうか。俺としては彼女をそんな風に扱う事に、物凄く抵抗を感じるんだけど。
何てぇか、ずっと無垢なままにしておきたい。その為には俺なんかが触れてしまってはいけないような気がする。
こっちの倫理観では、そこまで深く考えるほどの事でもないんだろうか。政治的な背景があるにしても、年端のいかない少女まで婚姻の対象と見做されてるようだし。
だけど、この世界の支配者は処女神で、実権を握ってるのは純潔性の求められる神官や巫女なんだろ? ならばその思想は庶民にまで浸透してる筈。ってか、初めてなんだろうに、俺なんかでいいのかな……。
まぁ、軽く触れるくらいなら、一度ぐらい別にいいか。あれこれぐるぐる考えるのも、何だか面倒臭くなって来たし。
覚悟を決めて、細い震える顎に指を掛けると、小さな体がびくっと強張る。
優しく仰向かせてそっと顔を近づけると、唇が重なる寸前で、彼女は顎に触れている俺の手を唐突に掴んだ。
「あ、あの……」
「ん?」
動作を止めて瞼を開くと、すぐ目の前で彼女の大きな瞳が怯えを滲ませていた。
「やっぱり、ちょっと怖いです……」
申し訳なさそうなその口調に、俺は気が抜けると同時に、何故か安堵の溜息をついていた。
そのまま彼女にフードを被せてマフラーを巻き付け、くしゃっと頭を撫でてやる。
「五年後までとっておくか?」
苦笑混じりに言いながら立ち上がる俺の顔を、上目遣いにチラと盗み見ると、彼女は頬を染めて恥ずかしそうに俯く。
「ごめんなさい。お願いしたのは私なのに……」
「まぁ、いいさ。帰ろう。冷えちまうぞ」
その一言で気を取り直したか、「はい」と元気に返事をすると、彼女は俺の差し出す手を嬉しそうに握った。
「あのねランジャ様」
「ん?」
「さっき、凄くどきどきしちゃったの。だから、何だか怖くなっちゃって……。大人になったら平気になるんでしょうか」
「さぁな。そいつはなってからのお楽しみだ」
そう言ってにやりと笑う俺を、彼女は不思議そうな顔で見上げると、「早く大人になりたいです」と、少しばかり拗ねた口調で言った。