ここへ来て五日目。そろそろ使いに出たマウロとか言う若造が戻って来る頃だ。
ニーナは、「あたいらの仲間になってくれりゃいいのに」と無茶を言うが、そう言う訳にもいかない。
「カミさんに心配掛けたくないんでね」
と苦笑すると、鍋に千切った香草を投げ入れながら、「つまんねぇの」と頬を膨らませる。
この前作った燻製が殊の外お気に召したようで、今日は俺の手を借りずに、下拵えから自分一人でやってみるんだそうだ。
いくらかマシにはなったものの、まだまだ危なっかしい手元をじりじりしながら見守っていると、入り口が俄かに騒々しくなった。
彼女は厨房から顔を出して窺っていたが、エンツォの怒鳴り声を耳にすると、「何だろ」と呟くなり飛び出して行く。
しょうのない奴だ。苦笑しつつ続きを片付けてやってから様子を見に行くと、エンツォは一仕事終えて帰って来たリノに噛み付いているようだった。
「何でだよ! 何で客でもねぇのに連れて来るんだよ!」
見れば、サデアスの馬に、身なりの良い青年が括り付けられている。どうやら気を失っているようで正体の無い様子だ。
リノは抗議するエンツォと、呆れ顔で遠巻きに見守るニーナの前を素通りすると、入り口に寄り掛かってる俺に、苦笑交じりに肩を竦めて見せただけで、奥へ入って行ってしまった。
「いい加減にしろよ!」
怒声を振り向くと、血の気の多いビヨンが奴に掴み掛かっていた。その脇でサデアスが黙々と縄を解き、馬上の青年を下ろす。
一人では大変そうなので駆け寄って手伝い、手分けして担ぎ上げると、彼は済まなそうな顔で「悪いな」と呟くように言った。
ビヨンが暴れるエンツォを羽交い絞めにしている間に、奥の客間へ運び、空いているベッドに横たえる。奴は客じゃないと言っていたが、だとしたら一体何者なんだろう。
サデアスは、間仕切りの脇から不服そうな顔で覗いているニーナに、「世話を頼む」とだけ言い残すと、庭へ戻って行ってしまった。
「しょうがねぇな。どいつもこいつも……」
彼を振り返って、妙に大人びた口調で言いながら部屋に入り、横たわる青年の寝顔を、胡散臭そうに覗き込むと、彼女は面白くなさそうにフンと鼻を鳴らす。
こいつの顔には見覚えがあった。すぐには思い出せないので、補助脳のキャッシュを遡ってみると、瞬時に辿り着いた情報は、マグノリエ城下のものだった。
「どこのお坊ちゃんだか知らないけどさ、客でもねぇのに何だって世話なんかしなきゃならないんだよ」
「いや、リノにとっちゃ上客かも知れねぇぜ」
言いながらにやりと笑った俺を、彼女は怪訝な顔で振り向く。
「上客ぅ? こいつが?」
「フィンデールの王太子、ウィレム殿下だ」
「えぇ?! 本当かよ!」
途端に彼女は右目を輝かせてベッドに飛び付き、彼の寝顔をしげしげと眺める。
「凄ぇや。王子様なんて初めて見た。リノはこいつで身代金でも狙うのかな。評判の遊び人で碌でもねぇ野郎だけど、王様は猫ッ可愛がりだってぇからね。きっとたんまり弾んでくれるよ」
今にも舌なめずりしそうな言い草だ。彼女はいそいそと立ち上がると、「そうと決まりゃ話は別だ」と言いながら、上機嫌で部屋を出て行った。
それにしても、何だってこいつがこんな所にいるんだろう? 見たところ、仕立ては悪くは無いものの、王太子殿下にしちゃ随分と簡素な身なりだ。
お忍びでどこかへ遊びに行く途中に、リノ一味に捕まったってとこだろうか。だが、こんな山奥の道を、一体どこへ行こうとしてたんだ……?
程なくして、水を張った桶を手に戻って来た彼女によると、彼はリノに斬り掛かろうとした所を、ビヨンに強かに殴られて気絶したらしい。
従者か用心棒と見られる男たちも、何人か随行してはいたようだが、ご多分に漏れず、盗賊団の登場に主人を置いて逃げ出したらしい。親父同様、何とも人望厚いこって。
「反撃食らうのなんかいつもの事さね。身包み剥いで打っちゃっとけば、熊や狼のいい餌になったのに、態々連れて帰って来たってことは、やっぱり身代金目当てだよ」
彼女は埃だらけの王太子の顔を、濡らした手巾で綺麗に拭いながら、弾んだ声で言う。
「こうして見ると、中々男前じゃないか。さすが、城下の女たちと浮名を流す色事師だけあるねぇ」
確かに、凛々しく整った顔立ちにはどことなく気品があって、あの醜悪な親父の息子とは到底思えない。
フィンデールの宿屋で起きた騒動の時、夢屋のロナは彼を妾腹と嘲っていたから、恐らくは母親似なんだろう。
「早く目を覚まさないかな、こいつ。どんな声で喋るんだろ」
「またエンツォが妬くぞ」
からかい半分に言ってやると、彼女は振り向いてにやっと笑う。
「言わせときゃいいのさ。あの御節介野郎……。呼んでも出て来やしないから、どうしたかと思えば、サデアスに説教食らって不貞寝してやがんの。ったく餓鬼だよな」
いい気味だと言わんばかりの顔で、意地悪そうにいひひと笑うと、彼女は桶を手に水場へ戻って行った。
冷たい水で顔を拭われたのが効いたか、彼女の気配が消える頃、王太子は魘された様に低く唸った。
歩み寄って覗き込むと、彼はゆっくりと瞼を抉じ開け、俺の顔に焦点を合わせようと顔を顰める。
「よう、気が付いたかい?」
「……御主は?」
「ランジャ。石読みだ」
部屋の隅でランプのシェードを開けて戻って来ると、彼はふらふらと体を起すが、殴られた場所が痛むのか、頭を抱えて蹲った。
「大丈夫か?」
「あぁ、何とか。御主が助けてくれたのか? 礼を言うぞ」
「いや、あんたを助けたのは、あんたをぶん殴った連中だよ」
少々茶化した口調で言ってやると、彼は打ちひしがれた様子で大きな溜息をつく。
「そうか。囚われの身か……」
「まぁ、そんなとこだ。連中は客人扱いしてるつもりらしいけど」
「御主も、あの山賊どもに襲われたのか?」
「いや、人攫いに拐かされちまってね。隠し鉱山で飼い殺しにされるところを、ここの連中に助けてもらったんだ。もっとも、礼金目当てのようだけどな」
俺の言葉に、彼は何か思うところがあるのか、「何と……」と呟いたきり、深く項垂れて押し黙ってしまった。
「あんた、フィンデールの王太子だろ?」
椅子に腰掛け、脚を組んで頬杖を付いた俺の一言に、彼は弾かれたように振り向くが、再びの頭痛に顔を顰める。
「御主、何故それを……?」
「あぁ、夏頃だったか、城の地下牢であんたの親父さんの世話になってね」
そう言って片目を瞑って見せる俺に、彼は暫しの間胡散臭そうな眼差しを向けていたが、はっと上げた顔をたちまち恐怖に引き攣らせると、飛び退くように身構えた。
「神族の石読み……ま、まさか、『雷神の御子』……!」
何もそこまで怖がらなくたって良さそうなものを。取って食ったりなんぞしないのに。
「その節はどうも。城の修理は終わったかい?」
「やはりあれは御主の仕業だったか……」
「まぁね。随分と手厚いもてなしを受けたもんで」
皮肉交じりの俺の言葉に、彼はふと顔を曇らせると、意外にも「済まない」と沈んだ声で呟くように言う。
「父は……陛下は権力の何たるかをご存知ではないのだ。済まない事をした。父に代わって詫びよう」
「まぁいいさ。ところで、見たところお忍びでお出掛けのご様子だが、こんな山の中を、一体どこへ行くつもりだったんだ?」
すると彼は気まずそうな顔で、再び黙り込んでしまった。
「もしかして、この先にあるって言う隠し鉱山もあんたンとこの物か? だとすりゃ、親父さんの名代での御視察ってとこかな」
「無用な詮索はせぬ方が身の為だぞ」
硬い表情のまま妙に醒めた口調で言う彼に、鼻白みつつ肩を竦めた時だ。不意に間仕切りがたくし上げられ、リノの髭面が覗いた。
「邪魔するぜ」
俺が頷くと、髭の下に人懐こい微笑を浮かべるが、王太子は部屋に入って来た山賊を、警戒心も露な眼差しで睨め付ける。
「話し声が聞こえたんでね。目が覚めたようだな」
「貴様は何者だ。私を捕えてどうするつもりだ」
噛み付く彼の言葉に構わず、リノは水色の瞳に僅かな憐憫を含ませると、静かに歩み寄るなり徐に剣を抜いた。
「リノ! 一体何を……!」
制止しようとした俺を、何故だか一瞬振り返ってにやりと笑うと、切っ先を凝視したまま狼狽する彼に、手にした剣把を差し出して見せた。
「この紋章を知っているか?」
その言葉に、射竦めるような眼差しを古ぼけた剣の柄へと注いだ瞬間、何を思ったのか、彼は突然リノに掴み掛かった。取り落とした剣が大きな音を立てる。
「貴様か……! 我が父を亡き者にしたは貴様か!!」
「おい、落ち着けよ!」
馬乗りになって襟元を締め上げようとする彼を、羽交い絞めにしてどうにか引き離す。
「その剣は如何にして手に入れた?! 何故貴様がダレン伯爵の剣を持っている?! 山賊め! さては殺して奪ったか……!」
尚も噛み付く彼に、リノは気怠そうに起き上がり、深い溜息をついて剣を拾い上げると、鞘に納めつつ妙に自嘲めいた微笑を浮かべた。
「父の仇か……。お前さんの親父は、公式にはフィンデール王イルシュだろう?」
「う……」
「母君の名はエマ。先王とその寵妃の王女で、ダレン伯爵家に降嫁された方だ。伯爵亡き後にイルシュ王の妃として迎えられた。違うか?」
「……貴様」
「お前さんが生まれたのは十八年前。恐らくかなりの早産だった筈だ」
「何故そんな事まで……」
「随分とやんちゃに育ったもんだな。顔はエマそっくりだってのに」
「まさか……まさか貴様……」
いつの間にか彼は激しい抵抗をやめ、優しくも哀しげな微笑を湛えて見詰めるリノを、呆然と凝視していた。
「い、いや、そんな筈はない。そんな筈は……。父は、ダレン伯は何者かに殺されたと母が……」
「確かに、ダレン伯レヌスは死んださ。王の手の者に討たれてな。今の俺は、所領も爵位も、妻さえも奪われて落魄れた山賊だ」
「父上……だと?」
俺が手を放すと、彼はふらふらと後退さり、脚に触れたベッドへくずおれるように座り込むと、苦悶の表情を両手で覆った。
死んだと聞かされていた実父の生存を、突然知らされたところで、俄かには受け容れ難いだろう。
リノは彼にそっと歩み寄ると、屈み込んでその肩に優しく手を置いた。
「済まなかったな、手荒なマネをしちまって。痛むか?」
穏やかな口調での問い掛けに、彼は黙ったままゆっくりと首を振る。
「王だったのか……。私は父の仇に育てられたのか……」
「生き延びる為だ。エマはお前を生かす為に、仇に身を委ねる屈辱に耐えることを選んだに違いない。自分の子ではなく、ダレン伯の嫡男と知れば、王は容赦なくお前を殺す」
「何故……」
「イルシュ王は神祖の血を求めていたそうだ。己が持ち得なかったものを嫡子に齎す事で、王位の正当性を裏付けようとしたんだろう。そして、王が俺に刺客を差し向けて奪った妻は、神祖の血統と神章を持つ王女だった」
「そうか、そういう事だったのか……。母の言葉の意味が漸く判った」
「彼女は何と……?」
「母上は最期まで仇の名は明かして下さらなかった。ただ、亡きダレン伯がまことの父であると、その父の名と神祖の血に恥じぬよう、即位の暁には仁政を施す名君たれ、と、それだけを密かに教えられて……。神祖の血統である私を生かすためだったのか。王の庇護の下で私を育てるために……」
「たとえ仇に育てられようとも、無事であればそれでいい。エマの思いを無駄にするなよ」
優しく諭すようなリノの言葉に、彼がゆっくりと顔を上げた時だ。唐突に間仕切りが払い除けられ、振り返ると、憤怒の形相のエンツォが仁王立ちになっていた。
「ちょっと待ちなってば! エンツォったら!」
背後から引き止めようとするニーナの怒声を振り切ると、奴はつかつかと王太子に歩み寄るなり、いきなり彼の胸倉を掴んで引き摺り起した。
「エンツォ!」
「手前ェはフィンデールの王子なんだってな」
「……如何にも」
「だったら、こんな所で何やってんだよ手前ェはよ! 王子なんだったらどうして親父を、あの暗君を野放しにしてンだよ! あいつのせいで、一体何人が憂き目に遭ってると思ってる! あぁ?!」
「やめなってば!」
奴は彼をベッドへ突き飛ばすように解放すると、自分に縋り付いていたニーナの腕を掴むなり、彼の目の前に突き出した。
「こいつの目を返せよ! こいつの傷を消せよ! こいつが何でこんなになったと思ってるんだ。今すぐあの暗君を玉座から引き摺り下ろせよ! 手前ェがこんなところでぶらぶら遊んでる間に、城下はこんな連中で溢れてンだぞ!」
「やめろエンツォ」
制止するリノを振り払おうとするが、尚もその強い腕で抱きかかえられると、奴は王太子を睨み付けたまま、引き摺られるようにして部屋を出て行った。
彼女もまた、打ちひしがれた様子の彼に、「ごめんよ」と短く詫びると、二人を追って出て行った。