「散々だな」
俺が声を掛けながら手を差し伸べると、彼は済まなそうな顔で掴み、のろのろと起き上がった。
「彼の言う通りだ。私は今迄、一体何をしていたのであろうな……。心の底では苛政に疑問を抱きつつも、父王を恐れるあまり、その意に副うことに汲々として、民草の声に耳を傾けることすらなかった」
誰に言うともなく呟くと、彼は自嘲するように小さく笑った。
「いや、違うな。私は逃げていたのだ。母の遺言を信じぬわけではなかったが、城内に伯爵を知る者は既に無く、残された臣下もまた、粛清を恐れて正義から目を逸らす者ばかりだ。胸襟を開いて語れるものなどおらぬ。
私の神聖騎士団への出仕すら許さなかったのも、古参の騎士達から真実を得ることを、父王が嫌ったからに違いない。
王族を出仕させねば、神都は厖大な軍費を科して来る。私一人の為に、無辜の民が更なる重税に喘ぐことにもなると言うのに……」
「なるほどね。で、いきおい城下で憂さ晴らし、と」
自分のベッドに腰掛けて向き合う俺に、彼は苦笑しつつ肩を竦めて見せる。
「そんなところだ。一度悪評が立てば、その後は何をしても、『またあの馬鹿王子か』と嘲るばかりで皆見て見ぬ振りだ。それに、城下の女たちと戯れている間だけは、孤独も癒されるような気もしていた」
「そう言えば、ロナもそんな事を言ってたな」
「ロナ……あぁ、あの、時折城下を訪れる夢屋の美女か……。流浪の身の上でありながら尚、気高く、強く、美しい。よもや只者ではあるまい。
彼女もまた、零落した名家の令嬢なのだろう。彼女を妃に迎えて、この癒し難い孤独を埋める事が出来たならと思いもしたが、暗君の人形に過ぎない私には、所詮叶わぬ夢だ」
いやいや、あいつはあんた如きが御し得る女じゃないぞ。
「で? このまま一生、人形でいるつもりなのか?」
脚を組んで頬杖を付いたまま、少々苛ついた口調で尋ねる俺に、彼はむっとした顔を向ける。
「馬鹿な。このままでは母の遺志にも背く事となる。いずれ即位の暁には……」
「それでエンツォが納得するか?」
俺がにやりと笑って見せると、彼は俄かに色をなした。
「何?!」
「いずれってのはいつ来るんだ? その間にもあんたの親父さんの治世は続くんだ。その犠牲は座したまま見過ごすのか?」
「だ、だが、城内に私の味方は……」
「何も味方は城内限定じゃなくたっていいだろよ」
「それは……そうだが」
「ホルザレン会を味方に付けるってのはどうだ? 隠し鉱山の情報なら、高く買ってくれるんじゃねぇの?」
「ホルザレン会……」
彼は俺の胸元で光る銀のブローチに目を遣ると、うわ言のように呟いた。
「し、しかし、どうやって……。城下の支部は既に父王の下僕と化しているぞ」
「神都の本部に直談判するぐらいの気概を見せろよ」
そう言って笑う俺に、彼ははっと顔を上げると、懐に手を入れて、小さく畳んだ数枚の紙片を取り出した。そいつを手に立ち上がると、歩み寄って俺に差し出す。
「これは使えるか?」
受け取ったものを広げて見ると、地図だった。辺境各地に点在する五ヶ所を、二枚にわたって記してある。残りの一枚は人名の羅列だった。
「こいつは?」
「隠し鉱山の場所を記した地図だ。それと、採掘に関わる山師の名簿。父の執務室にあったものを、密かに写し取ったものだ」
「へぇ。こりゃいい。大した手柄だよ。だけど、何だってあんたがこんなものを……?」
「疑問だったのだ。何故父が、これほどまでに精霊石の採掘に固執するのか。そこで、実際に現地へ行って見れば、何か掴めるかも知れないと思って向かったはいいが……この体たらくだ」
「いや、リノに捕まったのは幸運だったかも知れんぞ。他の山賊だったら、今頃は身包み剥がれて狼の餌だ」
茶化し気味に言う俺に、彼は「御主は楽天家だな」と、呆れたような苦笑を浮かべた。
「そもそも、親父さんの目的は何なんだ? 密かに戦費を蓄えて、どこぞの辺境国に喧嘩を売るつもりじゃあるまいな」
「それは……私にも判らんのだ。父は……いや、最早イルシュ王を父と呼ぶ必要はないな……。あの男は、常に周辺の強国や、神都の顔色ばかりを窺っている。他国を攻める気概なぞありはせぬのだが……」
なるほどね。いつだったか、随分と威勢のいい文面で、殿上人への上奏を密書にしていたことがあったが、得てして負け犬ほど遠吠えだけは立派だったりするわけで。警戒するに如くは無いけど、今すぐ何か行動を起こすと言うものでもなさそうだ。
「そこンところを探ったら、面白いものが出て来そうだな」
口を突いて出た一言は、丸でディエシーだ。どうやら奴の悪い癖がうつったらしい。思わず苦笑する俺を、彼は怪訝そうな顔で見る。
「どうよ、やるかい? 王太子殿下。俺自身、色々あってあの王には一矢報いたいと思ってるんだが」
俺の言葉に、彼は苦しげに眉根を寄せていたが、暫しの逡巡の後、決然と顔を上げて俺の目を見据えると、強い口調で言った。
「よかろう。暗君の手から祖国を取り戻し、父ダレン伯爵の名誉を取り戻す。力を貸してくれるか? 『雷神の御子』よ」
「ランジャで結構。余り買い被られても困る。俺は只の非力な石読みだ」
そう言ってにやりと笑うと、俺は彼が求める握手に応えた。
何とも頼りない王子様だけど、隠し鉱山の一掃には役立つかもしれない。ここから開放されたら、本部へ連れて行ってみるか。
リノはどうするつもりでいるのかは判らないけど。
マウロが帰って来たのは、翌日の昼過ぎだった。
洞窟から指笛が聞こえ、鉄格子が開錠される音に、間仕切りから顔を出して外を窺うと、程なくして、面白くなさそうな顔のニーナがやって来た。
「マウロの馬鹿が帰ってきちまった」
膨れっ面の彼女に、「その言い草はねぇだろよ」と苦笑混じりに言ってやると、いつものように「つまんねぇの」と肩を竦めて見せる。
「リノが話があるってさ」
彼女は投げ遣りにそう言うと、間仕切りをたくし上げて部屋を覗き込み、「あんたもだよ」と王太子に声を掛けた。
怪訝そうな顔の彼と共に、彼女の案内で入り口近くの部屋に通されると、椅子に腰掛けたリノを囲む全員の中に、マウロらしき見慣れない若造もいて、入って来た俺たちを振り返った。
「お迎えは明日の朝だよ。峠まで本部の石使いが来るってさ」
生意気な口調で言う彼もまた、エンツォに負けず劣らずやんちゃそうな若造だ。
「何だか知らねぇけど、向こうさん大騒ぎでさ。随分と礼金を弾んでくれるらしいぜ。旦那は只の石読みじゃねぇだろ。一体何者なんだ?」
「別に何者でもねぇよ。しがない石読みだ」
探るような眼差しで俺の顔を覗きこむ彼に、そう言ってにやりと笑ってやる。
「まぁ、そう言う訳で、あんたとも明日でお別れだ。ニーナが世話になったようだな。俺からも礼を言うよ」
「何、只の退屈凌ぎだ。いい話し相手になってくれたよ」
穏やかなリノの言葉に答えると、彼女は俺を振り向いて照れ臭そうにえへへと笑った。
「へぇ。姐さん、リノ一途じゃなかったのか。何ならこの旦那に連れてって貰えよ」
どうやらマウロはお調子者らしい。軽い口調で囃し立てた途端、彼女に耳を引っ張られ、エンツォには小突かれて首を竦める。
それを見て笑うビヨンとサデアスの間で、リノは静かに微笑むと、人知れず諦念を含んだ溜息をついた。
「さて、明日の段取りだが、見送りと礼金の受け取りはエンツォとビヨンで行ってくれ」
「え? 俺一人で大丈夫っすよ旦那」
心外だとでも言いたそうなエンツォを制すると、リノはビヨンを振り向く。
「峠で石使いにランジャを引き渡した後、フィンデールまでウィレム殿下を送り届けるんだ」
「何だって?! 一体どういうつもりだよ! 身代金を取るんじゃなかったのかよ!!」
それを聞いて吹き出したリノに、エンツォは肩透かしを食らってきょとんとする。
「俺がいつそんな事を言ったよ?」
「だって……!」
「凋落著しいフィンデールの国軍だとて、神聖騎士団の将官も輩出している猛者揃いだ。山狩りにでもなったらどうする? 俺たちじゃ勝ち目は無いぞ」
少々いたずらっぽい口調で反論されると、血の気の多い奴も、舌打ちをしつつ引き下がるしかない。
「私は帰らない」
決然と言い切った王太子を、全員が振り向く。若造二人などはあからさまに面倒臭そうな顔だ。
「私にはやらねばならない事がある。それを成さずに帰る訳には行かない」
「何言ってやがんだよ。手間掛けさせんじゃねぇよ」
掴み掛からんばかりに噛み付くエンツォを再び制すると、リノは自分を見詰める王太子を訝しげに見上げた。
「何をやるって?」
「隠し鉱山へ行く。そこでイルシュ王の目的を探るつもりだ。あの男が、極秘裏に精霊石を蓄えているその理由を知りたい」
「『あの男』? 王様はあんたの親父さんだろ?」
驚いた顔で覗き込むニーナに、「いや、私の父は……」と答えようとした時だ。
「どうやら殿下はお疲れのご様子だ。ビヨン、お前ちょっと強く殴り過ぎたんじゃねぇか? 客間で休んでもらえ」
言葉を遮るように言ってリノが笑うと、ビヨンは心得たとばかりに、彼の肩に「済まなかったな」と言いつつ腕を回し、有無を言わせぬ様子で半ば強引に連れ出そうとする。が、彼はそれを邪険に振り払うと、リノに詰め寄った。
「父上! 私は神祖の血統を継ぐ者として、これ以上あの暗君の悪政を看過するに堪えないのです。それを何故……」
「えぇ?! 父上って……どういう事だよ!」
「旦那!」
彼の言葉に若造どもは一様に動揺するが、腹心の二人は肩を竦めて苦笑を見交わすだけだ。
「リノ、あんたは……」
「過去は過去だ。もう何も戻らん」
俺の言葉をも遮ると、リノは疲れたような顔で自嘲気味に笑った。
「今の俺は山賊だ。王太子とは住む世界が違う。いつか殿下が玉座に就く日を、遠くから見守る以外に出来る事なんざ何もねぇよ」
「いつかでは遅い。私は暗君の臣下同様、現実から目を背けて来た。彼らによって漸く醒まされたのです。私は彼らに、彼らのような者たちにこそ報いたい。その為には今すぐ行動せねば……!」
自分たちを振り向いて語気強く言う彼に、生意気そうなしたり顔でにやっと笑って見せたエンツォを、ニーナは呆れたような眼差しで見上げる。
「母君の遺言を忘れたか。王太子とは名ばかりで、騎士団すら掌握していない半人前のお前に一体何が出来る? 今、あの王を敵に回したところで勝ち目はあるのか?
お前に何かあれば、フィンデールの正統な血脈は途絶えちまうんだぞ。少しは考えたらどうだ」
幾分怒気を含んだ口調で諭されると、彼の父親を見据える眼差しが険を含んだ。
「なるほど。確かに亡き母の言葉通り、勇敢なる義侠の徒であったダレン伯爵は、既にこの世にはおらぬ様だ。御主らには世話になった。帰途の護衛の申し出も有難く受けよう。だが、そこから先は、私が何をしようと御主らには関係の無い事だ。良いな?」
頼りない王子様だと思ってたけど、意外と意地っ張りなんだな。
俺としちゃ、お手並み拝見といきたいところだけど、リノは親心を無碍にされて怒り心頭に達したか、「勝手にしろ」と言い捨てて椅子を立つと、「旦那」と呼び止める若造どもの声も聞こえぬ風で、そのまま部屋を出て行ってしまった。