元来た街道へ戻ると、道案内は王太子の筈なのに、エンツォは餓鬼のように先へ駆けて行っては、こちらをにやにやしながら待ってるとういうはしゃぎ様だ。
ビヨンはそんな奴を「ったく、あの馬鹿が」とぼやくけれど、渋々ながらも俺たちの後について来ているあたり、放って置けない弟分といったところなんだろう。
来た道を半ばほど戻った時だ。先を行くエンツォに追い付くと、奴は坂の下を見詰めたまま固まっていた。何事かと声を掛けようとした俺たちの視界の彼方に現れたのは、二つの騎馬の影だ。
「や、やべぇよ兄貴……」
「どうした」
うろたえて振り返る奴に、ビヨンが面倒臭そうに答える間にも、影はたちまち森蔭を出て近付いて来る。
やがてそれはリノとサデアスの姿になり、慌てて引き返そうとするところを大声で呼び止めた。
「エンツォ! 何をやってる!」
「い、いやあの、これには訳が……」
リノはサデアスと共に、行く手を遮る様に馬を止めると、一行の顔を険しい眼差しで威圧するように見回していたが、王太子と視線を合わせると、硬い表情で訊ねた。
「どういう事なのか御説明願えますかね。殿下」
「隠し鉱山へ行く。御主の部下には護衛の任に就いてもらった。邪魔立ては無用だ。そこを開けて貰いたい」
「俺は帰れと言った筈だが」
「山賊如きの指図など受けぬ。イルシュ王の密計を暴き、あの男の手から祖国を取り戻すまでは帰らぬつもりだ」
丸で挑むかのように、自分を真っ直ぐ見据えて答える彼に、リノは何を思ったか、不意に視線を落とすとフッと鼻で笑い、
「妙な胸騒ぎがしやがると思って、出て来て見りゃこれだ」
と呟いた。
「言い出したら聞きやしねぇ。こうと決めたら梃子でも動かんその頑固ぶり……エマにそっくりだ」
そう言って大きな溜息をつき、参ったとでも言うように、彼の顔を見ながらゆっくり首を振ると、リノは「来な」と顎をしゃくり、馬の首を廻らせると、隠れ家へ向かう獣道へ向かった。
「父上……?」
「お前ら、そのままぞろぞろと悪党の巣へ乗り込むつもりか? 何事にも流儀ってもんがあるだろう」
怪訝そうな彼の問いに、リノは振り返りもせずに呆れた口調で言う。
ベルは俺に並ぶと苦笑を交わしながら肩を竦めて見せると、エンツォやビヨンと共に大人しく後に従った。
やがて洞窟を抜け、出口の鉄格子まで辿り着くと、リノの指笛を聞いて出て来たマウロが、俺たちの姿に驚いた様子で、戸惑いながら鍵を開ける。
俄かに騒々しくなった庭の様子に、何事かと顔を出したニーナもまた、馬を下りた俺の姿を見付けるなり、満面の笑顔で飛び付いて来た。
「やった! ランジャが帰って来た! ねぇ、あたいらの仲間になってくれるんだろ? その気になってくれたんだろ?」
「あ! こら! 何やってんだよ、離れろよ!」
面食らってる俺との間にエンツォが割って入って来ると、彼女は途端に不機嫌になるが、王太子と話をしているベルの姿に気が付くと、興味津々といった顔で俺の袖を引っ張った。
「ねぇねぇ、あれが嫁さん? 可愛い石読みとか言ってたけど、石使いじゃないか。しかも凄ぇ美人だ」
「いや、彼女は……」
「違ぇよ。ランジャを迎えに来た本部の石使いだ。嫁さんはレカンダで待ってるんだとさ」
答えようとした俺の代わりに答えると、奴はにやにやしながらベルの姿を遠目に眺める。
「やっぱり神都の女はいいよなぁ。綺麗で色っぽくてイイ匂いがしてさ」
「何それ。確かに美人で格好いいけどさ、あんたより年増じゃないか」
「年増の魅力が判んねぇなんて、お前も餓鬼だなぁ」
からかい半分で大袈裟に嘆いて見せる奴に、彼女が「何だってェ?!」と掴み掛かろうとした時だ。俺たちは揃ってリノに呼ばれた。
「悪ィな。巻き込んじまって」
自室へ入るなり、彼はベルを振り向いて済まなそうに言う。
「いいえ。殿下の御提案に賛同したのは私ですし、お二人を用心棒として雇ったのも私ですから。お詫びするのはむしろ私の方ですわ」
そう言って丁寧に頭を下げる彼女を、彼は椅子に腰掛けながら気怠い仕草で制する。
「お前さん、名前は? 女だてらに本部監査所属とは大したもんだ」
「ベルナデットと申します。ベルとお呼び下さいませ。ダレン伯爵閣下」
彼女の穏やかな微笑に、彼は自嘲を含んだ笑みを返す。
「さすがはホルザレン会だな。お天道様並みに隠し事は効かねぇってか。もっとも、冬至祭にはもう遅いが……」
誰に言うともなく呟く彼に、ニーナはどこか不安そうで、答えを求めるかのようにこっちを見上げて来るけど、俺としちゃ肩を竦めて見せるしかない。
「全てを失って、何にも残っちゃいねぇと思ってたのに、この利かん気の中に丸ごと残っていやがったとはな。今更ながらこいつの行く末が気になって仕方ねぇ」
彼が呆れ顔で苦笑交じりに顎をしゃくると、張り詰めた顔をしていた王太子の頬に、微かに照れ臭そうな笑みが浮かんだ。
「さて、隠し鉱山行きの筋書きだが……」
腕組みをしながらそう言うと、彼はぐるりと俺たちの顔を見回してにやりと笑う。
「遊び人殿下の、お忍びでの気紛れな御視察旅行だ。面子は、父王の極秘の仕事に興味を持った札付きの若君。勿論、飛び切り色っぽい情婦付きだ。山師への手土産は攫って来た石読み。護衛は柄の悪い用心棒が三人。こいつでどうだ?」
彼の提案に「悪くない」と頷いた王太子を筆頭に、「構わねぇよ」「面白ぇ」と俺たちも首肯する。最後にベルが「いいわ。やりましょう」と答えると、彼はニーナを呼び付けた。
「略奪品の蔵にドレスがあった筈だ。こちらのレディの御召し替えを頼む」
「え? あたいが?」
ニーナは、思い掛けない依頼に面食らってる様子だったが、
「よろしくね。可愛いお嬢さん」
と微笑まれると、何故か頬を赤らめてぽーっとベルの顔を見上げた。
「そ、そうかな? あたい、可愛い何て言われたの初めてだ」
「とっても可愛いわよ。食べちゃいたいくらい。私が男だったら放って置かないわ」
自分を陶然と見上げる少女の白い頬を、指先で愛おしげに撫でながら言うベルは、心なしか妖しく背徳的な雰囲気だ。
ひょっとしてこの凛々しくも美しい石使いは、とんでもない素顔を持っているんじゃないだろうか。
笑いさざめきながら部屋を出て行く二人を見送っていると、「え? 俺は?」と抗議するエンツォの声が響いた。
「お前は残れ」
「そんな……最初に姐さんと契約したのは俺っすよ!」
「駄目だ。お前は残って、マウロやニーナとここを守れ。その代わり、好きに使っていいぞ。この部屋も蔵のお宝も、全部お前にやるよ」
リノはそう言って、テーブルの上に置かれた鍵を取ると無造作に投げる。奴は不満顔のまま両手で受け取るが、それが鉄格子の鍵と知るや、愕然として顔を上げた。
「まさか、まさか旦那、ここを出て行く気じゃ……」
「あぁ、自分が何者なのかをうっかり思い出しちまってな。跡を頼んだぜ」
「急にそんな事言われたって、俺、出来ねぇっすよ……。旦那みたいに強くねぇし、賢くねぇし……」
その素直すぎる戸惑いに、彼は苦笑を浮かべる。
「何も俺と同じにしよう何て思わなくたっていいだろう。お前の好きにすればいい。ニーナと仲良くな」
手にした鍵を戸惑った様子で見詰めると、奴は「ニーナと……」と感慨深げに呟く。が、程なくして戻って来た二人の声に、慌てて入口を振り向いた。
「ほぉ。こいつは……」
部屋に入って来たベルに、リノは思わず感嘆の声を上げ、普段は無口なサデアスまで口笛を吹く。
これ見よがしに体の線を強調したドレスの、大きく開いた胸元から覗く、しっとり白い艶やかな肌が眩しい。きっちりと束ねていた赤い髪も美しく結い上げられて、少々派手目な簪で飾られている。
遊び人の情婦にしては、些か上品過ぎる雰囲気ではあるが、早速進み出て彼女の手を取り、その甲へ慣れた仕草で口付ける王太子に、真っ赤な紅を引いた形のいい唇で、艶然と微笑み掛けるその姿を見る限り、「飛び切り色っぽい」というリクエストには十分答えているようだ。
「見事に化けるもんだな」
感心する俺に、ビヨンもまたにやにやと頷く。
「あぁ、神都で一番の酒場でもお目に掛かれめぇよ。あんな酌婦がいたら、きっと指名が殺到だ」
その一言を聞きつけると、彼女は婀娜な流し目を送り、「是非お店にいらしてね」と投げキスまでして見せる。すっかり街の女になり切ってるようだ。
エンツォはその様子を、緩み切っただらしない顔で見惚れていたが、ふと真顔になると、きょろきょろと辺りを見回す。
「ニーナは?」
奴の問いに彼女は意味深な微笑を浮かべると、入り口に歩み寄り、そこに隠れていたニーナを呼んだ。
「や、やだ。恥ずかしいよ姐さん」
「どうして? 折角綺麗にしたんだから、みんなに見て貰いましょうよ」
二人は暫くそこで押し問答をしていたが、彼女に腕を引っ張られて渋々入って来たニーナに、俺たちは一様に目を疑った。
入り口で恥ずかしそうに縮こまっている少女の姿は、いつもの蓮っ葉な女山賊とは思えない変貌振りだったのだ。
綺麗に結い上げられた黒髪に、白蝶貝の上品な簪が映える。花の刺繍も可憐なドレスを、華奢な体に纏った姿は、貴族の御姫様にも引けを取らない。左の瞼こそ開かないが、顔の傷も化粧で綺麗に消されていて殆ど判らなくなっていた。
「どう? お人形みたいに可愛いでしょう」
感心する俺たちにベルは得意そうに言うと、少々強引に彼女の肩を抱いて、ぽかんと口を開けたまま、言葉も出ないエンツォの目の前に連れて来る。
「兄貴、そのまま嫁にしちまえよ」
からかうような口調で言うマウロを、ニーナは耳まで真っ赤になってじろりと睨む。
「何であたいがこいつの嫁にならなきゃなんないんだよ!」
「何でって、俺はてっきり花嫁衣裳かと……」
「ば、馬鹿言ってんじゃねぇよ」
ムキになって言い返しながらも、チラとリノの顔を盗み見るが、彼が優しい微笑を浮かべていることに気付くと、彼女は途端にほっとしたような笑顔を輝かせた。
「そう言や、お前も嫁に行くような歳だったな……」
しみじみと溜息をつく彼に、彼女は一瞬戸惑う様子を見せるが、意を決したように頷くと一歩進み出た。
「リ、リノ、あたいね、あたい、あんたが……」
「エンツォと仲良くな」
決死の覚悟で挑む少女の告白を、無碍に遮って立ち上がると、リノは俺たちに仕草で行動開始を示す。
「リノ!」
彼の、心なしか寂しげな微笑に何を察したか、庭へ出る俺たちの後ろから、彼女の悲痛な声が呼ぶ。
馬の手綱を解いて次々に騎乗する俺たちに、ドレスの裾をもどかしげにたくし上げて駆け寄ろうとする彼女を、エンツォは慌てて捕まえると羽交い絞めにした。
「嫌だ放せ! リノは出て行く気なんだ。リノが行っちゃう! 止めなきゃ」
「やめろ。旦那は……伯爵は王子の親父っさんなんだ。二人で戦に行くんだ。邪魔しちゃなんねぇ」
必死に引き止めようとする奴を、彼女は滅茶苦茶に暴れて振り切ると、リノに駆け寄った。
「リノ……」
彼は鐙に掛けていた足を外して振り向くと、少し困ったような微笑を浮かべて彼女を見下ろす。
「どうした。折角綺麗にしてもらったのに、泣いちまったら台無しだろう?」
「好きだったんだ。ずっと、ずっと……。あの日、あたいを助けてくれた時から」
そう言うなり彼女は彼の首に抱き付くと、薄紅に染められた可憐な唇を、髭に埋もれた彼の唇に重ねる。
彼は一瞬、驚いた顔をしていたが、そっと瞼を閉じて愛おしそうに抱き締めると、気が済むまでなすがままにさせていた。
やがて、名残惜しげに離れる彼女の涙を、頬を包んだ指の腹で優しく拭い、苦笑しながら大きな手でくしゃくしゃと頭を撫でると、馬に跨って手綱を取った。
「元気でな」
「あんたもだよ。死んじゃ嫌だよ。もう逢えないとしても、どこかで必ず生きていておくれよ」
自分を見上げる彼女の、切実な思いに微笑んで大きく頷くと、彼はエンツォを振り向いて、「開けてくれ」と洞窟の入り口を示す。
鉄格子が開かれると俺たちを先へ促し、切なげな眼差しで見送る彼らに、「じゃぁな」と短く答えて隠れ家を後にした。
王太子を守るように先行するビヨンとサデアスに追い付くと、二人は彼を待って馬首を並べた。
「済まねぇな。また付き合わせる破目になっちまった」
「旦那……いや閣下。閣下の命とあらば我ら二人、どこまでも御供仕りますよ」
申し訳なさそうに言う彼にビヨンは笑顔で答え、サデアスはその言葉に力強く頷く。そうか、彼らはリノが伯爵だった頃からの臣下だったんだな。
王の放った刺客から主を守る為に山賊に身を窶し、ずっとあの山奥の隠れ家に匿っていたんだ。忠義者ってのは、恐らくこういう連中を言うんだろうな。