次第に険しくなる山道を、俺たちは馬を宥めながら延々と辿って行く。
草に埋もれた国境の道標を過ぎると、王太子は馬を停め、ベルに地図を出させて行き先を確認すると、街道を逸れて、途切れながら続く獣道を、深い森の奥へと分け入った。
暫く行くと、渓流のせせらぎが遠く聞こえて来た。次第に近くなる水音に沿って進むと、彼は森が途切れる手前で停まった。
各々馬を下りると、程近い場所に見付けた岩陰に隠すように繋ぐ。
「もうすぐだ」
俺たちを振り向いて言う彼に頷くと、途切れた森の先に現れた河原に出た。そのまま岩がちの谷間を縫う細い渓流を辿り、更に上流を目指す。
ドレスの裾を捌きながら歩き難そうに進むベルに、彼が丸でダンスに誘うような手を差し伸べると、彼女は苦笑を浮かべながら応じる。
対岸の森へ出て緩やかな坂を上り詰めると、出し抜けに陽だまりへ出た。人工的に切り払われた場所だ。
向こう側に立ちはだかる断崖の中程に、坑道らしき洞窟が口を開けているのが見える。どうやらここが目的地らしい。
リノに小声で呼ばれて一旦森の中に身を隠すと、彼は荒縄を取り出して俺を手招きする。
「悪ィな。お前さんは攫われて来た役だから」
「お手柔らかに頼むよ」
俺の言葉に苦笑で答えると、彼は慣れた手つきで後ろ手に縛り上げ、一方の短い端を俺の掌に握らせた。
「いざと言う時に引くんだ。そうすれば解ける」
「なるほど。そいつは有難い。ついでに一発殴ってくれないか? 攫われた石読みが無傷じゃ怪しまれるだろ?」
すると脇で見ていたビヨンが「よっしゃ」と答え、やんちゃな笑みを浮かべながら、両手の指をぱきぱき鳴らす。
「え? ちょっと、お、おい、本気で殴るなよ」
「歯ァ食いしばれ!」
怖気づいて避ける間もなく、目の前に火花が飛んだ。ぶん殴られた頬がたちまち腫れ上がり、リカバリセルが反応する。
口の中に溜まった血を吐き捨てると、彼はにやにや笑いながら俺を助け起した。
「おーぉ、いい具合だ。芸術的な痣が出来たぜ」
「容赦ねぇなぁ」
俺の泣き言に、みんなが笑う。これで準備は万端。しなだれ掛かるベルの肩を抱く王太子を筆頭に、俺を引っ立てる山賊三人が続いて坑道に向かう。
陽だまりになっている広場には、石の詰まった木箱が積まれ、その下では数人の鉱夫らしき男が、大きな麻袋に黙々と石を詰めていた。
誰もが無残に痩せ細っているのに、目だけが爛々と光る異様な風体だ。
俺たちが入って行くと、一瞬は胡乱な眼差しを向けるものの、何の反応も示さないまま、丸で機械のように作業に戻る。
「誰かある」
やけに能天気な王太子の呼び掛けに、人相の悪い太った大男が、坑道脇の掘っ立て小屋から顔を出した。
男は胡散臭そうな顔で俺たちを睨め付けたが、すぐに客の正体に気付いたようで、慌てて駆け寄ると、一転して揉み手せんばかりに諂った態度に変わった。
「これは若君。また随分と急な御出座しで……。お報せ頂けりゃぁ手前どもから参りましたものを」
「狩りでもしようと思って来たのだが、父上がこの辺りで、何やら面白そうな事をしていると聞いたのでな。立ち寄ってみた」
「左様で御座いますか。さすが若君。陛下の事業に興味をお持ちとは、何とも将来が楽しみですな」
彼は男の胡麻摺りなど聞こえぬ風で、物珍しそうに辺りを見回す。
「鉱山は初めてだ。案内を頼む。御主、名は何と言う?」
「手前は山師のキンバーと申します。よろしくお見知り置きの程を。ささ、どうぞこちらへ……」
確か、こいつの名は彼が持っていた名簿にあった。ここにいる筈の残り三人は、坑道の奥で鉱夫をこき使っているに違いない。
男は彼を小屋へと促すと、通りすがりにお色気たっぷりの流し目を送るベルに、好色そうな薄笑いを浮かべる。
「よう、旦那。こいつを使ってくれねぇか? 若様の手土産だ」
男は歩み去るベルの尻を、舐める様な視線で眺めていたが、リノの言葉を振り向くと、追い立てるように突き出された俺を見て、「ほぉ」と感嘆しながら歩み寄って来た。
「石読みとは気が利くね。この間、マルデリに行ったついでにフーチェクに頼んでおいたんだが、奴さん、手付け払ったってのに梨の礫だよ」
「あぁ、奴は山賊にやられたって聞いたぜ。今頃は狼の餌じゃねぇか?」
そう言って笑う彼に、男は贅肉に埋まった目を丸く見開く。
「本当かよ! 参ったねこりゃ……。ロアルデの一件以来、人買いがめっきり減っちまって、こちとら商売上がったりだ。鉱夫の手配すら儘ならねぇ始末よ」
白髪混じりの頭を叩きながら一頻り愚痴ると、今度は腕組みをして俺の前に立ち、頭の天辺から爪先まで眺め回す。
「しかし、こんなモヤシみてぇなので使えるかね。役に立たねぇんじゃ話にならねぇよ」
「何がモヤシだよ、うるせぇよ」
思わず食って掛かると、男は「何だと?」と凄んで俺の胸倉を掴んだが、睨み付ける俺の視線にぶつかると、弾かれたように慌てて手を放した。
「おいおい、神族じゃねぇかよ! こんなの攫って来て大丈夫なのか?」
「構うもんか。どうせここで飼い殺しだろ? バレやしねぇって」
「いやいや、最近あちこちで妙な噂を聞くんだよ」
「噂?」
「『雷神の御子』が現れたって話だ。そいつが方々で暴れ回ってるらしくてな。詳しい話は判らねぇが、先だってもケイディシアで山と人死にが出たってよ。
何でも、神族の癖に石読みの格好をした若造だとかでさ、まさか、こいつじゃないだろうな?」
渋い顔で声を潜める男の話を、彼は豪快に笑い飛ばす。
「こいつがか? そんな訳ないだろう。もしそうなら、俺たちゃ今頃、全員真っ黒焦げだぜ」
「まぁ、それもそうか……」
そう言いながらも、納得がいかない顔の男を、小屋の前からベルが呼ぶ。
「ねーぇ旦那ァ、早く行きましょうよン」
科を作って手招きする彼女の姿を振り返ると、途端にだらしなく頬を緩める。
「たまんねぇな。王子様ともなると、連れてる女もすこぶる付きの上玉とくらぁ」
リノと苦笑を見交わしつつ肩を竦めて見せ、ついて来いと仕草すると、男は「はいはい只今」と言いながら、いそいそと小走りに小屋へ戻った。
「むさ苦しい所でやすが、どうぞ中へ」
「えぇ? 嫌よ私。早く坑道に入って見たいわ。何だか探検みたいでわくわくしちゃう。ねぇ若様」
上目遣いで見上げながら、甘い声でねだる彼女に、王太子はにやにやしながら「そなたも物好きだな」と答える。
「中を見せて貰おうか」
自分を振り返るなり一転して尊大に命じる彼に、男は一瞬、忌々しげに顔を歪めるが、そそくさと前へ進み出た。
「あら、石読みは連れて行かないの? 私、どんな風に石を読むのか見てみたいのに」
白々しく頭の悪そうな女を演じる彼女の口調に、吹き出しそうなのを何とか堪えて仏頂面を作る俺を、男はあからさまに面倒臭そうな顔で渋々引っ立てると、ぞろぞろ続く一同へ向けて、手にした大振りのランタンを掲げて見せた。
「それじゃぁ行きますよ。足元にお気を付け下さいまし」
坑道内部は、ロアルデの隠し鉱山よりも遥かに広かった。
リノたちの隠れ家同様、太い丸太で等間隔に補強されていて、吊り下げられたランタンが、ごつごつと荒削りな岩肌と、泥濘だらけの道を照らしている。
奥からはひんやりと肌寒い風に乗って、地下牢のような饐えた臭いと、微かながら妙に甘ったるい匂いが漂って来た。
「ねぇ若様、外で麻袋に石を詰めてたけど、あれは何に使うの?」
場違いなほど明るい彼女の声が、がらんどうの坑道に反響する。
「さぁ。私にも判らぬ。キンバーとやら、あれは何に使うのだ?」
彼女に負けず劣らず能天気な口調で訊ねる王太子に、男は苛立たしげな溜息をつきながら振り返る。
「鉱夫に背負わせて運ぶんでさァ。ここへ荷車を入れる訳にゃいきませんのでね。月に二度、街道で待たせておいて、そこへ運ぶ手筈になってますんで」
「ほぅ。考えたな。だが、城下ではそんな荷車を見たことはないぞ」
「おっかなくて城下へなんか持って行けませんや。石使いの連中にでも見付かったら事でやすから」
奥の暗がりから、何か重たい物が転がる音が響いて来ると、男は一同に道を空けるよう促す。
程なくして現れたのは、石の詰まった木箱を載せた台車を、三人がかりで押す鉱夫たちだったが、彼らもまた、表にいた連中同様、幽鬼のように痩せ細っていながら、目だけを爛々と光らせている。
その姿を怯えた眼差しで見送る彼女と、彼女の細い肩を宥めるように抱きかかえる王太子に、男は何故かしたり顔でにやりと笑うと、顔を近付けて声を潜めた。
「陛下のお遣わしになった薬師のお蔭でしてね。水煙草をたった一服喫ませるだけで、メシも食わずによく働きまさァ」
やはりそうか。この甘ったるい匂いは、ソルファの淫売窟で嗅いだ水煙草と同じものだ。
あの時の地下牢で、ヴィスロ枢機卿がイルシュ王と一緒に居たのは、どうやらそういう事らしい。あの変態爺ィは蓮火幇だ。間違い無い。
「近頃は鉱夫の調達も儘ならない上に、大人数を使うにゃお足が嵩みますんでね」
「なるほど。丸で魔法のようだな。やはり神都の薬師は腕が良い」
大袈裟に肩を竦めて見せる男に、彼は硬い表情で相槌を打つが、その声には、能天気を装いながらも隠し遂せない怒りが滲んでいた。
入り口から差し込む強い陽光の中へとだらだら続く坂道を、機械人形のような鉱夫たちが、無言で上って行くのを見送ると、曲がりくねりながら奥へ向かう本坑を更に進む。
坑道の両脇には、肋骨のように支坑が幾つも穿たれていた。随分掘り進んだようで、かなり深い。
やがて本坑は二股に別れ、濃く立ち込める沼気の中を、遠く反響する野太い怒声と、岩を穿つ鏨の音を聞きながら、更に奥へと進んで行く。
途中、引っ立てられて先頭を進む俺の爪先に何かが触れ、軽い金属音を立てながら転がった。
薄暗いランタンの光に反射した泥まみれのそれは、銀の翼刃章だ。ここで死んだ石読みの物に違いない。
ふと脳裏に浮かんだのは、縛られて狭い坑道に転がされていた、ベニカの泣き腫らした顔だった。
修行中の石読みは総じて若い。彼女程ではないにしても、殺された中には、年端のいかない者もいただろう。誰もがいつか神都に赴き、石使いとして叙任されることを夢見て励んでいた筈だ。
そう思った瞬間、腹の底の怒りに点火するのを感じたが、辛うじて捻じ伏せる。今はここの実態と、王の密計を探るのが先決だ。
捨てられた翼刃章は、通り過ぎようとした時にベルが拾い上げた。指先で泥を拭ったその瞬間、婀娜な化粧を施した顔が、さっと青褪める。
「あぁ、そいつは石読みが着けてたもんでさァ。お嬢さんのお気に召したんなら、お持ちになっても構いませんが、ホルザレン会に見付かると面倒な代物ですよ」
「そ、そう。綺麗なブローチね……」
彼女はどうにか平静を装った言葉を返すと、手にした翼刃章をハンカチに包み、艶やかな胸元に押し込んだ。そんな彼女の、派手なドレスに包まれた肢体を、男は遠慮のない視線でにやにやと眺め回している。
「これを着けていた石読みは? この奥で働いているのか?」
少しばかり上擦った声で問う王太子を、男は馬鹿にしたように鼻で嗤った。
「とうにバラして狼の餌でさァ。長く飼っておくにゃ色々と面倒なんでね。鉱脈の場所さえ判れば、後は用無し。一仕事ごとの使い捨てですよ」
「何と……!」
「ご存知なかったんですかい? 殿下の御父君様は、この世界から石使いどもを一掃すると仰せですぜ。下っ端の一人や二人死んだところで、どうってこたァねぇ」
あからさまな嫌悪に満ちた眼差しで睨む彼に、男はそう言って下卑た笑い声を上げた。
「あいつらは、妖しげな術で石の精霊を操る輩だ。魔道師とどう違うってんです? 神祖の血統でもないそんな連中が、金で殿上人に取り入って、聖下の御威光を笠に裏から権力を恣にするたァ、汚らわしいにも程があるってな」
忌々しげに唾を吐き捨てる男に、彼はふと自嘲めいた微笑を浮かべる。
「神祖の血を云々するなら、我が父王イルシュもまた、玉座を汚す有象無象の一人であろう?」
「こりゃまた随分な仰りようですな。ですが、背伸びも大概になさいましよ若君。でないと、悪い連中に誑かされますぜ」
男はそう言うや否や手にしたランタンを放り出し、彼の腕を掴んで抱え込むと同時に、山刀を抜いて喉元に突き付けた。咄嗟にリノたちも剣を抜いて対峙する。
「貴様何を……!」
「殿下!」
「ええい離せ! 王太子と知っての狼藉か!」
逃れようと暴れる彼を尚も押さえつけると、男は探るような眼差しで俺たちを睨め付ける。
「お前ら何者だ? 若君を誑かして何を企んでやがる? えぇ?」
「私は自分の意思で来たのだ! 離せ下郎! 父上の目的は何だ! 言え! 石を集めて何とする!」
「なるほど。こいつら石使いどもの犬か。よりにもよって王子をダシに潜り込むたァ洒落臭ぇ」
にやりと笑って男がやにわに指笛を吹くと、坑道の両側からばらばらと無数の鉱夫たちが現れた。
表情の無い顔に、血走った目だけを炯々と光らせながら、薄闇の中を鏨や鶴嘴を振り翳して、幽鬼の集団が迫り来る。
俺は咄嗟に掴んでいた荒縄の端を引くと、解けた瞬間に背後から男に飛び掛って羽交い絞めにした。同時にベルが放った簪が右目を貫くと、男は獣のような声を上げてのた打ち回る。
「逃げろ! 早く!」
坑道の奥から反響する男の怒声に呼応して、支坑からも鉱夫たちが出て来て合流する。
開放された王太子を庇いつつ、追い縋る鉱夫たちを振り払うように入り口へ急ぐものの、僅かな油断でたちまち囲まれた。畜生、一体何人いやがるんだ。
「迷うな! こいつら既に人間じゃねぇ!」
剣を構えたまま躊躇していたリノたちが、俺の怒声を聞いて一息に薙ぎ払うと、出来た隙を突いて、僅かな光を目指して入口へ走る。その途中、通路の脇に石の箱を載せた台車が目に留まった。
みんなを先に行かせると、中の石にパラメータを入力する。触発モードでレベル125。発動は5秒後だ。
入力と同時に蹴り飛ばすと、台車は加速しながら坂道を滑り降りて行く。が、追っ手の先頭に突っ込んだ瞬間、想定以上の凄まじい轟音と閃光が坑道を揺るがし、爆風の衝撃を受けて吹き飛ばされた。
しまった。沼気に引火したか。王太子は無事だろうか。ベルは、リノたちは……。
投げ出されて地面を転がる。ひどい耳鳴りだ。補助脳が体中をあちこち閉鎖し始めたのか、どこもかしこも感覚が無い。リカバリセルもフル稼働だ。
辛うじて動く左手を何とか動かすと、柔らかな掌が包むのを感じたが、そこから先の記憶は無かった。