控の間を出て通路の石段を登ると、隠し扉を開けて巨大なタペストリーをたくし上げる。
月影に浮かび上がるそれは、四色の飾緒で結ばれた、金銀二つの鍵が交差する極彩色の国章だった。
「サリミロへようこそ」
内陣で振り返り、掲げられた王旗を見上げる俺に、彼女は慇懃に頭を下げて見せる。
ここが、この世界を統べる女神が御座す都の神殿……。だけど、ここもまた例外なく他の辺境国の神殿と同じ造作だ。
「神都の割には随分地味だな」
俺の素直な感想なのに、彼女は可笑しそうにうふふと笑う。
「ここは遠い昔に併呑された、辺境国の神殿だったそうよ。聖下の神殿は宮殿の奥深くにあるの」
「そうか、あんたは巫女さんだったな」
そんな話をしながら、内陣を出て列柱の広間に差し掛かると、片隅に蹲っていた数人の影の中から、一人が起き上がる気配がした。
「ランジャ!」
影はニーナの声で叫ぶと、立ち上がるなり勢い良く駆けて来て飛び付いた。
「凄ぇ! 本当に生き返った! 本当に魔法ってあるんだ! すっかり元通りだ! 元通りの色男だ!」
大はしゃぎで言いながら腕を伸ばすと、掌で俺の頬をぺちぺち叩く。
「生き返った……って、俺、死んでねぇよ。殺すなよ」
「あんなの、普通なら死んでるよ。姐さんが絶対生きてるって言ってくれなきゃ、今頃墓の下だ」
「え、そんなに酷かったのか?」
振り向いて訊ねると、ベルは少し哀しげな眼差しで大きく頷いた。
「あんまり思い出したくないわ」
「俺、どれくらいクレ……神炉に浸かってた?」
「三時間よ」
「三時間……!」
思わず絶句した。俺としちゃこんなの前代未聞だ。補助脳が無傷だったのと、リカバリセルが働いたのが幸いしたんだろうけど、果たして人の形をしてたかどうかも怪しい。よくぞここまで持ったもんだ。
「毛布に包んで、棺桶に入れて運んだんだ」
ニーナが得意げに指差す先には、空の棺桶に寄り掛かって眠る、エンツォとマウロの姿があった。ベルだけじゃなく、みんなここで俺の回復を待っていてくれたのか。
「国境を越えるのに、みんなで葬式の振りしてさ。あたいなんか、ランジャが死んじまったらどうしようって思ったら、本気で泣けちゃった。そのお蔭で検問はすんなり通っちまったけど」
「そうか。済まなかったな、心配かけちまって」
「いいんだ。ランジャはあたいの師匠だもんよ」
生意気な口調で言う彼女の頭をわしわし撫でてやると、屈託無く笑い、熟睡しているエンツォたちの元へ軽い足取りで駆け戻ると、頭を小突いたり、脇腹を蹴飛ばしたりと、何とも手荒い方法で叩き起こした。
連中が目を覚ますと、共に連れ立って神殿を出た。どうやらここはマルデリと言う街で、フィンデールとケイディシアからそれぞれ神都へ向かう、二本の街道が交わる宿場らしい。
ベルが手配してくれた宿屋に向かうその道すがら、皆が語ってくれた話によると、王太子とリノ一味は、一先ず郊外にあるキール会長の別邸に匿う事になったらしい。そこで今後の策を練ることになるようだ。
翌朝、王太子たちは、神都から迎えに来た石使いと共に秘かに発った。
それをベルと共に見送った後、宿の前で出発の用意をしていると、ニーナがやって来た。もう昼近くだってのに、エンツォたちはまだ寝ているらしい。
「姐さん、ランジャならあたいが送ってくよ。ってか、あたいに送らせて。ランジャの嫁さんて、どんな女なのか見てみたいんだ」
右目を輝かせて俺たちを見上げる、興味津々と言った様子の彼女に、ベルは俺の顔を見て少々呆れ気味にクスと笑う。
「そう? じゃぁお願いね。『奥方』には、私からもよろしくと伝えて頂戴」
ベルが馬を下りて手綱を手渡そうとすると、ニーナは笑顔で首を振り、俺の乗った馬に駆け寄った。
「一緒に乗っていい?」
「いいぞ。ほら」
手を差し伸べると軽々と跨り、俺を振り向いて嬉しそうに微笑む。
「あいつらに礼を言いそびれちまった」
二階の窓を見上げて言うと、彼女はいひひと意地悪そうに笑った。
「いいんだよ。こんな時間まで寝てる方が悪いのさ。姐さん、あいつらが起きたら、先に帰ってろって言っといてよ」
「判ったわ。気を付けてね」
笑顔で手を振る彼女に、「じゃ、また神都で」と応えると、小春日の溢れる街道を、一路レカンダへ向けて拍車を当てる。
宿場町を出て丘陵地へ入ると、常緑樹が放つひんやりとした森の精気の中、晴天の乾いた空気が心地いいのか、ニーナの少々調子ッ外れな鼻歌に、少しずつ詞がつくようになって来た。
思い出しながら歌っているのか、詞の意味が支離滅裂だったり、同じ言葉の繰り返しだったりするけど、大地の恵みを讃える民謡らしい事は判った。
「ご機嫌だな」
そう言ってやると、歌いながら俺を振り向いて微笑む。やがて一頻り歌って満足したのか、深呼吸でもするように大きく溜息をつくと、再び俺を振り返って照れ臭そうにえへへと笑った。
「田舎で祭の時に、爺さんたちが唄うんだ。あたい、ソムルってぇ小さい村の出でさ、前の領主様ン時は見渡す限りの麦畑だったんだって。
でも、今のに替わってからどんどん税金が高くなってさ、どんなに稼いでも、根こそぎ持ってかれちまうもんだから、誰も畑なんかやらなくなっちまった。
みんな出稼ぎに行ったり、村を捨てて出てっちまったり。だから、もう祭りも無いし、爺さんたちの唄もなくなっちまった」
「お前の親も?」
「うん。出稼ぎに行ったきり帰って来ないんだ。あたい、叔父さんちに預けられてたんだけど、そこんちも食い詰めてたから、あたいを売った金で村を出てったって聞いた」
「出稼ぎって、ロアルデ?」
「ううん。ロアルデはいいとこだとは聞くけど、遠いし、検問が厳しいんだ。向こうにちゃんとした身元引受人が居ないと、
だから、あたいの村の連中は、みんなセブランに行ったよ。薬草畑で働くんだって。余程実入りがいいらしくってさ、だぁれも帰って来やしねぇ」
そう言ってさも可笑しそうにけらけらと笑うけど、笑ったあとについた長い溜息が、恐らく彼女の本心なんだろう。
「そいつは寂しい話だな」と言ってやると、妙に大人びた調子で「まぁ、仕方ないさ」と肩を竦める。
「だけど、城下に売り飛ばされてなきゃ、あたい、みんなに逢えなかったよ」
努めて明るい声で言うと、彼女は振り向いて笑いながら俺の頬をぺちぺち叩く。
「こうしてランジャにも逢えたし。エンツォは御節介だけど、色々世話になったしね。それからベル姐さん。姐さん美人で格好いいよなぁ。あたい、姐さんみたいな格好いい女になるんだ」
「リノは? 大好きなんだろう?」
俺の言葉に、じゃれ付いていた手をふと止めると、少し沈んだ顔で前を向いた。
「リノは……いいんだ。もう……。ううん、今でも大好きだけど、思えばあたいよりずーっと年上だし、伯爵様じゃあね。あたいみたいな浮浪児なんか、ハナっから相手にして貰える訳ないよ」
自嘲気味な口調が、少し潤んだ涙声に聞こえる。後ろから顎を持ち上げて上を向かせ、「元気出せ」と言ってやると、目に涙を溜めたまま、いたずらっぽくにやりと笑った。
「あたい、いい事思い付いたんだ。遠くからでも、王子と伯爵を応援できる方法」
「ほぉ。どんな方法だ?」
「内緒」
意地悪そうな口調で言うと、袖口で目元をごしごし拭う。
「何だよ、ケチだなぁ」
「内緒じゃないと出来ないんだよ。昨日の夜、ランジャを待ってる間にエンツォたちと相談したんだ。そしたら、あいつらも面白そうだからやろうって」
「酷ぇなぁ。そこまで言って中身は内緒かよ。余計気になるじゃねぇか」
彼女は苦笑する俺に、またしても意地悪そうにいひひと笑うと、しらばっくれた顔で、さっきの調子ッ外れな唄を唄い出した。
向こうに到着するまでの四日間は、殆ど野宿で過ごした。
停車場や宿屋に入ると、彼女の顔の大きな傷が、嫌でも他の客の注目を集めてしまうようで、必ずと言っていいほど喧嘩になるからだ。
彼女も野宿の方が気楽でいいそうで、片目であるにも拘らず、森中を嬉々として駆けずり回っては、兎でも鶉でも、ナイフ一本で巧みに仕留めて見せた。
「大したもんだな」
感心する俺の目の前に、満面の笑顔で獲物をぶら下げて見せると、今度は手にしたナイフを差し出して、捌いてくれと催促する。どうやら狩は得意だが、解体は相変わらず苦手らしい。
「ナイフ投げはエンツォに教わったんだ。もっとも、あいつのは狩りに使う技じゃないけどさ」
獲物を捌く俺の手元を、生き生きと輝く目で見詰めながら、あとで教えてやるよと生意気な口調で言う。
メシを食った後、やって見せてくれと言うと、やにわに立ち上がって構えるなり、少し離れた木立に向けて投擲した。
小気味いい音を立てて幹に突き立つと、得意そうな顔で俺を見上げる。お見事。だがその技は視覚情報として頂いたぞ。
抜いたナイフを手に意気揚々と戻って来ると、彼女はやってみろと言う仕草と共に差し出す。そいつを受け取りながら片目を瞑って見せると、彼女の動きをそっくりそのままトレースして構えた。
FCSに先程の幹を捕捉させると、投げた瞬間に同じ音を立てて突き立つ。彼女はその光景を、呆気に取られた顔で見詰めていたが、はっと我に返って件の樹に駆け寄ると、今度は「ぅわ!」と叫んだ。
「どうした」と声を掛けると、「同じとこに刺さってる! こんなのありえねぇ!」と返って来る。
「神族って、神様の末裔ってぇけど、本当なんだなぁ……」
彼女は抜いたナイフをしげしげ眺めながら戻って来ると、不思議そうな顔で俺を見上げる。
「いや、この手の芸当が得意なだけで、俺は普通の人間だよ。どっちかってぇと、不器用な方だ。出来ない事や判らねぇ事だらけだよ」
そう言って肩を竦める俺に、彼女は「なァにが不器用だよ」と呆れて笑った。
日が暮れると、彼女は熾き火の傍で毛布に包まり、俺に寄り掛かって眠る。が、暫くうとうとしていたかと思うと、ふと顔を上げ、俺の顔をじーっと見詰めた。
「そう言えば、あんたをマルデリの神殿に運ぶ時、ビヨンが言ってたんだ。『ランジャは「雷神の御子」だから死んだりしない』って……。あいつが言ってた事って、本当?」
不安と畏れが影となって揺らぐ山猫のような黒い瞳に、「さぁな」と曖昧に答えると、彼女は赤く燻る薪に視線を落とした。
「『雷神の御子』は、神の怒りに触れた奴らを、滅ぼす為に遣わされるって聞いたよ。だとしたら、あんたは一体誰を滅ぼしに来たの? フィンデールの暗君? それとも、あたいらみたいな悪党?」
「俺はそんなんじゃねぇよ。普通の人間だって言ったろ? お前たちが助けてくれなきゃ、今頃死んでたさ」
笑いながら頭をくしゃくしゃ撫でてやると、彼女は俺を見上げてほっとしたように微笑み、頬擦りをするようにぴったりくっつくと、いつの間にか静かな寝息を立てていた。
レカンダに辿り着いたのは、四日目の夕暮れ時だった。
街道の両脇に並ぶ商店が、三々五々店仕舞いをする中、酒場や娼館の窓には、ぽつぽつと灯が点り始める。
冬至祭の祭壇があった広場も、今は何も無く閑散としていて、家路を急ぐ人々の影を精霊石の街灯がぼんやり照らしていた。
宿場町を見下ろす、緩やかな坂道に差し掛かった時、夕映えに染まる広場の真ん中に、ぽつんと小さな灯が点っているのが見えた。
冬至祭の魔除けだ。祭はとうに終わったというのに、丸いランタンを大切そうに抱えている小さな影は、ベニカだった。
傍で見守るように佇む影はフリッツらしい。広場の入り口で馬を停め、思わず微笑んだ俺を、ニーナは顔を輝かせて振り向く。
「嫁さん? どこにいるの?」
「あそこだ」
馬上から広場をきょろきょろと見渡す彼女に、消え入りそうな小さな光を差し示す。
「嘘だぁ。あんなちびっこいの、嫁さんな訳ないじゃないか」
苦笑交じりの彼女の言葉をよそに馬を下りると、俺に気付いたベニカの小さな手から、ランタンが軽い音を立てて転がり落ちた。
「あいつは俺のカミさんになりたいんだとさ。俺は親代わりのつもりなんだけど」
小さな影が、俺の名を叫んで駆けて来る。身を屈めると、広げた腕に飛び込んでしがみ付いて来た。
「ランジャ様っ、ランジャ様!」
夢中で頬擦りして来るベニカを抱き上げると、相変わらず小さくて痩せっぽちだけど、少しだけ背が伸びて重くなっている事に気付いた。
「ランジャ様、神界へお帰りになってしまったかと思ったの。私が約束の口付けを怖がってしまったせいで、戻って来て下さらなかったらどうしようって……」
「馬鹿だな。ちゃんと帰って来ただろ?」
笑いながら髪を撫でてやると、唇を噛み締めて必死で堪えてる緑色の大きな目に、みるみる涙が溢れて来る。
「泣いてもいいんだ。我慢するな。お前がそうやって耐えてるのを見てる方が辛い」
俺の言葉を受けて、しがみ付いたままわあわあ泣き出した彼女に、ニーナと思わず苦笑を交わした。
「確かに『可愛い石読み』だ。それだけは嘘じゃねぇな」
呆れた口調で言う彼女に、「だろ?」と片目を瞑って見せる。
「お帰りなさい、ランジャ様。お待ちしていましたよ」
ベニカが落としたランタンを拾い上げると、フリッツはあの天使の笑顔で歩み寄って来た。
「済まねぇな、遅くなっちまって」
「いいえ、お構いなく。ベニカと一緒に居るのは楽しいですから」
彼はそう言って屈託なく笑うと、泣きじゃくるベニカの髪を優しく撫でた。
ふと気が付くと、ニーナが頬を染めて彼の顔をぽーっと見上げている。色事師フリッツの放つ魔力は絶大だな。
「初めまして、レディ。いつも石読みたちを助けてくれて有難う。会長に代わってお礼を言わせて貰うよ」
必殺の熱い眼差しで見詰められ、ソツなく握った手の甲に口付けされると、口を開けたまま呆然と見惚れていた彼女は、耳まで赤くなってあたふたと手を引っ込めた。
「れれれレディだなんて、こッ恥ずかしいよ。そんな風に呼ばれたの、あたい初めてだ」
いつの間にか泣き止んでいたベニカが、俺に抱かれたまま不思議そうな顔でニーナを見ていた。
下へ降ろすと、彼女の顔の大きな傷に気が付いたのか、怯えた様子ではっと息を呑むが、
「こいつはニーナ。人攫いに捕まった俺を助けてくれたんだ」
と説明してやると、ぱーっと顔を輝かせるなり、彼女にぎゅっと抱き付いた。
「有難う御座います。ランジャ様を助けてくれて、ランジャ様を帰してくれて……!」
突然しがみ付かれて面食らった様子だったが、彼女は俺の顔を見上げてふふふんと笑うと、妙な得心顔でこう言った。
「ベル姐さんが言ってた『食べちゃいたい』ってのは、こういうのを言うんだな」
「あぁ、その気持ち判ります。僕も食べちゃいたいなぁ。ベニカは美味しそうだ」
その言葉に、ベニカは慌てて俺の後ろに隠れると、笑う二人の顔を恐る恐る見上げた。
ニーナは兎も角として、フリッツの言葉は何だか違う意味に聞こえちまって、図らずもどきっとさせられる。
「何言ってやがんだよ。俺ンだぞ」
苦笑交じりに言い返す俺を、ベニカは少し驚いたような顔で見上げるけど、にやっと笑ってやると、幸せそうに頬擦りして来た。