14-1
マルデリまで戻って来ると、ニーナとはそこで別れた。
彼女がエンツォたちと企んでいると言う、秘密の計画については、フリッツも興味をそそられた様だが、にやにや笑いながらはぐらかすばかりで、とうとう最後まで口を割ることはなかった。意外と頑固者なんだな。
「それにしても、石読みだの石使いだのってのは、みんな生ッ白い学者ばっかりだと思ってたけど、中には色男もいるんだねぇ。
あんたらみたいな奴だったら、もっと助けるにも張り合いってもんがあるのにさ」
臆面もなく言ってのける彼女と、それに呆れる俺を見て、フリッツは屈託なく笑う。
「そんな事言ってると、またエンツォが妬くぞ」
「そりゃ面白ぇ。あたい、飛びっ切りの色男にレディって呼ばれて、手にお姫様みたいな口付けしてもらったって言ってやるんだ」
そう言って意地悪そうにいひひと笑うと、山猫みたいな軽い身のこなしで馬に跨った。
「名残惜しいけど、ここでおさらばだ。じゃぁねベニカ。ランジャにうーんと可愛がってもらうんだよ」
彼女は嬉しそうに「はい」と答えるベニカに笑顔を返すと、今度は馬上から俺の顔を覗き込んで、思わせ振りににやりと笑う。
「エンツォには、ランジャは凄ぇワルだって言ってやろ」
「えぇ? 何だよそれ」
「年端も行かねぇ子供を誑かして嫁にしてるって」
「ちょっと待て、そりゃねぇだろよ。親代わりだって言ったろ?」
慌てて反論する俺に、彼女は面白そうに声を上げて笑った。
「嘘嘘。嫁さんは絶世の美女だって言っとくよ。じゃぁね!」
上機嫌で言いながら手を振ると、手綱を取って馬腹を蹴るなり、街道を逸れた山道を、瞬く間に遠ざかって行った。まったく、何て奴だ。
彼女を見送りながらくしゃくしゃ頭を掻く俺をよそに、フリッツの奴はベニカと笑顔を交わしながら、「ニーナは楽しい人だねぇ」などと暢気に言う。
「さて、俺たちも出発するか」
いつものようにベニカを前に乗せて騎乗すると、彼女は小さな背中を預けて俺を見上げ、嬉しそうに微笑んだ。
「どうした?」
「もうすぐ神都だなぁと思って」
「そうか、楽しみだな」
「はい」
フリッツは俺と馬首を並べると、満面の笑顔で元気よく頷く彼女を、にこにこ上機嫌で見守る。
「ベニカはランジャ様が大好きなんだねぇ」
「はい」
「それじゃぁ、神都の寄宿先はランジャ様のご実家かな?」
この野郎、カマ掛けてやがる。相変わらず俺の事を探る気満々らしい。
ベニカは彼の質問にきょとんとした顔になると、苦笑する俺を振り向いて、困ったような眼差しでじーっと見詰める。
「あぁ、俺、神都の出じゃないから。下宿なら適当な場所を探すさ」
にやりと笑って牽制しても、小癪な事に彼はどこ吹く風といった顔だ。
「それでしたら、以前、僕がお世話になっていたお邸をご紹介しましょう。城下の本部にも近いですし、何より、主のアレーネ女伯が神族の巫女でいらして、とっても美しい方なんです」
「美人の女伯爵か……。悪くないな」
今度は美女で釣る気かと勘繰りたくはなったが、まぁ、正直言って興味が無いかと言えば嘘になるし。それに、ああは言ったものの神都は初めてで勝手が判らない。
ベニカに不自由な思いをさせる訳には行かない上に、自力で寄宿先を探すのはすこぶる面倒だ。癪ではあるけれど、取り敢えずは彼の企みに乗っておくとするか。
件の巫女さんは伯爵と聞いたが、殿上人の爵位と言うのは、辺境国諸侯からの徴税権をも伴うものなんだそうだ。
領地の経営も、神聖騎士団への出仕も無しに懐が潤うなんて、さすがに聖下の御側付きともなると破格の待遇だな。
「では決まりですね。向こうへ着いたら、早速お伺いを立てておきます」
「あぁ、よろしく」
ふと気付くと、塒が決まったってのに、彼女は困った顔のまま俺を見上げている。「何?」と訊くと、何故かぷっと膨れて前を向いた。
「ランジャ様も美人がお好きなんですね。何だかディエシーみたい」
「おいおい、敢えて嫌いとは言わねぇが、よりによってあの女ッ誑しと一緒にするなよ」
そう言って笑う俺に、「一緒じゃ困りますぅ」と拗ねた口調で反論するが、一丁前な溜息をつくと、
「タイゼンジジャクって、難しい」
と肩を落とす。それを聞いた俺たちは、思わず顔を見合わせて吹き出しちまった。
マルデリを出て暫く行くと、街道は再び丘陵地の上り坂になる。
常緑樹の生い茂る森を縫って続く、緩やかな坂を辿って行くと、樹々が放つ涼やかな精気に、いつしか嗅いだ事のない匂いが混ざるようになって来た。
幾つかの停車場を経て、やがて丘の頂上まで辿り着くと、出し抜けに開かれた眼下の風景に思わず息を呑んだ。
海だ。本物の海……! 何てぇ広さだ。傾き掛けた陽を受けて、金色に煌く細波が、遥か遠くで水平線に溶けて行く。
斜面を駆け上がって来る、しっとりと肌に纏わり付くような風は、アルコロジーのシミュレーションにすら無かった。これが潮の匂いって奴なんだろうか。
視界の果てまで遮る物の一切無い圧倒的な茫漠は、俺が抱いていた海の概念を、軽々と凌駕する。
この感覚は、アルコロジーの底に死蔵されてる凡百の資料なんぞじゃ、到底得られない代物だろう。
「凄ぇ……」
漸く口にした一言に、ベニカが振り返って微笑む。
「ランジャ様、海は初めてですか?」
「あぁ。初めて見た。凄ぇな。とんでもなく広い……。これ全部水だ何て、ちょっと信じられないくらいだ」
彼女はそれを聞くなり、
「親方と初めて来た時、私もここで同じ事を言いました」
と言って、嬉しそうにうふふと笑った。
天然の要塞となって城下を囲む小高い丘陵地は、沖へ腕を伸ばす岬へと続いて入り江を抱いている。
港へと下る緩やかな傾斜地を覆う街並。中央の広場から張り巡らされた、蜘蛛の巣のような路地に沿って、肩を寄せ合う家々の屋根が、淡い色合いのモザイクタイルのようだ。
波と風を受けて静かに揺れている、桟橋に並ぶ大小様々な帆船の影。その波止場を守るように築かれた物々しい砦の上には、バリスタらしい大弓が、海に向かって何台も据え付けられているのが見えた。
「神都防衛の砦です。ノランサリエ海峡の向こうは、バルナタート領ですから」
金銀の髪を潮風に弄らせながら、フリッツは引き締まった顔で砦を見据える。
「え? バルナタートって、海の向こうなのか」
「えぇ。そうです。ここからは見えませんけど、大きな島があって、それが丸ごと辺境国なんだそうです。先の戦では、まだあの砦はありませんでしたから、まんまと逃げられてしまったとか。
バルナタートは島国ですから、騎士団も操船技術に優れています。そんなのが相手じゃ、如何に精強な神聖騎士団と言えど、手も足も出ませんからね」
俺を振り向いて言うと、彼は苦笑交じりに肩を竦めて見せた。
「ほら、向こうの高台の大きな城。あれがアシュリ聖下の御座すウルガン城です」
真っ直ぐ指差す先は、城下を睥睨する丘の上で、鬱蒼とした森の向こうに佇む白亜の宮殿だった。
緑の樹冠の上に、幻影の如く浮かんで見えるそれは、女神の居城に相応しい、曲線を多用した柔和な造形で、広大な敷地を覆う巨大さにも関わらず、圧倒するような威圧感は感じられなかった。
「美しい城です。飛び立とうとしている白鳥に見えるでしょう? 翼刃章にもある白鳥は聖下の象徴。僕たちホルザレン会は、聖下をお護りする剣なんです」
誇らしげに微笑む彼の胸元で、金のブローチが夕陽を受けて輝く。
よく見ると、それは綺麗に磨かれているものの傷だらけで、彼の使命の過酷さを物語っているようだった。
翼刃章の剣はダガーだ。女皇を守護する表の剣を神聖騎士団とすれば、ホルザレン会は人知れず敵と対峙する、裏の剣という事なのかも知れない。