石使いランジャ   作:桜城静夜

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 港は、砦の下の城門をくぐった先だ。

 城門といっても常に開かれていて、荷車や積荷を負った人夫たちが忙しなく行き交っている。

 歩哨も重装備ながら、「ご苦労様です」と会釈するベニカに、笑顔を返してくれるほど打ち解けた雰囲気だった。

 港へ出ると、既に大半の船が出港した後のようで、波止場に残された数隻の甲板にも、人影は疎らだった。

 彼女は、眼前に茫洋と広がる大海に歓声を上げると、小さな胸いっぱいに潮風を深呼吸する。

 波の音に乗って聞こえる鴎の鳴き声がかしましい。ふと桟橋の中程に目を遣ると、そこに停泊している中型の船の甲板で、帆桁に並ぶ鴎と戯れている若造の姿を見付けた。

 どうやら鳥たちにパンを分けてやっているようだ。小さく千切って投げると、滑空して来た一羽が見事に仕留めて飛び去って行く。

 が、それを見た彼女が思わず大はしゃぎで拍手すると、騒々しい羽音を残して一斉に飛び立って行った。

 彼女は驚いた顔で鳥たちを見送ると、慌てて船に駆け寄り、こちらに気付いて振り向いた若造にぺこりと頭を下げる。

「ごめんなさい。私のせいで鳥が逃げちゃった」

 申し訳なさそうに詫びる彼女に、彼は一瞬面食らった様子だったが、明るい声で一頻り笑うと、船縁に寄り掛かってこちらを見下ろした。

「大丈夫だよ、嬢ちゃん。心配しなくてもすぐ戻って来るさ。ほら」

 彼が言いながら顎をしゃくった先では、既に戻って来た数羽が、何事も無かったかのように羽繕いをしていた。

 それを見て彼女が安堵の溜息をつくと、彼は手にした残りのパンを細かく千切って甲板に撒き、目ざとく見つけた鳥たちが次々に舞い降りて来ると、彼女と顔を見合わせ、人懐こそうな笑顔を見せた。

 年の頃は十七、八位か。幾分幼さの残る顔は真っ赤に日焼けしている。素朴な風貌ながらがっしりと逞しい体格は、きっと海に鍛えられたものなのだろう。

「悪ィね。仕事の邪魔しちまって」

 言いながら歩み寄る俺に、彼は少しばかり怪訝そうだったが、嬉しそうに駆け寄る彼女の姿を見て、俺の連れだと理解したようだ。

「いや、構わねぇよ。今日は休みなんだ。昨日の夕方帰って来たばかりなんでね」

「あんたもバルナタートへ行くのかい?」

「勿論。ここいらの船は大概そうだよ。珍しい物ばかりなんでイイ稼ぎになるんだ」

「薬師を乗せて行くんだって?」

「あぁ、他の船はね。ウチは要らねぇんだ。俺が手形を持ってるから」

「へぇ。あんた薬師なんだ」

「一応ね。もっとも、得意なのは薬種の精製だけで、調合はからっきし。まともに作れるのは、酔い止めと傷薬くらいなんて有様さ」

 彼はそう言うと、苦笑交じりに肩を竦めて見せる。

「ウチは親父が船乗りだったんだけど、爺様とお袋が薬師でね。修行は餓鬼の頃からやらされてたんだけど、俺はヘボなんで船の方を貰ったって訳。薬屋は弟が継いだんだ」

「ひょっとして、そこの通りの大きな店?」

 俺が今来た道を指差すと、若い船長は嬉しそうに大きく頷いた。言われてみれば、退屈そうに店番をしていた若造によく似ている。

「そうそう。暢気そうなのが居ただろ? あれが俺の弟でラウルってんだ。贔屓にしてやってくれ」

「なるほどね。後で寄らせて貰うよ。ところで、セブランの偽薬師が横行してるって聞いたけど……」

「あぁ、詮議が厳しくなったんで、ここんとこ見かけないけど、先月くらいまでは随分いたよ。宿に詰めててさ、船乗りと見るや売り込んで来るのさ。

 向こうへ何しに行くのか知らねぇけど、中には手間賃すら取らねぇのも居て、そういう奴は決まって荷揚げの最中に消えちまうってよ。ありゃきっとセブランの間者だな」

「狙いはナクルタツリの秘伝書?」

「かも知れねぇな。まぁ、奴らを乗せる連中にしてみりゃ、手間賃無しで入港出来るなら御の字だし、向こうで何をしようが知ったこっちゃねぇってとこだろ」

「奴らの中に、育ちの良さそうな若い男は居なかったか? ルジェって名前なんだが」

「聞いた事無ぇなぁ……。そう言えば、ちょっと前にも、石使いの兄さんが同じような事を聞きに来たよ。青い片眼鏡の二枚目さ」

「あぁ、フリッツだ。知り合いだよ。あいつも捜しに来たか。さすがに仕事熱心だな」

「その偽薬師と何か揉め事かい? ホルザレン会と事を構えるなんて、度胸のある奴だね」

「ちょいと因縁絡みでね。不手際で取り逃がしちまってさ。向こうに渡ってたら厄介だと思って」

「そうなのか。まぁ、あっちに潜り込んでたとしたら、まずは見付からねぇだろうな」

 彼は水平線を透かし見ながら渋い顔で言うが、「向こうはどんな所なんだ?」と問うと、得たりとばかりに振り向いてにやっと笑う。

「いい所だよ。一年中あったかくて、メシも旨いし。何より女がイイね。美人が多いんだ。

 中でも、デュロン王の末娘。これが『真珠姫』って呼ばれる程の絶世の美女だってェ噂だよ。俺たち船乗りにとっちゃ、聖下と並んで憧れの女神様だ」

「へぇ。そいつァいいな」

「向こうへ行きたいなら、あんたのその格好じゃ無理だ。石読みなんざァ港に入った途端、間者と疑われて打ち首だよ」

「だろうなぁ。何に化けたらバレずに済むかな」

 少々おどけた調子で考え込む振りをする俺を、彼は明るい声で笑う。

「また難しい注文だな。でも、事と次第によっちゃぁ手立てを考えてやらない事もねぇよ」

彼は懐を叩いて見せながら思わせ振りな口調で言うと、いたずらっぽく片目を瞑って見せる。

「商売上手なこって」

 呆れ気味に言って肩を竦める俺と苦笑を交わすと、彼はふと沖を振り返り、目を凝らす。

 つられて目を遣ると、帆を一杯に張った船が波止場を目指して入港して来るところだった。

 彼が船尾へ走り、そこから大きく手を振ると、向こうの船の舳先で数人の水夫が答えるのが遠く見えた。

 彼は、件の船が発する手旗信号を読み取ると、手を振って応えるなり、今度は艙口から下へ向けて何事かを叫ぶ。

「何すか? 船長」

 呼びかけに応じてばらばらと出て来た水夫たちは、怪訝そうに問うものの、近付く船影に気付くと用件を悟ったか、答えを待たずに大慌てで舷梯を駆け下りて行った。

 程なくして隣の波止場に件の船が入って来ると、自分らに目掛けて投擲された舫綱を取り、鮮やかな手捌きで接岸作業を手伝う。

 やがて向こうの船縁に無精髭の中年男が現れると、こちらへ向けて手を振って来た。

「どうしたよ親父っさん。随分早いお帰りじゃねぇか」

 声を張り上げる彼に、男は情けない顔で肩を竦めて見せる。

「聞いてくれよミケル。一杯食わされて大損さ」

「やっぱり偽者だったか。だから売り込んで来る奴はやめとけって言ったのに……」

「やられたよ。本物だって触れ込みだったから、大枚はたいて雇ったってのに、手形が大師様の御親筆じゃねぇってんで、突っ返されちまったんだ。

 奴さんは手続き中に消えちまう始末だし、ツイてねぇよ、まったく」

 船縁に舷梯が掛けられると、疲れた顔の水夫たちが、重い足取りでぞろぞろと降りて来る。稼ぎがフイになったと聞いて、皆さぞかし徒労感に苛まれている事だろう。

「本当かよ。そこまでとはね。また随分と厳しくなったなぁ」

「何でも、デュロン陛下の病状が思わしくないんだとさ。なのに入って来るのが偽薬師ばかりじゃ、治るものも治らんと思ったんだろ。

 終いにゃ、ナクルタツリの長老でも連れて行かなきゃ、入れて貰えなくなっちまうんじゃねぇの?」

「そりゃいいや。そん時ゃウチの爺様に稼いで貰おう」

 若造の暢気な軽口に、中年船長は慌てて両手を振る。

「勘弁してくれよ。長老様なんて、手間賃が幾らあったって足りゃしねぇ。今回も反物はいいとして、さすがに帰りまでは石が持たなくてよ。

 途中で氷の精霊が根こそぎいなくなっちまったもんだから、船倉は水浸しで花も果物も全滅だ。

 最近は石も値上がりしちまって、こちとら青息吐息だってのに。よぉ、そこの石読みさん! 何だってこんなに高いんだ?」

 唐突に水を向けられて面食らってる俺に、彼は大袈裟な溜息をついて見せる。

「いつも山ほど買ってるんだから、たまには負けてくれたっていいだろよ」

「悪ィね。俺は下っ端なんだ。そう言う難しい話は親方に掛け合ってくれ」

 苦笑交じりで答える俺に、肩を竦めての苦笑が返ってくる。

「やれやれ、どちらさんも商売ってのは大変だね」

 彼はそうぼやくと、頭に巻いていた派手な柄のバンダナを解き、汗だくの顔をぐるぐると無造作に拭いた。

「向こうの王様、病気なのか?」

「あぁ、噂じゃ随分前から悪かったらしい。ありゃ聖山を血で穢した呪いだろうよ。今更、どのツラ下げて薬師に助けを求める気やら」

 呆れたような口調で答えながらバンダナを巻き直すと、彼は配下の水夫に呼ばれ、俺たちに軽く手を挙げると、中甲板へと降りて行った。

 そうか。今、バルナタート王は病床にあるのか。しかも、正法の薬師であれば越境も容易いときた。こいつは上手くすれば向こうへ渡る好機かも知れないな。

「商売ってのは、正直に手堅くやるのが一番、ってね」

 少しばかり茶化したような口調を見上げると、ミケル船長はやんちゃそうなしたり顔で微笑んだ。

「そう言えば船長、あんたの家は薬屋だって言ってたけど、この街に夢屋のロナは来るのかい?」

「え? 何屋だって?」

 俺の問いを、彼はきょとんとして問い返す。

「夢屋だよ。見たい夢を見せるって触れ込みで、辺境諸国を放浪してる女薬師なんだ。神都なら稼ぎもいいだろうから、来てるんじゃないかと思ったんだが、知らないか?」

「夢屋の女薬師ねぇ……」

「とっても綺麗なお姉さんなの。広場でぴかぴか光る楽器を弾くのよ。歌も綺麗な声で上手に歌うの」

 眉根を寄せて考え込んでいた彼の顔が、うっとりと語るベニカの一言でぱっと輝く。

「あ! それなら聞いたことがあるぞ。確か、出入りの商人が言ってた。大層な美女だってのに、肌も露な色っぽい衣装で客引きしてるって……。それかい?」

「如何にも。それこそ、目の覚めるような色香だぜ」

 そう言って思わせ振りににやりと笑ってやると、彼は悔しそうに藁色の癖毛をくしゃくしゃと掻いた。

「あぁ畜生! 一度も会ったこと無いぞ俺……! あんた、その夢屋と知り合いなのか?」

「まぁね。知り合いと言えるほど親しくも無いけど。そうか、この街には来た事無いのか……」

 俺が少しばかり残念そうに呟くと、彼は勢い込んで船縁にかぶり付く。

「なぁ石読みさん、あんた向こうへ行きたがってたよな。その美女と会わせてくれるなら、連れてってやってもいいぜ」

「おいおい、大丈夫か? そんな安請け合いしちまって……」

「何の! 噂になるほどの美女とお目通りが叶うなら、お安い御用だよ。陸に上がる時間は短いんだ。こういう楽しみも無くっちゃあ」

 えへへと下卑た笑いを浮かべて舌なめずりする彼に、思わずベニカと肩を竦め合う。

「彼女は神出鬼没なんでね。いつになるか判らんが、どこかで出会えたら伝えておくよ」

「頼んだぜ兄さん。おっと、名前を聞いておかなきゃ。俺はミケル」

「ランジャだ」

 声を弾ませる彼の自己紹介に、少々呆れながら答えると、礼を言って港を後にした。彼の船は、二日後の朝にまた出港するらしい。

 それにしても密航の船賃はロナか……。あいつを探すのは骨が折れそうだ。こりゃバルナタート行きは暫く先の話になりそうだな。

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