15-1
ホルザレン会の本部は、貴族の邸や大きな商家が立ち並ぶ邸宅街の一角に建つ、こじんまりとした事務所だった。
各地の支部の羽振りの良さから、さぞかし大きな邸なのだろうと思っていただけに、少々肩透かしを食らった気もする。
もっとも、創業の地と考えるなら、こんなものなのかもしれないけど。
翼刃章の金看板が掲げられた、重厚な大扉を開いて中へ入ると、少々早く来過ぎたか、がらんとした玄関ホールに人気は無く、片隅に置かれたベンチに、等身大の少女人形が腰掛けているだけだった。
均整の取れた伸びやかな肢体に、可愛らしいドレスと石読みのクロークを纏い、空色の瞳で膝に乗せた術譜の本を見詰めている。ふわふわの金髪に白桃の頬。
よく出来た人形だなと見入っていたら、それは名を呼ばれてふと顔を上げた。
何だ、生身の人間だったのか。それにしても、人形と見紛うだけあって結構な美少女だ。ここの門下生だろうか。
「シャロン、親方が呼んでいるわ」
人形を呼んだのは、仄かな色気を帯びたハスキーな声だった。シャロン嬢は椅子を立つと、「姉様」と声を弾ませてベルに駆け寄り、大きな目で眩しそうに見上げる。
「私、姉様をお待ちしていたの。姉様はいつ神殿に御出でになるの? 今度こそ私にお手伝いさせて下さい」
「残念だけど、他の仕事が忙しくて、当分の間行けそうに無いわ。それにあなたはまだ修行中でしょう?」
自分の訴えに苦笑交じりで答えるベルに、彼女は「でも……」と幾分不服そうに返すと、玄関の真ん中に突っ立ってる俺たちに気付いて振り向く。つられてベルも振り返り、軽く片手を挙げる俺に涼やかな微笑を見せた。
「あら、久し振り! ようこそ本部へ」
「その節はどうも。丁度良かった。借りてた物を返そうと思ってたんだ」
「律儀な人ねぇ」
取り出したクロークを手渡すと、彼女は受け取りながら呆れ顔で肩を竦める。
「ベニカも久し振りね。暫く見ない間に随分大きくなった事」
「こんにちはベル姉様。ご無沙汰してます」
お気に入りの一着を意気揚々と着込んで朝からご機嫌なベニカは、彼女が求める握手に両手で応じながら笑顔で答えた。
「今日は試験を受けるんですって?」
「あぁ、フリッツの奴にまんまと嵌められてね」
少々いたずらっぽく問う彼女に、苦笑しつつ答える。ふと気付くと、シャロン嬢が瞳を輝かせて興味津々にこちらを見上げていた。
目が合ったので、「やあ、どうも」とぞんざいに挨拶すると、白い頬が仄かに染まる。少し大人びた雰囲気だけど、精々十二か十三ぐらいだろう。
「神使様なのに石読みでいらっしゃるのね。姉様、こちらの方は……?」
「ロアルデ支部のランジャよ。こちらはベニカ。彼女はこれからあなたとも一緒に修行するのよ。仲良くしてね」
「ベニカです。よろしく」
弾んだ声で挨拶しながらベニカが笑顔で差し出した手を、彼女は何故か面白くなさそうな顔で一瞥すると、ツンと澄ました顔で「よろしく」とだけ言い、触れもしないで奥へと駆けて行ってしまった。
何だありゃ。可愛い顔して随分と不躾な娘だ。残った三人で呆気に取られつつ彼女を見送ると、思わず顔を見合わせる。
「あ、そうだ。ベル姉様、大親方はどなたかいらっしゃいますか? ケルデン親方の手紙をお渡ししたいんです」
「カレル大親方なら執務室にいらしたわ。一緒に行ってあげたいけど、これから出掛けなくちゃいけないの。ごめんなさいね」
申し訳なさそうに言う彼女に、ベニカは、
「いいえ、お構いなく。姉様もお気をつけて」
と手を振り、玄関を出て行く後ろ姿を見送ると、今度は俺の手を取って満面の笑顔で見上げた。
「ランジャ様、ご案内します」
「よろしく。姉弟子殿」
少々はしゃぎ過ぎな彼女に手を引かれながら上階へ向かう。
時折擦れ違う石読みや石使いたちは、皆一様に俺の姿を見て戸惑いながら会釈をするが、彼女はお構い無しにあちこち案内して回った。
「そう言えば、前にも来た事あるって言ってたけど、そんなに何度も来てるのか?」
「いいえ。八つの時に、親方に連れられて初めて来たきりです」
「よく覚えてるもんだなぁ」
「門下生の皆さんに、同じ様に案内してもらったんです。きっと私が珍しかったのでしょう。八つの石読みなんて、創設以来初めてだったそうですから」
「なるほどね。ロアルデ支部だけでなく、本部でも期待されてるって訳だ。こりゃ身を入れて修行しなきゃならねぇぞ」
少々茶化し気味に言ってやると、彼女は「頑張ります」と明るく答え、照れ臭そうにえへへと笑った。
大親方の執務室は、三階の奥にあった。彼女がノックすると、少年の声が答えて扉が開く。
書生と言った風情の清潔そうな石読みの少年は、用件を伝える彼女に折り目正しく応対し、俺たちを控の間に待たせると、主のいる続き部屋に入って行った。
程なくして戻って来た彼の案内で中へ通されると、大親方は窓際の大きな机にいた。すらりとした長身に、贅沢な仕立てのローブを纏っている姿は、学者か神官といった雰囲気だ。
肩先で切り揃えた白銀の直毛と、皺深いながらも抜けるように白い整った顔立ち。更には、俺たちに気付いて鼻眼鏡の上から覗く、茶目っ気のある赤い瞳から、彼がソロ系であることが判った。ベニカが言っていた神族の大親方とは、恐らくこの人物なんだろう。
「やあ、ようこそ。遠い所を良く来てくれたね」
「初めまして、ランジャです」
「ベニカです。お会い出来て光栄です。カレル大親方」
彼は眩しそうに見上げる彼女に、少年のような笑顔で頷き、書き掛けの書類もそのままにゆったりと立ち上がると、態々出て来てソファを勧めてくれた。
「大親方、ケルデン親方からのお手紙です」
「あぁ、ご苦労様。長旅は大変だっただろう。辛くはなかったかな?」
封書を受け取りながら、優しい笑顔で覗き込む彼に、彼女はふと頬を染めて俺の顔をチラと盗み見ると、
「いいえ。とても楽しかったです」
と、元気一杯に答える。
「そうかそうか、それは良かった」
彼は笑いながら眼鏡を掛け直すと、分厚い便箋を開いた。彼が読み終わるのを、書生が淹れてくれた、薫り高い薔薇実茶を馳走になりながら待つ。
「なるほどね……」
そう呟いて控えていた書生に封書を渡すと、彼はレンズの上から俺の顔を覗いて微笑んだ。
「ランジャ君と言ったね。君の事は監査から色々と聞いているよ。あの手紙は君の紹介状だ。神族の身にありながら石使いを志してくれるなんて、僕も同じ神族として嬉しく思うよ」
「はぁ……」
別に志した訳じゃなくて、成り行き上からここに至ったに過ぎないのだが、取り敢えずは曖昧な返事をしておく。
「僕は、ここに来る前は宮仕えをしていてね、そのしがらみもあって、ウチの会長と宮廷の古狸どもとの板挟みを度々強いられるんだが、いずれは君にも、このヤクザな稼業の片棒を担いでもらう事になるかもしれないねぇ」
随分と含みのある言葉だけど、彼は返答に困ってる俺をよそに屈託無く笑うばかりだ。
「それにはまず試験に通ってもらわないと」
彼は時計に目を遣ると、
「もう間も無くだ。断頭台に上がる覚悟は出来てるかね?」
と言ってにやりと笑う。
「首は洗って来ましたんで」
と苦笑交じりに答えると、「結構結構」と声を上げて笑った。随分とやんちゃそうな爺さんだ。若かりし頃は、きっとワルで通ってたに違いない。
大親方の元を辞して一階へ下りると、玄関ホールはいつの間にか随分な人込みになっていた。
その中を掻き分けて、試験会場に指定された大広間へ向かう。開け放たれた扉の向こうも結構な人数だ。
こいつら全員受験者なんだろうかと一瞬面食らったが、よく見ると何組かのグループが出来ていて、その中の一人をその他が励ましてるといった構図が見受けられた。
どうやら受験者は何人でもなくて、あとの有象無象は応援団という名の野次馬のようだ。
「ランジャ様ぁ!」
中へ入るや否や、片隅から突然湧いた黄色い声に思わずたじろいだ俺を、石読みの少女たちがたちまち取り囲む。どいつもこいつも見た顔だと思ったら、ケイディシア支部のお嬢どもだった。
「え、何? お前ら何でここに?」
「セレネとユージンが試験を受けるんです」
「私たち二人の応援に来たの」
連中に押し出されて俺の前に出た二人が、照れ臭そうな笑顔を交わす。あぁ、なるほど。そう言う事か。
「お父様に神都行きを説得するのには苦労したわ」
「本当、大変だったのよ」
「でも、セレネを真似て、貴公子や殿上人のお目に留まるかもって言ったら、渋々だけどお許しを頂けたの」
「セレネのお蔭よ」
「ありがとうセレネ」
みんなに抱き付かれてもみくちゃにされながらも、セレネは楽しそうだ。「良かったな」と言ってやると、頬を染めて「はい」と幸せそうに答えてくれた。
「試験が終わったら、みんなでお茶を飲みに行くの」
「ベニカも一緒に如何かしら? タルトの美味しいお店があるんですって」
彼女らの言葉を受けて、窺うように俺の顔を見上げるベニカに頷いてやると、たちまち顔を輝かせる。やれやれ、セレネたちの応援とか言いながら、こいつら神都での休暇を満喫するつもりでいやがるな。
「ありがとう姉様。是非ご一緒させて下さい」
嬉しそうに弾んだ声で答える彼女とは逆に、ユージンは慌てた様子で連中の顔を見回す。
「えぇ? そんな話聞いてないよ。僕は誘ってくれないのかい?」
「女同士で内緒の話をするのよ」
「そうそう。男子禁制ですわ」
顔を見合わせてくすくす笑いながら、少々意地悪そうに言うお嬢どもに、彼は情けない顔で「そんなぁ」と嘆く。
「いいさ、そうしたらこっちは男同士で旨い酒でも飲みに行こう。意地悪な女どもの愚痴だったら、俺がたーっぷり聞いてやるぜ」
「そりゃあいい! こっちは僕一人でランジャ様を独占ですね」
温厚そうな丸顔を綻ばせる彼に、一同今度は「ずるーい!」の大合唱で応じる。形勢逆転も一時。たちまち「私たちも連れて行け」と多勢に無勢の大抗議に晒され、結局は近々みんなでメシを食う約束をさせられたところで、静粛を促す数回の拍手が響き、蜂の巣を突付いたようだった大広間は、一転して水を打ったように静まり返った。
「これより認定試験を始めます。受験者はこちらへ」
よく通る中年女の声を振り返ると、神殿の内陣を模した最奥部に、試験官と思しき石使いが現れた。セレネとユージンを促すと、背中にお嬢どもの声を潜めた声援が飛ぶ。
前に進み出たのは、俺たちの他に年齢も性別もまちまちな十二人。内陣を見上げると、中央に据え付けられた祭壇の傍に陣取っている試験官は、市場で商人相手に大声で値切ってそうな、ずんぐりした普通のおばちゃんだった。
「名前を呼ばれた者は、こちらへ上がるように。サリミロのアイヴァン」
答えたのは俺と同年ぐらいの、良家の子息然とした暢気そうな男だ。背後で見守る仲間を振り返り、照れ臭そうに軽く手を挙げると、のほほんとした顔を引き締めて内陣へ上がった。
「石を選んで」
おばちゃんが指差した片隅には、石の詰まった木箱が置いてあった。彼はそこからこれぞと思う一つを選び出すと、神妙な面持ちで祭壇の真ん中へ置く。
「名前は?」
「アイヴァンに御座います」
「よろしい。では、あなたには街角の灯に相応しい精霊を呼び出してもらうわ」
「承知仕りました」
彼は少しの間考えを巡らすと、意を決して祭壇へ向かい、瞼を閉じて術譜を唱え始めた。静まり返った大広間に、彼の声が詠々と響く。
やがて、施術が終わると同時に祭壇上の石が眩く輝き出すと、彼は閉じていた瞼を恐る恐る開き、大きな安堵の溜息をついた。
「合格よ。おめでとう」
思いのほか可愛らしい笑顔を浮かべた試験官に、彼は「かたじけのう存じます」と丁寧に頭を下げると、上気した顔で仲間の元へ駆け戻り、抱擁と握手と祝福の言葉とに囲まれた。
試験はこんな要領で、次々に名前を呼ばれては内陣へ上がって行く。
中には咄嗟に術譜が出てこなかったり、途中で度忘れしてしまったりで、自分から棄権を申し出て不合格になる者もいた。
そもそもの精霊石の選定からして間違っていた者は、おばちゃんから不合格の宣言と共に「修行が足りない」との小言まで喰らう始末。
失格者が出る度に、小心なユージンは我が事の様に萎縮していたが、名前を呼ばれて祭壇へ向かうと、つっかえながらも何とか詠唱を終え、先に余裕で合格していたセレネと共に、無事合格することが出来た。
さて、最後は俺だ。名前を呼ばれて内陣へ上がると、野次馬たちの間から「神族」だの「神使様」だのと囁き合う声が聞こえて来た。
俄かに騒々しくなった大広間を、壇上のおばちゃんは渋い顔で見渡し、「静粛に!」と声を張り上げる。
指示に従って石を選び、祭壇に置く。名前を名乗らせるのは、どうやら装置に声紋を登録する為らしい。
準備が済むと、おばちゃんは「お手並み拝見ね」と小声で言い、何故か片目を瞑って見せた。
「あなたには、聖山ルラトイの鎧を成す精霊を呼び出してもらいます」
その命題に、静まった筈の一同が更に騒然となる。彼らにとっては余程の難題に思えるようだ。
確かに、あの山の環境粒子に付与されたパラメータは、条件付けが何重にもなされていて複雑だ。いきおい術譜も冗長なものになる。
なるほど。お手並み拝見とはこの事か。試験官を務めるくらいだ。恐らく彼女は、ああ見えても大親方クラスの幹部会員なのだろう。
だとすれば、監査の連中から俺の情報を得ていたとしても、別に不思議は無いよな。
「静粛に! 何度言わせるの?」
少々癇癪気味の叱責に、漸く会場が静まり返ると、彼女は気を取り直して俺に目配せする。
固唾を飲んで見守る観衆を前にして、大きく深呼吸すると、あの登山道の廃駅で得た情報を補助脳から引っ張り出して展開し、べらぼうに長い術譜に変換して唱え始めた。
緊張を含んだ静謐の中を、意味の無い呟きが延々と淀みなく響く。
いい加減、声が嗄れそうになった頃に詠唱を終えると、祭壇上の石は、丸でギルメル城を抱く銀嶺のような白い霧を纏って、青く凍て付く光を仄かに放っていた。
ふと見ると、おばちゃんが祭壇の向こう側で、呆気に取られた顔で凍った石を見詰めている。苦笑交じりに「どうすか?」と問うと、はっとして顔を上げた。
「素晴らしい! 完璧だわ」
彼女が小さな目を真ん丸に見開いたまま、興奮気味に言って拍手をすると、野次馬たちも我に返ったのか、あちこちで疎らな拍手が聞こえて来た。
やがてそれが会場を沸かせる万雷の拍手に変わる中、文句無しの合格を告げられて内陣を下りると、照れ臭くてくしゃくしゃ頭を掻く俺にベニカが飛び付き、更にはお嬢たちにも飛び付かれてもみくちゃにされた。
叙任式は一週間後。それを経れば晴れて石使いと認められる訳だが、配属先を言い渡されるまでの最初の一ヶ月は、サリミロ支部で御礼奉公という決まりになっているらしい。